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岩尾城は佐久の中心地からだいぶ西の方に行った千曲川沿いの段丘上に構えている。

川を渡る佐久橋の北西側に、鋭いガケを持つ平坦な丘として見えている。

 

室町時代中期の文明十年(1478年)に信濃守護小笠原家の一派である大井行俊が築城し、その後100年にわたって大井氏の城として使われた。

戦国時代になると、この辺りは村上や武田、そして北条、上杉、徳川の争いの場となる。大井氏ら在地領主はこれらの下について離合集散を繰り返した。最後は天正十一年(1583年)、北条氏の麾下にあった大井行吉の時に依田信蕃率いる徳川方に攻撃され、依田信蕃を戦死させるも持ちこたえられず開城となった。

 

周りに駐車場がないと聞いたので、ウロウロ回った末に佐久橋の下に停めた。

橋に上がれば、すぐ西の方に城山が見えている。

 

集落の脇を通って城山の麓に行くと、「龍登山観音院 高岩寺再興予定地」なる一画がある。

石塔や石灯籠などが立ち並ぶ奥に、それなりの広さの空き地が広がる。

 
千曲川沿いの平野に面した側には、石塔らしいものがたくさん…😮
 

が、すぐ裏が城山なのに、ここから城へは入れない。

 

少し北に進むと、民家の立ち並ぶ間に城山の北端方向へと登ってゆく舗装路があるので、これを登ってゆく。

このあたりは中屋敷というのだそうだ。

 

だいぶ草臥れた感じの道を登ってゆくと、空堀の末端のような場所に出る😮

この右側は大手台曲輪、左側が主郭部になる。

 

今は道になった空堀の傍らに立つ、この錆びた看板…

標識じゃないよな…😮

道路標識は法律でデザインが決まっていて、その中にないコイツは標識じゃない…

 

城には伊豆箱根三島神社が構えていて、立派な鳥居が出迎えてくれる。

しかし、信州のココに伊豆箱根三島とは…😮

 

鳥居をくぐれば城内だが、まずは外側へ…

空堀の向こう側には畑が広がっているが、往時は大手台曲輪といって、城の一部だった。

 

その外には空堀が入って、さらに大手曲輪が広がっていたというが、この斜面が空堀の名残かな…?🤔

 

その外は住宅地で、とてもカメラ片手に入り込んでいけるような場所ではなかったので、戻って城内に入ることにした…

大手曲輪や大手台曲輪は城の主要部とは堀切で隔てられているし、兵士や職人たちが集住していたところかな…?🤔

 

さて伊豆箱根三島の鳥居をくぐると、すぐに県史跡の標柱、そして参道の両側に向かい合うように説明板が立っている。

南側のは教育委員会が立てたものらしく、城の縄張りについての説明が主。


北側の説明板は観光協会が立てたものらしく、縄張りと略史の説明があった。

図は漫画チックやな…😮


同じ市の違う組織が、統一された方針なく夫々に案内を立てました、みたいなタテ割り感が半端ないな…

参道は少し盛り上がった築堤のようになっている。

その脇に「三の丸跡」なる標柱が立っているが、実際の三の丸はこの上だろう…


その右側は畑が広がっているが、もとは丸馬出があったらしい。

今は跡形もない…


三の丸の切岸は、高さ5メートルぐらいか。

裾には空堀が走る


この堀底に、この城を攻撃していて銃撃を受け亡くなった、信濃の名将依田信蕃の供養塔があると言うんだが…

 

え…?


どこ…?


コレか?


実物はラグビーボールよりひと回り大きいぐらいの小ささだし、それがまるで堀底の🌿🌿の中に打ち捨てられたようになってる…😢


もちろん、案内もない…


いくら城に引導を渡した側とはいえ、この放置っぷりはちょっと可哀想過ぎんか?😭

 

では、石段を登って三の丸に入ってみるか…


三の丸は100メートル以上の奥行きがあって、いちばん奥に社殿が立っている。

すっかり神社の境内の雰囲気で、城の面影は無い。


それでも、城内であることを示す案内が社務所の隣にちゃんと立っている。


社殿の裏に構える二の丸は、境内より一段高くなっている。

社殿の右側の石段か、さらに右の斜面を登る。

もとは切岸加工されていたんだろうが、社殿から廊下のようなものが伸びていたり、いろんなものが立ち並んだりしている。

 

二の丸は、西に向かって少しずつ高くなっているような広場になっていた。

ここにも、石塔や寂れたあずま屋などが立っている…


奥の高まりは、本丸との間の土塁。


ここにも祠がいくつか立っているが、土塁の雰囲気は残っている。


真ん中が低くなっているが、ここが本丸への虎口だったらしい。

 

そして本丸は…


すでに二の丸のあずま屋が裏寂れていた時点で覚悟はしていたが、見慣れた🌿🌿の風景だった…😮


それでも、二の丸側だけでなく北側にも、ちゃんと土塁の跡が残っている。


さて城は本丸で終わりではなく、奥に控一郭、控二郭が続いている。

ココまで来ちゃったら、もう突っ込むしかナイっしょ💨 


この、ドヤブの中へ…?


さっきから、時折🐝の重低音が響きわたってるし…

それに、🌿🌿ワタシの背丈より高いんだけど…

この中へ突っ込めと…?💦

ええいままよーっ🥶💨


ここは、曲輪の北側に沿って進んでゆくと、少なくとも🌿🌿に埋没することなく進める。

足元は🌿🌿に覆われているので🐝🐍は怖いけど…💦


そして…


浅いなぁ…😧


本丸と控一郭の間には、相当な幅の空堀が横たわっていた。
しかし、深さが…😮

長年放置されて、崩れたり埋もれたりしたか…


その奥に控える曲輪は、これまた緑が濃いぃ世界だった…


その南側の縁が、千曲川に面した側のガケらしく、高度感のハンパない急斜面になっていた。
立木などに摑まりながら数メートル降りたが、これが限界🥶💦

依田信蕃の攻撃を受けてもなかなか陥落しなかった防御力の高さを、身を以て実感させられた…😅

この🌿🌿っぷりじゃ、奥まで行っても写真撮れんわ…
と思って、ココで引き返す事にした。
急斜面を落ちないように慎重に登り返し、本丸との間の空堀を北の方に進んでゆく。

そして、本丸に登ろうとしたとき…


この城、石積みまであんのかよっ🤯


高さは背丈にも届かなかったが、本丸側の🌿🌿な切岸に見え隠れするこの石、間違いなく積まれている🤯

もしかしたら後世のものかも知れないけど…

石が丸っこいところを見ると、麓の千曲川から担ぎ上げて来たのかな…?🤔


立科の芦田城と言いココと言い、純・土の城に見える城内のごく一部にだけ石積みが設えられているの、わりと見かけるな…

遺構の堅牢性を増強するためか、それとも登城者にカチッしたところを見せようとしていたのか…


興味が尽きないな🧐


★岩尾城

長野県佐久市鳴瀬

城周辺に駐車場無し。千曲川スポーツ交流広場から徒歩5分。

丘城

 

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(2022年12月20日 記)