“シンプル”という贈りもの―アーミシュの暮らしから (クロニクル・ブックス)
/ビル・ コールマン
昨日、写真集を取り上げたので、その流れでもう1冊いってみます。ビル・コールマン/撮影・文「”シンプル”という贈りもの」(クロニクルブックス)、フレックス・ファーム刊。これはアメリカのアーミッシュの村で、定点観測のように何年も写真を撮り続けた写真家、コールマン氏の作品集。表紙の写真の穏やかで静かな美しさは一体なにごと、って感じですわね。現代のアメリカとは思えないです。

宗教的な背景はちょっと脇において(本当はこうすると本質が理解できなくなると思うんだけど)、インテリアのスタイルとしてシェーカーがずっと気になってます。残念なことに、シェーカー教団の村は、唯一生き残っていたおばあさんが亡くなって、生き生きとした生活の場ではなくなってしまったらしい。家具をはじめ、住まいや祈りの場等を保存・管理する学芸員のようなスタッフはいるみたいなので、村が死んだといってはいいすぎかもしれませんが、遺跡のようなものに近づいてしまった感はぬぐえないなあ。

で、注目したのが、今も昔ながらの暮らしを貫く人々がいるアーミッシュの村。彼らはコミュニティに外部の人たちを入れないことで有名(ハリソン・フォード演じる刑事ジョン・ブック は排他的な文化に難儀してました)だったりするため、この本は貴重かもと思った次第です。インテリアのディテールが見たかったので、ページをめくるたび、子どもたちの姿がたくさん現れるのを見て、実は「へっ?」と拍子抜け(笑)。作り込みすぎた雰囲気の写真がなきにしもあらずだけど(純粋に偶然の産物の可能性もあり)、どのページも静かな情緒を湛えてすっきり完結している感じ。

白、黒、ブルーの諧調の豊かさっていったらいいのかな~。絞り込まれた色の洋服が、風景の中に溶け込んでいるようでもあり、溶け込んでいないようでもあり、地味なんだけど妙に人を引きつけるパワーを放ってます。ストイックなファッションに興味がある人には参考になるところが多いかも。めっけもんだったのは青山南さんが訳した、著者のエッセイ部分。写真家が書く文章って、ほおお~ってうならされることが多いけど、コールマン氏がいかにしてアーミッシュの人々と出会ったのかを読みながら、いい文章のおいしさを味わいました、

*芋蔓映像*
目撃者 スペシャル・コレクターズ・エディション

『光 中谷美紀写真集』
中谷美紀、続けます~。今日は2003年に刊行された写真集「光」、ロッキング・オン刊です。新しい本ではありませんが、この本を見つけたのは先だって。アマゾンで
「新譜が出たりしてないかな~」
と思ってCDを検索していたら、5年前の本に目が吸い寄せられました。いわゆるタレント本ぽい写真集に興味はないものの、画像とレビューをちょこっと見たら興味がわいてきてきて、少し迷いましたがクリックです。

沖縄に通っているといってもいいほど、中谷さんは沖縄を何度も訪問されているんですね。特に八重山諸島は大切な場所のようです。

--  ひとりでこの地を踏んだことは数しれずあるけれど、人を伴っての旅は今回を含めても片手で足りるほど。旅の道すがら起こる出来事の素晴らしさを独り占めしたいというのが本音だけれど、ひとりでないと出会えない人や事象があるというのも事実。でも今回は違った。

巻末のあとがき(?)で、中谷さんはこう記しています。撮影クルーといっしょに島へ渡り、限られた時間のなかで写真集を作る--。すべての写真が屋外で撮られているようなので、お天気や時間帯などの自然条件の制約が少なからずあり、大変だったと思いますが、その作業に「期待を遥かに超えて、まるで作り物のような最高の状況が与えられた」とあります。

最適のチャンスに乗って行動できた場合のみに生じる、稀な現象といったらいいだろうか。個人的には「正しいことを正しい時にやった時だけ起こる、超スムーズ現象」と、あやしげに呼んでいますが(笑)、たまーにいろいろなことがするすると流れるように運んだりします。祝福されたような時間だったのかもしれないです(何に、と自分で突っ込んどきます)。

収められている写真は、露出がオーバー気味の明るいものが多く、水すら一種のきらきらとした浮遊感のある光のごとし。伸びやかに海中を泳ぐ赤いワンピース姿の彼女を撮った1枚など、目が洗われるようです。はあ~。

光の過剰さは、ヴェールやフィルターのように働いている気がします。アップめの写真にも生々しさはあまり感じられず、本全体を通してはなんだかいい夢の光景がゆるゆると続いている感じ。女優という虚構の存在は、現実とこんなふうに隔てられている、みたいないい方(陳腐だな~)もできると思いますが、ワタシは中谷さんの目に映っている世界(全部とはいわなくてもその一部は確実に)は、こんなふうであるのだろうと感じました。

写真のふわふわした印象をもったまま、あとがきのかりっと硬質で力強い文章を読むと「えっ?」と思わされますが、そのギャップも本の奥行き感になっているのでは。海辺の夏の日を撮った名作、Joel Meyerowitz「A Summer's Day」と一緒に本棚に並べました。

*芋蔓本*
ジョエル
Joel Meyerowitz / A Summer's Day

オオバコ

近所の公園をうろうろしてたら
オオバコの群生が目につきました。
子どものころ、花が付いた茎を引っこ抜いては
二人で引っ張り合う相撲(?)をとったものだけど、
近ごろの子どもはそんなことしないのかな。
葉に踏まれた跡がありましたが、
茎はほとんど無傷に見えました。

オオバコ2

相撲用なら
茎が長い帰化植物のヘラオオバコ(ヨーロッパ原産)が、
長く楽しめて良かったような。
こちらはウチの隣にある駐車場の階段脇に生えてました。
風が強かったので画像がぼけぼけ(*_*)
 

ないものねだり/中谷 美紀
ずいぶんブログを放置しておりました~。お久しぶりでございます。字を書いていなかった1年以上、何をやっていたかといいますと、ほとんどの時間を睡眠と編み物に費やしてました。ワタシにとって、この両者は幼いころよりひじょーに重要な趣味なので、いい日々だったといえるのですが、デヴ化と老眼化が同時に進行することにも。
ううむ。これは良くないというか、歓迎したくない。何事も100%完璧な状況はありえない、という証左のようですね。ジンセーの機微だわ(笑)。字を書けば少し脂肪が減るかもしれないので、またちょこちょこ書いてみようと思います~。

で、復帰の1冊目は、中谷美紀のエッセイ集「ないものねだり」マガジンハウス刊。中谷さんが「アンアン」誌上にエッセイを連載されていたのは、なんとなく知っていましたが、それをまとめた本が出ていたんですね。

帯の
「電車のなかで、お風呂のなかで、トイレのなかで
 気軽に読んだあとは、忘れていただいて結構です!」
というコメントはご本人のもの。帯では普通、○○な事象を△△と記した画期的な本、素晴らしいので読むべし、と訴えるものですが、忘れてもらってもいいと書いてあるのは初めて見た。帯を作った編集さんはただ者ではありません、きっと。

-- 炊飯器は値段が高いものほど機能が良く、おいしく炊けると言っていたのを思い出して、今までは温度や時間を計りながら作っていた温泉卵も勝手に作ってくれるという、利口な最新機種を手に入れた。(中略)
ペットも居なければ、テレビすらほとんど見ない静かな一人暮らしの我が家に、「白米ふつう、炊飯を始めます」なんて機械の声は鬱陶しいだけで、「ご飯が炊き上がりました。旨味保温を始めます」なんて言われると「余計なお世話だ!」と言いたくなり、これが毎日続くかと、憂鬱になってきた。p112

最近の炊飯器はそんなにしゃべるんですかい。うるさいぞ~。ずっと鍋でご飯を炊いていたので炊飯器事情にうといワタシは、びっくりしながら吹きましたわ。で、吹き終わったあと、中谷さんのモノや自分を見る目線がしっかりしてることに感心しました。観察することが、きっちり身に付いていらっしゃるですね。

まあ、「芸」というものは、自分が何をやっているのかを見続ける目なくして、ありえないものだと思うので、女優の中谷さんがそういう姿勢をお持ちなのは不思議ではありませんが、演技のみならず文章でも表現できるとは。ゴーストライターとして記事や本を作ったこともある経験に照らして、この本は中谷さんご本人がお書きになってると判断しました。

ライターがお話を聞きながら原稿を作った場合、鬱陶しい、余計なお世話、憂鬱等々の単語を一カ所でこんなに連続させないはず。ご本人への遠慮もありますが、テキストがネガティブな雰囲気になりすぎないように気を使うので、この手の単語を選ぶ時は慎重になります。で、この部分は見事に3連発。ゴーストが書いたら、こういうリアルさはなかなかでません。

ちなみに、中谷さんが最初に使ったPCはマックの5300CEだそうです。おんなじ機種、使ってました。う、うれしや。と、ファンなことを告白して終わりにします(笑)。

*唐突に思いついた芋蔓本*

ファシナシオン
大谷峯子「ファシナシオン」作品社


ガラクタ捨てれば未来がひらける (小学館文庫)/カレン・キングストン

カレン・キングストンを続けます。
「ガラクタ捨てれば未来がひらける—風水浄化術入門」小学館文庫。
下の「…自分が見える」よりいいと思うけど、このブックデザインも「ううむ」ですねぇ。ギモン符が頭の中を飛び交うってことは、少なくとも印象には残るってことを意味するから、よしとすべきなんでしょうか…。しかーし、もうすこし内容にあった、いいおべべを着せてあげたい。レスでもちょっと書いたけど、カレンさんを語るうえで欠かせないバリの写真を、さらっと美しく加工するとかなんとか、手は色々あると思うんす。内容が悪くないだけに惜しいです。

前著の「ガラクタ捨てれば自分が見える」は、生活空間の中にある不用品を見極め、それを処分するためのハウツー本。続いて出版された2作目は、片づけが済んだ空間を、著者がスペース・クリアリングと呼ぶお清めのような儀式を通じて、よりパワーアップさせようとするもの。花を供え、キャンドルをともし、聖水を振りまき、柏手(かしわで)を打って、ベルを鳴らすなど、かなり宗教的に思える作業工程(?)が具体的に紹介されています。あやしいといえば、かなりあやしい内容ですわね(笑)。

ただ、日本人のわたしたちから見れば、地鎮祭で神主さんがやるようなことを、カレンさんは披露しているともいえる。この作業を<定期的に>行いましょうと述べているので、空間をきれいに気持ち良く保つための、1種のメンテナンス法の本と読めないこともない。

たとえば花を供える=飾ることは、住まいに対して肯定的な気持ちがないと、なかなかできないことだったりします。私事で恐縮ですが(笑)、落ち込んでどよーんと底辺をさまようような気分だった時期、花屋さんから足が遠のいてました。ある日「花を買ってない」ことに気づき、今のワタシには花なんか似合わないとぼんやり感じていることに思い至って、はっとしましたわ。祖母がマニアックな花好きだった影響で、お花を含めて植物は大好きなんです~。なのに、その気持ちが鬱屈していたとは。それに気づかないことにもびっくりしました。

住まいを気持ち良く保つことで、自己を肯定する気分を維持する、といったら大げさだろうか。この本は、肯定的な自己を維持するための技術を、住まいを切り口に詳述しているように思えますー。



ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 (小学館文庫)/田村 明子

あまりに更新をさぼったので、いったい何から書けばいいんだか(笑)。ま、そういう時は仕切り直しということでお片づけ・お掃除関連の本がいいかもしれん、と思いつきました。
カレン・キングストン「ガラクタ捨てれば自分が見える」小学館文庫、です。

この本をすすめてくれたのは、下の記事の「いつもふたりで」と同じBikke殿。電話で話していた時に
「自分の家がきたないっていうことが、どんなにやばいことか。必読!」
と熱く語ってくれますた。

さてー、読んでみるかいと思ってアマゾンで検索したんですが、表紙のデザインに、なんていうんですか、かなり引けるニュアンスを感じたんですね。まあ、最初にタイトルを聞いた時点で「へっ? 直球すぎませんかね」と感じていたものの、改めて表紙に並んだ字を見ると「……」な感じだし(編集者さん、ごめんなさい)。

注文ボタンを押すのがためらわれましたが、あんなに強く「読むべし」というんだから内容はいいかもしれない、と思い直して注文。数日後に届いた本を、読みましたわ。一気に読了でした。

副題に「風水整理術入門」とあるので、ドクターなんとか氏をはじめとする方々が提唱する風水の類縁書として、くくられているのかもしれませぬ。しかし、この本はいわゆる風水の本ではないと思うなー。訳者の田村明子さんはあとがきの中で

——キングストン氏の行うスペース・クリアリングとは、いかに無駄なガラクタを排除して部屋の中のエネルギーをうまく循環させるか、という引き算型なのです。p215

と書いています。読んでみて、この本のキモな部分はこの言葉に凝縮されてる、と感心しました。

著者がスペース・クリアリングと呼ぶ、独自の風水術を実践する至った経緯がおもしろい。もともとロンドンでボディワークのプロとして活動していたカレンさんはバリ島に魅せられ、日常の中に聖な部分がちゃんと位置しているバリの文化を探るうちに一種のお清めともいえるスペース・クリアリングの技法を確立していったらしいです。

空間に残る記憶のようなものが体感できるとははっきり述べているので、シャーマニックなタイプの方かもしれませんが、住まいには住む人の心身の状況が反映されているということは、だれしもなんとなーく感じていることではないですかねぇ。

ワタシは若いころ、インテリア雑誌の編集者だったのでおうちに入ってぐるりと周囲を見回すと
「ん? なるほど」
といろいろなことが読める感じでしたわ。

すごく乱暴かもしれないけど、この本は自分をすっきりさせるために空間にアプローチしましょう、ということをいっていると思うですよ。で、そのためのハウツーが微に入り細に入り、とってもきめ細かい。ガラクタがたまりがちな場所からガラクタの種類までていねいに分類し、それぞれのケースにおいてどう行動したらいいのかをきちんと記しています。

これは「いろんな人がいる」ことを現場の体験を通じてしかと理解しているからでしょうねー。そういう意味で信頼できる著者だと思いました。

*芋蔓本*
アルディ・P・パリミン「神々と生きる村 王宮の都市—バリとジャワの集住の構造」
学芸出版社


万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)/大江 健三郎

大江健三郎「万延元年のフットボール」講談社文芸文庫、読了。
読み終えたことをすっかり忘れていやした。感想も薄れつつあるですよ~。いやはや(笑)。
何を書いたらいいものか、と思って本にかけていたカバーを何気なくはずしたら、
付箋が付いてました。これだね。
いきなり本文の抜粋です。

――炎の河は、朝の光をやどしたハナミズキの紅葉した葉裏のような赤に塗られねばならないし、火の波の線は女の裳裾のひだのように穏やかに柔らかくひかれねばならない。「優しさ」そのものである炎の河が実在せねばならないのだ。p434


寺に収められている地獄絵の炎の赤、について書かれた部分です。蒸し暑いお天気が続いているのに、こんな風に熱い(?)絵の描写に反応してしまうのは、我ながらいかがなものかと思いますが、この表現きれいだな~。


講談社文芸文庫の表紙は下側が白いんで、アマゾンの画像をそのまま使うと、なんだかぬぼーっとヘンテコな感じですわね。

 

いつもふたりで表紙

沢野 実, イーデス シファート, Edith Shiffert, 村松 美賀子
いつもふたりで―Happy Old Two

 ご無沙汰しておりました。ぺこり。

シゴト部屋といいますかシゴトコーナーといいますか、その移動に伴い、本の山も移動。

順番も何も考えず、とりあえず本棚に本を詰めたら、見たい本に限って2列目に入ってしまったのか、すぐには見当たらない事態となりました。とほほ。困ったぞ。

 

困ったと書いたものの、「実はあんまり困ってないのかな~」と、自分のことなのにミョーに自信がなかったりして。実はワタシ、若いころは「三度の飯より引越しが好き」と豪語するほど、引越しを愛しておりました。しかーし、順調に重なった年齢のせいか、最近は大がかりな移動が億劫に…。でも、身の回りが見たことがない様子になるのは相変わらず好きなので、部屋の模様替えにしばしば汗するわけです。カンタンにいえば、模様替えが趣味っす(笑)。

 

で、どっかにいっちゃった本を、さきほど意を決して探しました。

ありましたです。

沢野実&イーデス・シファート「いつもふたりで」平凡社、です。

この本はトモダチのBikkeさんの強いレコメンドにより入手。京都で暮らす沢野&シファートさんご夫妻に、ライターにして編集者の村松美賀子さんが話を聞き、ふたりで歩むようになった毎日のディテールとそこに至るまでの経緯をまとめたものです。


沢野さんもシファートさんも、ともに再婚。京都で出会ったふたりは、相手の母国語を話せないという「ええええ~っ?」という障害(?)をものともせず、仲良く、うまく二十数年暮らしてきたらしい。

本を紹介してくれたBikkeさんは、「お互い言葉がようできんのよ~」(表現不正確・汗)といってたような。


――わたしは教師だったでしょ、ゼミやクラスを持って、まとまった人数に向かって話をするわけじゃない。それに比べれば、ひとりやふたりだったら、コミュニケートするのもラクだもの。

 それにね、わたしとミノルは、一生懸命相手の言うことを聞いて、自分のいいたいことを伝えようとしてきたわ。よく聞けば、けっこうわかるものなのよ。p131


言葉って、なんなんだろうと考えさせられますた。



カエル君


畑を放置している間に、せっせこ編み物をしておりました。ホントの畑なら草ぼーぼーですわ。幸い、ウチの畑はバーチャルという場所にあるうえ、作物も放置に強い種類なので助かります(笑)。


こどものころから編み物を始めると止まらないという癖があるです。ほんで、1個仕上げると、「次はここをこうして、あそこはこう変えて…」という妄想が次々と湧き上がり、思い付きを自分の目で確認しないことには落ち着きません。結果、似たようなものが大量に仕上がるという事態に相成ります。


という事情から、長年構想をあたためておりましたニット小物の売店をアメブロ内に作りました。畑脇の野菜の直売所のようなもんですな♪


*dharmaknit*購買部

オーガニック表紙
 

編み物ウィークが続いております。飽きるまで続く予定です。手芸用品店にもちょくちょく足を運んでいて、こんなことしてるの、ずいぶん久しぶりだな~と感慨にふけっとります。子どものころから、編み物を始めると止まらなくなる癖があるんです…。寝食は忘れませんが、ほかの事をしなくなるという、役立たず系集中力が働きますわな☆

本を読むようになったのは、ワタシは比較的遅くって小学校高学年でした。なんで、本読みのキャリアより、編み物人(今つくった言葉だ~)としてのキャリアの方が長いなあ。ま、どうでもいいことですけどね。盛り上がりに乗じて、編み物関係の本も何冊か仕入れました。


雄鶏社の「オーガニックコットンのやさしい手編み」
は、編みやすい太さの木綿糸で編むニット小物の本。はやりを的確に押さえたデザインが、時流とぶれてなくていい感じです。細いストラップが付いたキャミとうさぎの編みぐるみは、ぜひ作ってみたい。表紙のポーチはさっそく製作してみました。指定の糸も針も無視して手持ちの材料でいきなり作ったら、予想以上にでかい物体:巾着袋ができてしまった。とほほ(笑)。


昔はサマーヤーンというと強撚の光沢感の強い糸が多かったけど、今はソフトな撚りのほわ~んとした糸が注目されている感じですね。ファブリックもコットンならガーゼ織り、プレスすればきりっとするリネンも洗いざらしで使うことが多いし。ゆるーい優しさみたいなものが、トレンドになっている気がします。お店に並ぶ手編み糸の表情にも、そんな感覚が表れているように思いますた。


それから、またしてもキリ番が近づいております。500をゲットされた方は申告してくださいね~。丹精込めた(?)アクリルたわし、プレゼントいたしやす。