恩寵の扉が開くまで完結編―フーマンを超えて より



175・176

この宝物を受け取るために一番大切なこと、それはまず求めなければならないということだ。

(中略)

次に「私とは誰か?」という問いかけは絶対に必要だ。
中略
それをしている
「私とは誰か?」の根本を問わない限り、本当の目覚めは起こらない。
中略
そのためには瞑想の実践が不可欠である。

(中略)
求める私が消え去って初めて、」恩寵の扉か開かれるのだ。」」



p177・118

フーマンは恩寵がやって来る条件として「それは、あなたのハートの純粋性による。

私が誰かのハートの純粋性を知る時、恩寵がただちに降りてくる」と語っている。

恩寵と私たちを繋げる唯一のもの、それが誠実さでありハートの純粋性なのだ。

中略

その純粋性は私の中にあり、その輝きは他の人たちの純粋性と共鳴する。

そしてそのような共鳴の場にこそ、恩寵の光は降り注いで、一人一人を照らしエネルギーフィールドを形成する。

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恩寵の扉が開くまで―フーマンとの出逢い

フーマン エマミ、天野 清貴 著

手放そうとするものは、恩寵の力であって、それがあなた自身の意思を通してやってきて、手放そうとする。

キヨタカであろうという意思を手放すのだ。

深いというよりパドラックスに満ちている。
ただ、私の中で明確になったのは、”自分自身の意思を通じて恩寵の力が来る”ということです。
しかも、その意思によって”自分であろうという意思”を手放すということ…ふぅ~

マインドを使ってマインドを手放すことは出来ないーという風にアダヴァイタ系の本を読んで思い込んでいたので…こっちの方がまだ解りやすいかも。

中略

恩寵が働かない限りそれは決して起こらない。


↑ さぞかし…


中略

…ただ手放すのだ。


↑ インドでディバインが私に言ってたこと、そのまんま…

中略
マインドで理解する必要はない。
そして、ただ手放すのだ。
するとより深い認識が、より深い理解がやってくる。



P226
真実の自己が持っている質は、あなたがいつも相手に求め続けていたものの中に隠されている。
それがあなたにとって、手がかりとなる。
それがあなたの道となる。







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心底からの祈りの力

P281

「どうか目覚めるために必要なものを何でも私に与えてください。


何を要してもかまいません。


残りの人生が気楽なものでもかまいません。


残りの人生が地獄のようなものでもかまいません。


必要なものがなんであれ、それが私が望むものです。


私はそれを招き入れます。


この分離からめざめるのに必要なものをどうか私に与えてください。」


この祈りを口にしたとき、それはとても恐ろしいことでした。


その後でこう思ったのを覚えています。


「僕は今、何をしたんだ? どんな力を放ったんだ?」


私は大きな力を解き放したころがわかりました。


その瞬間、コントロールという幻想を高次の霊的存在に返還したのです。


そして思ったとおり、私は比較的短期間に意識を開くために必要なものを全て手に入れました。


中略


しかし、ハートの奥底で切望するものを神に打ち明けて、目覚めに必要なものを懇願していることを告げると、それは手に入るでしょう。


中略


自分が人生をコントロールしているという幻想を手花さなければなりません。


その幻想を引き渡したとき、知らず知らずの内に恩寵に身を委ね、この透明性、開放性と愛に包まれて分離からの目覚めという恩寵へと包みこまれていくことでしょう。



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すばらしい帰郷

P127

今、まさに今春間に、自分の内面を見つめてください。


内面を見つめる際、何も捜し求めてはいけません。


ただ見て聞いて感じて、そして内なる存在、スピリットと透明につながることを味わってみて

ください。


あなたにもイエスがわかっていたことがわかりり始めるでしょう。




苦悩からの解放としてこの瞬間を体験する

P52

本気でオープンになろうという気があり、その抵抗があることも身体で感じようという意思があるときにトラウマのすべて、安らぎを乱すものすべての根底に存在する安らぎとくつろぎに満ちた情愛を感じることができるのです。




初心でいること

P189

初心には無限の可能性があります。


それは開かれています。


中略


学ぶ必要のあるものは何でも受け入れます。



愛とは生命を激しく受け入れること

P248

愛とは生命を激しく受け入れることです。


愛とは自分自身をすべての人、全てのものごととして見ることです。



大悲

P273

ハートでは人に苦しんで欲しくないし、苦しんでいる人を救いたいのですが、それができないことが悲しみなのです。


悲しみの状態であれば、さらにハートを開くよう、悲しみにしがみつくための人やものが存在しないほどに十分広くハートを開くよう求められるでしょう。


中略


ハートが傷つくままにして良いのです。


ハートはそれほど十分に広いのです。


中略


本当は私たちが偉大な存在の神秘そのものなのです。



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P65
あるがままを見て受け入れるとき、実は創造的な反応が開かれます。

P65
真実こそが苦悩から私たちを救い出してくれるものだからです。

P109
思考によって導き出された結論は真実とは違います。
中略
なにがリアリティかを知るのにマインドを頼ることをやめることが出来ます。
中略
どのような考えもリアリティや真実ではないという認識を自分の存在の核心に浸透させたなら、意識のなかで完全な転換が始まることでしょう。


P131 苦悩にしゃべらせる
そこにあるものが何であれ、ただ感じてみる時間を30分くらいとることをお勧めします。
中略
ただ感覚や感情の素のままのエネルギーを体験してください。
中略
身体の中で硬直しているように思える部分はどこかわかるでしょうか?
中略
実際に痛みの中に深く入って行き、その中でリラックスすることさえ必要です。
そうすることで苦悩にしゃべらせることが出来るのです。


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以下、アジャシャンティ著 「大いなる恩寵に包まれて」より引用-P18より

偉大なるスピリチュアルの師、クリシュナムルティがかつてこういいました。

「子供に鳥を『鳥』という名前だと教えると、その子供は二度とその鳥を見なくなる」

子供が目にするのは「鳥」という言葉になるのです。

中略

名前がついたとたん、本来それが持つ生き生きとした特性の一部が失われます。

私たちは、名前をつけラベルを貼り、観念の世界を作り上げ、ありのままの世界を体験してはいないようです。

インドのバガヴァンさんもこうおっしゃってます。↓

01/18 DAILY TEACHING

When you stop naming what is going on, you will actually begin to see...Sri AmmaBhagavan.

HAVE AN ENERGETIC DAY!

起こっていることに名前付けをすることを止めた時、実際に見ることが始まります...シュリ・アンマバガヴァン

エネルギッシュな一日をお過ごしください!

by ワンネス翻訳チーム☆☆☆
Member:Yumi Sato Brixius




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不滅の意識―ラマナ・マハルシとの会話より転載


瞑想とハート

質問者:なぜハートに対して瞑想するのですか?

マハルシ:あなたが意識を捜し求めているからです。
     あなたはどこにそれを見出すことができますか。
      あなたは外部にそれを手に入れることができますか。
     あなたはそれを内部で見つけ出さなくてはなりません。
     それゆえあなたは内面に向けられます。
     さらに言えば「ハートは意識の座に他ならない」のです。


真我の実現

質問者:解放とは何でしょう。

マハルシ:それはあなたが生まれなかった、ということを知ることです。
     中略
     あなたはあなたの真我を見失いました。
     内部に向きなおりなさい。
     もしあなたが心の源を捜し求めるなら、それが真我を後に残して消えさるでしょう。
     中略
     静であること、平安が真我の実現です。
     真我が存在しないときはありません。

質問者:真我を実現するための障害は何ですか。

マハルシ:主として記憶です。
     それと考える癖と蓄積された性向が加わります。


質問者:これらの障害をどのように取り除くことができますか。

マハルシ:中略
     心であるその源までさかのぼってたどりなさい。
     「それを疑っているのなだれか」「落ち込んでいるのは誰か」あなた自身に尋ねなさい。

質問者:私はバクティ(帰依)を切望しています。
    私はその切望そいっそう欲しています。
    真我の実現さえ、私には重要ではありません。
    私の切望を強くさせてください。

マハルシ:もし切望があるなら、たとえそれをあなたが欲しくなくても、真我の実現はあなたに強制されるでしょう。


質問者:バクティは二元性を意味するのではないでしょうか。


マハルシ:バクティと真我実現は同じものです。
     中略
     真我であるのに、なぜ人は幸福を切望し続けるのでしょうか。

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マインドに取り込まれていることを知るには、不快な思考がキーワードになるときがあります。

体験に対して不快が訪れると思考が起こり、自分というマインドがぐるぐる考えはじめます。

嫌だけれど、これは自分を映している鏡だから…なんたらかんたら…

この不快なことの原因(カルマ)の解消は…なんたらかんたら…

そうそう、サイキックアタックに対処する方法は…なんたらかんたら…

そんな風に思考が不快な体験から逃れようとするのです。

これでは、ますます堂々巡り。。。

が、現実に「私」というマインドは自分のモノではないことに気づくと、そこから立ち去ることが出来るのです。

「私という人はいません」マインドは幻ですから。

「ただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え」

のページをランダムに開いて、読んだだけで「な~んだ、そ~だよね」

一瞬で戻りました。

正に「ただそれだけ」なんです。


その体験を繰り返すことによって、ますます気づきやすくなるのだと思いました。


「ただそれだけ」のどの部分を読んだかは忘れました。

それは関係ないのかも知れません。

どのことばにも、覚者のエネルギーが隠されているというコトなのでしょう。

ラマナ マハルシの教えの一つを読んで、ぜんぜん役に立たないどころか混乱してしまったこともあるのですが…

それはそれ、自分がそこまで成長していない部分に対しての教えは、捨ててしまえばよいのです。

自分が使いやすいエネルギー(教え)に乗っかる!です。

だんだん覚者のことばが腑に落ちるようになれば、しめたもの。

自転車に乗る練習のようなものですね。

 
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明け渡し

もっともよいところで

「私はいままであなたのものであったそれらを、すべて私のものだと誤って想像していました。今、すべてはあなたのものだと知りました。もう、けっしてそれが私のものであるようにはふるまいません。」

と言えるだけだ。

中略

彼にすべてを完全にまかせなさい。

重荷は彼のものだ。

あなたは、もはや何の心配もしなくていい。

あなたの心配はみな彼のものなのである。

明け渡しとはそうようなものだ。

これが、バクティである。


マントラとジャパ

ジャパが不断の流れになったとき、他のすべての想念はやみ、人は自分の真の本性の内に在る。

中略

あなたが自分を名前と形だと考えるかぎり、ジャパのなかの名前と形を避けることはできない。

あなたが名前でも形でもないと悟ったとき、名前と形はひとりでに脱落するだろう。

他のいかなる努力も必要ない。

ジャパやディヤーナが自然にそれへと導くだろう。

中略

以前には努力して復唱してきたジャパが、自然に努力なしにハートのなかで唱えられていくのをあなたは聞くだろう。

中略

自分自身に向かって「私、私」と言い続けなさい。

中略

ジャパを始める前の、呼吸の制御が指導される。

中略

自己をたった一つの想念に専心させると、その一つの想念も、絶対意識、つまり真我である源に消え去る。

それがディアーナ(瞑想)の目的である。

ヨーガ

身体と自己同一化を完全に放棄ことこそが呼気(レチャカ)であり、「私は誰か」と言う探求を通して内側に消え去ることこそが吸気(プーカラ)である。

唯一の実在である「私はそれである」としてとどまることこそが維持(クンバカ)でる。

これこそが真のプラナーヤーマーである。

中略

単に呼吸を見守る方法はやさしく、危険を含むことはない。

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アジズとの対話―魂の覚醒を求めて (著), 天野 清貴
アジズ クリストフ


覚者の本を読んでいると、いろんなタイプの覚者がいるのだな~っと…

アジズの場合、真我(実在)の向こうまで観ているような感じがあって、探求者になぜか安心を与えるように思えるのです。

凡夫である私たちはプレゼンス(実在)が全てで、そこで始まりも、終わりもないところへ行ってしまったら満たされた「空」・「実在」に溶けて消えてしまうようなことを想像してしまうからかも知れません。

そう、みんな覚醒したくないだけ…って誰かが言ってましたっけ。

此処で、お祭りが終わらないように…ゲームはやめられない、、、みたいな。

エゴのゲームが終わったら、永遠のプレゼンスに浸りきるのではなくて、今度は「愛」か「神」のゲームを始めたいとか…マインドは申します。

本当のところは私には解ろうはずもないけれど、なんとなくまだまだあるはず~ってところを感じます。

で、アジズをもっと読んでみたい。


覚者が口をそろえて言うことは、「今ここにいること-プレゼンスにいること」

そして、「それは、すでにここにある」ということだと思う。

それに繋がること、繋がり続けることからプロセスは進んでいくんですね。

こんな風に本を読み続けることも、ギブアップしなければならない(それが唯一の薬だ)ーと書いてあるけれど、もちろんそうなのだけど、これは私のプログラミングだから、そしてそれに飽きたらやめるでしょうよ(笑)

何もしなくて良いのだから、ありのままに、したいことだけをしていたら良いのだから、かなりのスペースが出来てきていているので、こんな風にブログを書いていることが出来るのです。

そして、このプログラミングが気に入っています。



ここより転載

内側のブッダ

ポイントはあなたが誰かということにある。

あなたがこの道で成功するには唯一、「ブッダがすでに自分の中にある。それに会わなければならない」という100パーセントの信頼がある場合に限られる。

「俺はブッダ」だといって無知のまま歩き回るのとは違う。

内側のブッダを発見しなければならない。

中略

困難があるときには、頭に向けて呼吸を入れるといい。

息を頭の中に向けて吸って止めるとサードアイのセンターが活性化する。


サードアイの活性化

視床と呼ばれる部分がある。

その腺がステート・オブ・プレゼンスを司っていて、それが活性化しなければならない。

(↑これってインドで目覚めた部分だと思う)

中略

直接頭に呼吸するというのが、それを活性化するのに一番簡単な方法だ。

そしてそれを活性化させる最も高い方法は、それを思い起こすことだ。

中略

サードアイにサンダルウッドのオイルを塗るといい。 

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