マインドに取り込まれていることを知るには、不快な思考がキーワードになるときがあります。

体験に対して不快が訪れると思考が起こり、自分というマインドがぐるぐる考えはじめます。

嫌だけれど、これは自分を映している鏡だから…なんたらかんたら…

この不快なことの原因(カルマ)の解消は…なんたらかんたら…

そうそう、サイキックアタックに対処する方法は…なんたらかんたら…

そんな風に思考が不快な体験から逃れようとするのです。

これでは、ますます堂々巡り。。。

が、現実に「私」というマインドは自分のモノではないことに気づくと、そこから立ち去ることが出来るのです。

「私という人はいません」マインドは幻ですから。

「ただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え」

のページをランダムに開いて、読んだだけで「な~んだ、そ~だよね」

一瞬で戻りました。

正に「ただそれだけ」なんです。


その体験を繰り返すことによって、ますます気づきやすくなるのだと思いました。


「ただそれだけ」のどの部分を読んだかは忘れました。

それは関係ないのかも知れません。

どのことばにも、覚者のエネルギーが隠されているというコトなのでしょう。

ラマナ マハルシの教えの一つを読んで、ぜんぜん役に立たないどころか混乱してしまったこともあるのですが…

それはそれ、自分がそこまで成長していない部分に対しての教えは、捨ててしまえばよいのです。

自分が使いやすいエネルギー(教え)に乗っかる!です。

だんだん覚者のことばが腑に落ちるようになれば、しめたもの。

自転車に乗る練習のようなものですね。

 
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