ツインレイ業界って、壮大に“弱い者虐め”がしたいようですね。 | 「向こうの景色を見に行こう」

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“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

そのために、本人は善を装う(マウントを取る)=「偽善」で、弱者(差)を生みだす仕組みを採用するようです。

 

「トリプルレイ」そのものは、この理解で述べるのならわかります。

 

 


偽ツインレイは、ツインフレームです。

 

 

 

私は、ちまたで言う「ツインレイの7つのステージ」を終えて再会するのはツインフレームだと思っています。

 

 

 

もちろん。学びには段階があります。
本人に合わせて進むものです。

それはサナンダが述べています。

 

【意訳】:神のツインレイ統合へのいざない

Each person will have a unique situation, and therefore all Twin Ray couplings will occur differently, as there is closure necessary from many experiences learned by both parties. In addition to ascending, the Twin Ray merge will take a daily conscious effort. So many of you feel that deep inner knowing, but have not been able to express this as the earth consciousness has not allowed for divine relationships in a long time.

一人ひとりの状況が異なるため、全てのツインレイの結合は異なる現象が発生します。両者が学んだ多くの経験から、終結させる必要があるためです。アセンションに加えて、ツインレイの結合は日々の意識的な努力を必要とするのです。あなた方の多くは、その深い内なる知を感じていますが、地球の意識が長い間、神聖な関係を許さなかったため、これを表現することができませんでした。

Some Twin Rays in the upper dimensions are not ready to reconnect. This comes only by the approval of one’s Higher Self. So many different situations, yet each one is perfect for the individual. Whichever level you intend to reconnect with, there will be shifts in your life, and Spirit will not give you what you cannot handle. For instance, if one is happily married on Earth, you can commit to a Twin Ray at an energetic level while working here. This for the time being is perfect. No Twin Ray will interrupt a harmonious environment. This being only wants the highest and best and is willing to wait for Divine time.

高次元のツインレイの中には、再接続の準備ができていないものもあります。これは、自分のハイヤーセルフの承認によってのみもたらされます。とても多くの異なる状況がありますが、それぞれがその人にとって完璧です。どのレベルに再接続するにしても、あなたの人生には変化が生じます。スピリットはあなたが処理できないものを与えることはありません。例えば、地球上である人物が幸せに結婚したとしても、ここにいながらエネルギーレベルでツインレイに繋がることができるのです。当分の間、これは完璧なのです。ツインレイが調和のとれた環境を邪魔することはありません。この存在は最高で最良のものだけを望み、神聖な時を喜んで待っているのです。

 

 

 

 

ツインレイ業界って、壮大に“弱い者虐め”がしたいようですね。

そのために。

 

本人は善を装う(マウントを取る)=「偽善」で、弱者(差)を生みだす仕組みを採用するようです。

 

 

 

例えば、現実に小学生同士で虐め合っていても。
そこに上下(強い・弱い)は存在しないことは大人ならわかりますよね。


でも。ツインレイ業界は。
「あなたのため」を掲げることで、そこに上下の差を生みだします。

 

己が己でない(その相手がいなければ成立しないような)ままに受け取った称賛の全てを捨ててください。それはあなたがコピーした元の他者のものです。あなたの手柄ではありません。

闇の循環を主軸とする人たちを、私は天使と悪魔というカタチで分類化している。

天使は不安による循環を持ち、悪魔は恐怖による循環を持っている。



天使は不安による循環を持っている為、不安的な行動が多い。不安を感じているが為に自分らしくいることがなかなか難しい人たち——とも言える。

天使は『自分のおかげで——』という人の手柄を搾取するというカタチで存在している。



悪魔は恐怖による循環を持っている為、他者へ恐怖を与える行動が多い。人を傷つけることを厭わず、人の気を引く為だったら『なんでもやる』みたいな人たち。

悪魔は『あんたのせいで——』という人に自分の責任を押し付けるカタチで存在している。



天使と悪魔は不安と恐怖の種類が違うが、それは表面的な見え方であり、内面的には天使のなかには悪魔の意識(恐怖)があり、悪魔のなかには天使の意識(不安)が存在している。

そして、天使と悪魔の行動はどちらも他者への影響として『罪悪感』を与えることになる。

...

天使と悪魔は協力体制にある。

天使側は、ツインレイに対して密接な関係性を持ち、偽善的な行いによる『自分のおかげで——』というエネルギーにより、罪悪感を生み出していく。

ツインレイたちは人に感謝している気持ちがあればあるほど、人に対しての礼儀を弁えたり、人のおかげをないがしろにすることができない。その部分を突くかのように『天使のおかげ』だから〇〇するのは悪いことだというような罪悪感を覚えるようになる。

これが『偽善による罪悪感』である。

 

「いつだって、向き合うべきは己なのです」…仕事をほっぽりだせと言っているのではありません。生活にお金は必要です。

あなたは先ず、偽善とは何か——を知らなければなりません。

悪が存在しなければ善行出来ないことが偽善なのです。

誰かという悪を仕立て上げることがなければ、存在することができない善が偽善です。

つまり、あなたはあなたのなかに存在する親切を捨てていく必要性があるのです。

あなたは人に何かしらの親切心があるかもしれません。それをすべて捨てていく必要性があります。あなたは何もしなくていいのです。あなたは必要とされていないことに意味があるのです。

あなたが必要とされていないときこそ、あなたの家庭は安定しているという事実を知ってほしいのです。

だからこそ、先ず、あなたは「他人への親切」をやめていきます。あなたは「誰かという悪を生み出して、自分が親切をする善」という偽善を捨てていきます。

しかし、困っている人は助けてあげなければなりません。あなたは「困っているのであれば手助けをする」。それだけでいいのです。

生活や人生のなかで、困っていない人を手助けしている人が偽善となるのです。

 

 

それは「支配」です。
搾取と依存です。



ツインレイ業界には、
「私は先を行っています」とか。
「これの理解があります」とか。

“あえて”マウントを取ることで、そこに上下の差を主張して、ツインレイの上に立って導きたがるツインフレームがいることは確かです。

 

 

 

そ れ は イ ジ メ だ ろ ?



***

え?

私の助けを必要としている人がいるはず?

それはお前の“思い込み”だろ。

 

「自分が被害者になるわけではない。他者が被害者に仕立て上げられるのである。被害者(と思い込みたい相手)に対しての信頼性を失っている状態とも言える。」by私の7人目のツインフレームの彼女

つまり、加害者をしたてあげ、被害者をうみだし、この関係性のなかに『自分』という中立性を見つけ出そうとする瞬間がある。これが『妄想主』という概念にある。

簡単に言うと、私の言う「神さまごっこ」である。自分はすべてにおいて理解し、すべてにおいて判断でき、すべてにおいて『正しい』という考え方のもと『被害者』と『加害者』を生み出していく。

それは何の為なのか。理由は、自分の存在意義というものが被害者と加害者により構成されているためである。

...

妄想主って段階に差し掛かると、自分が被害者になるわけではない。他者が被害者に仕立て上げられるのである。

被害者(と思い込みたい相手)に対しての信頼性を失っている状態とも言える。その存在が自立していると認めることができない心も関係性している。

根源には、被害者(と思い込みたい相手)と自己投影が行われている段階にある。自分が抱えている被害者意識が他者に投影され、その投影が他者への信頼性を失ってしまう。

これを『共感』と多くの人が感じているかもしれないが、これは単純に『思い込み』である。その人を被害者にしたてあげることにより、私たちは自己投影を行い、投影された自分を守りたいと思っているのである。(共感とは知的なものであり「なるほど」の理解にあり、感情的に行われていく共感は『同調』にある。)

これは自分と被害者たる存在の同化にあり、共依存にある。共依存を肯定したいがために、加害者を必要とする構造である。

 

 

あなたは「自身が見下す相手」を探しているだけです。

 

 

「愛を他人に依存している」…貴女は自分の人生を信じきれず、己の未来を失わせたのです。だから他のツインレイ達も導きが必要だと思い込んでいるのです。

~中略~ 教えられた智恵やお金などの『付与価値』により、人は『存在』を信じなくなりました。

自分が何かの価値がなくなっても『存在している』ことを忘れることになります。
何かしらの価値がなければ、自分が存在していないと認識することになるのです。

『価値』に縛られているがゆえ、『無価値』であることを悪いものと考えます。
価値ある存在になろうと躍起になりますが人は無価値である『無である存在』ゆえ、必ず背景に『無価値である自分』が追いかけてきます。

最終的に、塗り固められた『価値ある自分』を『自分』と信心することにより、『自分を失った状態』になっています。

これを『自己の喪失状態』と考えます。

...

彼らにとってもっとも脅威なる存在は『無価値の存在』です。

無価値の存在は、見下すべき存在であり、優しくしてあげる存在・自分が優位に立つことができる存在・与えるべき存在として考えられます。

そこには『価値ある自分』を具現化するための道具として『無価値ある相手』を求めています。
この関係性はメリットとデメリットの関係性となります。

...

価値ある自分を他者に提供することにより、自分を維持することができる状態となります。
そして、無価値ある相手を見下すことになります。

...

また、彼らは一見、偽善的であり、良心的な姿をしている。
それが『道徳で学んだ善』であり、本当の『善』ではなく『偽善』であることに気づくまで、彼らは自身が無価値であることを学ばなければならないが、今まで積み上げてきた価値を捨てることはなかなか容易なことではないでしょう。

 

 

そこに「ツインレイ概念」がちょうどよかっただけです。

 

 

ツインレイを謳って己の承認欲求を満たすような金儲けや、「私は今この段階です」と何かの上に立って人を導こうとした所で、“己の成長には至らない”のだ。と言う「ことの理解」ができた方がいいですよ。

しかし、精神と肉体が繋がっていない、霊的覚醒が出来ていない人たちは『ツインフレームをツインレイ』と誤認します。

その理由は『承認欲求』や『優劣意識』による精神問題を一例としてあげさせていただきます。

承認欲求や優劣意識は『肉体による欲求』なんですね。

生存欲求みたいなもので、人よりも優位に立てば立つほど自分の人生がうまくいきやすい——という支配的な欲求を持っています。(いわば、マウント的なことでしょうか。)

この肉体による欲求をセーブすることが出来ていないがゆえに『自分はツインレイと出会っている特別な存在』と思い込んでしまうんです。

しかし、それを満たすことが出来ません、理由はツインレイではないから。

自分的にツインレイ(だと思い込んでいる相手)に満足することが出来ないでいるがゆえに『人に伝えることで満足したい』という形によって行動にでてくることになります。

ここでは『心』と『言葉』による不一致が起こっています。

精神的に自分自身をツインレイだと思い込みたいがゆえに、言葉でツインレイだ! と発言をするということです。

 

 

ようやくわかりました。

私がツインレイ情報を調べている時。
なんとなく結論にたどり着けなかったのです。

結論と言うか。
「だから、どうするのか(どうしたのか)」みたいなところです。

なんかぼかして説明しているんですよね。
迷宮入りと言うか。

肝心なところで振り出しに戻るような感じです。


単純に。本人に「経験がない」から説明できないんですね。

 

【最も私たちが恐れているもの それが “愛” です / 自己のすべてを 運命によって見せられ】

どうしても到達しないといけない領域があるんでしょうね。

...

たぶん。
言葉で説明する“だけ”なら。誰にでもできるのです。

「ツインレイを語るなら」

でも。
“本当に”それを自力(2人)で乗り越えたのかどうかは。

やっぱり。

見ればわかるのです。

 

それは自力(2人)で越えるしかないのです。

他者に入り込める余地はないのです。

そのためにあるからです。



現実に誰も頼るな。と言う意味ではありません。

「やるのは自分である」と言うことです。

 


そうなると。

私がこの疑問を持って調べるに至るまでに見聞きしたツインレイ情報の大半は、ツインフレーム(本人は自分をツインレイだと思っている)の発信ですね。

 

キリストはツインレイと愛し合ったから死んだのだろうか?

歴史には詳しくありませんが調べました。

『<ツインレイ>とは1999年1月にアメリカ、ミシガン州のリサ・J・スミス(Lisa J. Smith)が、サナンダより受信したメッセージ。』

と出て来ました。と、言う事で内容を探しました。

...

……。
(;゚д゚)…(つд⊂)ゴシゴシ…(;゚Д゚)…!?

……。
えー……。
これがどうやって7つのステージに……?

・・・

 

 

まぁ。
 

今でもあまり、業界の実情は変わっていないようですね。

 

 

実情/実状(じつじょう) とは?

1 物事の実際の事情・情況。「被災地の—を調査する」
2 (実情)偽りのない心情。真情。まごころ。「—を尽くす」
goo辞書

 

 

やることが陰湿です。


ちゃんと。
 

「私は関係ありません」=“あなた(誰か)のため”


を装っていますからね。


それこそが、己に「存在」を欲している。

 

「ツインレイはやり直しのリセットボタンではない / これからどう生きるかを考える事に意味がある」

私たちは人生を生きている。その経緯で経験をつんでいる。その経験は私たちの過去になる。その過去を『どのような形にしたのか』が私たちの存在を確立していく。

私たちの『存在感』とは、過去が存在すればするほど、存在が確立する。しかし、過去が存在しない人たちもいる。過去を捨てる人たちだ。彼らは自分たちが生み出した経験をなかったことにし、すべてを人に押し付けることにより、経験を構築することをしてこなかったともいえる。(自分は悪くない、人のせいにする)

二極化世界では、幻想側では『存在感がない・過去が無い』存在であり、覚醒側では『存在感がある・過去がある』存在となる。

存在感がない、過去が無い人たちは、もっとも言及すると経験がない。経験がないからこそ二元論に陥ってしまうというロジックが成立する。

...

幻想者はテーマに対して経験がないために、判断をすることが出来ない。ゆえ、覚醒者に依存させ、その意見を『否定』または『肯定』という形をとる。

...

いわば、彼らの『承認欲求』とは、存在を欲求しているのである。

...

この承認欲求は、肯定側は「自分はできている・わかっている・やっている」という過剰なる自己肯定により生まれる。ゆえ『褒めてほしい』と言う承認欲求が生まれる。

否定側は「自分は正しい」という過剰なる自己肯定により生まれる。ゆえ『相手の意見をすべて壊し、相手をなかったことにする』ように働くような承認欲求が生まれる。

 

幻想者の行動です。


それは。
 

「あなたが“ツインレイ”に進めなかった」


と言うことです。

 

「ツインレイの世界線の選択ルートマップ」…by私の7人目のツインフレームの彼女

三元性に到達しないツインレイたちは

三元性へ到達することは『ツインレイへの道』が拓かれていることになる。

しかし、三元性ではなく、二元性へとどまってしまうことも多い。それは善悪二元論であり、心の理解が乏しいことにある。

このときの私たちは『心』を重要視した選択ではなく『愛』の選択肢をすることになる。もっとも、愛とは犠牲を生み出すことである。

愛と犠牲のどちらかに偏らなければ、私たちは心を手に入れることも出来ない存在だ。



二元性へとどまってしまうとは、善悪二元論でもあるが、これは『精神』である。正しい心を持っているともいえる。そして正論的であり、自身のなかに『あれをしてはならない』という考え方も生じる。

そのとき、私たちは自身へ『禁止』を行い、他者へも『禁止』を行うことになる。

なぜ私たちは、道徳精神を中心にし、考え方を展開しているのかと言えば、それは『神に縛られているから』である。神に縛られている限り私たちは一人前とは認識されないし、一人前でないならば、私たちは神の道徳に従い、道徳により生じる善悪を中心的に試走せねばならない。

そういった縛りを脱していくことがツインレイの三元性にある。

どの段階に達するツインレイなのかにより、どのベクトルにまで三元的な理解をすることができるのかは別である。

それが『人生的なベクトルの三元性』なのか、『魂的なベクトルの三元性』なのかはわからない。

しかし、私たちは『善と悪』という考え方のどちらをも肯定し、そして否定していく経緯で『すべてを背負う』ことを続けていく。背負った結果、私たちは『三元性』へと向かうことになる。

この経緯を経て、私たちはようやく『ツインレイとツインレイらしい関わり合い』をすることができる。

 

 

つまり。
 

お前のそれ(偽善)は虐めだろ。

 

 

苛め/虐め(いじめ) とは?

肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめること。特に、昭和60年(1985)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い。
[補説]いじめ防止対策推進法では、児童や生徒に対して、同じ学校の他の児童・生徒が行う、心理的または物理的な影響を与える行為で、行為を受けた児童・生徒が心身の苦痛を感じているもの、と定義している。
goo辞書

 

いじめ…ウィキペディア(Wikipedia)

いじめ(イジメ、虐め、苛め、英: Bullying)は、相手に何らかの精神的・身体的な苦痛やストレス、心身疲労を与えるハラスメント行為あるいは犯罪行為である。

いじめは、自尊心を損なわせ弱体化させることを目的とした、執念深い、冷酷な、あるいは悪意のある企てによる、長期に亘って繰り返される不快な行為である。
2006年度の文部科学省の定義においては、一定の人間関係のある人物から、心理的もしくは物理的な攻撃を受けたことにより、精神的苦痛を感じているものとされる。

 

 

 

 

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カルハのツインレイに向けた、

「自分と向き合いたくない」救済講座

~その75~
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次回もお楽しみに ⸜(* ॑꒳ˆ *  )⋆*♡