だから他のツインレイ達も導きが必要だと思い込んでいるのです。
・ツインレイを語って“己の承認欲求を満たす”ような金儲けをはじめると言うことは、貴女は過去の己(自分自身の人生)を信じ切れなかったと言うことです。
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「私の経験からツインレイを救います」と相談業や他人を導こうとしたり、
「愛を人に説くことが人生(私の使命です)」みたいなことを言い出したりするその行動は、
一見誰かを救うようでいて己の承認欲求を満たしたい“だけ”のただの金儲けです。
そう言うのは、半人前の行動です。
・「ツインレイの世界線の選択ルートマップ」…by私の7人目のツインフレームの彼女
二元性へとどまってしまうとは、善悪二元論でもあるが、これは『精神』である。正しい心を持っているともいえる。そして正論的であり、自身のなかに『あれをしてはならない』という考え方も生じる。
そのとき、私たちは自身へ『禁止』を行い、他者へも『禁止』を行うことになる。
なぜ私たちは、道徳精神を中心にし、考え方を展開しているのかと言えば、それは『神に縛られているから』である。神に縛られている限り私たちは一人前とは認識されないし、一人前でないならば、私たちは神の道徳に従い、道徳により生じる善悪を中心的に試走せねばならない。
そういった縛りを脱していくことがツインレイの三元性にある。
要するに、己を信じていないのは自分です。
だからそうやって「自身の価値を証明したい」だけ。
・「無価値である自分を受け入れてください。母になる貴女が愛される条件など何もいらないのです」
多くの女性が価値あるものを持っている人に対して妬みを持つときがある。それは母の器になる人の裏側にあたるのです。
母の器の裏側は「自分よりも何かを持っている人が羨ましい」と思う心にある。
その羨ましい心を「嫉妬」と呼ぶのです。その嫉妬の心を捨てていくことがツインレイとも考えられますが、大事なのは嫉妬を手放すことではなく、無価値である自分を認めていく、母になる自分の人生を認めていくことにあります。
それが最終的には嫉妬を手放し、よき子供を産む、母となるのです。
隣の子と自分の子の違いを比較しては嫉妬し、自分の子を「当人の等身大以上」を求めるような母にならないということです。
だから、あなたの心にある無価値観を肯定していくことは、子供をそのままの姿で育てるために必要なことなのです。
...
無価値である自分を受け入れてください。母になるあなたが愛される条件など何もいらないのです。
母性とは無価値の先に越えて存在しています。無価値だからこそ手に入れることができる幸福の形があります。
そしていつか、あなたを捨てていくだろう我が子を受け止めるために、あなたは無価値を肯定しなければならないのです。
私が、ツインレイを語って人の上に立って他人の人生を導くことで己の承認欲求を満たそうとする自称ツインレイの導き手が嫌いになるはずです。
もちろん、区別の付いている人もいます。
全員ではありません。
ただし、今現状売れている(ココナラで言うならプラチナランク)からいい。とかそう言う問題ではありません。
貴女は自分の人生を信じきれなかったのです。
己の未来を失わせたのは自分です。
だから他のツインレイ達も導きが必要だと思い込んで、ツインレイを語って人の上に立ちたがるのです。
己の未来が見えないからです。
「愛を他人に依存している」
貴女方はツインレイや“愛”を謳いながら、ツインレイ女性やその対象者から、
「金と時間を搾取して相手を支配する」ことで、
「己の承認欲求を満たして自身に価値を見出したい」のです。
[動サ五(四)]
1 見つけ出す。発見する。「妥協点を—・す」「人材を—・す」
2 内側から外の方を見る。
「雪の降るを—・して」〈落窪・二〉
3 目を見はる。
「鍼立 (はりたて) 目を—・し、何事にむさと泣くまい、と誡しめ」〈咄・醒睡笑・二〉
goo辞書
それは「自身を喪失している」とそう言うことです。
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これは私が私の7人目のツインフレームの彼女を見つけたその当時の彼女のHP(本人が消しています)の内容です。
その当時の彼女のツインレイについての話は、私にはまだ難しかったのです。
だから、HPをそのものを遡って読むことはあまりなかったのですが、一応、リアルタイムでは追っていました。
で、私はどうしてか、このページをダウンロードしていたのです。
彼女の注意書きから、ダウンロードはダメなんだろうな。と思いながら、どうしても気になったのです。
ちょっと前後不明になるとは思いますが、必要分だけ抜粋します。
日本流のツインレイ解説
なとりうむ流のツインレイ解釈をするスピリチュアルブログ
ツインレイは神話に回帰し、神話へ進む――
ツインレイとして遺せるもの
開世界のために概念構築する使命中
エネルギー|アクエネルギーの説明とツインレイ男性の崩壊の仕組み
2022年06月30日
~中略~ 教えられた智恵やお金などの『付与価値』により、人は『存在』を信じなくなりました。
自分が何かの価値がなくなっても『存在している』ことを忘れることになります。
何かしらの価値がなければ、自分が存在していないと認識することになるのです。
『価値』に縛られているがゆえ、『無価値』であることを悪いものと考えます。
価値ある存在になろうと躍起になりますが人は無価値である『無である存在』ゆえ、必ず背景に『無価値である自分』が追いかけてきます。
最終的に、塗り固められた『価値ある自分』を『自分』と信心することにより、『自分を失った状態』になっています。
これを『自己の喪失状態』と考えます。
自己の喪失状態となった人たちは、自分の意見ではない意見に振り回されているにもかかわらず、自分の意見だと思い込み、価値ある自分の意見を実行していきますが、それは自分の意見ではないので最終的には意見のぶつかり合いが生じ、決別を迎えることになります。
...
無価値である自分を受け入れられない
人は、無価値である自分を受け入れられません。
価値あるものに意味を見だし、価値がある自分でありたいと思います。
しかし、人は価値があるわけではありません。
みな等しく無価値であり、みな等しく存在をしています。
価値の後ろには無価値が見え隠れしていますが、存在の後ろには存在しないことは隠れていません。
存在は存在です。
存在が『事実』であり、価値は『事実』ではありません。
人は皆、事実を捉えていけばよいのですが、価値という流動性があり人それぞれ指針の違うものを主体に置くため、亀裂の入りやすい人間関係を構築していくことになります。
存在は争いません。隣にいる存在を自身の存在で消すことはできません。
もし、隣にいる存在を消そうと自分を大きく見せることがあっても、それは価値であり、自分の等身大の大きさを変更することはできませんので、相手の存在は消えません。
相手を無視することにより存在を消す――という考え方がありますが、相手を自分の世界から追い出したところで相手の存在は消えません。
この世は『価値』によって動いているので、相手の存在を消すために、人の価値を奪いますが、人の価値が失われても存在は消えません。
...
自分が自分でなくなっていきます。
知識の亡者となり、価値の亡者となります。
知識があることが自分の存在であり、価値があることが自分の存在となります。
どちらも『自分の意見はない』し、『そもそも人の価値にレベルはない、存在』です。
彼らは、自分への指摘に腹を立て、自分の話を聞いてもらえないことにも腹を立てます。
他者が自分を頼ってくれないことに腹を立て、自分が正しいと知識をひけらかすこともあるかもしれません。
自分の正しい自分のなかでは価値ある話を聞いてもらうことにより、自分の価値を見だすことになります。
...
意見も、知識も、価値も、地位も、それは『自分』ではありません。
しかし、意見や知識、価値、地位など『自分と思い込んでいるもの』が否定された瞬間、戦いが始まります。
...
彼らにとってもっとも脅威なる存在は『無価値の存在』です。
無価値の存在は、見下すべき存在であり、優しくしてあげる存在・自分が優位に立つことができる存在・与えるべき存在として考えられます。
そこには『価値ある自分』を具現化するための道具として『無価値ある相手』を求めています。
この関係性はメリットとデメリットの関係性となります。
価値ある自分でありたい人たちにとって、アヌンナキの智恵は甘美な味がしたことでしょう。(智恵に価値はあるかもしれませんが、知恵を持っている人は価値があるとは言えませんが)
価値ある自分を他者に提供することにより、自分を維持することができる状態となります。
そして、無価値ある相手を見下すことになります。
人を見下し、自分を維持している背景には『選民意識』なども含まれていくかと思います。思想としていくつか調べていたところ、アルメニアの思想が適応されるかな? と思います。(日月神示のオロシヤのことかと思われる)
しかし、見下していた存在が『自分の意見を持っている』『自分の意思がある』『存在がある』ことに気づいたとき、彼らは戦います。勝者は狂乱したように自分の主張を続けることになる価値ある存在の方々となるでしょう、自分が勝たなければ自分の存在が消えてしまうからです。
彼らにとって、もっとも脅威なのは『無価値』であり、無価値な存在はそれを体現している。
見下してバカにしている存在は己そのものであり、なんなら、その無価値な存在のほうが『驚異的な何かを持っている』としたならば、彼らは罵倒して自身の価値を示さねばなりません。
また、彼らは一見、偽善的であり、良心的な姿をしている。
それが『道徳で学んだ善』であり、本当の『善』ではなく『偽善』であることに気づくまで、彼らは自身が無価値であることを学ばなければならないが、今まで積み上げてきた価値を捨てることはなかなか容易なことではないでしょう。
...
無価値のなかに在る価値は存在です。
自身の存在を認めた存在は、アヌンナキという悪魔や悪神に取りつかれることなく、『自分』を見つけることが出来るようになるでしょう。
そして、そのとき『今まで自分と思っていた自分』はいません。
なにも持っていませんので、人は不安になるかもしれません。
しかし、神エネルギーが入り込むようになると「もう大丈夫」と思います。
後ろから追いかけてくるみえない敵におびえることなくなります。
P.S.
2022年06月15日 に更新された「エネルギー|光と闇のエネルギーを父と母のエネルギーへ戻す」と言うページもあります。
その時は、こうなっています。
ツインレイは神話に回帰し、神話へ進む――
ツインレイとして遺せるもの
神秘哲学と宗教哲学を考察中