「いつだって、向き合うべきは己なのです」…仕事をほっぽりだせと言っているのではありません。 | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

生活にお金は必要です。

***

 

例えその時何かの犠牲になったとしても、

その犠牲になることを選んだのは自分なのです。

 

相手には、それがあなたの本心なのだと伝わっています。

それを相手に理解して欲しい。と言うのは甘えです。



己の気持ちを察して欲しいだけ。
伝える努力を怠ったのです。

言っても伝わらないのなら、

「やらない」

 

と言う選択ができます。


まぁ、それでは社会が回らないこともあります。
現実にはそうせざるを得ない状況もあります。

だけどあなたは、

「個人的な問題を誰かのせいでそうなった」と責任逃れをしていませんか?

 

“犠牲となった自分を認めて欲しい”と言うのであれば、その気持ちが強いかもしれません。


基本的には社会に向かうことや仕事であればそれは何かの報酬として、物や収入に代わるので、心を引き替えたのではなくお金と引き換えたことになります。
多少の不満はありましょうが、それを「犠牲」として恨むことはそこまではないと考えます。

反省したり、もうやらないと決めて、次に向かえるからです。


***

仮に、その“犠牲となった己”を第三者に共感してもらうこともできると思います。

そう言うこともできます。

だけどそれでは根本的には解決しません。

あなたは同じことを繰り返すからです。


私が今「犠牲を選択したのだ」とわかってもらいたいからです。

 

残念ですが、相手にはそれが「あなたの本心だ」と伝わっています。

 

だって、あなたは相手にそれを悟らせないようにしたはずです。

 

そうじゃなきゃ“自分が犠牲になった”とは言えませんからね。

 


***

こう言う話をすると、じゃぁ子どもはどうなんだ。自分で選択できないだろ。みたいな話を持ち出してくる人がいます。
 

 

「あなたはもう子どもではありません」

 

 

私はそう言う話をしているのです。
 

 

 

 

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世明けのツインレイ 魂の法則性によるツインレイ解説

母になるツインレイのなかにある闇「偽善」と「悪」と「自分は正しい」

2024-04-13

これはほとんどの人になかに眠っている気質なのかもしれません。

しかし、母という器の人のなかには強い偽善と悪が存在しているのです。



あなたは先ず、偽善とは何か——を知らなければなりません。

悪が存在しなければ善行出来ないことが偽善なのです。

誰かという悪を仕立て上げることがなければ、存在することができない善が偽善です。

つまり、あなたはあなたのなかに存在する親切を捨てていく必要性があるのです。

あなたは人に何かしらの親切心があるかもしれません。それをすべて捨てていく必要性があります。あなたは何もしなくていいのです。あなたは必要とされていないことに意味があるのです。

あなたが必要とされていないときこそ、あなたの家庭は安定しているという事実を知ってほしいのです。

だからこそ、先ず、あなたは「他人への親切」をやめていきます。あなたは「誰かという悪を生み出して、自分が親切をする善」という偽善を捨てていきます。

しかし、困っている人は助けてあげなければなりません。あなたは「困っているのであれば手助けをする」。それだけでいいのです。

生活や人生のなかで、困っていない人を手助けしている人が偽善となるのです。

...

あなたは、子育てのなかで困ってもいない我が子を手助けしてはならないのです。

子に対し、偽善の心で接することは、子の成長を阻むからです。偽善があなたの心にあるとき、あなたは子の成長を阻害し、子が将来にわたり困る性質を持ってしまう可能性があることを忘れないでほしいのです。

あなたに必要なのは「何もしないでいること」でもあるのです。

それは見守ることです。

失敗するんじゃないかと予見するかもしれないシーンであれども、あなたはそれを見守らなければなりません。子供は失敗する経験からしか学べないことが多くあるからです。

失敗させないように手を差し伸べるのではなく、失敗して転んだあとに子が望むのであれば手を差し伸べるような母にならなければなりません。



悪についてです。

あなたはもしかしたら「誰かが幸せなことが憎い」かもしれません。

あなたのなかに、人の幸福を阻害したい、人の幸福を願えない、人の幸福を壊したいという欲求があるとき。あなたは「意味」を求めるかもしれません。

残念ながら、多くの出来事に意味などなりません。なんなら「好き」なことに意味はありません。

...

好きに意味などありません。子供は多くの好きを持って生まれてきています。そして意味がないことをやっています。

大人からすれば意味がないことも子供にとっては大いなる意味があることも、大いにしてあるのです。

あなたは悪が心にあるとき「これには意味があるんじゃないか」と思うかもしれません。すべてにおいて意味はありません。子供の言動においても、ほとんど意味はありません。「なぜ好きなのか?」と問いかけても「好き」に意味はありません。

そして、あなたが「好きなもの」を見つけていなければ、あなた自身も「好きには意味がないこと」を知ることができないかもしれません。あなたにとって「好きなもの」を探してみることで「意味はないこと」を知る機会に恵まれるときがきます。

悪意とは何か。意味がないことに問いかけを行い相手を混乱させることです。多くが理詰めに行われていくことでしょう。

自分が正しい——という意識について書き添えておきます。

たいてい人は皆「自分が正しい生き物」です。とはいえども、子育てのなかで「自分が正しい」を実行するわけにはいきません。

どうして人は、自分が正しいと主張しようと思うのかに重要なヒントがあります。それは、あなたが不安であり、自信がないのです。

自分のなかにある正しさが不安定なとき、それ以上に強固な正しさがやってきたならば、自分の不安定な正しさがぐらぐらとしてしまい、あなたは心が折れそうになってしまうとき。たいてい「自分は正しい」と主張し、また「相手は間違っている」と論破したくなるのです。

自分が正しい意識は、上記の通り「偽善」や「悪」なども内包する為、とてつもなくめんどくさい人格を形成していきます。

根源には「あなたは自分の人生が肯定できていない」のです。理由はすべてここにあるのです。

あなたは今「生きていること」に気づいていないかもしれません。

あなたは多くの失敗をしたかもしれませんが、今、多くの人に許され、監獄にいるわけではありません。あなたはずっと許されているのです。赦されているから何をしてもいいわけではありませんが、もし、過去になにかやらかしがあったとしても許されている事実を知ってほしいのです。

そして、両親において何かしらの弊害があったとしても、あなたは今、生きてここに存在しています。

あなたを両親は確かに育てたのです。そしてあなたが存在している事実を受け入れいるとき、あなたには絶対的な自信が帰ってくることになります。

あなたは誰かと自分を比べる必要性も無くなりますし、あなたは誰かの正しさに打ち負かされることもなくなります。

そのような争いそのものに意味がないことをも理解します。

...

あなたはツインレイと出会い、あなたの人生のすべてを肯定することが出来るようになります。

そして、あなたは自分のなかに存在する偽善と悪を手放していくことは、あなたが母になるために最低限に必要なことなのです。

ひいてはあなたが子育てをするにおいて、子を健全に育てるためには必要なこと。

ましてや龍の子を抱えるには、少しばかり「偽善」「悪」「自分は正しい」という経験が必要なのです。

魔が這い寄ります。

子を守るのはあなたの役割なのです。ましてや、あなたが子の魔となってはなりません。まずは、あなた自身が実践のなかで理解するべきことがあるのです。