毒親からの解放の奇跡
真のパートナーへの愛が、毒親との間に奇跡を起こした。
ご先祖さんも、両親も、ツインレイだった。
この星に愛を分かち合いに来た仲間たちへ
こんばんは、Ambho(アンボー)です。
一昨日の夜から今日に掛けて、奇跡が起きました。
今日はその事をここに記しておこうと思います。
父親は、自分より弱い女房子供だけでなく犬さえも、自分の歪んだ考えを押し付け続け虐待し続けてきました。
まさか、その父親が、女房子供に対して『カワイイ』と思っていたなんて。
衝撃の言葉を父親の口から直接聴きました。
その奇跡に至るまでの軌跡を書き綴ります。
先ずは、これまでの流れのまとめから。
しばらく前に、
『父親は強烈な試練だけでなく、それを超えるサポートも与えてくれていた。』
という事に氣づいたお蔭で、
両親とのことから自由になりました。
その後、スウェットロッジで、先祖への祈りを捧げる際、
父親と同じように恨み憎んでいたご先祖さんに対しても、
『強烈な試練だけでなく、それを超えるサポートも与えてくれていた。』
という事に氣づき、感謝を捧げました。
その後、彼女が長崎に来てくれました。
その時、彼女が『砂浜に行きたい』と言ってくれたお蔭で、高浜海水浴場に行く途中、父方のご先祖さんのお墓の近くを通りました。
彼女が『折角だから、寄ろうよ。』と言ってくれたお蔭で、二人でお墓参りに行きました。
父親との問題から自由になったことを告げ、
強烈な試練だけでなく、それを超えるサポートも与えてくれていたことへの感謝を捧げ、
魂からここに住みたいと思える場所が見つかり、12月に家を見に行くこと、
隣にいるのが最愛の人で、一緒に生きていきたいと思う事
などをご報告したのでした。
そして顔を上げた時、
ご先祖さんたちがズラリと並び、
あたたかく見守ってくれているのが観えました。
それまでずっと、
父方の実家やご先祖さんは暗くて陰気な感じだったのが嘘のようでした。
以来、背中が、背後から太陽が照らしてくれてるようにあたたかくなりました。
その後、高浜海水浴場で散歩して、
翌日の巨石パークに備え、
トレッキングシューズを取りに一旦実家に戻りました。
その際、彼女に、
「親に紹介したいけど一緒に来てくれる?」
と訊いたら、迷った後、
一緒に来てくれたのでした。
両親は、ちょうど食事中で、
突然の訪問にかなり慌ててました。
テーブルの上の物を片付け始めたり。
そして、そのまま
彼女を紹介しました。
その流れで、父親が、
その後の事を訊いてきたので、
2年前から、自然豊かな湖の側にある丘の上に住んでいるビジョンが観えるようになった事。
それがどこか分からなかったけど、8月に松原湖だとわかり、10月に観に行ったら正にそうだったこと。
そしてその際、甲斐大泉・清里近辺を走行中、「魂からここに住みたい。」と感じ、ハラの底からパワーが湧き上がって来たこと。
そして、12月に家を見つけに行くこと。
彼女と一緒に生きていきたいと思っていること。
などを父親に話したのでした。
父親は基本的に、自分の考えだけが唯一正しいと思っており、人の話は聴けないので、このように訊いてくるのを待っていたのですが、まさかこんなチャンスが来るとは思いもよらず、素晴らしいギフトでした。
そして、その流れで、
『強烈な試練だけでなく、それを超えるサポートも与えてくれてありがとう。』
と直接父親に言えたのでした。
その瞬間、父親と通じ合う事ができました。
正に、彼女が一緒にいてくれたお蔭でした。
本当に男は、愛する人がただ一緒に居てくれるだけでいいんだ!
という事を悟った瞬間でした。
しかし、父親と通じ合ったのはその瞬間だけで、その後はやはり仮面だけで本人が隠されている父親とは、日常のたわいもないことでも通じ合えない日々でした。
これまで父親の事を、毒親とか、氣が狂ってると書いてきましたが、
それがどれほどなものなのかは、書いてきませんでした。
ここでちょっとだけ、父親がどれくらい狂っているのかを書いておこうと思います。
そうすることで、毒親に苦しむ人たちが、
『こんな酷い毒親から自由になれたなら、私にもできるかも』
と希望を見出せるように。
毒父の惨状
昨年の秋のある日、下に降りたら、
16歳になるチワワのナナが、悲鳴を上げてました。
見ると、父親が無理やりナナを押さえ付け、爪を切っていました。
ナナはパニックで過呼吸になりながら、必死で「止めて!!」と泣き叫んでいました。
そして、爪先からは何か所も血が流れていました。
それを観て、「何やってんだ! 嫌がってるんじゃないか!」と言うと、
『俺は、ナナのために爪を切ってやってるんだ』
『切ってもらいに行くと、金が掛かるんぞ。誰が出すんだ!』
と返ってきました。
「そんなお金も惜しんで虐めるようなヤツに、犬を飼う資格はない。
血が流れて痛くて、こんなに嫌がってるのに、わからないのか?
手、出してみろ、俺がナナと同じように切ってやる!」
そう言っても
『俺は、ナナのために一生懸命やってるんだ!』
と訊く耳を持たないのでした。
ちなみに、ナナは、昨年の4月に初めて観た時、目も観えず、耳も聴こえない状態でした。
母親が言うには、父親が、毎日、目薬を差し続けたり、耳掃除をし続けたりして、「しなくていい!」と言っても、「俺は一生懸命してるとに、余計なこと言うな!」と言って聴かず、終いには目が観えなくなり、耳も聴こえなくなってしまったとのことでした。
こんな話は、この1年半でキリがありません。
そしてこれは、歳をとってこうなったのではなく、私が小学生の頃から、彼が30代後半の頃からそうでした。
家にお客さんが来て、大人同士で話してる時、父親が何かしゃべる度、トンチンカンなことを言い、場が凍り付き、恥ずかしくなることが多々あったのでした。
父親は、そんな間違った考えに固執し、自分より弱い女房子供に自分の考えを押し付け続けて来たのでした。
兄弟の中では、私が一番の被害者でした。
幼い頃から何時間も押し入れに閉じ込められたり、
小学校に入るくらいからは、鉄筋コンクリート造りの自衛隊官舎のドアの外に、裸足で下着のまま何時間も締め出されたり、
小学校の4年生くらいからは、何時間も正座させられ、訳の分からない説教を延々何時間も聞かされ、してはいけないこと、すべきことの箇条書きを暗記させられ言わされたりしていたのでした。
その説教は、ワンクール30分くらいで、それを正座したまま3クールくらい聞かされていたのでした。
その中にはなぜか、『俺は学校から帰って来たら、勉強したかったのに、畑に呼び出されて親の手伝いをさせられてたんだぞ!』というような訳の分からないことも多々入っていました。
そして、15歳(中3)の時、陸上自衛隊少年工科学校の試験に合格した時、
「このままここに居たら、アイツ(父親)を殺してしまうか、俺が潰されるかどちらかだ。」
そんな思いで、上京したのでした。
以来、35年
「実家に戻るくらいなら、野垂れ死んだ方がマシ。」
「この世の中に、俺の居場所はない。誰も助けてくれない。」
そんな思いで生きてきて、それを現実化し続けて来たのでした。
そして、昨年の5月、35年ぶりに実家に戻ってきたのでした。
そして、両親と伴に暮らしていく内に、
父親が毒親だったことに氣づきました。
さらに、1+1=2みたいな当たり前のことが
いくら話しても通じない。
彼は昔から氣が狂っていた。
という事が観えて来たのでした
その流れの中で、
だから俺は、15歳の時、「このままここに居たら、アイツ(父親)を殺してしまうか、俺が潰されるかどちらかだ。」と言う所まで追い詰められたんだ。
と言うことがわかり、腑に落ちたのでした。
そして、そんな父親に意味不明なことで何時間も虐待され続けていたのに、助けてくれない母親。
そのせいで、「この世界に俺の居場所はない。誰も助けてくれない。」と信じ込んで、それを現実化し続けてきたのだ。
という事が観えたのでした。
とは言え、
実の父親が毒親で、ましてや気が狂っているなんて、そうそう受け入れることができるものではありません。
それを受け入れ超えるために、背後に在る指し手で在る本当の自分に戻る必要があったのでした。
話しを元に戻します。
『強烈な試練だけでなく、それを超えるサポートも与えてくれてありがとう。』
と直接父親に言えることができ
その瞬間、父親と通じ合う事ができたあと
再び、日常の些細なことでも通じ合えない日々が続いていました。
そして、一昨日、奇跡が起きました。
その日は、母親がカラオケの会の忘年会で、夜に出掛け「帰りが遅くなる。」と言ってました。
22時頃、風呂に入ろうと下に降りたら、まだダイニングの明かりが点いてました。
父親は、いつもは20時ころには寝ているのに、母親の帰りを待って起きているようでした。
それを観て、「おお、あんなに自分の歪んだ考えを押し付け続けるだけ押し付けて、背骨が曲がるほど苦しめ続けてきたのに、本当は好きなのか。」と感じました。
ちょっとした小さな明かりが、胸の奥に灯った瞬間でした。
そして、「風呂から上がったら茶化してやろう。」そう思っていたら、既に灯りは消えており、「なんだ、寝ちゃったのか、そんなもんなのか」と残念に思いながら、二階へ上がり、眠りました。
翌朝、下に降りると母親が居て
昨夜、父親が遅くまで起きていたこと伝えました。
そして、
「何だかんだ言って、好きなのかもね。」
と言ったら、喜んでました。
さらに、
「お互いに本当は愛してるけど、
溜まった感情が邪魔して、くそを投げつけ合ってるだけかもね」
と言ったら、
「そりゃそうよ、嫌いなわけではないのよ。」
と言ってました。
さらに昨日の夕方、
今度は両親共にいたので、
父親に向かって、わざと、
「昨夜、何で遅くまで起きてたの?」
と言ったら、
「11時過ぎても帰ってこんけん、心配やったと。」
と返ってきました。
そこで、
「何だかんだ言って、好きなの?」
と言ったら、得意の聴こえないフリをするから
しつこく訊いていたら、
「お前が彼女を思う氣持ちと一緒たい。」
と言うので、
「俺と一緒、何それ、どういう事?」
と訊いたら、
「かわいかと。」
と父親が言うではないですか!
「おお、そうか!」
と思って母親を観たら、喜んでました。
それを聴いて、
「全然そんな事とは思えんかった。
やってることは全然真逆だもんな。」
そう言いながらも、何か大きなものから解放されたのでした。
そして、それ以来、母親もまんざらでもない感じです。
あんなに、
「結婚したくなかったのに、(仲人に)俺の顔を潰す気か!」と言われて仕方なかった。」
何てことを言っていたのに。
父親に話し掛けられるだけで、「はああ!?」なんて言ってたのに。
何だか違う感じになったのでした。
そして、父親も、それ以来、何だかちょっと不思議な感じです。
そして今日、
両親が揃ってる時に、父親にまた「かわいかと。」と言わせようと、
「そう言えば、一昨日、何で遅くまで起きてたんだっけ?」
と言うと、黙って聴こえないフリをするのでした。
「なんだ、あれは二度と言わないのか。
俺は、いつも彼女に可愛いね可愛いねって言ってるよ。」
と言うと、
父親が
「お前のことだってかわいいとぞ。」
「かわいがっとんのに、お前はいつも変な風に取る」
と言うのでした。
思わず、
「全然思ってることとやってることが違うじゃないか!
それじゃあ、誰もわからんぞ!」
と言いながらも、
「そうだったのか!」
と胸の奥に響いたのでした。
そんなやり取りの中で、
随分前に、
という大人記事を書いておきながら、父親についてはそういう風に見れてなかったのでした。
自分の父親は、虐待されあまりにも溜め込んだ感情のせいで、愛とは全く違う虐待という表現になっており、
歪んだ自分の考えを、自分より弱い女房子供にしつこく押し付け続け苦しめ続けてきました。
自分の親となると、生まれてからの感情や信じ込みが邪魔して、深いところに在る愛を見れなくなっていたけど、
父親もそうなんだと、腑に落ちたのでした。
もう父親とは、「彼が生きてる限りは通じ合えない。」そんな風に諦めていました。でも、それを超えることができたのでした。
子供の頃から両親を見ていて、
『この人たちはケンカばかりしてるのに、何で一緒にいるんだろう?』
と思っていました。
そして、父親はマトモではない(精神的に病気)とわかってからは、
『何であんな人と結婚したの?
何であんな人と一緒に居続けたの?』
と思ってました。
そして、母親も
『何度も別れようと思って家を探しに行ったりしたけど、別れられなかった。何でだろう?』
と言ってましたが、
深いところでは愛してたんだ、と氣づきました。
そのお蔭で、
父方のご先祖さんのお墓参りの時に観た、
ご先祖さんが全員幸せそうにしていたのは、
夫婦揃って幸せそうにしていたのであり、
子孫で最先端である私が、ツインレイと通じ合い愛しあう事で、ご先祖さんたちもツインレイと通じ合い愛しあうことができたのだ、と感じたのでした。
そして、それが、両親がツインレイと通じ合い愛しあうことに繋がったのだと感じました。
そして、毒親との問題を超えることができたのは、彼女への愛のお陰でした。
真のパートナーとの愛は、この星の次元を超えている。
だから、人間にとって最大の問題の原因である毒親から解放されたのだと感じます。
そして、
「俺は、これで、この家に生まれた課題を修了した!」
「これから、本当の人生が始まる!」
そう感じました。
そして、そんな流れの中、現実も動き出しています。
一昨日から今日に掛けて次々予約も入り、
明日からの東京出張ヒーリングも先月の内に早々に満席です。
そして、出張ヒーリングの後は、八ヶ岳へ。
本当に楽しみな人生が始まります。
そして、こんな風に、両親もツインレイだったと腑に落ちる流れは、私一人で起こったのではありませんでした。
以前、サトルボディヒーリングを受けていただき、いくつもの素晴らしい感想を掲載させていただいたCさんとの繋がりからも、大きなサポートをいただきました。
一昨日、「その後、いかがお過ごしですか?」とメッセージを送り、
その後のCさんからのお返事の中に、
「今は 父と母もツインレイだったんだと感謝に変わりました。」
というようなことを書いていただいたことも大きなサポートになりました。
このような繋がりもまた、本当に嬉しいものです。
それこそが、このブログのタイトル
『この星に愛を分かち合いに来た仲間たちへ』
に込められた思いでもあります。
私は、仲間たちの封印を解放し、楽に楽しく光を表現し分かち合えるようにサポートする。
そして、仲間たちが得意なことでお互いにサポートしあう。
さらに、それぞれの光を表現し分かち合う。
その輪が拡がる時、この星は本来の美しさを取り戻す。
それが、私たちがこの星に携えてきたビジョンなのです。
小手先のテクニックやノウハウで、人生をうまく行かせようとせず、根本に向き合い続けて良かったなと感じます。
思いのままに書き綴ったら、こんなにも長い記事になってしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
偶数月に東京に行きます
首都圏の方にお会いできるのを
楽しみにしております
◆傷つくことを恐れてすべてを無くしていたけど、今は、傷ついてもいいから愛したい愛されたい。
◆動悸や自律神経失調状態での特徴的な症状のオンパレードでしたが、全てなくなりました。
◆精密検査で見つかったCIN3という前癌の病変すらないという結果でした。
◆ハート禁煙は、禁断症状がほとんど無く、肥る事もありません。
◆感想の一覧はこちらです。
◆【感想】傷つくことを恐れてすべてを無くしていたけど、今は、傷ついてもいいから愛したい愛されたい。
◆男にありがちな歪んだ愛情表現について
◆素敵なパートナーに出逢うために。
◆いつまでも新鮮な関係で在るために。
あなたの現実は
あなたのエネルギーによって
作られています
結果である
現実を変えようとしても
うまく行きません
原因である
あなたのエネルギーが変われば、
現実は簡単に変わります
あなたも過去の傷や感情を癒して
愛に満たされて幸せな
本来の自分に戻りませんか?
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