大樹が目を覚ますとそこは寂しい部屋の中だった。
 天井には今にも消えそうな位弱い光を放っている蛍光灯があるだけで壁には窓も無い、3方は壁で囲まれていて1方は格子がしてある。
 まるで監獄の中だ、大樹はゆっくりと立ち上がると力の無い足取りで格子の方へよろよろと歩いて行く。
 格子につかまり左右を見渡す、格子は頭も出せない程の狭い間隔で作られており、あまり遠くまで見る事は出来なかった。
 部屋の前には細い廊下があり同じ様な部屋がいくつかあるようだ。
 ここは病院の地下室だろうか、大樹がいる部屋と同じ様な他の部屋には誰も居ないようで物音はまったくしない。
 時折、天井にある蛍光灯が消えそうになる度に、ジジジと音を鳴らすだけだった。
「おーい!」
 大樹は声を上げてみたが返事は無い、やはり近くには誰も居ないのだろう。
 部屋の入口近くまで歩いて行き格子を掴む、格子を掴んだまま揺さ振ってみる、ビクともしない。
 大樹は諦めたように格子から手を離すと2、3歩下がって横の壁にもたれ掛かる様にして座り込んだ。
 そのままの姿勢で思い出す、森の中で見た自動車のブレーキランプ、病院で見た子供達の書類、そして最後に見た自分を押さえつける男達の事を。
 大樹は自分が捕まってしまった事を認識して溜め息をつく、これからどうなるのだろう、自分自身もそうだが子供達も。
「コツ、コツ、コツ」
 ふいに足音が聞こえた、大樹は座ったままの体勢で身を強張らせ、足音が聞こえる方向、格子の向こう側を睨む様に見る。
 やがてその足音は大樹が居る部屋の前で止まった、そこには白衣の男性が立っている、村上だ。
 大樹は何も言わずに村上を睨んでいる、村上も何も言わずに大樹を見下ろすように見ていた。
 しばらくそうしていると村上が口を開いた。
「全部、知っていたのか?」
 大樹は何も答えなかった、実際に全て知っている訳では無い、森で見た事、そして病院で見た書類から考え付いた事だ。
 村上は困ったような表情で溜め息をついた。
「ピリリリリ、ピリリリリ」
 電子音が響く、村上はポケットから携帯電話を取り出すと顔に当てた。
「ああ、わかった直ぐ戻る」
 そう言って携帯電話をポケットに戻すと大樹の方に向き直して言った。
「また来る」
 現れた時と同じ様に足音を立てながら村上は去って行った、大樹は冷たい床の上に座ったまま考える。
 どれくらい経ったのかは分からないが村はどうなっているだろうか、もう自分が居なくなった事は子供達に伝わっているだろう、そして大蛇様に連れて行かれてしまった事になっているのだろうか。
 連れて行かれた子供達はどうなったのだろう、もう死んでしまっているのだろうか、村での生活、そしてフタバの手術痕の事を考えると子供達の将来は考えられていない、臓器提供者としての役割が終わったらきっと。
 大樹は床を叩いた、どん、という鈍い音が響く、元気に生きている子供達を犠牲にする、そんな事許される訳が無い。
 しばらくするとまた足音が聞こえてきた、村上が戻ってきたのだ、さっきと同じ様に部屋の前に立ち止まった。
 大樹は視線を少しそちらに向けたが何も言わずに視線を自分の足元に戻した、村上は構わず話し掛ける。
「今までと同じ様に村で生活してくれんかね?」
 大樹は何も答えない、村上は溜め息をついて続けて言う。
「子供達も寂しがってる、子供達が元気に生活してもらわないと困るんだ」
「生贄にする為、ですか?」
 大樹は口を開いた、村上は言う。
「生贄か、確かにそう思うかもしれん、だが必要な事だ」
「子供達を犠牲にしてそれが必要な事だって? 何の為にそんな事をする! そんな事許される訳が無い!」
  大樹は声を大きくして言う、いつの間にか立ち上がって村上を睨むようにしている、村上は言った。
「それで助かる子供達も居るんだ」
「だからといって村の子供達は犠牲にしていいのか!」
「あの子達はその為に生まれた、親も居ない、この村でしか生活できないんだ」
「俺だって親は居ない、でもこの歳まで生きてきた、あの子達はまだ10歳位なのになぜ生贄にならなければならない!」
 大樹は息切れをしながら叫ぶように言う、村上はしばらく黙っていたがやがて小さな声で言った。
「また話そう」
 そう言って廊下を歩いて行く、大樹はドスンと音を立てて座った、パチンと音がした、弱い光を放っていた蛍光灯すら消えて真っ暗になる。
 真っ暗になった部屋の中で大樹は考えていた、村上は村の子供達は生贄になる為に生まれてきたと言うのだ。
 ならば自分のしてきた事はなんなのだろう、いつか生贄にする為に子供達の面倒を見ていたのか。
 そんなつもりじゃない、あの子供達も自分がそうしてもらった様に、両親がいなくても元気に育って欲しかった。
 子供達の事を思い出す、カズキ、フタバ、シオン、ダイゴ、ロクスケ、皆生贄にされてしまうのだろうか。
 大樹は壁に背を付けたまま横になると眠ってしまった。
 夢を見ていた、暗闇の中に子供達が居る、その後ろには大きな蛇が、大蛇は子供達に襲いかかろうとしていた、子供達は気付いていない、大樹は慌てて駆け寄ろうとするが何かにぶつかって進む事が出来ない、鉄格子だ、大樹は格子の隙間から手を伸ばすが届かない、叫んでも子供達には聞こえていないようだ、やがて大蛇は子供達を。
「パチン」
 大樹は蛍光灯が付けられる音で目を覚ました、息が荒く、びっしょりと汗をかいている、起き上がると壁を背にして座った。
 足音が聞こえる、足音は大樹の居る部屋の前で止まった、村上だ、手には何かの書類とパイプ椅子を持っている。
 村上は格子の隙間からその書類を大樹の居る部屋に入れて言った。
「見たまえ」
 村上はパイプ椅子を広げて座る。
 大樹はしばらく座ったまま村上を睨んでいたが、立ち上がって格子の近くまで行くと、書類を拾い上げ座った。
 大樹は書類を見る、M1、体重、血液型、書類には健康診断の記録の様な物が書かれている、大樹が書類を見ているのを確認して村上は言った。
「この施設に居た子供達だ」
 大樹は一瞬、村上の方を見たが直ぐに書類に視線を戻して書類を見てゆく。
 これは子供達の成長記録なのだろうか、月毎に体重や血液の成分表の様な物が書かれている。
 書類をめくっていくとそこには、死亡、と書かれていた。
「死亡?」
 大樹は思わず口にした、村上はパイプ椅子に座ったまま言った。
「自殺だ」
 大樹は次々と書類をめくっていく、M2、F1、同じ様に体重、血液型、成長記録が書かれている。
「この施設で生まれた子供達だが皆死んだよ」
 村上は言った。
「この施設では臓器移植の為に子供が作られていた、だが、施設の中だけで育てられた子供はある年齢になると皆自殺した」
 大樹は黙って書類を見ている。
「人間は施設の中だけでは育てる事ができないのだよ、自我が目覚めた時、自分が生きている意味を見出せない閉ざされた環境では生きていけないのだ」
 村上は淡々と話す。
「だから村を作った、いつか子供達は連れて行かれる、その事を話して納得できる人達を集めてな」
 大樹はいつの間にか手に持っていた書類を床に置いて立ち上がっていた、村上に向って叫ぶように言う。
「何故こんな事を!」
「病気の人を救う為だ」
「子供達は? 子供達は救われない!」
「あの子達はその為に生まれたのだ、病気の子供達とは違う、この村以外では生きていけない」
「同じだ! 何も違わない! 村の子供達だって、遊んで、笑って、食べて、寝て、そしていつか、将来は……」
 大樹は言いながら座り込んでしまう、最後の方は言葉になっていなかった。
「君なら分かってくれると思ってたんだがな」
 村上は溜め息をつきながら言った、椅子に深く座りなおすと続けて言う。
「君の事も少し調べさせてもらったよ」
 大樹は座って俯いたまま黙っている。
「東郷、由紀さん? だったかな」
 その名前を聞いた瞬間、大樹の体が震えた、村上は続けて言う。
「臓器提供者が居たら助かったんじゃないのかね? 彼女も」
「お前に何が分かる!」
 大樹は爆ぜるように叫びながら格子にぶつかる、ガシャンという音を立てて格子が震えた、格子に掴まりながら大樹は言う。
「由紀は、病気でもいつか治ると信じてて、何も言わず……」
 大樹は格子に掴まったまま崩れ落ちるように座った、目からは涙が溢れ出し床を濡らしていた。
「臓器移植を待つ患者は数万人」
 村上はパイプ椅子に座ったまま淡々と話し始めた、何処にも視線を合わせず、宙を見つめるような視線のまま村上は続けて言う。
「だが移植が行われるのは親族からの移植を含めて年間でようやく千件に届く程度、臓器提供者が現れない患者は病室でただ死を待つのみだ」
 村上の口調が強くなってくる。
「いつ現れるか分からない脳死者を待つだけの患者、そしてその家族、毎日の様に泣きすがる手を振りほどくしかない医者、検査もされずに燃やされるだけの臓器、そんな光景が何度繰り返されていると思う!」
 村上は格子に掴まったまま俯いている大樹に向って言った。
「君は自分の目に映る人を助けたいと思っているだけだろう、だが数百人以上そういう人々を見ている人はどうすればいい? 答えろ!」
 村上は激しい口調で問い掛けるが大樹は何も答えず、ただ涙を流して俯いているだけだった。
「もうここに来る事も無いだろう」
 そう言うと村上は立ち上がって歩き出した、パチンという音がして蛍光灯が消え、思い鉄製の扉が閉まる音がした。
「バダン!」
 真っ暗な空間の中、眠っているのか起きているのかも分からない程に曖昧な意識で大樹は考えていた。
 この村に来る前、由紀と過ごした僅かな時間、何を犠牲にしてでも由紀を助けたいと思っていた、それは今でも変わらない。
 だがその為に払う犠牲は何だったのだろう。
 自分の命ならば惜しげもなく差し出しただろうか、村の子供達の命だったらどうだったのだろうか。
 いくら考えても答えは出ない、大樹が由紀の事を思い出す度に暗闇の中で嗚咽が響くだけだった。
 どれくらいの時間が経っただろう、大樹が見ていたのは中学生の頃、一緒に登下校していた由紀と自分の姿だ。
 始めのうちは大樹自身、極限状態になると幻が見えるものなのか、これが走馬灯というものなのだろうか。
 しばらく他人事の様に感じながらそれを見ていたが、今ではその時に立ち戻った様な気持ちでその光景を見ていた。
 だがその幻も長くは続かない、高校を卒業し、上京するところでその光景は途切れる、真っ暗な部屋の中で大樹はいつの間にか横になっていた。
「由、紀……」
 大樹は横になったまま口を開いた、誰かに言った訳では無い、ただ呼べば届きそうな、いや、むしろ直ぐそこに由紀が居るように思えたのだ。
「ドカン!」
 突如静寂を打ち破る大きな音が聞こえる、そしてその後にドカドカと人が走るような音、やがてその音は大樹が横たわる部屋の前まで来た。
 大樹の顔が懐中電灯の様な物で照らされる、突然の光に大樹は顔をしかめた。
「居ました! 加藤大樹と思われます」
 大樹の顔を照らしたまま男が言った、ガシャンという音と共に格子で作られた扉が開き3人の男が大樹の居る部屋に入る。
「大丈夫か! 名前は?」
 男の1人が大樹の肩を揺すりながら話し掛ける、大樹は答えようとしたが口が渇いていて声が出ない、僅かに口元を動かすのが精一杯だった。
「生きてます!」
 男はそう言うと大樹の肩を担ぎ上げる、もう1人の男が反対側の肩を支えて引きずられるような格好で大樹は歩き出した。
 狭い部屋を出て、暗い廊下を抜け、細い階段を上り、病院の廊下を抜け、病院の外に出る。
 病院の外に出ると強い日差しが大樹を照らした、大樹はその日差しを避けるように顔をしかめて俯く。
 病院の脇にはヘリコプターが停まっていた、大樹は転倒しないように気をつけながらそのヘリコプターの方へ運ばれて行く。
 時々村に物資を届けてくれていたヘリコプターとは違う、機体には警視庁、と書かれていた。
 ふとヘリコプターとは反対側へ視線を移すと村の人達が立っていた、大樹が運ばれて行く様子を心配そうに見ている。
 大樹は村の人達に何か合図を送ろうとしたが手が僅かに動くだけだった、そのままヘリコプターの中に運び込まれる。
「オーケーです、出発してください」
 乗員の1人がそう言うと大樹を乗せたヘリコプターは上昇し始めた、大樹は窓に寄り掛かる様にして村を見下ろしていた。
 森を切り開くようにして作られた細長い村、上空から見るとその形はまるで蛇の様だ、病院の敷地部分がまるで獲物を飲み込んだかの様に膨らんでいる。
 やがてヘリコプターは村から遠ざかり、蛇の形をした村も見えなくなる、完全に村が見えなくなると大樹は窓に寄り掛かったまま眠ってしまった。
 ――1年後
「お世話になります」
 そう言って抱えていた荷物を村長さんの家の中に置く、家の奥の方から懐かしい声が聞こえてきた。
「おー、だいちゃん、久しぶり」
 村長さんだ、この村を出てから1年程経過していたが特に変わった様子は無い、俺も村長さんに向って言う。
「お久しぶりです」
「子供達は?」
「村に着いて直ぐ広場に向いましたよ」
 俺は入口の所にある水瓶から水をすくって飲みながら言った、村長さんは家の中で立ったまま言う。
「そうかい、そうかい、どの位居れるんだば?」
「1週間ですかね、今学校は夏休み中ですけどあの子達は他の子達に追いつかなきゃいけないので」
 村長さんはこちらを見ながら頷いている、俺は水を飲み終わると靴を脱いで家の中に入った、村長さんと向かい合って座る。
 この村に来るのはヘリコプターで連れ出されて以来初めてだ。
 聞くところによると、俺がフタバを連れて行った連中を追って森の中に入った後、村の人達で話し合って助けを呼びに行ったらしい。
 俺が救出された後、子供達は保護され、佐々木さんの居る児童養護施設に預けられた、俺もその施設で職員としてお世話になっている。
「子供達はどんだば?」
「長時間座って勉強するのは辛そうですけどなんとかやってますよ、あと半年位したら同年代の子達と同じ授業になりそうです」
「よがった、よがった」
 村長さんは満足そうに頷きながら言った、子供達は保護されてから、施設の近くにある小学校の空いている教室を使って勉強させてもらっている、俺も何度かその様子を見せてもらったが最初のうちは勉強以前に不慣れな椅子が辛そうだった。
「すまんかったな」
 村長さんが小さな声で言った。
「本当はだいちゃんが来る前から、このままでいいんだがっていう話もあったんだけれども、何にも出来なくて」
「いえ、いいんですよ、もう過ぎた事ですし、それにこの村に来なければ私もどうなっていたか分からないですから」
 俺は初めて村に来た時の事を思い出しながら言った、村に来てひどい目にも遭ったが、それ以上に救われた事もある。
「子供達の様子見てきます」
 俺はそう言って立ち上がると家の外に出た、いつかの様に強い日差しの中家の間の道を通って広場へ向う。
 広場に着くと子供達は元気に遊んでいた、その様子を見ながら病院の地下室で村上さんに言われた事を思い出す。
「自分の目に映る人を助けたいと思っているだけ」
 大いに結構じゃないか、俺は救世主でもなければ医者ですらない、それでも助けたい人、守りたい人が居る。
 俺の足元にボールが転がってきた、子供達が駆け寄ってくる、俺はそのボールを拾い上げると子供達の輪の中に入ってゆく。