署内

――都内某警察署
「お先に失礼します」
 閑散とした部屋に声が響く、声を掛けられた男は机に積み上げられた書類の影から手をあげて応える。
「ふぅ」
 男は軽くため息をつくと椅子に深く座りなおして背伸びをした、まだ若い(とはいっても30代だが)とは言え、1,2日ならともかく一週間以上まともに寝ていないと流石に堪える。
「ぐぅぅぅ」
 お腹が鳴った、そういえば昼食も食べていない、気付くと急にお腹が減ってきた、時計を見ると21時を過ぎたところだ。
 こんな時間では出前も取れないと思い、近くのコンビニに向おうと立ち上がったところで声を掛けられた。
「ホサカ、まだやってるのか」
 声のした方を見ると、紙袋とコンビニのビニール袋を持った太め男が歩いてきていた。
「ヒロオさん」
 ヒロオはホサカの隣の席まで来ると椅子を引き出してドカリと座った。
「どうせまたなにも食って無いんだろ?」
 そう言うとヒロオはコンビニのビニール袋を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
 ホサカはビニール袋を受け取り書類が山積みになっている自分の机に置いた。
「ヒロオさんもこんな時間にどうしたんですか?」
「ん?ああ、ちょっとな」
 もらったコンビニ弁当の蓋を開けながら話す、本来であれば苗字に役職を付けて呼ぶのが通例だが、ヒロオは役職で呼ばれる事を嫌い、部下はもとより上司からもさん付けで呼ばれているのだ。
 噂ではヒロオの活躍で解決した事件は数多く有り、部長はおろかここの署長でさえもヒロオには頭があがらないらしい。
 そんな噂とは関係無しに、先輩であり、こうして部下の事を気遣ってくれるヒロオの事をホサカは尊敬していた。
「まだ解決した事件の事やってんのか?」
 ヒロオはホサカの机の書類を覗き込みながら言った。
「解決して無いですよ、この事件は」
 ホサカは少し大きめの声で言った。
「解決したんだよこの事件は、犯人は捕まって檻の中だ、これ以上は無いだろ?」
 ヒロオも答えがわかっていたかの様にすぐに返す、この事件とは警察署のすぐ近くの高級マンションで起こったOL刺殺事件の事だ。
 犯人は20代男性、被害者は20代女性、二人は小学校の同級生で面識があり、被害者のマンション内で犯人は被害者を刺殺、凶器も発見されており、被害者のキッチンにあったナイフ、動機は痴情のもつれ、近くのファミレスで言い争っている姿が目撃されている。
 ヒロオの言うとおり、この事件は犯人が捕まって解決している、それでもホサカには腑に落ちないところがあり、こうして事件が解決した今も調査を続けているのだ。
「しかし、あんなやり方……」
 ホサカは弱い口調で言う、あんなやり方とは取り調べや裁判の事だ、犯人は両親を早くに亡くしており、叔父、叔母に育てられたのだが、叔父も亡くなっており、唯一の身寄りである叔母も田舎の介護施設で暮らしていた、多分事件があった事すら知らないだろう。
 もちろん犯人の生い立ちは事件にはなんら関係ないのだが、身寄りが無く独り身の人間が容疑者となると取り調べや裁判のやり方もおのずと変わってくるのだ。
 ホサカは続けて言う。
「でも、認めていませんでした、いや、容疑者の言ってた事ですが供述だって」
 ヒロオは黙って聞いている、事情聴取をしたのはホサカなのだが、その時、犯人は容疑を認めていなかった。
 供述では容疑者が部屋の中に入った後、被害者はキッチンに向かい、容疑者はリビングで待っていたが声を掛けても反応が無いため、不審に思ってキッチンに行ったところで倒れている被害者を見つけたらしい。
 もちろんそんな供述が認められるわけも無く、マンションの廊下に設置されたカメラにも被害者と容疑者以外が部屋の中に入った様子は移されていない為、容疑者の狂言として扱われていたのだがホサカには嘘をついているようには思えなかったのだ。
「根拠は無いんですがあの容疑者が嘘をついているようには思えなくて、それに調べていて解った事もあるんです」
 ホサカは机の上に山積みになっている書類から1つのファイルを取り出した、ファイルのページをめくりながらホサカは言う。
「凶器のナイフは被害者の隣に落ちていましたが、容疑者が触った形跡は無く、またナイフがしまっていたと思われるキッチンの引き出しからも容疑者の指紋は検出されていません、それに、容疑者が当日着ていた衣類には被害者の血液が付着していましたが、刺した時に飛び散ったのとは付着の仕方が……」
 そこまでホサカが言ったところでヒロオは言葉をさえぎるように手を広げて言った。