ドルはドルでも、香港ドルでもシンガポールドルでもニュー台湾ドルでもなく、米国ドルのお話です。
2017年にインドから帰ってきた際に、ある種のリスクヘッジとして日本円に両替せずにホールドしていたアメリカドル(USD)が我が家にはありました。
当時も、そして今でも「日本円が常時ずっと安全とは限らない」ということは脳内にあって、2017年当時はそれでも米ドルがまだ一応は基軸通貨のポジションにいたので、「念のためいくらかを米ドルで保持しておこう」と相方ヒゲ氏と帰国した頃に話し合い、当時1,300ドル分を日本円に再両替せずにホールドしておきました。
当時はインドルピーをインド国外で両替することはできない、という「国際的建前」だったのでインドから帰国する際に、現地で”日本円へ再両替するため”に米ドルに両替してありました。要するにそのうちの1,300ドル分を日本円へ再両替しないままにしておいたのです。
(実際には、歴史的にインド系移民・住民の多い香港やクアラルンプールの両替所では堂々とインドルピーの両替はできていたわけですが...)
当時の米ドル/日本円のレートは111円〜112円で推移。
米ドル/日本円といえば、長期トレンドで見れば311以降ずっと円安は今に至るまで進行しています。
2012年初めにインドに行ったときにはすでにヒゲ氏が「日本円は(長期的トレンドで見ると)今後どんどん円安になっていく」とさんざん口にしておりました。
ちなみに2012年2月の月間レートは月初が76円台、月末が80円台とこの時点ですでに「1ヶ月で4円も円安に振れて」いました。これはその分だけ円の価値がそれだけ落ちたことを意味します。
そこからも円安は進行し...
ここ↓で「1ヶ月に10円分の円の価値が下落」したことを痛感しており、
インドから帰国した年には1ドル110円台が継続的に続くようになっていました。
実に36円もの(日本円にとって)暴落です。
明らかに予測が的中していました。
そして、帰国してからも円安化は進行し...
「1,000ドルだけでも米ドルを保持しておいてある意味よかった」とちょっと安堵した瞬間さえあったほど、日本円は(超長期的に見ると)暴落を続けていきました。
輸出主体経済なら円安は悪いことばかりではありませんが、食料を含めて近年の日本は輸入が中心の状態になっています。加工品だけでなく、農作物を栽培するための肥料さえ輸入しないと農業はしんどい状態になるほど。
実はダイソーで売られている野菜や花の種だってパッケージをよく見れば輸入品が目立ちます。
日本円だけを使い、日本円以外のことを考えない生活を送っているとピンとこないのですが、輸入中心で国の生活が成り立っていると「1円の価値は年々下落し、その分だけ輸入によけいに円を費やさないといけなくなる」深刻さは増していくわけです。
1円どころか年々10円単位で下落...となると楽観視はしがたいものがどうしてもあります。
個人のお財布の中だけの話で言えば、「我が家でホールドしている1,300ドルの価値が上がっている」という話にこれは直結します。
1,300万ドルならまだしも1,300ドルでは「日本経済における日本円の暴落そのものに対しては”焼け石に水、ならぬ焼け石に水滴”にもならない」わけですが...。
(*u_u)
2022年2月下旬からの「NATOによる対露代理戦争開始」により、よせばいいのに米国の対露制裁に参加したわが国日本は、そのせいで日本自身の首をじわじわと締めていくことになります。
私のPayPal口座にほんの少しだけ入っていた日本円の価値も連動して暴落が継続。
これだとモノに替えておくほうがまだマシ、状態。
先進国と呼ばれていたはずの国の通貨としてはありえない速度での通貨価値の下落は、懲りない「対露制裁に与する」行動でますます止まらなくなります。
「米国がすることには盲従」の傾向がある”ストックホルム症候群”状態のわが国政府や権力者たちは、円の価値が落ちても落ちても宗主国に抱きつくことをやめません。
あまりにも重症のストックホルム症候群です。
そりゃま、国の舵取りの決定権を何十年も他国に委ねてきたんだから、本当の意味で自立して判断し決定することに怖れを抱いているであろうことも想像つくんですけどね。
いち日本人としてははなはだ迷惑な話でしかありませんけれども。
そうこうしているうちに、2017年に帰国した頃とは違う状況に日本がなっていくことになりました。
日本の「安い観光地化」です。
1990年代後半〜2005年過ぎまで自分自身が「安い国へ旅行に行く」をやっていたのですが、あの頃の渡航先だった東アジア・東南アジア諸国での物価・生活感覚を、自国日本で日々痛感するようになっていったのです。
この現象には「観光に来てくれてお金を落としてくれれば万々歳」とは言い切れない一面があり、人間が安い対象にどういう態度をとるのか...という基本的心理を考えれば、「日本が素晴らしいと思って旅行に来てくれる」とは限りません。
「安いから来る」ということは、「日本へ来て失礼なことをしてくる外国人旅行客が無条件で悪い(いや実際、「安い国に住んでる人間やその文化だからぞんざいに扱っていい」では決してないのですけれども)」とこちら側が言い募ってみても、悲しいことに「安いということはぞんざいに扱われるリスクを常に内在している」ことに他なりません。
時折米ドル/日本円のチャートを確認しては「うわあまた円安になった!」と悲鳴をあげていた我が家2名。
FX投機でもやっててロングで売買する日々ならまだしも、そういうことをしているわけでもないので「手持ちの1,300ドルを日本円に両替した時の額面は増えても、その日本円自体の価値は下落」という何とも悩ましい実態を嫌という程痛感する日々、いやこの年々。
「NATOの対露代理戦争開始」とそれにともなうバイデン政権の言いがかりにより、ロシアはSWIFT送金のネットワークから除外されることになりました。
大統領就任以降、その手腕で「エリツィン政権に介入しロシア経済を食い荒らした欧米西側」の経済支配を退けロシア経済を立て直して来たウラディーミル・ウラディーミロヴィチ(・プーチン)はどうするのだろうかと思って見ていたら、あれよあれよと言う間に「SWIFTから外し勝利者になったつもりのバイデン政権が、米ドルの凋落に直面する羽目に陥って」いきました。
ただまあ、この凋落を予想していたであろう人は世の中には一定数いるようです。
そういう予想や言論は、欧米西側の首脳陣や資本家・権力者たちには都合が悪いものなので「陰謀論」と非難・封殺されることが常に横行しているわけですが。
世界情勢がこうなってくると、「基軸通貨としてホールドしていた米ドル」という手法が我が家でもあやしくなってまいります。
考えること・感じることはみなさま人それぞれですが、我が家2名としては「米ドルを違う通貨に再両替すること」を日本で生活する日本人としては次のリスクヘッジとして考えるようにここ3〜4年でなっていきました。
で、問題はその再両替のタイミング。
円安がさらに進行すると予想がついているのに、超特急であわてて両替してもねえ...ほどほどの為替差益くらいは確保したいし、と機をうかがっている日々が「(2020s'版)NATOの対露代理戦争発動」と共に続くようになった我が家。
そうこうしているうちに「二国間取引での決済に米ドルの使用をやめる」国が微増していき、「米ドルを介在しない国際決済プラットフォーム」に各国の利用比重が移って行くことになりました。
もともと、SWIFT送金システムを使うことで他国への送金手数料が負担になっていた人や陣営は独自の送金システムやネットワークをすでに構築していて使い分けていたわけですが、単に送金手数料が負担になっていただけでなく、そのトレーサビリティを悪用して「気にくわない国(=米国の思惑どおりに動かず、自国民を優先し主権を維持した”本質的な”独立国)へ不当かつ苛烈な経済制裁を課し続けて来た」のが米国ですから、
「バイデン政権がロシアをSWIFTからはずした」ことは、巡り巡って「今まで自分たちが世界中の多数の国に対して行なってきた嫌がらせ(空爆や軍事侵攻も当然含む)」の因果応報を見るような情勢になっていったように感じます。
ウラディーミル・ウラディーミロヴィチが、目の前で起こる現実に粛々と対処してきたこと以上に、「米国自身が、自国通貨の地位を毀損し利用価値を落として行く行動」を取り続けてきた積み重ねによってできた「引き金」を引いたのが「バイデン政権がロシアをSWIFTからはずした」だと個人的には考えています。
まあ、世の中広いですから「米国政府がそういうクジを自ら引いている」的な感じのことを予想してたかたは一定数いらっしゃったわけですけれども。
(↓マリン・カツサ著『コールダー・ウォー』裏表紙より)
で、我が家の両替のタイミングです。
2017年にインドから帰国した際には、地方銀行の窓口でも外貨両替は普通にできたのに、それができる銀行はどんどん減少していき、近所で再両替ができなくなっていき(もとい、銀行自体で外貨両替できなくなっていき)、「こりゃ空港まで行かないとダメかもなー。銀行のレートもよくないけど、空港のレートもいいわけじゃないしなあ、どうしようかなあ」と迷う日々が、特に今年に入ってから続いておりました。
「空港まで行かないと」というのは、実は空港が都心の繁華街より近いロケーションに住んでいるから...という事情によるものですが、なんにせよ「最寄りの銀行で両替できない」のは痛い。
ゆうちょ銀行でさえ普通にできなくなっておりました。
そうこうしているうちに、ASEANも米ドル使用の放棄を宣言。
米ドルの基軸通貨からの凋落やその破綻を宣言している国も増えたとはいえ、アジアの国である日本、その国民である自分にとってはASEANが...というのは大きなインパクトです。
投資のことわざでいうところの、「たい焼きの頭と尻尾はくれてやれ」というタイミングは、長期的目線で考えると、もしかして”そろそろ”かもしれません。
というわけで、過去にも何回か調べた「うちのロケーションからだとどこで両替するのがいいのか」を、一昨日(5/31)に再確認。
やっぱり銀行での外貨両替は無理そうなので、空港もしくはその手前の宿泊施設に設置されている外貨両替機を使用、ということになりそう。
「仕方ないからやはり空港を目指してみるか」という方向性を決定した後に、「む?ちょっと待て。うちから最寄りのイオンモールに(今年に入ってから)外貨両替機が設置された、らしい?」という情報をつかんだ私。
じゃあまずはイオンモールだな、と昨日(06/01)に一路自転車で最寄りのイオンモールへ。
まあ時々訪日観光客の団体さんを見かけるので、両替機があったほうがいいとお店の側も判断してのことじゃないかと推察されます。
たしかに両替機は設置されておりました。
両替レートが悪かったのは問題でしたが。
昨日イオンモールに行った時点でのインターバンクレートは米ドル/日本円が157円。
行った先のイオンモールに設置されていた両替機の米ドル/日本円レートは144円。
13円も違います。
「どうする?思い切ってまず100ドルやっちゃう?」と言いかけたヒゲ氏、
いやしかし、13円の差はあまりに大きすぎます。
「空港のレートを確認してから決めようよ」
と、空港のトラベレックスに電話してみると1ドル149円。
並行してスマホから検索していた、我が家最寄りの都心部にある金券ショップのレートをチェックしてみたらそれらは150円台です。
都心部まで片道数百円の電車賃はかかるものの......
どう考えても、2人で連れ立って電車に乗って都心部繁華街まで行ってまで両替したほうが明らかにお得です。
これはもう行くしかない、と判断した我ら2名は、Covid-19(新型コロナウイルス感染症)の最初のエピデミック以降今まで一度も電車移動で足を踏み入れていなかった我が家最寄りの都心部繁華街へ電車で向かうことにしたのです。
最後に電車移動で我が家最寄りの都心部繁華街へ足を踏み入れたのは2020年1月初旬が最後。
4年も行かずに過ごしていたんですねえ。
昔はしょっちゅうしょっちゅう行っていた記憶があるのですが。
で、4年ぶりに行ってみたらば......
たしかに外国人が増えている。
我が家2名はそのこと自体はまったく気にはしませんが、ただ「増えたなあ。外国人旅行客」という変化は感じます。
その影響かと思われますが、旅行客向けの荷物を預かる場所が2〜3目立つようになっていました。
「あああ、あそこ蓬莱のレストランだったのに!」というところまで、荷物預かり&両替スポットになっております。
なんというか、ある意味ちょっと香港ぽくなったなあとヒゲ氏と私は感じました。
外国人旅行客の多さと、繁華街のネオンや明かりの存在感と、「お得な買い物がたくさんできる」感の詰め合わせというか、そういう雰囲気というか......。
その香港から来る訪日旅行客も明らかに増えていて、何年か前までなら「日本旅行はちょっと敷居が高いかな?」とおそらく感じていた?かもしれない?香港人の知人友人が「日本へ旅行してきたよー」とSNS上に投稿する機会も明らかに増えています。
なんだか、立場が逆転しちゃった感。
大きな変化を感じつつも、めざすは割とレートがいい金券ショップ。
移動中にスマホから検索していて、当たりはすでにつけていたので、まずは一路そのお店へと。
インドで経験したような新札切り替え騒動は米ドルでは発生してなかったはずだよなあ何せ2017年から保持してるお札だしなあ...と思いながら金券ショップの店員さんに米ドル札を出すと......
1,300ドルのうち300ドルほど選り分けられていきます。
その300ドルのお札(100ドル札x3枚)にはペンで書き込みした痕跡が。
あ!!!!!
インド人は札にすぐ書き込む悪い癖があるんだよ!!!!!
米ドル両替だとそういうのは一段と厳しいという印象を持っていた私とヒゲ氏、選り分けられつつ確認されてるドル札を見ながら
「ああー、インド人すぐお札に書き込むから」
と口々に言ってしまう始末。
結局、「うちでは(この書き込みしてあるお札は)買い取れないですね。銀行さんとかならいけると思うんですけど」ということで300ドル分を返還されてしまうことに。
思わず「おのれインド人」と呪詛を吐く我が家2名。
彼らがやたらとお札に書き込む習性を知ってたのに、ドル札を受け取った際に徹底チェックしてなかったのはある意味こちらの落ち度かもしれません。
ともあれ。
まず1,000ドル分は何とか再両替に成功。レートは154.80円。
我が家最寄りのイオンモールとは10円の差。これは大きい。
1,000米ドル両替だと総額1万円の差ですからね。
あと300ドルをどうするか。
2016年や2017年5月(本帰国1ヶ月前)に来たときに利用した両替機がまだ同じところに存在してるといいのだけど.......と探しに行ってみたらば.......
ない。
インド・ネパール料理屋にその場所は接収されてしまったようです。
おのれインド人、またまた。←いやそれは違うだろ(苦笑)
しかし、あの頃に比べて外国人旅行客が増えていて、彼らの荷物を預かるスポットも増えてるのであれば......
両替できる場所も増えてるはず。
というわけで、両替機が置かれている場所を探し出し残りの300米ドルも無事両替。
保持していた米ドル札の状態はしっかりピン札で決して悪くはないので、両替機がインド人の「お札に書き込み」を気にしてくれなくてよかったです。
書き込みがほんのちょっとだけだったというのもよかったのですが。(住んでた頃は「おいそんなに書き込みするのかよ」と内心密かに思った場面実に多し)
ついでに他に持ってる外貨もある程度再両替しておくか...と、同じく円安絶好調の香港ドルや人民元も両替機で日本円へ再両替。
まさか香港ドルと人民元が20円を超える日が来ようとは、2010年以前は想像もしておりませんでした。
やっぱ安くなったなあ、日本円(ボソッ)。
マレーシアリンギットは日本円にしたら321円にしかならない金額を金券ショップで交換してもらい、100ドル近い香港ドルを除くとあらかたの「保持していた外貨」を日本円へ再両替してもらいました。
香港ドルと人民元は米ドルのように「明日にも破綻するかも」なんてことは全然ないのですが、2020年以降は「行きたくても行けなさそう」な状態がもちろん円安も手伝って(円安になればなるほど他国への渡航費は増額します)継続しているので、少し日本円にしておこうと思いました。
10香港ドル札のデザインが好きなので、それは世界情勢がどうなろうと1枚は持っておきたい気もしますけどね(^^)。
そんなこんなで、予想外の「電車で都心部繁華街への両替行脚」になってしまい、もりもり歩き回った甲斐あって、手持ちの米ドル1,300ドルとの決別...という目的は無事達成できました。
往復の電車賃2人分とびっくりドンキーでハンバーグディッシュとドリンクをお互いが1つずつ注文しても、十分すぎるほどにお釣りが来る差額を生んだレートの違いでした。
両替機が1リンギット札を1枚受け付けてくれなかったのがちょっと残念でしたが。
いやほんと、それにしてもやすくなったなぁ、円。
「安い安い言うな」と言われそうですが、事実ですから仕方ありません。
(*u_u)
現物の強み、ということも考えて生活しないといけませんね。
通貨というのは取引を円滑化させる便利なツールではありますが、いついかなる時にも通貨だけが絶対優位で安定しているシロモノ......とは限らないですからね。
いろいろ調べて考えて注意していきたいと考える次第です。