教師生活の狭間で目醒める奥底の想い【セキララ教師生活24】 | TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

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シンガソングライター/元小学校教員(歴12年)
ヒーラー養成スクール校長/四柱推命鑑定士

起業1か月で月商7桁、2年目で年商8桁達成
1000名以上のカウンセリング、20名のヒーラー養成

どん底から大逆転!夢を叶え続ける30代のリアルを発信

途中で本当に死にかけた教師生活

 

 

 

 

大きなサポートも受けながら環境が変わり

 

 

学びと実践の実りを感じる授業や学級経営ができるようになってきた

 

 

 

  まさにこの時期、スピリチュアルの学びと実践も深めていた

 

精神状態が瀕死だった時に出逢えたHappyちゃん

前任校の時には、家に帰って寝る前にベッドの中でブログを読んで眠るのが精いっぱいだった。

 

 

でも、学校が変わって、相変わらず忙しくはあったが、それでも前任校よりは自分の時間も持てるようになっていた。

 

 

彼女の発信を追いかけながら、参加できるイベントなどにも参加するようになった。そこで多くの”自分を生きよう!”を目を醒ました仲間たちと出逢っていったのだ。

 

そして自分を生きる仲間たちとの会話の中で繰り返されていた言葉

 

「どう生きたい?」

「どう在りたい?」

今までそんなこと考える余裕がなかった。その日その日を生きるので必死だった。でもこの時期、この仲間たちに逢うと、

 

  自分の奥底に眠っていた想いが目醒めだしたのである。

 

わたしは歌いたい

スピリチュアルな仲間に逢う度に繰り返し言葉にだしていた。初めのうちは、口にするのも勇気がいった。

 

”この年齢、この状況で歌をやりたいなんて・・・”

”今更何を言ってるのだろう・・・”

こんな想いが自分の頭の中をぐるぐるぐるぐると駆け回るのである。

 

それでも勇気を出して口にしてみた。

 

 

わたしは歌いたい

するとみんなは言ってくれた。

”いいじゃん!”

”応援するよ!”

 

 

  そのころからインスタでちょこちょこ歌動画を挙げ始めた

 

”じょうすだね!”

”すてきだね!”

仲間がちょこちょこコメントをくれ、ホッとする。

 

しかしいくつか動画を挙げたところで、大きな変化はなかった。

 

そうだよねー

そりゃそうだよねー

なんか奇跡が起きちゃうかもとか思っちゃた自分を隠す。

誰もみてないけど。

 

教師生活に励む中で、土日に開催されるイベントや交流会には相変わらず参加していた。

そんなある日。

 

 

  素人が舞台に立てる企イベントをやろう!

 

そんな企画が立ち上がった!

 

”出たい!”

心が叫んだ。

でも教師生活忙しい時期だし、大丈夫かな?

知らない人ばっかりだし、大丈夫かな?

 

頭の中ゴチャゴチャと思考が湧いて湧いて湧いて止まらなかった。

 

あーーーもーーーめんどくせえ!!!

結局そうしたいんや!!!!

 

自分にカツを入れる。

 

 

わたしは歌いたい!!!

 

シンプルだった。迷ってる暇なんかない。

無我夢中でエントリー。

 

  そこからは流れは速かった。

 

 

イベントの内容と流れに合わせた選曲。

ピアニストの友人に演奏を頼んでリハーサル。

10年ぶりにスタジオに入って歌う。

 

 

何て気持ちいいんだ!!!

その後も、イベント全体のリハーサルや衣装の準備

打ち合わせなど・・・

教師生活との両立は簡単なものではなかったが、なんとか本番を無事に迎えることができた!

 

 

  10年ぶりのステージ!

 

ようやく来たこの感覚!!!

全身全霊、身体中で感動を味わった!!!

当時の動画がこれだ!

 

 

 

こっからの快進撃はあっという間だった!!!

 

 

  それでも音楽で食べていけるわけじゃない

 

そう、結局人にコレだけ求められても、

自分でコレが最高!と思えても

 

 

結局音楽で食べていけるわけじゃない

                これが現実だった。

 

 

働きながらステージに立つ

それが現実的なあゆみなのだろう。

 

  だがしかし、教師×音楽の両立は本当に難しいものだった

 

先述したが、イベントやライブができたのも、平日の仕事を思い切り詰め込んだから。

前任校より落ち着いてはいたが、地域の中心校。朝練のため6時半には出勤し、平均的な退勤時間は21時半。

 

それだけ働いても、土日のどちらかで授業準備などをしなければ仕事は間に合わない。

先生の仕事は通常の学級指導だけではなく、学年の仕事や学校全体の仕事(校務)など多岐に渡る。

 

それだけではなく、あんなことやこんなことまで。

 

 

 

 

  ようやく理想の学級経営ができるようになってきた

 

 

でもココに至るまではたくさんの峠を越えてきた

 

 

 

 

 

 

  揺らぐ想い

 

”せっかくここまで積み上げてきたのに”

”こんなにいい授業がようやくれきるようになったのに”

”まだまだ子どもたちとも過ごしていきたい”

”でも歌うことをあきらめたくない”

”でも教師やめて、どうやって生きていけばいいんだろう・・・”

 

自分らしく生きたい!!!

自分らしく生きたい!!!

自分らしく生きたい!!!

 

毎晩こんな思考がぐるぐるぐるぐる巡りに巡って、

抱えきれない想いのまんまインスタライブした

 

・・・マジメンヘラ笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

でもみんながいつも応援してくれた。

 

 

”ここで決められなきゃまた同じ人生をくりかえしていく”

そしてわたしは教師を手放す決意をした。

 

3月までは今担当しているクラスはもちろん責任をもって最後まで担任の役割は果たすした。

人事的な事情を考慮し、4月からの人事のために前年の12月中に意志を伝えた。

  誰にも相談せず決めた

この時、インスタライブではすべてを晒して生きていたが、両親や周りの先生たちには一切相談せずに決めた。きっと相談したら止められる。そうなったらきっと自分はやめることはできなかったと思うから。

 

それぐらいこの先の未来がどうなるか怖かったし

そしてここまで積み上げてきた自分のあゆみや子どもたちとの生活を手放すことも

とてつもなく悲しいことだった。

 

カンタンに決められたことではない。

何度も何度も決め手は諦め、決め手は諦める・・を繰り替えしていた。

そうしてようやく迎えることができた決断だった。

 

この決断が在ったからこそ、いまこうして自由に生きることができている。

今でも迷ったり悩んだりすることもあるが、あの日の自分に恥じない生き方をしていきたい。