【セキララ教師生活16】校長の計らいと神のご加護 | TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

シンガソングライター/元小学校教員(歴12年)
ヒーラー養成スクール校長/四柱推命鑑定士

起業1か月で月商7桁、2年目で年商8桁達成
1000名以上のカウンセリング、20名のヒーラー養成

どん底から大逆転!夢を叶え続ける30代のリアルを発信

教師以外の仕事も多く、心の居場所もなく↓

 

自分の力不足は大前提で、理不尽なことは続いた↓

”ここまで先生がやるの?”と驚かれるあれこれも乗り越え↓

過労死ラインはとっくに飛び越えていた↓

 

 

それでも幸せに生きたい!とわずかな時間で足掻き続ける↓

 

 

そうやって心を取り戻しながら、教師生活で培った学びを実践し子どもたちに還元する↓

 

それでも日々降りかかる弓矢↓

 

 

 

 

  そんな中、刻々と近づく年末

 

赴任先の学校には慣れていき、教育活動のやりがいも感じられるようにもなってきた。

だがしかし結局のところ精神を奮い立たせて朝出発していく。

体力はとっくに限界を迎えていて、週末時間があるときは寝込みに寝込む。

遊んでいる時間も体力もない。

管理職は来年度の人事に向けて動き始めていた。

地域でも大きな学校。

職員だけでも60人~70人はいる。

 

そんな中で校長先生はわたしの表情や心情を逃すことはなかった。

そしてわたしは呼び出された。

 

 

  校長室での出来事

 

日々の働きに労いの言葉をいただきながら

 

”先生は来年をどう考えていますか?”

という質問が投げかけられた。

 

わたしはぐっとこみ上げていく感情を飲み込んで下を向いた。

 

 

・・・なんていえばいいんだろう。

・・・なんていえばいいんだろう。

・・・なんていえばいいんだろう。

 

緊張感の走る中、

慎重に、丁寧に自分の心の内側から言葉を拾い上げた。

 

 

ここで強がってはいけない。

背伸びもしてもいけない。

 

 

相手がどんな立場であっても、素直な気持ちを伝えていこう。

そして言葉を紡ぎ出す。

 

 

”正直、1日1日を乗り越えていくのが精いっぱいで、来年度のことを考える余裕がなありません”

”でも、来年度この学校で働いていく体力も気力も、もう残っていません”

 

 

勇気を振り絞って、紡ぎ出した言葉を口から出した。

 

”先生の気持ちは分かりました。わたしなりに最善を尽くしていきます”

 

 

  こうして校長先生の快進撃が始まった

 

 

”転勤させるだけでしょ?”

”そんなの難しいことじゃなくない?”

・・・そう思うよね。

 

わたしもぶっちゃけそう思っていた。

でも全くそんなんじゃなくって。

 

千葉県の教員は新規採用されたらその学校に5年間勤務することが基本的なきまり。

 

ただ、転居や結婚などの事情で例外は起きたりする。

当時のわたしには転居するパワーも残っておらず、残念ながら結婚の予定もなかった。

 

それでまず校長先生は、市内で行われる校長会で提案してくださった。

しかし他校の先生方から反対されたそうだった。

 

  転勤すら難しい地区

 

そもそも”採用5年の転勤”自体が難しい中で

”この地区からの異動”さえも難関といわれる場所だった。

 

なぜならこの地区はそもそも教育自体が難しい地域↓

 

 

これはとてつもなく突っ込んだ話になるのだけど、

”教員採用試験”に合格したからと言って、”どの学校でも適応できるわけではない”

 

特にこういった地域では

教員としての指導力はもちろん、クレーム等の対応力、そして厳しい現場に耐えうる精神力やそれを続けていく体力も必要になる。

 

実際自分もとても苦労したし、同じ学校で2か月余りで出勤できなくなってやめてしまった先生や、近隣校で精神ダメージを受けて療養に入っていく先生はたくさんいた。

 

わたしも限界ぎりぎりでやっていたが、

 

ギリギリでもやってのける人材は地域にとって貴重だった。

 

それでも当時の校長先生は何度も何度も提案してくださった。

何度拒否されても、提案してくれたのだ。

 

 

  ようやく迎えた異動

 

こうして校長先生の大いなる計らいによって、わたしの奇跡の人事異動が決まった。

それが発表された3月。

賛否は分かれた。

 

”先生は本当によくやったよ。新しい場所でがんばってね”

そうやって温かく送り出してくれた先生たちもいた。

”こんなんで投げ出すなんて意気地なし!”

最後まで厳しい意見もあった。


 

 

君のような素晴らしい人材をこの学校で潰すわけにはいかない。もしもいつか教師を辞める日がきても、わたしに遠慮しないでください。違う学校に行ってみて、沼倉さんなりに考えてみてください。

 

この校長先生はわたしの未来もすべてお見通しだったんだ。

いつか私が教師を手放す日がくることもどこかでわかっていた。

それでも、そうと分かっていてもこんなに力を注いで動いてくださった。

 

いまそれを思い出し、こうして綴っていても涙があふれてくる。

いまでも感謝は忘れない。

校長先生のおかげで頂いた新しいチャンス。

大事に大事にしていこうと胸に決めた。

 

そして向かった新たなる学校。

ここがわたしの本採用最後の学校となる。

そしてまた壮絶なドラマが始まるのだった。