【セキララ教師生活⑩】過労死していくひとの気持ち | TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

TSUKI NO URAGAWA~月の裏側~

シンガソングライター/元小学校教員(歴12年)
ヒーラー養成スクール校長/四柱推命鑑定士

起業1か月で月商7桁、2年目で年商8桁達成
1000名以上のカウンセリング、20名のヒーラー養成

どん底から大逆転!夢を叶え続ける30代のリアルを発信

ここまで書いていてふと思う瞬間がある・・・

 

”これ、本当に私が歩んできた道なのだろうか?”

そう思ってしまうくらいに、当時の自分とはかけ離れた思考と人生だと思う。

今こうして理想の世界を生きるようになって振り返ると沢山の気付きがある。

 

過労死の話は珍しいことではないと思う。ただ過労死ライン越えの経験者として言葉にすることで、誰かの気付きや光になれたらと思って書き進めていきます。

 

  ”なんでこの時、辞める選択をできなかったのだろう?”

 

これもふっと過る疑問。

ここまでの状況だったらさ↓

 

 

辞めてもいいんじゃない、

辞めた方がいいよって客観的に思う。

 
 
 

でも、当時の自分にはできなかった

 

数年前から”働き方改革”が教員界でも騒がれはじめてわたしも研修会に参加した。

そこで言われた衝撃の一言・・・

 

”あなたは生き残りです”

本当にその通りだった。

 

だってテレビとかでよく見る”過労死ライン”ってやつはとっくに超えていた。

肉体的な労働時間に加えて、精神的なストレスも相当なモノだった。

 

 

 

本当にたまたま運よく”生き残れたんだ”

そして振り返ってみて思う、

 

こうやって過労死は生まれるんだ・・・

ではなぜ辞める選択ができないのだろう

 

  ”止まること”への恐怖

 

ここまで書き綴ってきたように

わずかな睡眠をとる目的で家に帰り、いつも寝不足のまま置き、まゆ毛だけ描いて家を出る朝5時50分。

 

初任業務→朝練→授業→飛び出すこの対応→ケンカの仲裁→遅れた授業の追い上げ・・・

ここに理不尽なクレームの対応

 

 

進まぬ翌日の授業準備や学年の仕事

週末は先輩の飲み会の送迎

 

ただこの繰り返しを無限ループ

 

心も身体も休む間が一個もない。

肉体的にも精神的にも

”辞めた方がいいんじゃないか”そんな疑問がわかないわけがない。

 

でも、

”じゃあ辞めてどうするの?”

そこに答えを出せないまま、ただただ

嵐のような毎日が押し寄せていく。

一日を乗り越えていくのに必死。

 

 

 

  このまま突っ込んでしまえたら

 

学校へ向かう途中に、ものすごく大きな急カーブがあった。

スピードを落としてハンドルを大きく右へ切る。

 

・・・でも。

 

ここでスピードを落とさずに、

ハンドルも右にも切ることなく

このまま突っ込んでしまえたら・・・

 

そんなことを毎回考えてしまっていた。

 

仕事に行くよりも、ラクなんじゃないか。

というか、なんでこんな想いをするために

わたしは生きているのだろうか。

 

こんなことのために、大学出たのだろうか・・・

こんなことのために、採用試験受けたのだろうか・・・

 

同世代の友達は結婚→出産

どんどん進んでいってしあわせそうなのに

 

なんでわたしはこんなに頑張っているのに

笑うことも忘れて生きているんだろう・・・

 

 

 

こんなことのために、今までがんばってきたの?

なんで自分だけが不幸面をしているの?

 

 

恥ずかしい

情けない

ツラい

しんどい

不甲斐ない。

 

 

今日もまた、誰かに叩かれるために

車を走らせている・・・

 

このまま突っ込んでしまえたら楽なのに・・・

右目からほろりと涙をこぼしながら

ブレーキを緩める勇気も持てずに

毎朝カーブを曲がっていたんだ。

 

 

  そうはいっても

 

 

ここまで書くとそうとう病んでるよねって思うし振り返ると実際そうだったと思う。

 

こんな精神状態で子供の前に立つなんて・・・と、

子どもへの影響を心配する人もいると思う。

その点においては、こんな状態で教壇に立ち、本当に申し訳なかったと思います。

本当に当時の自分にとっては、1日1日を乗り切ることだけで本当にそれだけが精いっぱいだった。

ただ、一つ言えることは、いろんなことがあっても

子どもたちの姿をみるとパワーは漲ってがんばろうと思えたし

 

あと勉強を教えることも本当に好きなことだったから

教室に入ると気持ちを切り替えることができた。

きれいごとに聴こえちゃうかもしれないし、

いま自分で書いてみても不思議な気持ちになる。

でもそうだった。

 

子どもたちの存在がパワーの源だった。

 

 

ただ、100%よい状態でいられたかというと、イエスと言い切れない。

まだまだ未熟だったと思うし。

 

ただ、あの状況でやれる限りの120%はやれたと思う。

こんな状態だったけれど、学習指導要領通り授業はやりきった。子供たちとそとで遊んだり、話もしたし、掲示物や授業準備もちゃんとやっていたということは記しておきます。

 

 

 

  ふりかえってみて思う

 

”生き残った”のではない。

”生かされた”のだ。

 

子どもに、周りに、自分に、高次の存在に。

肉体や精神の限界、

自ら命を投げ出す・・・

いろんな可能性のある中で、

投げ出したっておかしくない中で生き延びることができたのは

たくさんの存在に護られていたのだな・・・

いま改めて、感謝の気持ちが湧いてきます。

 

 

 

  そんな自分だからできること

 

職や生活、生きることさえ投げ出したくなる人の気持ちがよく分かった。

こんな時期があったからこそ

”なんとか抜け出したい!”という想いで

スピリチュアルや宇宙の法則をがむしゃらに学び

ここまで泳ぎつくことができたんだ。

 

そんな自分だから分かる気持ちがある。

そんな自分だから伝えられることがあるし

そんな自分からだから伝わる人もいるだろう。

ありきたりかもしれないけれど、

そういう人に情熱を向けていくことが今のわたしにとって

とても魂が喜ぶことだと思う。

 

これからも、力強く

自分の想いを紡ぎ出していきます。