富山県のイラストレーターブログ

富山県のイラストレーターブログ

富山県で絵描きとして活動中のだいごろうのアート作品ブログ。

 

 

 

かの偉人、アルベルト・アインシュタインは言った。

 

想像力は知識よりも重要である。 

知識に限界があるが為に、想像力が世界をとりまき、

発展を刺激しつづけ、進歩に息を吹き込みつづけているのだから。

間違いを犯したことのない人とは、何も新しいことをしていない人だ。」

 

そして、アインシュタインが言う「知識」とは?

 

「情報は知識ではない。知識の唯一の源は経験である。」

 

 

 

俺たちの生活は、すでにAIの恩恵で成り立っていて、

その技術の進歩によって、より豊かで快適な生活へと

向上していると思える。

 

最たる恩恵で言えば、スマホかな。

Googleの検索にしてもAIの学習機能によって

検索すればするほど精度や速度が向上していく仕様だ。

 

AI=ロボットって考える人もいるけど、

ここで言うAIは、ロボット全般ではなくて、

いうなれば、ロボットの頭脳の部分。

人間の代わりに、考えてくれる部分。

調べて、記憶して、学習して、計算して。

 

ただし、AIは、「無」からは想像が出来ない。

AIで出力されるイラストは、全て、過去の誰かの作品、

すでにこの世界にある風景や物質、形ある物を、

「合成」して出力しているだけのこと。

想像して、創造することは、AIには出来ない。

 

でも、じつは人間の脳も、同じ仕組みらしい。

誰もが「無」から想像することは難しい。

すでにこの世界に存在している物を見て、

今までの知識、経験を経て、想像できている。

 

でも、稀に、この世界に存在しない、

誰も見たことも聞いたこともないモノを

想像して、創造できるのが人間の頭脳だ。

 

 

 

・・・このブログでは、AIへの批判ばかりになってしまうが、

AIの登場によって、自分で考えること、想像することが

どんどん少なくなってきているのも事実だと思う。

人間の代わりに出来ちゃうAIとロボットが増えて、

簡単な作業、仕事が、どんどんAIロボットたちにすり替わり、

このまま、AIの技術と、ロボットの技術が進歩していけば、

「もう人間は要らない」という極論を

AIが判断してしまう日が近いと思う。

映画『ターミネーター』の世界だね(汗)

 

 

 

想像することを止めたらダメだ。

イメージすることを怠ってはダメだ。

人間として、衰退していってしまう。

 

 

 

AIの進歩の恩恵で、「AI絵師」と名乗る人が激増している。

自らを「神絵師」だの「イラストレーター」だの

名乗っちゃう人たちが増えてしまった。

でも、あの人たちは、自分で、何も想像、創造していない。

言うなれば、電子レンジを使いこなして、

自らを「料理人」と名乗っているようなもの。

 

俺は、そういう人たちを

「イラストレーター」だとは思わない。認めない。

 

自ら、想像して、自らの手で描き、創造できる人たちだけを

「絵師」とか「イラストレーター」と呼ぶ。

 

AIでイラストを出力している人たちは、

ただの「AI利用者」だ。

電子レンジで冷凍食品を温めて食べている一般人と変わらない。

 

 

 

最近、子供たちが懸命に、ノートに落書き・・・というか、

絵を描いている姿を見て、

「やっぱり、これが絵を描いている者の姿だよな」と

改めて思った。

 

「絵師になりたい」とか「イラストレーターになりたい」と

目指す者たちは、必ず、自ら絵を描いている人たちなんだ。

それらを目指したい者たちが

「まずはAIの使い方を覚えなきゃ」って思わないでしょ?

そういうことだよ。

 

 

 

カメラが登場した時代・・・

きっと当時の風景画家たちは戦々恐々だったかも。

でも、カメラで撮った写真を

「これ、俺が描いた。俺、風景画家です」

とは言わなかったでしょ?

そして、カメラが世界に普及した今でも、

ちゃんと風景画家はいるし、

カメラで撮影するプロの方々は「カメラマン」と呼ばれる職業がある。

 

もしかしたら、数年後には

「AI技師」というプロのAI出力の職業が誕生するかもしれない。

いや、すでに誕生してしまった「AI絵師」という言葉が

そのまま使われるかもしれないけど。

きっと、そうなった時、「絵師」と「AI絵師」、

どちらも共存していく未来になっているかもしれない。

風景画家とカメラマンのように、まったく別の職業として。

 

 

 

想像していこう。

自分で考えることを怠けちゃだめだ。

そして、これからも、

自らの手で創造していこう。

「絵描き」でいるために。

 

そうして、俺たちが歩いて来た道が、

また、次の誰かの「道標」となるように。

 

その道の先が、途絶えないように。

 

 

 

(9年前の落書き)

 

 

 

 

 

 

 

繰り返し、お客さんからの依頼をこなしながら、

合間に他人の作家活動や、新たな画風の作品など

スマホやPCで、ぽちぽち見ている。

 

本当に、世の中、便利になった。

ひと昔なら、それらは美術館や博物館、展示会など

その場所でしか見られないモノだから、足を運ぶ必要があった。

時間と労力と費用がかかったものだ。

それが今や、全て短縮できて、効率よく見ることが出来る。

・・・と同時に、膨大な情報量が溢れていて、いち個人では処理しきれない。

だから「●●さんという有名な画家」がいたとしても、

それは「一部で有名」なのであって、「全世界共通の有名」ではなくなった。

テレビで紹介されたとしても、若者のテレビ離れが多いので

「年配の人たちで有名」ということになる。

それは、ネットでも同じこと。

ネットで何度も見かけるし、数万人のフォロワーがいる人だから

有名な画家さんだ!と思っていても、他の人たちには知られていないものだ。

ネットでは、デバイスごとに検索結果をカスタマイズされている。

個人の趣味傾向を学習して、よくアクセスするサイトを上位に表示する。

だから、よく見かける画家(絵師)さんは「自分の中では有名」なのだ。

数万人のフォロワーがいる画家(絵師)さんは、今や、テレビに出てる有名人よりも多い。

 

ネットのおかげで、需要と供給のバランスが偏っていると感じる。

小需要、過供給。

今や、イラストレーターは誰にでもなれるが、

「有名」になるには、果てしなく難しい。

まさしく、ガチャと同じ。宝くじと同じ確率。天のみぞ知るだ。

 

ただ、自分のやるべきことをやり、

好きなことを続けていく。

自分が選んだ道を進むには、これしかないと・・・

他人の活動を観察しながら、俺個人は思っている。

 

 

 

- - - - 以上が、売れないイラストレーターの最近の呟き - - - -

 

- - - - 以下は、合間にぽちぽち調べたものが実を結び始めた話 - - - -

 

 

動画の部活動『北陸ユーチュー部(仮)』の活動も、細々と続けている。

自分が好きで続けているけど、停滞気味(汗)

元々、マルチタスクをこなせるほど、俺は器用ではない(汗)

日々の絵仕事をこなしているだけでも精一杯。

動画は趣味程度で・・・という認識でいると、

どうしても後回しになって、どんどん更新も途絶えてしまう。

 

その動画の部活動の中で、数年前から構想があった企画がある。

それが『Vチューバー』だ。

自分のオリジナルキャラをデザインして、それを動かせるようにして、

自分、もしくは声の演技が上手い部員さんを募って、演じてもらう。

これは、俺の興味本位ではあるけれど、イラストレーターならば、

一度は考えたことがあるのではないだろうか?

自分が考えて描いたイラストキャラクターが、画面で、動いて、喋る!

これは、『Vチューバー』という存在を知ってから、

いつか実現させたいことだった。

 

オリジナルキャラは、動画の部活動『北陸ユーチュー部(仮)』を

発足させた時に描いたキャラクターがいる。

 

 

名前も視聴者から募っていた。

『北陸ゆりか』という名前に決定して、

アクリルスタンドやTシャツなど、商品化もしてみた。

ぜーんぜん売れてないけど(笑)

自分がやってみたかったことだから、それでもいい。

 

 

このキャラを、どうやったら『Vチューバー』化できるのか?

本当に、数年かけて、合間合間に調べて勉強して、

やっと答えっぽいものに辿り着いた。

 

『Live2D』と呼ばれるサービスを見つけた。

似たようなサービスは、他にもあったし、昔からあるサービスもあるけど、

なるべく費用をかけず、できるなら無料で始められるものを探してた(汗)

『クリスタ』や『フォトショ』で作成したイラストのパーツを

『Live2D Cubism Editor』というソフトで、配置や動きを設定できるというサービス。

その『Editor』で作成したデータを、今度は

『Live2D』運営の『nizimaLIVE』というプラットフォームにロードしたら・・・

あとは、カメラとマイクで、自分の動きに合わせて、キャラが動く!

喋ったら、キャラの口が動く!喋っているように見える!という仕組み。

 

で、仕事の合間に、ぽちぽちがんばってみた。

 

 

まずは、下書き。

キャラのデザインを、若干、変更してみた。

目がくりくりだったものを、少し大人びた物静かな目にしてみた。

元旦に作成したキャラだったから巫女姿なんだけど、

案外、巫女姿の『Vチューバー』は少ないようなので、

衣装の変更はしなかった。胸を強調する箇所も変更なし(笑)

今や『ルッキズム』が批判を浴びる世の中だが、

大半の人間が本能で『見た目』で判断しているのは、

多くの論文があるほど、すでに証明されている。

あからさまだとしても、それを利用しない手はない。

・・・というか、俺が作ってみたいだけだ(笑)

 

 

いつものように、『下書き→線画→彩色』と、ただ描くだけではない。

パーツごとに分けて描かなきゃいけなくて、

動かしたいパーツごとに分けて『線画』と『彩色』をしていくため、

いつも遅筆な俺は、さらに遅筆になっていく(汗)

上図では、普通に描かれているように見えるだろうけど、

のっぺらな顔のパーツの上に、前髪と横髪のパーツを乗せて表示している。

後ろ髪は、顔パーツよりも後ろに配置。

首も別のパーツで、体のパーツに、巨乳のパーツを乗せている(笑)

胸のパーツで、際どい胸の谷間を描くつもりだったけど、

肌色の露出が大きければ大きいほど、

『Vチューバー』としては、よろしくない・・・というか、

YouTubeの運営側に、チャンネルが削除されやすい傾向にあるようだ(汗)

なので、若干の修正・・・さらしを巻くことによって、

谷間の露出を少しだけ抑えてみた(悪あがき)

 

 

顔の中のパーツも、眉、目、鼻、口のパーツに分かれていて、

目は、白目、黒目、瞳孔、光、睫毛、睫毛(まつげ)の束、下睫毛、

まぶたの肌に分けて描いてある(汗)

目を閉じる際は、まぶたの肌で、目を隠すように、

睫毛の動きに合わせて、目を閉じているように見せるのだ。

口も、閉じているように見えるが、じつは、

口腔内、上歯、下歯、上口の肌、下口の肌、唇に分けて描いてある。

動く際には、上下の肌のパーツを唇の動きに合わせて上下することで、

口を開いているように見せるわけだ。

 

 

影のパーツも別にして・・・

そうして、パーツが出来上がった。

帯の結び目を、リボンのような装飾に変えてみた。

普通の巫女姿だと、ちょっと華やかさに欠けると感じて。

これで、完成、とした。

このキャラを動画で動かして、見せる部分は、

腰より上の部分だけなので、手や足を省いた。

・・・というか、ここまで描くのに、とても時間がかかったので(汗)

全て描き終わるまでに、普通に半年以上かかりそうだったから(汗)

 

この『クリスタ』で描いたデータを、『フォトショ』のデータとして保存し、

『Live2D Cubism Editor』というソフトで読み込み、

そのソフトの中で、各パーツごとに動きを設定していく。

 

 

最初は、髪の設定からやってみたが、

まぁまぁ難しいけど、できた。

ところが、目の設定から、一段と難しさが増した(汗)

というか、自分の思い通りに動かしたいとなると、

途方もなく、細かく設定していかなきゃならない(汗)

 

この時点で、足りないパーツがあることも分かった(汗)

ただ見えているだけのパーツではなく、見えてはいけないモノを

隠すためのパーツまで必要になってくることが分かった(汗)

本当に、やってみるまで分からないモノだらけだ。

 

ただ、俺には時間がなかったので、

足りないパーツを描き足す余裕がなく、そのまま作業を続けることに。

なぜならば・・・

 

 

『Live2D Cubism Editor』というソフトが、

トライアル期間だけしか使えないからだ(汗)

有料版と無料版があって、最初は無料版でやってみたけど、

あまりにも制限が厳しくて、やれることが少なかった(汗)

なので、有料版(トライアル期間だけ無料)に切り替えたのだ。

まずは、この期間中に、完成させる。

それで、自分でもこのソフトは使えそうってなったら、

使う期間だけ有料の支払いをしたらいいかなと考えた。

 

 

苦労の末、目や口が動けるように設定できた!

もう、これだけでも感動した。

 

 

次に、顔や首の動き。

それに追従して、髪、眉、目、口が動いても

変な挙動をしてないか、チェックしながら設定していく。

設定が終わったら、なんか本当に動いているみたいになって

これも感動だった。

 

 

上図では分からないだろうが、次の工程に進んだ。

顔の動きに合わせて、髪がゆらゆら動く。

体の動きに合わせて、帯のリボンがゆらゆら動く。

それらは、演算出力という設定を施さなければならず・・・

これまた、理想の動きになるように設定するのは、なかなか難しかった(汗)

 

俺が特に注力したのは・・・

 

 

胸だった(笑)

この胸を揺らす!という一心で、

この企画を進めてきたと言っても過言ではない!(笑)

これも自然な揺れ方を目指しつつ、不自然に揺れるように設定した。

だって、普通に動くだけでは、普通、巨乳の胸は揺れないんだもの(汗)

重力とブラによって、そんなに揺れることは無い・・・はず。

(俺の周りに巨乳がいないので分からんけど(汗))

でも、揺れないと、男子の注目は集められない(笑)

 

 

体のパーツが足りないため、全ての設定をしたわけではないが、

自分が作ったパーツの、全ての設定が終わった。

もう自由に動く!揺れる!(笑)

足りないパーツのせいで、不自然な見え方になる場面もあるが、

それでも感動した。

 

 

これをデータ出力して、このデータが使えるプラットフォームで

アップロードできれば・・・その中で、動いたり、喋ったりできるわけだ。

 

 

試しに、『nizimaLIVE』にアップロードして、

WEBカメラを使い、マイクを使って、キャラを動かしてみた!

動いた! 喋った! もう感動!

 

これは世に言う『バ美肉』という体験だ。

『バーチャルの美女(美男)を受肉する』という意味らしい。

たしかに動画配信者や『Vチューバー』と呼ばれる人たちも、

結局は、中の人と、バーチャルの見た目とは違うわけで、

みんな『バ美肉』の部類に入る。

 

 

 

ここまできて、問題がある(汗)

 

もう、ここまでで感無量ではあるが、

これを動画配信に使う時には・・・俺の声ではアカン(汗)

動画配信者の中には、女性キャラなのに、

男の地声で配信してる人もいるけど・・・

自分の、このオリジナルキャラの声が

俺のダメな声っていうのは、やはり俺の中では無しだ(汗)

イメージとしては、大人の若い女性の声だ。

子供の声やおばさんの声ではない、20~30代の女性の声が望ましい(汗)

 

・・・かと言って、じつは、俺の中では

『バ美肉』とかボイスチェンジャーを使って

女性の『フリ』をするもの、無しなんだよなぁ(汗)

どうにも、『自分を偽(いつわ)る』みたいな気分になる(汗)

これは、俺の中の、強力な固定概念だと思う。

生まれた時から『大五郎』として、男っぽい振る舞いを、みたいな

考え方が心の根底にあって・・・なので、じつを言えば、

オカマとかネカマとかオネェという人たちのことは

認めているけど、「自分はそうなりたいか」と問われれば、断然NO!

完全拒否したいほどの拒絶反応が出る(汗)

体が女性のように細いから、女装してみるか?というような

冗談っぽい場面があったのだが、その時に、

俺は強く拒否してしまったことがある(汗)

周りの人たちは、ただの冗談のつもりだったのに冷めさせてしまった(汗)

 

でも、これだけ時代が多様性へと順応してきて、

いざ、自分が『バ美肉』というものを体験してみて、

『現実の自分がそのように変化する』のではなく、

『バーチャルの世界限定で、違う自分を演じる』という感覚に、

俺の考え方が、固定概念が、少し軟らかくなった気がする。

 

 

というわけで、まだ配信していないけれど、

近日中に、オリジナルキャラで配信、お披露目する予定でいて、

その時には、『Magic Mic』というボイスチェンジャーを使って

動画配信してみようと思っている。これもお試しだ。

毎日無料で使える音声が限られているため、

これから本気で『Vチューバー』として配信していくならば、

毎日声が変わっていては格好がつかない。

その時には、いよいよ有料版を購入するしかない。

声を変えたところで、俺の話し方までは変えない(汗)

配信中は、自分の変わってる声を聞かなくていいように設定するし、

たぶん、違和感なく、配信できると思っている。

 

 

 

この企画、このオリジナルキャラを作成してから、

すでに7年ほど経過している(笑)

他人から見れば、俺の企画は早々に頓挫(とんざ)したように見えただろうけど、

ところがどっこい、実現するために、ずっと長い間、

なるべく低予算で実現できる方法を、ずっと模索し続けていたわけだ。

『Live2D』のソフトが世に普及してなかったら・・・

それを俺が見つけることが出来ていなかったら・・・

きっと、この企画は、ずっと完成しないままだったかもしれない。

 

おバカまっしぐらな俺だけど、

見守ってくれている人たちは「バカだなぁ」と思いつつ、

俺という人間を楽しんでくれたら、それでいい。

 

 

一応、リンク貼っておく。
動画の部活動『北陸ユーチュー部(仮)』↓

 

 

ぽちぽちと更新中。

 

近日、この『Vチューバー』を発表する予定。

こうご期待(^_^)

 

 

 

 

 

 

 

こちらも久々の投稿で(汗)

 

まったく活動していないわけではなくて、

ご依頼の絵仕事を日々、こなし続けておりますが、

最近は、公開不可なことが多く・・・

SNSでは何かしら公開、更新し続けていないと

活動していないように見えてしまうので・・・

イラストではなく文章だけでも更新し続けてたりします。

 

遅筆なので難しいけれど、

即興でイラスト描けたら、それをどんどん

SNSで公開していければいいのになぁと。

他の活躍している同業者のSNSを見ていて感じます(-_-;)

 

見習いたいけど、自分にはできないこともあり、

得手不得手は仕方ない・・・と自分に言い聞かせたり。

でも、これは『言い訳』して、

いつまでも出来ないことにして、逃げているのでは?

と思ったり、焦燥感を感じたり(汗)

 

そんなこんなで、活動はし続けております(^_^;)

 

 

 

更新が遅くなりましたが、

今年の干支は『辰』ということで、

年賀状には『龍(ドラゴン)』を描こうと構想してましたが、

案外、あの蛇のようなウロコを見るのが苦手っていう

女性が多い???(だいごろうの周りだけかもですが)

それに、いつも干支のイラストだけでなく、

自分が好きな人物イラストも描いているし、

うまいこと、それらを解決しつつ描けないかなと考えて・・・

 

今年は『龍人(龍神)』を描きました。

 

 

 

(例によって、完成図は、年賀状を受け取ってくれた人たちだけの物なので

ブログでは、一部だけのチラ見せです。)

 

 

下書きでは、こんな感じ。↓

 

 

 

最初は、座っている姿勢にと思っていたのですが、

衣装が、着物というか神主さんが着ているような衣装なので

遠距離からの見た構図にしないと、衣装がダボダボしていて

座っているかどうかが分からないんですよね(汗)

でも、あまりにも遠距離にしちゃうと、今度は

人物の表情が分かりにくくなる(汗)

悩んだ結果の線画では・・・↓

 

 

 

 

やっぱり立ち姿にしました。

座っている構図から無理やり立たせた感じで、

胴体のおなかが少し大きく見えちゃうなぁ(汗)

でも、この時点で、もう12月のクリスマスを過ぎていたので(汗)

例によって、描き直している時間がなくて(汗)

彩色作業へ↓

 

 

 

 

ここまで来てから、

もっと角を太く、ごっつく描いた方が強そうというか、

龍っぽくなったのかもしれないなぁと感じました。

細いから、トナカイか鹿っぽいなぁと(汗)

 

これが『龍人』であると分からせるために、

肌の露出部に、ウロコを描くことにしました。

少ない面積なので、苦手な人も多少は大丈夫かなと。

 

髪の色も、黒色を想像してたけど、日本人というよりは、

異世界人みたいな、普通の人間っぽくない方がいいと思って、

龍の鬣(たてがみ)の色を想像して金色(こんじき)のような色に。

 

手にしているのは、日本刀というよりは『大和古剣』のような形の剣。

太古の邪馬台国で、神に捧げる剣・・・みたいなイメージ。

それを手にしている反対の左手には、

描かれた龍がよく手にしている玉『如意宝珠』を持っているイメージ。

その玉のエネルギーが、古剣に宿っているイメージで、彩色しました。

 

 

 

・・・日本のみならず、世界中が、戦争や流行り病で経済不況で・・・

そんな、全ての不吉なエネルギーを払拭するような

『破邪』のエネルギーを持った『龍人(龍神)』のイメージです。

この年賀状を受け取った人たちが、安全安心して暮らせますように・・・。

そんな想いをこめて描きました。

 

 

 

 

 

 

 

今年は、8月中に、

お互いの住所を知っている人たちへ

残暑見舞いを送ることが出来ました。

全部で、70枚ぐらいだったかな。

 

 

 

 

 

今年の絵柄は、『シンウルトラマン』!(笑)

 

映画『シンウルトラマン』の主題歌である、

米津玄師さんの歌『M八七』のPVを何度も見て描いたもの。
元々は、ウルトラマンの体型が、

体の構造を描くのに適していて練習がてら描いていたものを

残暑見舞い用にアレンジしました。

背景に花火を配置しただけで、ぐっと夏っぽくなるよね。

 

なぜ、ウルトラマン?っていう理由としては、

上記以外に・・・今年の夏が酷暑すぎていたのもあるし、

いろんな物価が高くなって経済的にもつらいことばかりで、

「元『氣』」をなくしちゃいますよね・・・(;'∀')

こんな時、だれか『強い味方』みたいな存在がいてくれたら・・・

このツラい状況でも、乗り越えて行けるかもしれない・・・。

この残暑見舞いを受け取ってくれた人たちの心に、

ほんの少しでも、現状の苦難を乗り越えて行けるような

活氣、勇氣、元氣、心の支え、そういうチカラを、

ほんのちょっとでも感じてもらえたらいいな、と。

 

そういう想いで、描きました。

 

印刷は、まぁまぁいい彩色の表現になったけど、

実際のパソコンで描いたイラストは、もう少し

細かい光と影の表現ができていたんですけどね(汗)

印刷しちゃうと、そういうところがボヤっとしちゃうから

「試行錯誤して描いたのになぁ(汗)」って感じ(^_^;)

 

でも、現在、残暑見舞いを受け取ってくれた人たちから、

SNSでお返事や近況を伝えてくれたり、

メールでお返事くれたり、数名の方々から

残暑見舞いのお返しのお葉書が届いたりして。

もちろん、俺が勝手に送りつけているだけのことで、

返信は強制ではないし、強要もしてないけど、

こうして、「こっちも元氣だよー」ってお返事がくると、

やっぱり嬉しくて。

そして、元氣を与えたいって送ったのに、

逆に元氣をもらったりして。

 

やっぱり、俺は『ご縁』というものを大切にしたい。

俺には『ご縁』が何よりの、心の支えなんだなと、

改めて感じております。

(そのわりには、なかなか積極的に出会いを求めないんだけど(汗))

 

 

 

また来年も、平和な日本でいられたら、

残暑見舞いを描きたいなと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

AI絵師は「描いた」じゃなくて「出力した」だよね?と言及した絵師に対して、

AI絵師がなぜか上から目線で反論してるツイートを見た…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よくそんな自信もって「描いてる」って言えるなぁと。

言及した人の言う通りだろう。

他人の絵を無断で学習させて出力した作品で、よくそんな自信もてるね(汗)

「心で描いてます」って反論、おかし過ぎる(汗)

 

なんていうか・・・

自分で創作して描いている人と、同じ実力だと勘違いできるってすごいな。 

マラソンで、自分の足で走って到着してる人と、

自動運転の車に乗って到着してる人が、同じ実力なわけないやん(汗)

 

もう絵師って名乗らないでほしい。AI利用者ってだけだろ。

AIがすごいのは認めてる。

でも、それを使わないと作品を出力できないやつに絵の才能があるとは思えない。

むしろ、AIのチカラを借りないと出力できないのなら、

自分で創造して、自分の手で描き上げている絵師を敬えよ(汗)

 

 

まぁ、俺としては、

そもそも『絵師』という言葉も好きじゃない(個人の感想)。

『医師』や『薬剤師』、『鍛冶師』など、

『師』という言葉を使っている職業は、人に何かを教える資格がある。

独自の画風で、誰にも真似できない作品を描ける実力のある人は、

たしかにスゴイとは思うけど、その技術を継承できないのなら、

誰にも教えるつもりが無いのなら、『絵師』だと名乗らないでほしい。

 

とにかく、AI利用者は一般人と同じというのが俺の意見だ。

自分の手で描きたいと思わないなら、作家ではない。

 

 

 

 

 

 

去年、毎年恒例の残暑見舞いを出せなかったけど、

そんな遅筆の俺へ暑中見舞いをくれた人たちがいた。

その人たちのためだけに、クリスマスカードのイラストを描いた。

そして、そのイラストと対になる年賀状のイラストも描いた。

 

2枚合わせると、ひとつのイラストになるように。

 

 

 

 

(左が、年賀状のイラスト。右が、クリスマスカードの下書き。)

 

クリスマスカードのほうは、

暑中見舞いをくれた方々だけのイラストなので下書きのみ、ご紹介。

 

クリスマスは、サンタガール。

年賀状の方は、『卯年』ということでバニーガール・・・。

そのまんまバニーガールの格好だと、

元旦早々、少々ハレンチになっちゃうので(-_-;)

バニーガールの衣装を、チャイナドレスと掛け合わせた

オリジナルのバニーガール衣装(笑)

ウサギのお面を被らせて、なんとか「ウサギ」らしさをアピール。

 

持っているデッサン用のフィギュアが

巨乳タイプなので、ついつい巨乳になりがち(汗)

今度は、スラっとした嫁ちゃん体型のフィギュアを・・・(オイッ)

 

 

 

 

 

 

今年2月、

『きゅうみず接骨院』さんからイラストのご依頼を受けました。

以前から、何度かイラストのご依頼を受けていて、

今回、久々に連絡をもらったものだから、

本当に嬉しかったです(^_^)

 

ご依頼のイラストは、ご自身の院内のポスターや

ホームページに使われる挿し絵用のイラストでした。

 

完成したものを画像データでお届けして、

久水(きゅうみず)さんがご自分で加工したり、

WEB製作会社へご依頼されたり。

 

実際にイラストを使用されている写真を

送って見せてくれました。

 

 

俺は、ほんわかしたイラストしか描いてないけど、

こういうふうに使われてると、かっこいいですね!

 

ホームページでも活用されてます。↓

https://www.kyumizu.com/

 

そんな、きゅうみず接骨院さんのインスタはこちら↓

https://www.instagram.com/qbalance/?hl=ja

 

facebookも↓

 

 

 

 

昔描いた似顔絵を、今でも活用されていて、

本当に嬉しいし、描いてよかったって思います。

 

今回も、ありがとうございました!(^_^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅療養中にアマプラで「ザ・マスクド・シンガー」を見てたけど、

すっかり子供たちもハマって、嫁ちゃんが戻ってきてからは家族で見てた。

 

誰が歌っているかを推理するのが楽しいし、どのマスクたちも歌声がすごい。

 

そして、何よりも重要なことだが、

最初に登場する司会の大泉洋がカッコ良すぎる!

 

 

 

 

 

「我利我利亡者(がりがりもうじゃ)」

 

こんな言葉、聞いたことないから、

造語だろ?って思ったら、ふつうに辞典にあるらしい(汗)

それも明治以降からある言葉だってさ。びっくりした。

 

 

 

 

まぁ、最近は、そうそう俺の前に現れなくなったけど、

やっぱり世の中には、いるんだよね・・・。

 

相手「絵を描いてほしいです!」

 

俺「ご予算は?」

 

相手「・・・。」(無言のまま立ち去る)

 

みたいなね(汗)

 

下手に「知り合い」という間柄の人たちこそ、

「タダで描いて!」と言ってくることがある(汗)

もちろんお断りするけど。

 

タダで絵を描いて欲しい人って、お金出したくない人なんですよね。

なのに、断られたら捨て台詞のように「ケチ」って言われるんだけど

「どっちが!?」ってツッコミたくなる(汗)

 

俺に「タダで描いて」ってお願いする行為は、

俺が「絵は描かないけどお金ください」って

その人にお願いするのと同じことなんだけどな(汗)

 

 

 

やっぱり「絵なんて」と思っている人がいるんだよね。

「絵なんて1歳児でも描ける」。

それは、真実だ。

なんだったら、動物にも描けるし、最近ではAIでも描ける。

もちろん、絵のレベルやタッチはそれぞれ違うんだけど。

 

近年、絵がうまい人たちが、ネットの世界に溢れかえっている。

 

プロだけじゃなく、アマの人たちもいる。

プロ顔負けに、うまい人たちが「趣味で」描いているんだから、

プロの人たちは、たまったもんじゃない。

そういう人たちがネットで

「リクエストありますか? タダで描きますよ?」って

趣味の延長とばかりに、無料で描いちゃってるんだよね(汗)

そうなると、そのアマより絵のレベルが低いプロたちを

「そのレベルで、金とってるの?」

「それでプロなの?」

という目で見られるようになっている、現状・・・。

twitterでも

「だれかタダで絵を描いてくれ」ってツイートに対して、

普通に、うまい絵を描くアマがホイホイと描いてあげちゃってる(汗)

 

だから、絵の価値が、人それぞれ違ってくる。

タダですごい絵を手に入れられる人にとって、

絵は、タダ以上の価値を持っていない。

 

「そいつらより絵が下手なお前が悪い」と

言われるのも仕方ないけど、

ぶっちゃけ、絵がうまくなくてもプロにはなれる・・・(汗)

うまいアマたちがプロにならないのは、

本当に、そういう気が無いだけか、自信がないだけか、

いろいろ事情や考えがあってのことだ。

だからって、

「うまい人たちがプロを名乗ってないんだから、

下手なお前はプロを名乗るな」

という理屈は、おかしい。

 

ほかのプロの人たちが、

どういう考えでプロを名乗っているか分からないし、

アマの人たちが、

どういう考えでプロにならないのかは知らん。

 

でも、俺は・・・俺のことは俺が決める。

俺の夢は、俺が叶える。

異を唱える人たちは去ってくれて構わない。

応援する人たちだけ残ればいい。

そして、応援する人たちを増やしていくために、

俺は、誰かと比べるのではなく、

自分自身に負けないように、精進していく。

もっと絵を描きたいし、もっとうまくなりたいから。

 

 

 

 

 

 

さて、唐突だけど・・・

 

すべての人には、「好き」と「嫌い」がある。

それが「好み」というものだ。

 

『食べ物』で考えてみたら、一番分かりやすい。

 

『ある食べ物』があったとして、

「大好き!毎日でも食べられる!」という人もいれば、

「俺の前で、それを食べるな!見るだけでも吐きそう!」という人もいる。

中には

「好きでも嫌いでもない。」という人もいるし、

「好きでも嫌いでもないけれど、行列に並んでまで食べたいとは思わない。」

「嫌いじゃないけど、今日は、そういう気分じゃない。」

という人もいる。

 

千差万別。個人の好み。

『個性』といってもいい。

 

しかし、『ある食べ物』を、誰かが「大嫌い」だったとしても、

その『ある食べ物』には、何の罪もない。

「存在自体が悪である!」と言う人もいるだろうが、

それは、個人の『好み』であり、個人の意見だ。

万人が、それを『悪』と思わなければならないことはない。

「そうか、キミはこれが嫌いなのか。僕は、これが好きだけどね。」で、おしまい。

それでいい。それがいい。

 

「みんな違って、みんないい。」とは、このことだ。

 

たとえば・・・俺は、『納豆』が大嫌いだ。

目の前で食べられるのも苦痛だ。あの臭いで吐き気がする。

しかし、『納豆』自体が、「悪」だとは思っていない。

『納豆』には、とても豊富な栄養素を含んでいる。

だから、人間の体に良い食べ物なのだ。

しかし、俺は嫌いなのだ。食べたくない。

それだけのことだ。

俺の家族は、俺の目の前で、食べている。

でも、俺は、別にそれに対して怒ることも嫌悪することもない。

「俺は食べないけど、食べたいなら、どうぞ、ご自由に。」

それでいい。それがいい。

 

無理に、食べることを阻止することもなく、

無理に、食べることを強要されることもない。

個人の自由。

お互いの自由を尊重している。

 

それが、全人類、共存して生きていくのに、

とても大切な『考え方』なんだと、

俺、個人はそう思っている。

 

「大嫌いだから、この世界から抹殺しなければならない。」

というのは、ワガママであり、

「俺の好みは俺のモノ。お前の好みも俺のモノ。」では、

個人の自由を尊重し合えないし、

この世界は、多くの人たちが住みにくい世界になってしまうだろう。

 

 

 

・・・以上を踏まえて・・・

 

 

 

俺の作品を見て、俺のことを嫌いになった人がいる。

 

まず、『アート』は、なんでもありの世界。

中には、攻撃的な内容を表現した作品もあるだろう。

誰かを批判するような、卑下するような、風刺を切るような、

そんな作品も、大昔から、世界中にある。

 

でも、俺の作品は、誰かを攻撃するような作品作りをしていない。

誰かを傷つけるような、誰かを怒らせるような、誰かを悲しませるような、

そんな作品は、今のところ、生み出したことがない。

 

・・・でも、『アート作品』というのは、

見る者、受け取る者によって、

どうとでも受け取ることができてしまうものだ。

作者本人の意思とは関係なく、「皮肉か!」と受け取る人もいれば、

「悪意を感じる!」と受け取る人もいるだろう。

 

でも、それも、個人の自由だ。個人の好みだ。

個人の感じ方、個人の受け取り方、個人の解釈の仕方、

それらは「こう感じるべきだ」なんて、言えない。

その作品を作った作者であっても、

見る者の感想は、捻じ曲げることはできないし、

そんなことをしてはいけない。

 

お互いの自由を尊重し合わなければならない。

「キミはそう感じるんだね。俺はそう感じないけど。」で、おしまい。

 

『食べ物』の好みと同じだ。

 

その食べ物自体に、悪意はない。

その食べ物を作った農家さんに、悪意があるはずがない。

愛情たっぷり、時間と手間暇をたっぷりかけて、

精魂込めて作った、食べ物だ。

 

『アート作品』も、同じ。

作品自体に、悪意はない。

作者に悪意があるはずがない。

たっぷり時間と手間暇をかけて、描いたんだ。

 

作者にも、作品にも、何の罪もない。

あるわけがない。

それが罪に問われるならば、誰もが、おいそれと作品を作れなくなる。

 

 

 

俺は、繋がってくれている『ご縁』に対して、

感謝を込めて、残暑見舞いと年賀状を、毎年、贈っている。

そのためのイラストを描いている。

お金のためではないし、媚びているわけでもない。

 

その作品に込めているのは、『感謝』だ。

 

俺もヒマなわけじゃない。

それでも毎年「これだけは描きたい。伝えたい。」という想いがあって

イラストと、メッセージを書き添えて、贈らせてもらっている。

 

相手に楽しんでもらえるように。俺自身も楽しんでいる。

ハガキを受け取った時に、一瞬でも、クスっと笑ってもらえたらいいな。

思わず笑顔になって、一瞬でも、嫌なことを忘れたり、

元気になってもらえたらいいな。癒しになれればいいな。

そんな想いで、贈っていたんだけど、・・・ね。

 

 

 

まさか、嫌われるとは思ってもみなかったな(汗)

怒りと嫌悪を感じる、お返事メッセージをもらった時には、

頭をガツンと殴られた気がした・・・。

 

なるべく冷静に、返信してみたけど、俺は泣きそうだった。

 

楽しんでもらえたら、それでよかったのに。

こんなに時間かけて、想いを込めたつもりだったのに。

 

でも、それこそ、『食べ物の好み』と同じなんだ。

他人の感想を、作者の思い通りに、捻じ曲げることはできない。

俺の作品は・・・相手の口に合わなかっただけのことなんだ。

・・・そう思うしかない(汗)

 

 

 

話が長くなったが、そんなわけで。

 

俺が、自分勝手に『ご縁』を感じて、

自分勝手に『感謝』を込めて、作品を描き、

それを残暑見舞い、年賀状として贈っているわけだけど・・・

 

もし、それ自体が「イヤだな」と感じておられるなら、

そんなふうに、お伝えください。

俺は、俺の作品を楽しんでくれる人にだけ、贈りたいので。

受け取るたびに、嫌悪されるのは、俺にとっても望んでいないことなので。

 

それは、きっと『食べ物』で例えるなら、

俺に対して、夏と年始に『納豆』を贈りつけられていることに値するわけで(汗)

それは、嫌悪するよね・・・(汗)

 

 

 

ちなみに、年末、

俺と『ご縁』で繋がってくれているみんなに贈ったのは、

こんなイラストの年賀状だ。

 

(一部のみ公開。)

 

少しでも「ふふっ」と笑ってくれたら、ありがたい。

笑う門には福来る。

なかなか終わらないコロナ禍で、

未来に不安が多い世の中だけど、

『ご縁』で繋がっている方々には、元気に、

いっしょに、がんばっていきたいと願っている。

 

それと、俺は相手に嫌われても、俺は相手を嫌いにはなれない。

「問題は、問題視している人の目の前にしかない」んだから、

相手には俺を嫌う理由があっても、俺には相手を嫌う理由がない。

 

しかし、嫌われていると分かっているのに、

こちらから接触したり、連絡を取ったり、イラストを贈ったり・・・

そんなことはしない。

相手の気持ちが分かっているうえで、それらをするのは、

もう「いやがらせ」でしかなくなるから・・・。

それは、俺のやりたいことではない。

 

俺の望んでいたことではない。

 

だから・・・嫌われたら、ご縁を切って、

相手の人生、相手の世界から、身を引いて、消えるしかない。

関わらなければ、存在していないのと同じだから。

 

 

 

今まで、ありがとう。

ご縁が切れても、嫌われても、俺は、

あなたの幸せを勝手に願っています。

さようなら。