人は
無理やり 何か しようとしても
長続きはしない
やるべきことを
毎日の習慣の一部にしてしまう。
ある時、オハイオ洲で
警官がUFOを目撃しました。
もし警官だったら
あるいはパイロットだったら
あるいは軍人だったら
自分の証言は
もっと重用視されるんじゃないか…
と思っている人もいるかもしれません。
でも証言というのは
誰が言ったかに関わらず
いつでも信用に欠けるものです。
なぜならば、我々は全員人間ですから。
そのオハイオ洲の警官は
空で不規則に動く光を追跡しました。
後からその警官が見たのは金星で
彼が走行していた道は
くねくねと蛇行していたという事が
分かりました。
かれは金星に気を取られすぎていて
自分自身の車が不規則に動いている
ことにも気づいていなかったのです。
何か不思議な体験をした時
ましてや、その体験を説明したい時には
人間の感覚器官が
いかにあやふやかを
思い出すようにしたいです
2012年5月8日 15:00 (ギズモード・ジャパン)
「もしもUFOに誘拐されたら
どうやって信じてもらえばいいの?」
より抜粋しました。
たった1人の同僚がラボにやってきて
「聞いて聞いて、信じてくれる?」
と言った瞬間
僕は
「帰って、証言以外の
何か証拠になるものを
持って来て。」と言います。
人間の知覚は完璧ではありません。
認めたくないことではありますが
しかし真実です。
例えば錯視などを考えてみましょう。
すごく面白いものですけれど
あれは「脳のエラー」とでも
呼ぶべき現象です。
ここで知覚にどういったエラーが
起きているのでしょうか。
ちょっと工夫がある絵を見ると
人間の脳は何が起きているのか
理解することはできません。
私達はデータを精査する
器官を持っていません。
だから科学があるんです。
だから機械があるんです。
機械は北枕も気にしませんし
配偶者がこういったと
喧嘩することもありませんし
カフェインの有無も関係ありません。
機械は感情を持たず
データを蓄積しています。
それが存在意義です。
もし宇宙人を見たという事を
納得させたいのなら
目撃証言だけではダメです。
最近では写真もダメです。
PhotoshopにはUFOボタンが
付いているようなものですからね。
別に証言がウソだと
言っているわけではありません。
ただ証言だけでは信じるに足る証拠とは
言えないと主張しているだけです。
これはどんな科学者だって
主張するはずです
だから、空飛ぶ円盤に誘拐されたら
こうしてください。
UFOに誘拐された
あなたは、平らな所に寝かされて
血を採られたり
色々検査されるでしょう。
そうしたら
「ねぇ、あれ見て!」と叫びます
エイリアンがその方向を見たら
その隙に灰皿かなんかを
こっそりポケットに入れてしまいます。
それをラボに持ってきてくれたら
それは有力な証拠です。
銀河を運航する空飛ぶ円盤から
持ってきた物体なんて興味惹かれます。
もし人類が 銀河を自由に
航行できるような
テクノロジーが手に入ったら
UFOや地球外生命体を探す人も
出てくると思います。
いいアイディアです。頑張って。
止めはしません。
でも見つけたら証拠を取ってくるのを
忘れないようにしてください。
趣味で天体観測をしている人は
沢山、空を見上げています。
でも天体観測者によるUFOの目撃証言が
普通の人の証言数より多い
という事はありません。
むしろ天体観測している人の
証言数の方が少ないです。
どうしてでしょうか。
それは、空で起こる自然現象を
きちんと知っているからです。
人間の認知には
どうしようもないような弱さがあります。
心理学者はこれを「無知に訴える論証」
と呼んでいます。
これはどういうモノでしょうか。
例えば
空でピカピカしている光を見たとします。
それが今までに見た事もないような光で
一体全体何だか分からなかったとします。
あなたはきっと「UFOだ!」と思うでしょう。
Uは未確認(unidentified)を
意味しているわけですから間違っていません。
でも、それから「何だか分からないけど
おそらく宇宙からきたエイリアンだ。」と
言ったとします。
これが「無知に訴える論証」です。
それが何だか分かっていない時には
解釈を止めるべきです。
分からない時に、分からない物を
Aだ、Bだ、Cだ、などと判断するのは
無知から発生した、実りのない議論で
あってナンセンスです。
でも人というものは
ついついこういう事をやってしまいます。
無知と対峙することは居心地が悪いもので
とりあえず答えを探したいという欲求が
あるものなのです。
あなたがそういう欲求に忠実で、知らないものを知らない状態のままにしておくと背中がむずむずするタイプなら、科学者にはなれません。
科学者とは分かっている事と
分からないものの間で
生活している人のことです。
科学者の実態はジャーナリストが
表現するのとは大きく違います。
多くの記事が
「今こそ、科学者は
構想段階に戻る必要がある。」
という文言で始まります。
まるで、科学者が
オフィスで足を投げ出して座っていて
「わぉ、○○が××を発見したぞ。」
と言っているかのようにです。
しかし、そうではありません。
科学者は常に構想段階にいるのです。
そうでなければ新しい発見はできません。
でも一般的には
科学は今まで知られていなかったことに
さくっと決定的な説明をつけて
真実を描いていると思われています。
心理学の研究だけでなく
科学史を見てみても証言は
最もあてにならないという事が分かります。
恐ろしいことに、これが法廷では
かなり重用視されていますけれど。
分かりやすいように
伝言ゲームを考えてみましょう。
全員が列に並び、最初の人がお題を聞き
次の人にそれを伝えます。
次の人はまた次の人に伝え
それを延々とやって最後の人までいきます
そうやって最後の人の所まで伝わった話は
最初と全然違っているはずです。
これは、情報の伝達が証言によって
行われているからです。
だから実際に空飛ぶ円盤を見たかどうかは
関係ありません。
科学の世界ではエイリアンについてにしろ
それよりも議論の余地が
ないような事であっても
そして証言者が
僕にとってたった1人の同僚だったとしても
証言だけで信用することはできません。














