目の前に
山頂に続く一本の道がある。



この4年間
駆け上がってきた夢への道が
徐々に細く白い線となって
上に続いていた。



ここを登らなければ
山頂にはたどり着けない。

マナスル登頂





だがこの強風の中で突き進めば
帰って来られなくなるのはわかっていた。



生きるのか、登りそして終わるのか。


僕は生き続けることを選んだ。



4年間の苦しみと様々な想い
そしてたくさんの人の応援。


夢を共有して
今までになかったエベレストの頂。

僕にとって、この頂は全てであった。




成功よりも登頂よりも
大切なのは命であり、生き続けること。


勝っても負けても、生き続けること。
成功しても失敗しても、生き続けること。



午前6:30
「風が強く、これ以上は危険と
判断しました。ごめんなさい。」と
凍った無線機でベースキャンプに告げた。




生きると決めてから、この強風の中
なんとしても下山をしなければならない。

山は登った分、下りがある。




すでに両手両足の感覚は
無くなっていたが
今までの登山での感覚とは違い
両手の動きが硬く明らかに
凍傷の兆候があった。



急いで酸素の濃い標高まで
下山しなければいけない。


凍傷は時間との闘い。
下山を急ごうとするが、先ほどの龍が
まだ居座っていて僕を帰そうとはしない。


強風で身体を前に出せない。

だが向こうの息は長く続かず
弱まった隙をみて進み、強まると
身体を飛ばされないよう
斜面にしがみつく。



まるで「だるまさんが転んだ」のようだ。

前に進み、しがみつき、もがき苦しむ。

トラバース地点まで下山してきた時に
ようやく風が少し落ち着いてきた。


気が付くと
僕を飲み込もうとしていた龍から
逃れることができた。

太陽のまぶしい光が全身に当たる。


だが両手両足が温まることはなかった。

この両手で、C3(7200m)からC2(6400m)への雪壁を
下山するのは困難だろう。


無線で、ベースキャンプに救助を求めた。
標高6400mのC2に
撮影班をサポートするための
シェルパがおり、7300mの西稜下での
合流を求めた。


しかし、彼らがすぐに上部まで
上がって来ることはできない。



彼らは元々  救助をする予定はない。

必要な長さのロープはなく、またC3(7200m)に向けた
クロワールへの直登はブルーアイスが
あり危険だった

無事にC4(7500m)に着くが
生きた心地がしなかった。





両手はすでに真っ白になり
血が通っていない。


動きもさらに硬くなり
石のように手が動かなくなってきた。

水分補給もできないテントの中
身体を丸くして呼吸に集中する。

生きることは、まさに息をすること



続く
10月18日午前4:53。

あまりの風の強さに、思うように前に進めない。

徐々に南東の方に 太陽が出てきているのを
感じたが、北壁に太陽が当たるのは昼過ぎで
今はまだ暗闇の中での登攀だった。


ダウラギリ登山の動画です





風は強風からいきなりの突風に変わり
身体が後から前に突き飛ばされた。

もしこの突風が前からきていたら
僕は背中と頭が山の下を向き
そのまま滑落していただろう。


ドンッと大きな男に後から突き飛ばされる。
これは風ではなく、まるで塊のようだった。
陽が出てくるとさらに風が強くなり
風で吹き飛ばされる雪や氷が見えていた。
うなる巨大な龍は、もう目の前にいた。


大きな一つの風の塊が当たると
一気に騎兵隊のように横に広がり
列が揃うと下から上にものすごい勢いで
飛んできた。

風で飛ばされてくる小石や氷が顔に当たり
目が開けられない。




そしてまた山の方を向くと
ドンッと突き飛ばされ、僕の身体が一瞬浮いた。

このままでは、この龍に食べられてしまう。
ホーンバイン・クロワールの入り口は
もう目の前にあり
真四角の大きな岩の下に
身を寄せた。



それでもこの龍から逃げることはできない。


岩の下の小さなくぼみに
身体をねじ込ませようとするが
龍の鋭い爪が僕を外に掻き出そうとする。


気が付くと、その岩からロープが
ダブルになって垂れ下がっていた。

このロープは、恐らく春に挑戦した
アメリカ隊のロープだろう。



ホーンバイン・クロワールは
1963年にアメリカ隊が
初登頂に成功したルート。



確かに ここを登って行った人がいたのだ



そのロープのある岩から
左に大きな岩の溝があり
それがホーンバイン・クロワールの
入り口だった。


クロワールの中にも風が入り込み
ゴーという音とともに大小の龍が
複雑な動きをしていた。

標高は8000mを越えているが、体調は悪くない。
息苦しさを感じることもなく
身体の中で燃えている火も消えることはない。


だがこの風の中で先に進めば
帰って来ることはないだろう。






予報では強風はこれからさらに強くなり
風速40m/sを越えていく。




生きることは、決して簡単なことではない。

息をして、目を開き、足を前に出して
一瞬一瞬の今を生きること。

その尊さ、そして難しさを
僕は風の吹き荒れる秋季エベレスト
高度8000m地点で感じていた。






山を登ることは
それほど難しくはない。
山に登り続けること
そして生き続けることが難しい。


頂に登ることができても
また頂に向かうだけ。


ダウラギリ登山の動画です




ずっと僕はその頂の先にある世界を目指し
誰も登ったことのない自分の山を
登り続けていた。

その山はマッキンリーから始まり
8000m峰三座を登り、秋季エベレストと
まるで山脈のように長い縦走。


振り返ると、ずいぶん高い所までやってきた。

その遥かなる頂は、それほど遠くなく
あと少しで到達できるかもしれない。




2012年秋季エベレスト西稜。
未だに忘れることはなく、登り続けている山。




10月17日、標高7500mのキャンプ4。
テントの入り口から、目の前にエベレスト西稜が鋭くそびえ立っていた。

SpO2(血中酸素濃度)は53と低く、心臓の鼓動がずっと高鳴っている。

稜線から見える景色は、北側はチベット高原が地平線奥まで広がり、赤茶色の砂と山が北を覆っていた。

ネパール側は
真っ白なクーンブ氷河と神々の頂。

エベレストの稜線を挟んで
南北まるで陰と陽に別々の世界が混じり合っていた。時折、地吹雪でテントがあおられる。沈みかけていく太陽。



今日の夜7:30に
アタックをすることに決めていた。




標高7200m以上で3日間
風が止み登れるチャンスを待ち続けていた。

エベレストは通常、春に登る登山隊が多い。
僕は人が多い時期を避け、生身のエベレストを感じるために「秋季」という時期に挑み続けた。



だが秋季エベレストの登頂率は
春に比べるとかなり低く
挑戦する登山隊も少ない。


秋季エベレストの一番の厳しさは
「ジェットストリーム」という猛烈な風と寒気。



それが長くて2週間も山に居座り続ける。
外見は快晴だが、強風が山に当たり
張り付く雪を高く舞い上げていく。

複雑で巨大に動く風は、まるで龍のようだった。





2日前に屈強なポーランド隊が
ローツェにアタックしたが
シェルパ2人がこの強風に飛ばされて滑落。
1人が1000m以上も滑落して死亡し
もう1人は重傷。





サウスコルの上部が目の前に見え
いつもなら雪で真っ白だが
今は強風で雪が飛ばされ
真っ黒い岩の地肌が見えていた。



日本の山岳気象予報士とベースキャンプを
通じて連絡を取り合い
このジェットストリームの中での
アタックを探っていた。



秋季エベレストを単独・無酸素で登るには
針に糸を通すようなタイミングと運が
必要とされる。


2010年・2011年は
このジェットストリームを前に下山を決めた。

2009年は、天候ではなく
中国の国慶節60周年で登山期間が短縮され
無理なスケジュールの中での強行アタックだった。


この秋季エベレストは
体力や根性だけで登れる世界ではない。

まさに山の神様からの手招きが必要とされる。
今まで秋季エベレストは
僕にスタートラインにさえ
立たせてくれなかった気がする。

だが今、僕は西稜にいてエベレストと
向き合っている。


予報ではジェットストリームが
比較的弱まる16-17日以外は
もうチャンスはない。

8000m付近で風速20m/sの予測で
これを過ぎると30-40m/sになってしまう。

心は迷ってはいなかった。

自然と身体が山と向き合いたがっていた。
太陽が沈むにつれて
テントの中は真っ暗なクレバスの中に
いるかのような寒気が身体を覆い
僕は手足を動かし続けていた。


午後6:00 SpO2 54、脈107。
順応がうまくいっているのか
脈は高くても一定を保っており
息苦しさは感じない。
テントの中で食事を済ませて
アタックの準備をしていく。




食欲は、過去の登山と比べても最もあった。
まるで子供の頃に初めて行く遊園地のように
心では不安よりもワクワクが勝っていた。



太陽が沈み闇に包まれた午後7:17
「頂上で会いましょう」と
ベースキャンプに無線で出発を伝える。


いつもなら気持ちが高ぶってしまうのだが
意外と冷静で高まる気持ちを抑えて
無駄な力を使わないようにする。



ここから先はいかに自分を「無」にし
無駄な酸素とエネルギーを消費せず
足を前に出せるか。



不安も恐怖も全てはエネルギーであり
「登る」という一つの行為だけに
良いものも悪いものも
あらゆるエネルギー全てを一歩に集中させる。



新月になったばかりのエベレストは
今まで体験したことのない寒気と暗闇だった。





昨年は満月の光が当たり
月の温かい温度を感じていたが
今年は月が現れることはなく
頭上を見上げると星々が
会話をするかのように輝いていた。

その星々に、どんどん近づいていく。

まさに
ここは宇宙に一番近い場所であり
そして死に近い場所だった。



C4(7500m)から北壁に向けての
トラバース(横移動)は、順調だった。

暗闇の中でも方向を見失うことなく
岩と雪の斜面を階段のように
徐々に高度を上げながら
北壁に近づいていく



時折、ポケットの中から
チョコレートやパワーバーを取り出すが
レンガのように固く、歯が欠けてしまうかと
思うほどだ。



特注の分厚いミトン(手袋)の中に
ホッカイロを入れていたが
既に暖かさは消えていた。

トラバースからホーンバイン・クロワールの
入り口に向けて、直登していく。

クロワールに向けての方角は
合っているものの
周りが暗過ぎて本当にルートが
合っているのか
時々不安になる。


見下ろすと
2009年に登った北側のノースコルが近く見え
僕はエベレストのど真ん中にいた。






風はどんどん強くなり
耐えているだけで身体から体温が奪われていく。



続く…



人は


無理やり 何か しようとしても

長続きはしない



やるべきことを

毎日の習慣の一部にしてしまう。



例えば、朝起きて
歯を磨くように

朝起きたら 
散歩する。
30分本を読む。




1日を確認しながら瞑想する。

などなど。

毎日できることを決めて
それが日課、ルーティンにする。














ある時、オハイオ洲で

警官がUFOを目撃しました。


もし警官だったら

あるいはパイロットだったら

あるいは軍人だったら

自分の証言は

もっと重用視されるんじゃないか…

と思っている人もいるかもしれません。





 

でも証言というのは

誰が言ったかに関わらず

いつでも信用に欠けるものです。

なぜならば、我々は全員人間ですから。

 



そのオハイオ洲の警官は

空で不規則に動く光を追跡しました。

後からその警官が見たのは金星で

彼が走行していた道は

くねくねと蛇行していたという事が

分かりました。






かれは金星に気を取られすぎていて

自分自身の車が不規則に動いている

ことにも気づいていなかったのです。


何か不思議な体験をした時

ましてや、その体験を説明したい時には

人間の感覚器官が

いかにあやふやかを

思い出すようにしたいです

 


2012年5月8日 15:00 (ギズモード・ジャパン)



「もしもUFOに誘拐されたら

どうやって信じてもらえばいいの?」


より抜粋しました。


たった1人の同僚がラボにやってきて

「聞いて聞いて、信じてくれる?」

と言った瞬間


僕は


「帰って、証言以外の

何か証拠になるものを

持って来て。」と言います。


 


人間の知覚は完璧ではありません。

認めたくないことではありますが

しかし真実です。


例えば錯視などを考えてみましょう。

すごく面白いものですけれど

あれは「脳のエラー」とでも

呼ぶべき現象です。

 

 





ここで知覚にどういったエラーが

起きているのでしょうか。


ちょっと工夫がある絵を見ると

人間の脳は何が起きているのか

理解することはできません。


 

私達はデータを精査する

器官を持っていません。

だから科学があるんです。

だから機械があるんです。




機械は北枕も気にしませんし

配偶者がこういったと

喧嘩することもありませんし

カフェインの有無も関係ありません。


機械は感情を持たず

データを蓄積しています。


それが存在意義です。

 

 


もし宇宙人を見たという事を

納得させたいのなら

目撃証言だけではダメです。


最近では写真もダメです。


PhotoshopにはUFOボタンが

付いているようなものですからね。


 

 


別に証言がウソだと

言っているわけではありません。


ただ証言だけでは信じるに足る証拠とは

言えないと主張しているだけです。


これはどんな科学者だって

主張するはずです

 


だから、空飛ぶ円盤に誘拐されたら

こうしてください。

 


UFOに誘拐された

あなたは、平らな所に寝かされて

血を採られたり

色々検査されるでしょう。





そうしたら

「ねぇ、あれ見て!」と叫びます


エイリアンがその方向を見たら

その隙に灰皿かなんかを

こっそりポケットに入れてしまいます。


それをラボに持ってきてくれたら

それは有力な証拠です。





銀河を運航する空飛ぶ円盤から

持ってきた物体なんて興味惹かれます。


もし人類が 銀河を自由に

航行できるような

テクノロジーが手に入ったら


UFOや地球外生命体を探す人も

出てくると思います。


いいアイディアです。頑張って。

止めはしません。


でも見つけたら証拠を取ってくるのを

忘れないようにしてください。


 

 

 


趣味で天体観測をしている人は

沢山、空を見上げています。





でも天体観測者によるUFOの目撃証言が

普通の人の証言数より多い

という事はありません。


むしろ天体観測している人の

証言数の方が少ないです。

どうしてでしょうか。


それは、空で起こる自然現象を

きちんと知っているからです。


 

 


人間の認知には

どうしようもないような弱さがあります。


心理学者はこれを「無知に訴える論証」

と呼んでいます。

これはどういうモノでしょうか。


 

 


例えば

空でピカピカしている光を見たとします。


それが今までに見た事もないような光で

一体全体何だか分からなかったとします。


あなたはきっと「UFOだ!」と思うでしょう。


Uは未確認(unidentified)を

意味しているわけですから間違っていません。

 






でも、それから「何だか分からないけど

おそらく宇宙からきたエイリアンだ。」と

言ったとします。

 

これが「無知に訴える論証」です。

 

それが何だか分かっていない時には

解釈を止めるべきです。


分からない時に、分からない物を

Aだ、Bだ、Cだ、などと判断するのは

無知から発生した、実りのない議論で

あってナンセンスです。






 


でも人というものは

ついついこういう事をやってしまいます。

無知と対峙することは居心地が悪いもので

とりあえず答えを探したいという欲求が

あるものなのです。


あなたがそういう欲求に忠実で、知らないものを知らない状態のままにしておくと背中がむずむずするタイプなら、科学者にはなれません。

 

 




科学者とは分かっている事と

分からないものの間で

生活している人のことです。


科学者の実態はジャーナリストが

表現するのとは大きく違います。







多くの記事が

「今こそ、科学者は

構想段階に戻る必要がある。」

という文言で始まります。


まるで、科学者が

オフィスで足を投げ出して座っていて

「わぉ、○○が××を発見したぞ。」

と言っているかのようにです。

 

 


 

しかし、そうではありません。


科学者は常に構想段階にいるのです。

そうでなければ新しい発見はできません。




でも一般的には

科学は今まで知られていなかったことに

さくっと決定的な説明をつけて

真実を描いていると思われています。

 


 

心理学の研究だけでなく

科学史を見てみても証言は

最もあてにならないという事が分かります。


恐ろしいことに、これが法廷では

かなり重用視されていますけれど。


 


分かりやすいように

伝言ゲームを考えてみましょう。

 

全員が列に並び、最初の人がお題を聞き

次の人にそれを伝えます。

次の人はまた次の人に伝え

それを延々とやって最後の人までいきます

 

そうやって最後の人の所まで伝わった話は

最初と全然違っているはずです。


これは、情報の伝達が証言によって

行われているからです。


 


だから実際に空飛ぶ円盤を見たかどうかは

関係ありません。


科学の世界ではエイリアンについてにしろ

それよりも議論の余地が

ないような事であっても

そして証言者が

僕にとってたった1人の同僚だったとしても

証言だけで信用することはできません。

 





身内の死というのは

悲しい出来事だけど
何かを学ばせてくれるものでもある。



5月6日は
父 川根貞雄の命日です🙏





両親、姉、みんな元気に天国へ…


父の時は、正直 ホッとした。
姉の時は、本当に悲しかった。
母の時は、温もりの愛の感謝を頂いた…




血の繋がった身内はいない…




いつも 言われている気がする…



じゅん、自分に嘘はないか?
逃げてはいないか?



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

辛い時、悲しい時、しんどい時、
これを言われると…泣きそうになる




父さん ありがとうございます。感謝





桜満開 札幌の曇り空より…川根順史
技術職って

この時代もうそれほど技術の差がないと
思ってる人がいれば
何にも知らない、大間違い‼



もし僕がケーキ屋さんなら
ケーキ日本一のコンテストに出るだろう。

もし、僕がバーテンダーなら
コンテストに出るだろう。 

もし、僕がフランス料理屋なら
コンテストにチャレンジするだろう‼

もし、僕がネイリストなら…
もし…
 



 

どんな職業だろうが
僕なら NO1を目指す大会に出るだろう。
 

自ずと、そこからレベルの高い
真似のできない
オンリーワンが生まれるだろう。






技術の高さ、違いが
お客様には伝わるし

それこそが、お客様が
望んでいることだから。





カットコンテスト17回優勝
スタッフ89回優勝

僕は知っている。


       「なぜ?」

その専門では
誰からも認められる一流になりたい。



プロの審査員に
認められるものをやりたいから
トレーニングも、普通のサロンより
量も質も桁違いの上達する。

またそれがお客様のためになるから。





 
で、


技術で飛び抜けるには
技術の他に「」がなければ
一流にはなれない。


客数が多いなら、やっつけ仕事になるし
ただのこなすだけの仕事にならないように。
 


チャンピオンは知っている。

○細部にわたる気配り
○たゆまざるトレーニング



一流になれば、数が多くとも
「愛」の出し方
活かし方を知っているものだ。



現在は技術コンテストの審査員として
選手を 応援している。

それが学びにもなるから。


札幌 じゅん先生
 
 



東日本大震災の時の話です。


仮設住宅で、人々が、寒さで震えながら
夜を過ごしている時に
おにぎりを、待っている人は
不平不満ばかりで
イライラしている人が多かったそうです。
 



でも、その時、同じ状況でも
そういう境遇で、同じくらい苦しいのに

皆のために、率先して
おにぎりを、握っているオバちゃんたちは


冗談をいいながら、笑顔で
元気いっぱいだったそうです👏👏
 




これは、いかに日本人が
周囲を幸せにすることに
喜びを感じる魂かが
よくわかる話だと思います。
 
 

「何か小さいことでいいから
    周囲に提供すること」

このことから、人生は
ハッピーになっていく。
 
 
 

大事なこと‼️

「思考は、現実化する!」
というような
「自分の意識」が 起点の世界観は

どちらかというと
欧米式の ビジネスのやり方です。



日本人には、お陰さまで…
という、まずは相手の幸せから‼️