人間の認知には
どうしようもないような弱さがあります。
心理学者はこれを「無知に訴える論証」
と呼んでいます。
これはどういうモノでしょうか。
例えば
空でピカピカしている光を見たとします。
それが今までに見た事もないような光で
一体全体何だか分からなかったとします。
あなたはきっと「UFOだ!」と思うでしょう。
Uは未確認(unidentified)を
意味しているわけですから間違っていません。
でも、それから「何だか分からないけど
おそらく宇宙からきたエイリアンだ。」と
言ったとします。
これが「無知に訴える論証」です。
それが何だか分かっていない時には
解釈を止めるべきです。
分からない時に、分からない物を
Aだ、Bだ、Cだ、などと判断するのは
無知から発生した、実りのない議論で
あってナンセンスです。
でも人というものは
ついついこういう事をやってしまいます。
無知と対峙することは居心地が悪いもので
とりあえず答えを探したいという欲求が
あるものなのです。
あなたがそういう欲求に忠実で、知らないものを知らない状態のままにしておくと背中がむずむずするタイプなら、科学者にはなれません。
科学者とは分かっている事と
分からないものの間で
生活している人のことです。
科学者の実態はジャーナリストが
表現するのとは大きく違います。
多くの記事が
「今こそ、科学者は
構想段階に戻る必要がある。」
という文言で始まります。
まるで、科学者が
オフィスで足を投げ出して座っていて
「わぉ、○○が××を発見したぞ。」
と言っているかのようにです。
しかし、そうではありません。
科学者は常に構想段階にいるのです。
そうでなければ新しい発見はできません。
でも一般的には
科学は今まで知られていなかったことに
さくっと決定的な説明をつけて
真実を描いていると思われています。
心理学の研究だけでなく
科学史を見てみても証言は
最もあてにならないという事が分かります。
恐ろしいことに、これが法廷では
かなり重用視されていますけれど。
分かりやすいように
伝言ゲームを考えてみましょう。
全員が列に並び、最初の人がお題を聞き
次の人にそれを伝えます。
次の人はまた次の人に伝え
それを延々とやって最後の人までいきます
そうやって最後の人の所まで伝わった話は
最初と全然違っているはずです。
これは、情報の伝達が証言によって
行われているからです。
だから実際に空飛ぶ円盤を見たかどうかは
関係ありません。
科学の世界ではエイリアンについてにしろ
それよりも議論の余地が
ないような事であっても
そして証言者が
僕にとってたった1人の同僚だったとしても
証言だけで信用することはできません。