『山栗』
真夏が始まったばかり。我が家の庭も小さいながらの海開き。
しかし、山は秋の仕込みに入っている。確実にやってくる毎年の、その支度に追われているようだ。
里山には里山らしい実がなる。
千葉県は栗の産地としても有名で、赤ん坊の拳ぐらいある栗もある。東京の人であればその話に信じられないという顔をつくることだろう。
味もなかなかなのである。
また、田畑が続くその日当たりが少し悪そうな山に意外とうまい栗が点在する。
山栗だ。
「最近の若い者は○○だからなぁ」
そんな言葉をテレビでも、買い物に行くスーパーでも、電車の中でもよく耳にする。
都会にあればそうした話し振りは常套句なのであろうが、男はそれが気に入らなかった。
こんな田舎では若い者でも年寄りでも関係なく懸命に生きようとしている。
そうであって欲しいとさえ思う。
「自分が感じる今、その中で目にする若者」そういう視点でものを見る上のものが嫌なのである。
それはまるで、自分達が完結している態度を表しているように見えるからだ。
年下はすべて若者である。10代、20代を限定いていようがいまいが年下である。そしてその年下が生きている時代は間違いなくその言葉を発した人間も生きている時代である。過去の自分の時代ではないのだということを忘れてはいまいか。
山栗を明け暮れるまで捜し歩き、袋一杯に抱える姿を想像する男は最近のなどと言う贅沢な老後を考えてはいないのである。








