皆さまに読んでいただいておりました小説『弁天』を一旦削除しようかと思います。
まだ途中までしか読まれていない方にとっては非常に申し訳ないことと、私も心苦しい限りです。
かの小説家 三島由紀夫は 文章読本の中でこう記しております。
『自分の感覚を誠実に突き詰めないで、読者に対する阿り(おもねり)やいいかげんなリアリズムやいいかげんな想像力や、世間へほどほどのところで妥協した精神の上に書かれているので、醜悪な文章になるのであります。作家の個性が強化のように最高度にはっきされれば、それはそれなりに文章の完全な亀鑑となるのであります。 』
また前述でも
『私はこのような悪文のお手本を書いてみました。つまりこんな文章は鴎外の「水が来た」のたった一句とちがって現実の想像やら、心理やら、作者の勝手な解釈やら、読者への阿りやら、性的なくすぐりやら、いろいろなものでごちゃごちゃに塗りたくられています。これが古代の情景に対していつも時代物作家が、現代の感覚を持ち込もうとする過ちであります。彼等は古代の物語りのおそろしい簡潔さにたえられないで、現代の生活感覚でベタベタと塗りたくってしまいます。描写すればするほど古代支那の簡潔な物語りの、すっきりした輪郭は崩れ、たとえばその衣装を描写すればするほど、それはわれわれの感覚からかえって遠くなって、紙芝居のようになってしまいます。 』
としました。これだけでは何のことか、分からないと思います。
ようは、物を書くにあたり、もう少し修行をしてみることというのです。
エンターテイメントという娯楽小説を書き上げる私も、及ばずながらその執筆に固執したいと考えてしまうことは自然なことです。
もっとよいものを、皆さんが喜んでもらえるものをと邁進していきたいのですが、がむしゃらにいるだけでは良い結果にはならない。
そこで、新たな試みをしながらも、過去の作品を更に良い形でお届けしたいと思った次第です。
執着ばかりしていてはという意見も生まれそうですが、如何せん頭の弱いものの浅知恵ですのでどうか御勘弁願いたいと思っております。
本日7/9を持ちまして明日7/10には削除させていただきたいと思います。
勝手申し上げましてすみません。
筆者より