京都機械/一重丸京のすべて
(1939年~1970年)
KTC-4-1
【2023年6月3日 追記】
新たに複数のモデルを手に入れました。
海軍スパナを新たに2種。
刻印は『要』と『整』、汎用の一般整備要具??
裏に一重丸京。⇒ 詳細は、本文中のこちら。
さらに、不思議なコンビレンチ。
海軍向けっぽく見えるのですが、インチ仕様なので、戦後の官庁向け??
⇒ 詳細は、本文中のこちら。
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KTC商品群の中から、KTC前身である京都機械(株)の一重丸京を取り上げます。
戦前1939年から1970年12月までの30年間、日本を代表するスパナの変遷と、コンビレンチの解説です。
京都機械は染色機械の会社ですが、工具事業にも力を入れていました。
1939年からの零戦工具に始まり、戦後の一般販売を経て、航空自衛隊モデルまで、製品内容は多岐に渡っています。
京都機械/一重丸京はKTCとは別会社ですが、KTC創業者3名の出身母体です。
(京都機械の工具事業縮小に伴い、1950年にKTCが創業)
したがい、一重丸京と二重丸京/KTCは、ルーツは同じながら、しばらく競合する形になります。
ちなみに、一重丸京と二重丸京を総称して"丸京"と呼びます。
その"丸京"に関する情報が少ないことから、周辺状況などを見ながら解釈や推測することが多くなっています。
数少ない情報と、同じく数少ないながら私のコレクションを基にして"丸京"研究をしていると言っても良いかと思います。
そして、その結果をデーターとして残すためにこのブログを書いている次第です。
1.一覧表
2.戦後モデル(1945年~1970年)
① 凹帯パネル-1(JIS無し)
・京都機械(株)は、戦前から戦中にかけて軍用工具を生産していましたが、1945年の終戦後すぐに民間向け工具事業を再開させています。
・このモデル①が京都機械(株)/一重丸京の第一号商品と推測しています。
(但し、後述するKKKモデル⑥の方が先かもしれません)
・中央がへこんだ凹形状が両端まで帯状になっています。(凹帯パネルと呼ぶことにします)
・スパナヘッドは丸型です。
・外車修理に活用されたのかインチ版の方を多く見かけます。
②-1 凹帯パネル-2 /ミリサイズ with JIS
・JIS認証を取得したモデルです。
・スパナはJIS規格B4630にてスパナ形状と硬さで3種類に分類されています。
スパナ丸型強力級/Hard:H、丸型普通級/Normal:N、やり型/Spear:S
・上の写真モデルには"H"が表示されていますので、丸型の強力級であることが分かります。
・スパナのJIS認証を1954年10月に取得。(メガネとボックスレンチは翌年1955年9月に取得)
・ちなみに、同年に防衛庁ならびに3自衛隊が発足しています。
・JIS認証が制定された1952年以降、公的機関への納入にはJIS認証を求められる様になり、京都機械/一重丸京は防衛産業への納入がメイン事業となっている関係から、JIS認証を取得したものと思います。
"H"は強力形を指していることが専用ホルダーからも分かります。
②-2 凹帯パネル-2 with JIS/インチサイズ
・インチサイズです。
・JIS認証に規定されていないインチサイズながら、JISを取得出来ています。(訂正:初期のJISにはインチ規定がありました⇒詳細は『二重丸京のすべて』にて)
③ 凹帯パネル-3 /ちょっと尖り
・スパナヘッドがほんのちょっとだけとんがり始めました。
・ただし、JIS"H"の刻印が入っていますので、JIS規格上では丸型として認証されています。
④ 凹帯パネル-4 やり型 wit JIS-S / 品番T3A
・完全なやり型ヘッドになっています。(KTCよりも過激に尖っています)
・"S"マークが刻印されていて、JISやり型認証を受けていることが分かります。
・強力型とは異なりシンプルなデザインのホルダーになっています。
・京都機械(一重丸京)は70年ほど前の製品ですが、ケース付きの未使用新品が今でも手に入ります。
・コレクターにとっては嬉しい話ですが、工具商が70年間も死蔵在庫のまま抱えているのが日本の凄いところです。
・一重丸京のカタログは見たことがないので、ケースが手に入ると品番が分かるためコレクションの手助けになります。
・ケース表示からモデル④の品番はT3Aということが分かりました。
・箱のデザインが秀逸です。とても終戦直後のものとは思えず、今でも充分に通用します。
⑤ 凹帯パネル-5 with JIS-HS 強力級やり型
・1つ上のモデル④T3AはJIS-S(やり型)ですが、これはJIS-HSという表示なっています。
・モデル②-1で説明の通り、Hは強化級で、Sはやり型になっています。
・JISにHSという規格はありませんが、恐らく合わせ技でHS=強力級やり型という認可を特別に受けたものと推定します。(HSでの認可は一重丸京だけ)
・品番は確認出来ていません。
・やり型モデル④(JIS-S/23x26)との比較です。
・同じやり型ながら、④スパナ先端の尖り度合いが際立っています。
⑥ 凹帯パネル-6 with "K.K.K."
・凹帯パネルで"K.K.K."と刻印されたモデルが見つかっています。(インチサイズ)
・一重丸のロゴが確認出来ますので、一重丸京モデルのバリエーションです。
・"K.K.K."は京都/機械/株式会社の頭文字と推測します。
・戦争が終わり、工場が空襲を受けていなかった京都機械(場所:現イオン洛南店)は直ぐに生産販売を開始したようですが、その時の最初の生産販売がK.K.K.モデルだと推定しています。


*詳細はKTC-27『ゼロ戦スパナが戦後最初の一重丸京に』にて解説しています。
⑦ 凹帯パネル-7 / 畑屋製作所向けOEM
・1980年頃まで自転車用工具を生産販売していた畑屋製作所(本社:名古屋)にOEM供給されていた一重丸京スパナです。
・同一形状のモデルがKTC/二重丸京にもありますが、スパナ部の尖り形状より一重丸京モデルと思います。(KTC創業後の1953年畑屋カタログに掲載)
・畑屋スパナの詳細はこちらにて。
↑一重丸京との比較
↑名古屋畑屋1953年カタログより
↓6本セット用の販売スタンド(畑屋製作所の歴史展示室より/一般非公開)
⑧ 凹帯パネル-8 簡易型(ショート) / インチサイズ T-2B
モデル①に対し少し短いモデルで、『携帯用』との名称になっています。
↑ホルダーはT2-Bになっていますが、カタログはT-2Aになっています。
↑モデル⑧と⑨だけカタログの諸元表部分を入手出来ています。
・カタログのT2-Aになっているホルダーもあります。(カタログはT-2Aになっていますが)
⑨-1 タペットスパナ / ミリサイズ T-8A
・10x12、12x14、17x19のスパナが2本づつになっています。
・二重丸京/KTCには複数のタペットスパナが複数種類あり、全て片側がオフセット無しになっていますが、この一重丸京では両サイド共にオフセットが付き、同じサイズが2本ずつの対になっています。
・後述するようにタペットスパナのカタログが見つかっていて、ミリサイズの品番はT-8Aであることが分かっています。(T-8A-1/10x12、T-8A-2/12x14、T-8A-3/17x19)
↑↓3サイズが2本ずつで、6本セットになっています。
↓ホルダーは、幅が広い専用タイプになっています。
・タペットスパナのカタログです。
・10x12および12x14の実物がカタログ全長と同一ですので、ミリサイズの品番はT-8Aであることが確認出来ます。
・一方で、何故かインチサイズ⑨-2は、品番T-8Bでは無く、T-4Bになっています。
⑨-2 タペットスパナ / インチサイズ T-4B
・インチサイズのタペットスパナです。
⑩ 凹丸パネル
・もの凄く現代的なデザインで、70年以上前のものとは思えません。今でも販売が可能なレベルです。
・デザインの現代性より一重丸京の最後期のモデルと推測します。
・JISには長いスパナのカテゴリーが無いため、JISマークは付いていません。
・一重丸京の中でも入手が難しいモデルです。
・1年に1回しか入手の機会が無いモデルを貴重品と位置づけていますが、このモデルはその1回を手に入れたもので、まさしく貴重品です。(①も貴重品です)
⑪ フラットパネル
・フラットパネルもありました。
・やり型ヘッドを採用していることから後期のモデルと思われます。
・鍛造による浮き出し文字が非常に綺麗です。
⑫ トヨタ向けOEM/凸パネル(二重丸京モデルへ継承)

・トヨタ工業に車載工具として1946年頃から1950年まで納入されたOEM品です。
・表面にTOYOTA-丸トヨタ-MOTORと刻印されています。
・裏面左側に一重丸京の刻印も入っていることから、京都機械(株)の生産と確認出来ます。
・『KTC50年の歩み』よりトラック向け車載工具としてトヨタ工業に納入されたことが分かります。(時期はトヨタトラックの生産再開時期より1946年頃と推定)
・このデザインはKTC二重丸京モデルと同一です。
・トヨタ向け車載工具が1950年6月に京都機械(株)からKTCに切り替わった時にデザイン(または鍛造型)が継承され、そのままKTCモデルとして一般市販されたと理解するのが妥当だと思います。
・KTC『ものづくり技術館』に一重丸京モデルながら他のKTC/OEM品と一緒に展示されています。(写真の赤枠内)
・一重丸京6本組みスパナが車載されたと思われるトヨタKC型トラック。
・戦時中の1943年11月から、戦後にトヨタの生産再開1号車として1947年3月まで生産。
⑬ 大型スパナ/丸棒タイプ
・大型トラックバス/アクスルUボルト用のでっかいスパナです。
・サイズは29-32mm、長さ570mm、重さ1.6キロ。
・円柱形の胴長に、鍛造スパナ部を差し込んで、プレス止めしてあります。
・大きくて、ずっしりと重いです。
・両端のスパナ部に一重丸京のロゴが入り、胴長の中央にロゴと共にKYOTO KIKAI CO., LTD.と大きく刻印されています。
・一重丸京と二重丸京を通じて唯一の打刻刻印モデルです。(他は全て浮き出し刻印)
・また、一重丸京から二重丸京を経てKTCモデルまで同一デザインなのは、この大型スパナだけです。
・コレクションの中で光る存在なのですが、如何せん大きすぎて、置くところが無くて困っています。
・前述の通り、同一デザインの二重丸京版とKTC版もあります。
・一重丸京も含めた3モデルについてKTC-10『大型スパナ』編で詳細を解説をしています。
3.戦時モデル(1939年~1945年)
"京都機械"は、前身の"京都京都染物機械製作所"時代より繊維染機製作の専門企業でしたが、1938年の"京都機械"創業を機に軍需産業に進出します。
横須賀の海軍航空技術廠(空技廠)より、航空機エンジンと機体の整備用分解組立用工具の専門メーカーとしての養成を受け、1939年に海軍から航空機専用工具工場の指定を受けています。(海軍・空技廠は当時の日本で最先端の技術者集団)
1940年に零式艦上戦闘機が海軍に正式採用となり、その前年に"京都機械"は海軍専用の工具工場として指定を受けていることから、ゼロ戦工具の生産は1939年に始まったと推察しています。

⑭ ゼロ戦 榮二○型エンジン/外部要具箱 外3番

・京都機械は海軍から1939年に航空機戦用工具工場の指定を受け、ゼロ戦の内部工具箱(エンジン重整備用)と外部工具箱(エンジン一般整備用)を生産開始。
・写真のスパナは、外部用具に含まれています。
・京都機械製造の証として裏面に一重丸京の刻印が入っています。
・表面に刻印されている
よりゼロ戦/榮二○型エンジンの整備要領書に掲載されている『外部要具箱 外3番』と分かります。
・外1番と2番は同一形状のサイズ違い。
・後述する赤トンボの外13番⑮と同一スパナと思います。
⑮ ゼロ戦 榮二○型エンジン/外部要具箱 外5~8番
・外1~3番はフラットモデルですが、外5~8番は整備要領書の掲載写真(↑)を見る限りでは戦後の帯パネルに非常に似ています。
・『KTC50年のあゆみ』によると、京都機械/一重丸京は工場が空襲の影響を受けていなかったので、戦後直ぐに稼働を再開させたとのことです。
・つまり、ゼロ戦用スパナの鍛造型はその工場で生き延びていたことになります。
・したがい、京都機械は工場再開時にゼロ戦用スパナの鍛造型を利用し、スパナ販売を開始したのではないかと推測しています。
★次の㉑九九式艦爆と共にKTC-16『ゼロ戦』編で詳細を解説しています。

⑯ 赤トンボ(九三式中間練習機) 天風一○型エンジン/外部要具箱 外1~4番
茨城/霞ヶ浦にある『予科練平和記念館』に赤とんぼ(九三式中間練習機)の外部工具セットが所蔵されていて、その中のスパナ群です。
・赤トンボ用のエンジン"天風(あまかぜ)一○型"の"外部用具"の"4番"を示す『天一○
4』が刻印されていて、さらに裏面に京都機械製を示す一重丸京も刻印されています。
↓外1~4番は同じ形状でサイズ違い。
⑰ 赤トンボ/外部要具箱 外13番
・他のスパナ胴長がスクエアー形状(断面が四角)なのに対し、この外13のスパナだけ鋭角な断面(細身)になっています。
↓ゼロ戦スパナのフラット14x17⑲と同一品の様です。
⑱ 赤トンボ/外部要具箱 外34番
・シリンダー取付用のスパナで、恐らくピストンを抜く時に使うのだと思います。
・両側共に同じサイズで、片側に曲げが入っています。
⑲ 赤トンボ/外部要具箱 外62番
・オイルフィルター用レンチです。
・当ブログでは片目片口レンチで6PTまたは12PTをコンビレンチとして取り扱っていますので、これはまさしくコンビレンチになります。(但し、スパナ部とメガネ部のオフセットが無いオールドタイプ)
⑳ 赤トンボ/外部要具箱 外61番
・片目片口で6PTという意味では、この部番-61もコンビレンチです。
・『斷讀器』がどの様な機器なのかが分からないため、どの様に使う工具なのか不明ですが、長さが約50mmの小さなコンビレンチです。
・外部要具ケースの銘板に『昭和 8年4月製造』と印字されていますが、"8"の前にスペースがあります。
・昭和8年は1933年ですが、海軍から整備工具工場の指定を受けるのが1939年ですので、"8"の前に"1"が刻印されている(もしくは刻印洩れ)と考えるのが妥当だと思います。
・したがい、この赤とんぼ工具は1943年製と考えています。
・ちなみに、『京機 第 号』の"京機"は、京都機械の略でしょう。
★KTC-20『赤トンボ』編で詳細を解説しています。
※茨城/霞ヶ浦にある『予科練平和記念館』のご厚意により写真撮影をしたものです。
㉑ 紫電改/外部要具箱 外3番(推定)
・紫電改/譽エンジンのスパナは入手済みのゼロ戦スパナと同一であることが整備要領書に明記されていますので、ゼロ戦スパナの写真を一部加工して紫電改スパナを再現して見ました。(あくまで推定写真です)
・外部用具(一般工具)の工具3番が14x17のスパナで、ゼロ戦と紫電改は同一です。
・同一とは言え、ゼロ戦/榮エンジンと同様にエンジン名称は専用刻印になっているでしょうから、『榮二○』の部分を『譽一○』に変更してあります。
★KTC-24『紫電改』編で詳細を解説しています。
詳細不明な海軍向け一重丸京2種
↑『要 ○共 2』
・『要』は整備要具の"要"?
・ゼロ戦等では○外(外部要具)になっている部分が、○共なので共通工具の意味?
・汎用の一般整備要具でしょうか?
・裏面に○京の刻印。
↑『整 1』
・『整』は整備?、これも一般整備要具?
・裏面に○京の刻印。
4.自衛隊モデル(1954年~1975年頃)
㉒ 航空自衛隊/一重丸京-1 凹帯パネル

・凹帯パネルが航空自衛隊に納入されています。
・航空自衛隊の創設は1954年ですので、このモデル⑰は1954年以降の生産になります。
・裏面に航空自衛隊マーク(ウイング付き桜マーク)with"A"が刻印されています。

㉓ 航空自衛隊/一重丸京-2 イグニッションスパナ
・イグニッションスパナと思われる航空自衛隊向け一重丸京です。
・これも裏面にウイング付き桜マークwith"A"が刻印されています。
・このモデルは、一般向けの一重丸京には無いタイプですので、自衛隊専用の可能性があり、貴重品だと思います。
・ちなみに、凹帯パネル⑰と共にインチ仕様になっています。
・航空機を始め米国払い下げ機器の整備がメインだったためと思います。
★KTC-17『航空自衛隊』編にて他ブランドのモデルを含めて詳細に解説しています。
5.コンビレンチ(1945年頃~1960年頃)
㉔ 一重丸京 コンビレンチ
KTC前身の京都機械は、工場が空襲を受けなかったので、終戦の1945年にすぐに工具生産事業を再開しています。
そして、まずスパナを出してから、続いてこのコンビレンチを登場させたものと思います。
日本で初めてのコンビレンチです。(スパナ部とメガネ部ともにオフセットされているモダンタイプとして)
なお、コンビレンチのJIS認証は1989年に制定されますので、一重丸京にはJIS付きはありません。
二重丸京も含めKTCのコンビレンチ全商品の詳しい解説は、こちらにて。
↑6本揃い踏み、ミリサイズ
小さなサイズだけを見るとロング仕様に見えるのですが、小さな方も含めて全てスタンダード仕様だったことが分かりました。
サイズ12mm同士でM41スタンダードならびにM45ロングと比較しました。
M41スタンダードに較べて一重丸京が極端に長いのが分かります。
ロングだと勘違いしてもおかしくないと思います。
ちなみに、M45ロングと長さが一緒ですので、小サイズの一重丸京が如何に長いかが分かります。
★サイズ設定
6本セットではサイズ19mmが一番大きくなっていますが、単品で26mmを見つけました。
ちなみに、二重丸京では32mmまで設定されています。
㉕ 一重丸京 コンビレンチ / 畑屋製作所向けOEM(推定)
畑屋製作所の1953年カタログにコンビレンチが載っていて、形状より京都機械/一重丸京のOEM品と思われます。

↑カタログと一重丸京のオリジナルを参考にして作った推定写真です。(あくまでも推定写真です)
↓一重丸京オリジナル
㉖ 一重丸京 コンビレンチ 2ndモデル
・前述㉔とは異なるコンビレンチを見つけました。
・1960年前後のPROTOと同一デザインであり、コピーとしか言いようがありません。(サイズ表示部が凹角で、サイズ下地がPebble/小石、フラットパネル)
・PROTOをコピーすることが京都機械にとって何のメリットがあるのか分からず、不思議なモデルです。
・別途、個別に取り上げます。
↓PROTO
正体不明な一重丸京コンビレンチ
・正体不明な『T-4』。
・裏面中央に小さな一重丸京だけを刻印するのは海軍モデルそのものです。
・但し、インチ仕様です。
・海軍のほとんどの発動機で要具一覧が確認できていますが、インチ仕様は見当たりません。
・したがい、戦後に京都機械が強みを発揮していた自衛隊等の公官庁向けかもしれません。(初期の自衛隊向けは、アメリカ軍機材整備のためにインチサイズが主流)
6.『KTC50年の歩み』より

・京都機械が発足する6年前、京都機械の前身である京都染機は、和歌山鉄工(株)の京都工場が独立する形で1932年8月に創業。
(和歌山鉄工も染色機メーカーですが、世界恐慌の影響を受けて京都工場を手放すことになり、和歌山鉄工の要請を受けて社員の中口好一氏が喜長鉄工所創業者の長谷川氏と共同経営する形で京都染機として創業し、染色機顧客もそのまま引き継ぎ)
2)京都機械と海軍空技廠
・1938年8月に京都染色機械製作所(以下、京都染機)から改編し、京都機械(株)が発足。
(支那事変等で染色機械の輸出が困難となったことで資金難となった京都染機を助ける形で染色素材事業に力を入れていた長瀬商店(現/長瀬産業)が出資し、京都機械が発足)
・同年4月に国家総動員法が既に発令されていて、京都機械は発足時より染色機械製造工場から軍需工場への転換が始まる。
・発足当時には軍需品として手動送風機を製造。
・軍需ブローカー経由の受注から脱却するため、海軍監督事務所経由で当時の日本で最高峰の技術集団であった海軍工廠(船&航空機等)との関係を広げていき、海軍工廠のひとつである空技廠(横須賀の海軍航空技術廠)の工具製造指導を受ける。
・海軍の要求に合う工具の作成が可能となり、1939年に海軍から航空機整備工具類の専用工場の指定を受ける。
・これにより、クロームやニッケル等含有の特殊鋼を海軍の斡旋で入手可能に。
・1940年に正式採用となったゼロ戦の榮エンジン整備工具を製造開始し、1942年には生産が軌道に乗る。(このことより、京都機械としてはゼロ戦/榮エンジン工具が最初の生産と推定)
・京都機械発足の1938年から海軍工廠と直接の関係を広げていく中で、空技廠とは別に呉工廠(戦艦大和等の軍艦工場)ともつながりがあったが、工具の納入は無く、エンジン部品や爆弾用信管を納入。
※京都染機および京都機械の設立年月は、『京都機械退職者親睦会』のホームページより。
・京都機械/一重丸京の事業縮小に伴い工具事業を担ってきた3名(KTC創業者)と工員の多くが1950年5月までに退職した後も、京都機械は工具事業を継続。
・恐らく、自社工場は継続しながらも、事業縮小により人手とノウハウが流出したため、工程によっては外注に頼ったのでは無いかと推測。
2)防衛産業への参入
・売上げの大きな部分を占めていたと思われるトヨタへの車載工具納入は、契約改定時に価格条件が折り合わず、創業したてのKTCに契約が移ったことは『KTC50年のあゆみ』の通り。
・中核事業を失った京都機械は、海軍指定工具工場であった実績を武器に防衛産業に参入。
・警察予備隊から格上げされる形で1954年に防衛庁ならびに3自衛隊が創設されたことを受けて、前述のモデル㉒、㉓を航空自衛隊に納入。
・さらに、F86Fセイバー、F104Jスターファイヤー、T6テキサン練習機、国産T1初鷹練習機向けの工具を納入していたらしい。(専用モデルなのか一般販売モデルの流用なのかは不明)
・また、海上自衛隊の対潜飛行艇PS1を生産していた新明和工業にも工具を納めていた模様。
3)JIS認証取得
・JIS認証が制定された1952年以降、公的機関への納入にはJIS認証を求められる様になり、防衛産業に力を入れ始めた京都機械は、防衛庁と3自衛隊の1954年発足に合わせ、同年10月にスパナでJIS認証を取得。(前述のモデル②-1にて説明済み)
・また、翌年1955年9月にはメガネとボックスレンチでもJIS認証を取得。
4)自動車整備向け(一般販売)への対応
・防衛産業だけでなく、自動車整備士向けに一般販売も行っていた。
・つまり、KTCが創業した1950年以降は一重丸京と二重丸京は市場でバッティングしていたことになる。
・しかしながら、1950年代の工具販売状況を知っている何人かの方に確認したが、同じ工具店で一重丸京と二重丸京が同時に販売されていたなどのバッティング実例は皆さんが見たことが無いとのこと。
・したがい、京都機械/一重丸京は一般販売にはほとんど力を入れていなかったものと推察。
5)部品商への卸し
・一般販売用として部品商2社に卸していた模様。
・しかしながら、前述の通り、余り一般販売は盛んではなかったので、部品商や販売店の倉庫で死蔵在庫になっていたのでは無いかと推察。
・未使用で綺麗なセット品の一重丸京が今でもオークションに良く登場しているので、どうしてなんだろうと疑問に思っていたが、この死蔵在庫が供給源ではないかと推測。
6)外注状況
『京都機械50年史』によるとスパナを以下の内容で外注していたとのこと。
・終戦から1955年/昭和30年頃…長瀬産業
・1960年/昭和35年以降…松坂鉄工所
JIS認証スパナには製造工場記号の表示が必要ですが、長瀬産業と松坂鉄工所はスパナでのJIS認証を取得していませんので、タペットレンチなどのJIS規格外のスパナを外注に出していたのだろうと思います。
↓『京都機械50年史』より抜粋
7)工具事業の終業
・1970年12月に工具事業から撤退。
・私の推測の域を超えませんが、新製品の開発能力が無く、海軍時代からの納入実績だけでは防衛産業のスペック要求に対応出来なくなり、工具事業が終焉を迎えたと理解。
8)会社の終焉
・工具事業から撤退した後も、本業の染色機械製造販売は継続していたが、2001年に廃業。
・2001年に同名の京都機械(株)が設立されているが、2014年にこれも倒産し、完全に終焉。
(前項5.にリンク掲載してある京都機械退職者親睦会ホームページより)
KTC工具の中にある情熱の源をたどるには、KTC が設立される前の 1939 年に戻る必要があります。
当時、KTCの前身ともいえる繊維機械メーカー「京都機械工具」は、世界基準をクリアしたゼロ戦闘機の整備に欠かせない高性能かつ高品質の工具製作にいち早く取り組みました。
しかし、彼らの工具への情熱を駆り立てたのはゼロ戦闘機だけではありませんでした。
彼らは、戦時中のミッドウェー海戦で戦利品となったアメリカ製ソケットレンチの優れた機能性に驚嘆し、その品質に追いつき、それを超えることも固く決意しています。
そして、その想いは、戦後すぐの希少な時代においても高品質な鋼材のみを追求するという頑固なこだわりに引き継がれました。










































































