戦後最初の一重丸京

K.K.K.モデルは

ゼロ戦スパナ

KTC-27

 

【2023年7月21日 追記】

戦後最初の一重丸京(終戦直後の1945年製)、K.K.K.モデルを探し続けていました。

『Wanted/捜し物』に載せたところ、これを読んだ方が貴重な逸品を譲って下さり、ついに実物をコレクションに加えることが出来ました。

そして、この機に本稿を完全に書き直しました。

なお、これで一重丸京&KTCコレクション完成まで後1点だけ、最初のトヨタ向け車載スパナ(1946年)を残すのみとなりました。

 

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1.K.K.K.は戦後最初の一重丸京

 K.K.K.-1 

・一重丸京/京都機械は、元々は織物染機の製造会社でしたが、1939年に海軍から専用工具工場の指定を受け、ゼロ戦を始めとする海軍発動機の整備工具を生産していました。

・社史『京都機械35年の歩み』によると、戦時中に京都も5回の空襲を受けていますが、京都機械の工場があった南区は空襲を受けておらず、京都の工場が戦災を免れていたとのことです。

・したがい、終戦の年1945年にすぐに工具の生産を再開しています。

・一重丸京には複数種類のスパナがありますが、全て" KYOTO KIKAI"が刻印されています。

・唯一の例外が、今回取り上げている"KYOTO--K.K.K."で、スパナ部や胴長の形状ならびに鍛造表面の粗さから初期モデルと分かります。

・したがい、まず最初にK.K.K.モデルが作られ、その後に" KYOTO KIKAI"群が登場したと考えるのが妥当です。

・つまり、戦後最初の一重丸京は、1945年から生産されたK.K.K.モデルと断定して良いと思います。(そして、日本の戦後最初のスパナでもあります)

・そして、K.K.K.モデルは、ほとんど見かけることはありませんので、ごく少数だけが生産され、すぐに" KYOTO KIKAI"に生産が切り変わったと推測しています。

(K.K.K.モデルの存在が確認できているのは、私が知る限りでは、浜松と滋賀のコレクターの方と、また別の方、さらに今回私が入手できた4例だけです)

・なお、京都機械の工場には終戦時に当時希少な高級鋼材だったNickle Chrome Vanadiumの在庫が豊富にあり、それを使って工具が作られたと『京都機械35年の歩み』に記されています。

(海軍から優先的に鋼材が支給されていたものの、企業として購入する形を取っていたため、戦争が終わってもその所有権は京都機械が持っていたと理解)

・ちなみに、"K.K.K."は、Kyoto Kikai Kabushikikaisha(京都機械株式会社)の略でしょう。

 

・終戦直後にリリースされたこの一重丸京K.K.K.モデルが、現代のスパナ/ハンドツールの原点だと思っています。

・なお、"KYOTO-○京-K.x.x."という表示方法は、"KYOTO--K.T.C."としてKTCが5年後に復活採用します。

(したがい、K.K.K.モデルを初めて見た時は、"KYOTO--K.T.C."のバリエーションで、K.K.K.はKyoto Kikai Kogu(京都機械工具/KTC)の略だとしばらく思っていました)

 

★K.K.K.モデルセット

↑フルセット6本

・ホルダーに刻印された一重丸京が楕円です。

 

↓一重丸京の" KYOTO KIKAI"群

 

2.K.K.K.はゼロ戦スパナと同一モデル

私が入手出来ているゼロ戦スパナと比較すると、K.K.K.モデルとゼロ戦スパナはそっくりです。

パネルのデザイン差(凹帯パネルとフラットパネル)、ならびにインチとミリの差はありますが、双子と言っても良いレベルでそっくりです。

・ゼロ戦スパナには"榮二○"と刻印されていて、ゼロ戦の榮二○型発動機用の工具と分かります。

・○外は、外部要具(一般工具)を示します。(オーバーホール専用は、内部要具)

・『外3番』フラットパネルと、K.K.K.モデルを比較しています。

 

 

↑榮発動機の外部要具スパナ群

↓外部要具一覧表(共に榮二○発動機の取扱説明書より)

・ゼロ戦スパナは14x17mmサイズまでがフラットパネルで、それよりも大きなサイズは凹帯パネルになっています。

 

・K.K.K.モデルの7/8インチ(=22.2mm)と、ほぼ同サイズでゼロ戦スパナの『外5番』23mmのスパナ部同士を比較します。

・ゼロ戦スパナの写真が鮮明ではありませんが、両者の形状がぴったり一致しているのが分かります。

・フラットパネル『外3番』とK.K.K.モデルも似ていましたが、『外6番』では同じ凹帯パネル同士では全く同一になっています。

・したがい、終戦の年1945年に最初に作られたK.K.K.モデルは、ゼロ戦スパナの凹帯パネルそのものと考えるのが妥当です。

・京都機械の工場に残っていたゼロ戦スパナの鍛造型をそのまま使用し、浮き出し刻印だけ"榮二○外"から"KYOTO--KIKAI"に彫り直したのだろうと思います。

・ちなみに、ゼロ戦スパナでは  が裏面に単独で刻印されていましたが、K.K.K.モデルでは表面に移動した形になります。

・なお、凹帯パネル『外4~6番』スパナは現物を見たことが無く、ゼロ戦取扱説明書で工具一式の一部として写真が確認できるのみだけです。

・ちなみに、整備工具一式(外部要具箱と内部要具箱)はアメリカのスミソニアン博物館の保管(非展示)されていることが分かっていて、これが世界で唯一のゼロ戦工具一式と理解しています。(多くの航空博物館に整備工具箱が展示されていますが、全て中身が無いと聞いています)

・したがい、スミソニアン博物館に行けば『外4~6』もあるはずですが、残念ながら非公開であり、詳細確認依頼のメールを出しても返事が無く、倉庫の奥に埋もれているのだろうと推察します。

・なお、戦争後記には紫電改の譽発動機向け整備工具も京都機械が作っていて、スパナ『外4~6』は榮と同一であることが分かっていますので、K.K.K.モデルの生産に使われた鍛造型は譽用だったかもしれません。

※ゼロ戦工具の詳細解説は、こちら

 

↓榮二○『外3番』スパナの表裏

↓京都機械が1939年から整備工具を生産した海軍発動機。

 

★一重丸京STDモデルとの比較

・一重丸京の同じ凹帯パネルで、K.K.K.モデルとその後の" KYOTO KIKAI"を比較します。

・同じ5/8x25/32インチ同士で、全長やスパナ部形状は同一になっています。

・ただし、胴長の横幅が少し狭くなっているのと、さらにスパナ部と胴長のつながり方も異なっていて、明らかに異なる鍛造型なのが分かります。

・戦後の工具事業がある程度軌道に乗ったところで、鍛造型を新規に作り直したのだろうと推測します。

・JISマークがありませんので、京都機械がJIS認証を取得した1954年よりは以前のモデルであることが分かります。

 

↑↓凹帯パネルは、JISマーク付きとなり、スパナ形状が"やや尖り"から"完全尖り"へと変わっていきます。

 

 K.K.K.-2(2ndジェネレーション)

・今回入手したK.K.K.モデルです。

・表裏の表示は同一で、スパナ部の形状や全長も同じですが、鍛造表面が明らかに綺麗になっています。

・最初のK.K.K.-1の鍛造表面はブツブツとへこんだ孔が出来ていますが、今回入手したK.K.K.-2は鍛造表面がシワシワで浮き出ている感じです。

・K.K.K.-2の方が明らかに鍛造精度が高そうです。

・したがい、K.K.K.モデルの2ndジェネレーションではないかと思います。

・K.K.K.モデルはゼロ戦の鍛造型を使って生産したものの、すぐに鍛造型を新規に作り変え、かつ鍛造精度も高くしたのかもしれません。

・『" KYOTO KIKAI"にモデルを切り替えて、鍛造型を新しくした』と前述していますが、K.K.K.モデルの内に鍛造型を更新している可能性があります。

↓K.K.K.モデル同士の新旧比較

↓鍛造表面(左:K.K.K.-1/ブツブツ孔、右:K.K.K.-2/浮き出たシワシワ)

 

 K.K.K.-3(材質表示バリエーション)

・"KKK"は京都機械が戦後最初に市販したスパナと推測していますが、20本ほど確認できている中で、裏面の材質表示は全て"Nickel Chrome Vanadium"でした。

・しかしながら、本品だけは他と異なり、"Nickel Chrome Steel"になっています。

・"Ni-Cr"よりも"Ni-Cr-Va"の方が高級鋼材ですので、最初は"Ni-Cr"で、途中から"Ni-Cr-Va"に変更したと推定しています。

・つまり、"Ni-Cr"の本品が京都機械の市販第1号?(最初の最初?)

・もっとも、別の考え方もあって、戦時中に海軍から優先的に支給されていた"Ni-Cr-Va"鋼の在庫を使い切り、一般市販の"Ni-Cr"鋼に切り替え。

 

★プライヤーにもK.K.K.モデル

・スパナだけで無く、プライヤーにもK.K.K.モデルがあります。

 と"K.K.K."、さらに"Kyoto Kikai Co., Ltd"という会社名の3つを同時に表示させています。

・京都機械にとって未経験であった工具一般販売が戦後になってから始まり、ブランドのアイデンティティー(ID)をどうするか迷っていたのだろうと思います。

 

【参考-1】一重丸京最初のトヨタモデル/1946年

・終戦の翌年1946年にトヨタがKC型トラックで生産を再開し、その車載工具として採用されたのが一重丸京スパナです。

・表面にはカタカナ『トヨタ』の丸ロゴと共に『TOYOTA MOTOR』と刻印され、裏面に一重丸京ロゴがひっそりと入っていることから京都機械製と分かります。

・トヨタ車載モデルは、一重丸京STDの凹帯パネルでは無く、凸帯パネル。

・トヨタ車載スパナの契約が、1950年6月に京都機械からKTCに同一形状のまま移行されたことにより、この凸帯パネルデザインがKTC/二重丸京のSTDモデルになっていきます。

(恐らく鍛造型自体が、京都機械からKTCへ移行したのだろうと推測しています)

↑K.K.K.モデル/1945年とトヨタ車載スパナ/1946年

 

【参考-2】KTC英語HPで"ゼロ戦"工具を解説

※『一重丸京のすべて』にも同じ内容で掲載済み。

アメリカの工具解説サイトAlloyArtifactに、

『KTC英語ホームページ内の"Our Brand"に記述されていた1930年代の"ZERO Fighter"(ゼロ戦)に絡む歴史の説明が見られなくなっている』

と書かれていて、なんのことだろうとずっと気になっていました。

 

The company's website (in English) is available at KTC Kyoto Tool. The website includes an interesting Our Brand section that discusses the company's philosophy and products. [Sorry, the earlier history describing its roots from the 1930s, when it produced tools to maintain the famous "Zero" fighter planes, is no longer available.]

 

インターネットの過去ログが保管されているInternet Archiveで該当するKTC英文ホームページを見つけました。

2009年2月から2015年10月まで掲載されていました。

なお、日本語ホームページには掲載されておらず、KTCを紹介するための海外向け専用ページになっています。⇒該当ページは、こちら

↓和訳

KTC ブランドストーリー

ゼロ用の工具製作に情熱を注いだ男たちから受け継がれる品質の高さを追求した遺産
KTC工具の中にある情熱の源をたどるには、KTC が設立される前の 1939 年に戻る必要があります。
当時、KTCの前身ともいえる繊維機械メーカー「京都機械」は、世界基準をクリアしたゼロ戦闘機の整備に欠かせない高性能かつ高品質の工具製作にいち早く取り組みました。
しかし、彼らの工具への情熱を駆り立てたのはゼロ戦だけではありませんでした。
彼らは、戦時中のミッドウェー海戦で戦利品となったアメリカ製ソケットレンチの優れた機能性に驚嘆し、その品質に追いつき、それを超えることも固く決意しています。
そして、その想いは、戦後すぐの希少な時代においても高品質な鋼材のみを追求するという頑固なこだわりに引き継がれました。

 

書かれている内容は『KTC50年のあゆみ』と基本的に同じですが、KTCが英語版だけとは言えホームページでゼロ戦工具に言及していたのは貴重な発見です。

掲載が中止されたのは残念です。

ゼロ戦に端を発する製品群もKTCにとって誇るべきものと思います。

 

※本稿は、既出KTC-18を全面的に書き直したものです。

 

この回、終わり