KTC-16
ついに見つけました!
ゼロ戦スパナは一重丸京
世界の戦時モデルに興味を持っていますが、我らが日本の戦時モデルはどの様な物で、どのメーカーが作っていたのかほとんど情報がありません。
特にゼロ戦の修理にどの様な工具を使っていたかに注目していて、整備要領書の視点から『ゼロ戦の修理にコンビレンチは?』というページも書いています。
そんな中で、丸京コレクターとして私の最大の興味は、海軍航空隊向け専用の工具工場を稼働させていた京都機械(KTCの前身)が作っていたであろうゼロ戦用のスパナです。
興味は持っているものの、ゼロ戦スパナが目の前に現れることは絶対に無いだろうなと端っから諦めていましたが、それが現れたのです。
1.一重丸京のゼロ戦スパナ
手に入れたのはサイズ14x17mmのスパナで、表面に『榮二〇』、丸に『外』、『3』、さらに裏面に一重丸京『
』が刻印されています。
アルファベットを廃した刻印であることから戦前から戦時中に掛けての製品であり、かつゼロ戦のエンジン名称である『榮』と書かれていることからゼロ戦用のスパナであることが推測できます。
さらに、裏面の一重丸京より海軍指定の航空機工具工場を運営していた京都機械が作ったものであることが分かります。
やはり、ゼロ戦スパナは一重丸京だったのです。
一重丸京は京都機械が戦後になってから使い始めた商標だと思っていましたが、戦前から使っていたことが初めて分かりました。
前述の『ゼロ戦の修理..』を書くにあたってゼロ戦の整備要領書に目を通していましたので、このスパナが何なのか『榮二○』ですぐに分かりました。
その正体は、ゼロ戦に搭載されていた中島飛行機製『榮二○型エンジン』修理用の外部要具箱(一般工具)に納められている工具番号"外3"です。
↑榮二○發動機の整備要領書(中島飛行機刊)
↑外部要具箱(一般工具)
内部要具箱が別にあり、専用工具(スペシャルツール)が入っています。
↑外部要具箱の展開状態
全6面に工具が整然と納められています。
↑6面の工具内容
↑6面中の第1面には主にスパナ類が納められていて、赤矢印の先が14x17mmスパナ
↑工具一覧表の『外3』が該当の両口スパナ14x17mm
スパナに刻印されている『外』と『3』は、この『外3』の工具を示しています。
↑奥が外部要具箱(手前は内部要具箱)
なお、ゼロ戦は1940年に海軍に正式採用される一方で、京都機械の工場が海軍航空隊向け専用の工具工場に指定されたのが前年の1939年です。
次項2.『ゼロ一重丸京一重丸京スパナ』の通り、指定工場になる前から海軍向けの工具を生産していたことが分かっていますので、この工具群はゼロ戦が1940年に正式採用されると同時に生産が始まったものと思います。
↑↓内部工具箱(専用工具)の中身
↑整備要領書の修理方法ページより
ずっと探し求めていたゼロ戦用のスパナを見つけ、かつそれが整備要領書内のどの工具なのかがピンポイントで分かり、とても感激しています。
このページを英文化して『ゼロファイターのスパナを手に入れたぞ!』と自慢しようかと考えています。
【ゼロ戦機体用の取扱説明書】
エンジンだけで無く、ゼロ戦機体用の取扱説明書も復刻されていますが、残念ながら機体については整備工具に言及されていません。
2.ゼロ戦以外の海軍向け一重丸京スパナ
京都機械は海軍指定の航空機工具工場を稼働させていましたので、ゼロ戦以外の工具も作っていたと考えています。
(1) 赤トンボ(九三式中間練習機)
下の写真は、赤トンボ(九三式中間練習機)の工具セットです。
スパナ部を拡大したところ、1本だけ裏面が写っていて、ゼロ戦と同じように裏面中央部に
がひっくり返った状態で刻印されていることに気付きました
したがい、京都機械製ということになります。(ゼロ戦スパナを見つけていなければ分かりませんでした)
さらに『天一○』と丸に『外』、さらに3、4、13の番号が刻印されていますので、天10型の外部要具の3番、4番、13番工具と分かります。
赤トンボのエンジンには東京瓦斯電気工業『天風一一型』および『一二型』が採用されていますので、『天一○』は天風10型シリーズエンジン向けを示しているのだと思います。
赤トンボは1934年に海軍に正式採用されていますので、京都機械は海軍の指定工場(1939年~)になる前から海軍向け工具の生産をしていたと考えるのが妥当だと思います。
↓スパナ部を拡大してみました。(上から3本目に
と刻印されているのが分かります)
↓3本目の写真をひっくり返すと
の刻印がはっきりと見えてきます。
(2) 99式艦上爆撃機
KTCの『ものづくり技術館』に99式艦上爆撃機用の機体整備工具箱が展示されています。
こちらは、エンジンでは無く、機体整備用です。
その中に1本だけスパナが入っています。(下側の中央写真の天板左にあるスパナ)
鍛造では無く、プレス打ち抜きにより作られていて、あまり大きな負荷は掛けられませんので、機体の基本構造用では無く、補機類用かと思います。
桜マーク
(左下)、丸に『工』もしくは90度傾いた『H』(右下)、90度傾いた丸に『マ』(右上)、さらに◎に『・』マーク(左上)が刻印されています。
左中央にも桜マークがもう1つあるように見えます。
桜マークからも海軍向けの工具であることが分かります。
残念ながら京都機械(一重丸京)を示す印はありません。
KTC創業者の一人の方が戦中に使っていたとのことですので、京都機械製の可能性もありますが、丸に『工』、『H』、『マ』が生産企業を示しているのかもしれません。
3.大胆な推測(ゼロ戦スパナが戦後の一重丸京スパナに)
今回入手したのは外3番の14x17mmですが、大きい方の4本(外5番~8番)は帯パネルになっているのが写真より分かります。
その外6番の26mm側と外7番の32mm側のスパナ部(上側写真)を拡大し、戦後の一重丸京(下側写真)と比較してみます。
スパナ部の形状と胴長の帯パネルがとても似ています。
『KTC50年のあゆみ』によると、京都機械/一重丸京は工場が空襲の影響を受けていなかったので、戦後直ぐに稼働を再開させたとのことです。
つまり、ゼロ戦用スパナの鍛造型はその工場で生き延びていたことになります。
したがい、京都機械は工場再開時にゼロ戦用スパナの鍛造型を利用し、スパナ販売を開始したのではないかと推測しています。
鍛造型にKOYOTO KIKAI CO., LTD.と刻印を彫るだけで、すぐに製品化が可能なのです。
京都機械の工場が存続していたことを頭に入れて比較写真を見比べていると、それほど大胆な推測をしている訳では無く、大いに可能性のあることと言う気がしてきます。

↓戦後すぐに販売された一重丸京
そして、もう一つ。
ゼロ戦スパナが戦後の一重丸京スパナに移行したと推定しましたが、その一重丸京モデルがそのままの姿に桜マークが追加されて、航空自衛隊に納入されています。
表面は一般モデルと全く同一で、"KYOTO KIKAI CO., LTD."と刻印されています。
そして、裏面にフラットタイプと同じように桜マーク内に"A"が追加された航空自衛隊マーク
が入っています。
これもフラットタイプと同じインチ仕様になっていて、当時は米国からの払い下げ機器が主流で使われていたためと推測します。
1x1-1/8"(25.4x28.6mm)とかなり大きめのスパナで、ミリサイズ26x29mmの鍛造型を使用したものと思います。
赤い塗装は納入時の指定塗色なのか後から塗った物かは不明です。
また、以前より1952年3月に制定されたJIS認証を受けた一重丸京製品が多くあることを疑問に思っていましたが、自衛隊とJISの2つの事実より、KTC設立後も京都機械はしばらく生産販売を続けていたことは間違いなさそうです。
恐らく、海軍の指定工具工場としての実績が防衛産業には有利に働らき、商売が継続できたものと推定します。
この点については、航空自衛隊編にて掘り下げています。
↑裏面右端の桜マーク拡大
↓一般販売用の一重丸京インチモデル
4.KTCとゼロ戦
KTCは、英語版HPの中で、1939年(または1940年)に製造を開始した一重丸京/京都機械の零戦スパナを『KTC工具の中にある情熱の源』と位置付けています。
※英語版にだけ限定して、2009年2月から2015年10月まで掲載。
以下、主要部の和訳。(オリジナル英文も添付)
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=KTC Brand Story= (和訳)
『ゼロ戦用の工具製作に情熱を注いだ男たちから受け継がれる高品質追求の遺産』
KTC工具の中にある情熱の源をたどるには、KTC が設立される前の 1939 年に遡る必要があります。
当時、KTCの前身(forerunner)ともいえる繊維機械メーカー"京都機械"は、世界基準をクリアした零戦の整備に欠かせない高性能かつ高品質の工具製作にいち早く取り組みました。
そして、その想いは、戦後すぐの物資が希少な時代においても高品質な鋼材のみを使用するという頑固なこだわりに引き継がれました。
5.海外の戦時モデル
(1)米国-1/PLOMB
米国の工具メーカー各社も、戦時モデル(1942年~45年)に対応しています。
その中で、際だって量と種類が多かったのがPLOMBです。
日本と根本的に異なるのが、通常時と同じように戦時下でも民間企業に利益が発生しますので、PLOMBは戦時中に大きな利益を上げて、企業として大きく成長したとのことです。
3つの商流(軍納入と企業納入、民間向け)とその他に分けて紹介します。
ゼロ戦/京都機械も同じように分類できれば良いのですが。
なお、戦時モデル"War Time"として"WF"と"War Finish"という異なるモデルがあり、似たような用語でややっこしくなっています。
① 軍納入/"WF"シリーズ

PLOMBの戦時工具に"WF-xx"と刻印されたスパナやメガネレンチがあります。
この"WF"は"Wright Field"の略で、空軍(WWⅡまでは陸軍)のライト・パターソン基地を指します。(今は巨大な空軍博物館が併設されていて、私は2010年に訪問し、感激しまくりでした)
この基地は、ライト/Wright兄弟が初飛行した野原/フィールドに作られたため、俗にライト・フィールド/Wright Fieldと呼ばれています。
戦時中の全ての軍事物資の納入窓口はこの基地であったため、PLOMBの場合は"WF-xx"として工具種類別に"WF"と共に番号が割り振られています。(例えばWF-103はイグニッションレンチ、両サイド1/2インチタイプ)
したがい、"WF"はこの後③に出てくる"War Finish"とは別の物ですので、注意が必要です。
↓WF-79は下表の通り3/8"x5/16"のメガネになります。


↑"WF"一覧表
② 企業納入(航空エンジンメーカー向け)/Ranget A.T. 158

航空機製造会社であるフェアチャイルド社のRangerエンジン部門向け専用に納められた戦時モデルです。
"A.T."は、"Aircraft"+"Troops(部隊)"あたりの略だと思います。
"158"が何を示すか不明ですが、Rangerエンジン自体の軍管理番号か、またはRanger航空機エンジン部門の部署番号などを示しているのだと推測しています。

戦時中のRanger L-440エンジンと、それを搭載したフェアチャイルド社のPT-19練習機。
日本で言えば赤トンボに匹敵する米陸軍のポピュラーな練習機です。(1939年~)
③ 民間向け/"War Finish"
スパナ部に"War Finish"と刻印されています。
軍隊向けでは無く、民間向けの商品で、『戦争中なので材料が確保できず通常の精度や強度は保証できていません』という意味で"War Finish"と刻印されています。
"CC"の刻印から1942年3月の生産と分かります。(真珠湾攻撃が1941年12月ですので、米国がWWⅡに参戦した3ヶ月後の生産になります)
京都機械が海軍航空機の工具専用工場になったのと同じ年です。
↓"War Finish"の刻印方法と位置にバリエーションがあります。

④ その他
"WF"や"War Finish"の刻印が入っていない戦時モデルもあります。
戦時中のため物資の使用に制限が掛かると共に製造方法の簡略化が進んでいきます。

↑米国参戦の翌月、1942年1月の生産("AC")で、写真では分かりにくいですが、まだ通常のクロームメッキが施され、スムーズな表面仕上げ加工になっています。

↑1942年5月の生産("EC")で、材料不足によりクロームメッキが出来なくなり、カドミウムメッキに変更されています。(カドミウム公害で有名なカドミウム)
この商品を手に入れた時に『危険、削る時は必ず防護メガネと手袋をしろ』と言われました。
戦時中の米国メカニックは命がけで工具を使っていたことになります。

"xx"の製造記号が打刻されていないため、製造年月は分かりませんが、表面仕上げとしてのメッキも平面加工も無くなり、鍛造地肌がそのまま剥き出しになっています。
戦争が佳境を迎え、工具の作りもますます質素になり、いかにも戦時モデルになっています。
(2) 米国-2/PLOMB以外
Craftsman
"N4"は戦時モデルだけに刻印された特有の記号です。
Snap-on/Blue-Point
Snap-onのロゴが表示されるのは戦争が終わった3年後の1948年からですので、戦時中はBlue Pointのロゴでした。
Truecraft
戦後15年経ってから大同通商がTruecraftブランドを買収しますが、Truecraftは戦前よりオリジナルモデルを生産していて、戦時モデルもありました。
ゼロ戦のライバル、P51Dマスタングの整備要領書はこちら。
・機体メンテナンス(最終ページに工具掲載)
(2)英国

King Dick
サイズはやはりウイットウォース/Whit Worthになっています。
この英国の特殊サイズが原因で、WWⅡではアメリカと英国の兵器共用が出来なかったと言われています。
- - - - - - ◇ - - - - - ◇ - - - - -
工具コレクターとしては米国では戦時モデルでも詳細が分かることを羨ましく思っていました。戦時モデルどころか、1933年3月に世界で最初のコンビレンチが登場した時でも何年何月何日というレベルで追いかけることが出来ています。
それに対し、日本の戦前と戦中の工具に関してなんと情報が少ないのかと寂しさを感じていました。
しかしながら、今回ゼロ戦スパナの実物を手に入れたことで、米国PLOMB例と同じように日本の主要工具メーカーであった京都機械/一重丸京の戦時モデル詳細が一気に明確になったと思っています。
ここまで調べが進むと次の興味は、『海軍指定工場になる前に一重丸京スパナは市販されていたか?』、そして当然ながら『陸軍は?、隼は?』となります。
残念ながら陸軍は情報がほとんど見つかりませんが、戦前の市販された一重丸京(存在?)と共に気長に探すことにします。
とは言え、例えば京都機械の戦前の工具商売を、前述の米国PLOMBの様に軍向け、企業向け、そして民間向けの3種類に分けて確認出来る日は今となっては永久に来ないのでしょうね。
だからこそ、今でも分かることは少しでも記録に残しておこうというのが、このブログを書き続けている最大の目的です。
☆2022年6月23日追記
社史『京都機械35年の歩み』を見つけ、京都機械の詳細が分かりました。
上記の疑問が氷解しています。
・一重丸京は戦前に市販していたか? ⇒ 答え…No. 市販は戦後直後から。
・隼など陸軍向けは? ⇒ 答え…京都機械は陸軍には納めていなかった。
社史の詳細は、こちら。
本項をKTC-16としていて、戦前に始まるゼロ戦工具までKTC商品群に入れることにちょっと強引さも感じます。
ただし、一重丸京と全く同じデザインのスパナが二重丸京に継承されていること、さらに大型トラック用スパナでは一重丸京から二重丸京を経てKTCまで同じデザインであることから、一重丸京の延長線上にKTCがあると理解しています。
したがい、一重丸京をKTC製品群として取り扱っています。
京都機械/一重丸京である以上は戦前の製品であっても本ブログではKTC製品群に加えていることをご理解下さい。
この回、終わり
































