丸4年ほど振りですね。

お久しぶりです、青木です。

実はずっと更新したかったのですが、なかなかそんな時間を取れないままでした。

以前に書き溜めていた下書きに載せた写真を見て懐かしみながら、仕事中にキーボードをたたいていますw

 

さて、どこから遡りましょうか。前回の更新は2018年7月31日。

そのころと言えば、西宮市でバイトに明け暮れていた時期ですかね。

この年は東京へ、お世話になった『Veiled in Scarlet』のメンバー様に会いに行ったり、仕事の関係で度々奈良県を訪れたり、生まれて初めてパーマをあてたりしました(笑)

バンド(のマネージャー)活動はもうしてなかったかな。とにかく毎日必死で仕事をしていました。

フリーターになって、いろんな仕事をかけもちして、なんだか本当に、将来どころかその当時の生き方さえも見失いかけながら、毎日を過ごしていたような気がします。

まだ若かったから無理もききましたけどねw

 

2019年は、ハンドメイドアクセサリーの製造・販売を再開した年でした。

この作業をしている時間だけは余計なことを考えずに済みました。

心が疲れてしまったとき、きらきらしたものを見ていると癒されます。

しかし、仕事はなかなか安定しないままでしたね。

そんな中でもありがたいことに、西宮市の店舗を経営している会社の方で、別の店舗で人手が不足した時、上司がわたしの存在を各所で広めてくれていたおかげで助っ人要員として呼ばれることが増え、たくさんの経験をさせていただきました。

バイトだけどやりがいもあったし、毎日仕事を与えられて当時は満足していました。

母親が腰の手術を受けたのもこの年の夏でした。

もしかしたら多くの人が同じかもしれませんが、自分は、親には迷惑をかけっぱなしだった割には何も返すことができず、同居している母が大変な時にもどうすれば役に立てるのか分からずに居ました。いい歳になってもこれなので、申し訳なかったな。

今も健康で居てくれているので、自分に何ができるのか考えながら生きていきたいですね。

そして12月、現在正社員として働かせて頂いている事務所に、バイトとして採用されました。

また新しい出逢いと自分変革の始まりでした。

 

相変わらず人付き合いは下手で、どう改善すればよいのか、人に嫉妬されたりやっかまれたり。

これって出来がいい人が抱かれがちな感情に思いますが、その実は、

相手に対して嫉妬心が芽生えるのは、その相手のことを見下げている心理から来るもののようです。

“羨ましい”という感情も同じです。

「こんな人が周りから評価されるなんて」「あの人だけいい思いをして羨ましい」

これは、『自分の方が努力しているのに』『自分だって褒められたいのにどうして見てくれないの』

という、誰かと自分を比べる気持ちが隠れているからだそうです。比べて、自分のほうが優秀だ、そのはずなのにという感情が隠れていて、相手を純粋に評価することが出来ない時、嫉妬心が芽生えます。

 

わたしが第三者に見下げられてかわいそう、という話ではもちろんありません(笑)

そういった感情を他人に抱かせるのはこちらにも問題があるし、当然、わたしも人と何かを比べて嫉妬したりします。

でもこれは本当に不毛な心の動きのように思えます。

他人と自分を比較するなんて、極めて特殊な環境でなければ必要ないと思います。

だからといって、努力が報われないと感じる人に対して、まだその努力が足りないなんてことも思いません。

ただ、どこかに余分な感情を抱えているときは、なかなか自分の思い通りに運ばないことは多いと思います。

 

新しい出逢いがあり、新しい人間関係を構築し始める時、広い視野で周囲を見られたらと思います。

誰かをうらやむ前に、果たして自分はうらやむに至るほどの行動を取れているのか、

誰かに嫉妬する前に、その人の行いを誠実な目線で見ることが出来ているか、

冷静に自分を見返したいものです。

 

2020年4月から、西宮市のバイトを継続しながらも毎日勤務することになり、色々ありました。

自分の未熟さに打ちひしがれながら、それでも、人に助けられてここまで来ました。

コロナ禍で思うように外出も叶わなかったのですが、今年に入ってようやく映画館通いも戻ってきまして。

また時間が取ることができたら、定期的に更新していきたいと思っていますので、その時はどうぞお付き合いくださいませ。

 

それではまた。

 

 





2017.8.27

とか言ってみたい。←

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2018.7.31

ただただ不思議なストーリーだったような覚えがあります。
でもとても元気づけられたし勇気づけられたし、清々しい気分で映画館を出たような気がします。

みんなそれぞれ何かを抱えて生きていて、迷ったり立ち止まったり逆走しながら生きているんだと思います。
曲がる方向を間違えて、軌道修正にも失敗して、行き止まりにぶち当たったりしながら。
そんな中でも空を見上げることや、自分の目標や将来の夢を思い描くことを忘れなければきっと、進むべき道は見えてくる。
そう簡単にできないから、挫けたりもするけれど。
その繰り返しなんだと思います。
もう苦しみたくない、真っ暗なその先を見るのはもう嫌だ、もう助かりたいと、それでも生きているのは、自分の力で自分の心を立て直している証拠です。
生きてさえいれば、不可能なことなんて少ないのだと思います。
人には波があって、他人に優しく出来る時と出来ない時があって当然。みんな、完璧じゃない。
だから人には優しく在りたいと思います。ここに道があるよと、顔を上げれば見えてくるよと、共に進めば迷っていても怖くない。

過剰な我慢をしてまで今の会社に勤めることが、どれほど重大で深刻な結果を招くのか。
考えてみれば答えはすぐに出ます。
我儘放題では勿論いけないけれど、自分の心を破壊してまで続けることが本当なわけがない。

私は、自分の精神を守る為に会社を辞めました。
弱いと思ったし、怖かった。再出発を切るのはとてもエネルギーが要ります。会社は辞めたいけれど正直、しんどいことからも逃げたかった。
でも、いかにも正当そうな理由をつけて自分を誤魔化して、いつまでこれが続くのだろうと思うと絶望的な気持ちになりました。

本当にやりたいことなんて、見つけられている人は少ないかもしれない。でも心底嫌だと思うことははっきりしていると思います。
ストレスを抱えながら生きていくのは人間の宿命だけど、目の前の状況から目を逸らさず大事なことに気がついたなら、あと一歩を踏み出すだけ。

環境が変わったからと言って楽になることばかりではないです。
でもやっぱり私は、その時々で下した決断をいい方向に持っていきたい。

抱えているものが重すぎる人にはぜひとも観てもらいたい映画でした。
映画のような人生を歩めなくても、自分なりのストーリーの中で謳歌すればいい。それが本当に、後悔のない生き方だと思います。
後悔したくないので、精一杯生きます。
就職活動頑張ります。(って前にも書いたような気が…...-_-)

ではまた。



















 
 
 
 2017.6.19
 
映画「昼顔」
 
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「22年目の告白-私が殺人犯です-」

 

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 観てきました。

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2018.7.28

一年前のことなので、覚えてませんw
というのは半分嘘ですが、「私が殺人犯です」は面白かったですね。さすが藤原くんと伊藤さん。安心の安定感でした。
たまにはこういう、純粋に構成と演技を楽しめる映画を観させてもらうとリフレッシュになりますね。配信があったらもう一回観よう。

「昼顔」の方はというと、ドラマ版を毎日エンドレスで見るほどのファンですが、母と行ったので気まずかったな(爆)
一人でしっぽり観たかった←
考えさせられる内容でした。蔓延っているのでね、不倫。別に誰が誰と不倫していようといいのですが、やはり善行では決してないわけで…ただ撲滅をしたいのなら罪と認定して罰するようにすればいいのにとは思いますが。
いずれにしても、こんな泥沼ドラマや映画だけでしょって思いながら観てる時点で、こういうドロドロを楽しんでいる自分が居たりして。笑

誰が見ても正しいと言う行いをしている人は思うほど多くはありません。
人には欲があるし、嫉妬心があります。注目されたいと思うし、お金だってほしい。
そして同時に自制心と理性があるから、多くの人は"うまくやっている"のです。
思いつきと想像力の欠如により人を死なせるような人間が法に罰せられまともに生きられないなら、
欲求の赴くままに伴侶のある異性と共に居ることを選んだ人間の行く末も、同じであるべきではないか?
少々過激でしょうか。

その十字架を実は誰もが抱えているかもしれないけれど、
"うまくやってほしい"と思うのです。
誰のことも、傷つけないでほしい。
誰もが、というのは語弊がありますね、失礼しました。

2018年も映画三昧やってます。
更新をお楽しみに。














 
 


 
 
2017.3.24

母は時々、突然行きたいところを提示してきます。
あまり欲がない人なので、そういう提案は珍しく、極力応じるようにしています。
そんなきっかけで訪れた、人生二度目の滋賀県。
 
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最近「京阪」に縁がある。

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いい季節に行きました。梅の花と桜。

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紫式部ゆかりのお寺なんだそうです。

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なんと、手をつける前に撮影に成功!
後にも先にもこの一枚切りじゃないかな、旅先で食べ物の写真撮ったのw

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母との旅は気を遣わなくていいので楽です。
行動は制限されるけど、できるだけ思い出は作っておきたい。
滋賀県も素敵なところが多いので、また行きたいと思います。
ひこにゃんとツーショット撮るぞ。



2017.5.13

で、同じ年の母の日。
これ、すごくないですか?

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造花じゃないんですよ。

買ってないけど(笑)


あげたのはこっち↓


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2018.7.27


母の日に、なぜカーネーションを贈るのか皆様ご存知でしょうか。

そもそも、いつから5月の第二日曜日が「母の日」なのでしょう。

それは100余年前の、あるアメリカ人女性の行いが起源と言われているそうです。その女性は白いカーネーションが好きでした。

アメリカにとって献身的なその女性の行いを讃え、その女性が1907年5月12日に亡くなったことで、当時のウェストバージニア州の知事が5月の第二日曜日を母の日に制定すると決めたようです。

今では白に拘らずカーネーションが母の日のシンボルとして定着しましたね。

地域や時代によって変化する花言葉も、カーネーションは深い愛の表現が多いことも、選ばれる理由のひとつなのでしょう。(黄色だけは注意)

私は毎年カーネーションと決めてはいないので、その時に心惹かれるものを贈ることにしています。


今年は母にねだられてちょっとお高い布巾の購入資金をカンパしました。

布巾ってw


自分がしたことで誰かが喜んでくれるのは嬉しいですね。

欲しいものを欲しいと言えるのは、良い事だと思います。


皆様も欲しいものは欲しいと言いましょう。

誰かが与えてくれるかもしれませんよ。

自分以外の誰かの幸福を願っていれば、必ずそんな日が訪れると私は信じています。













 
 
 
2017.5.3

少し前に、新しいバイブルに出会いましたと話しました。

これです。

 

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仕事での外出中に、少しだけ本屋さんに寄った時にこの本を見つけました。
"運命の本"というものは、
その時自分に必要でその日に買うことが決まっている本というのは、
 
本屋に入って棚の前に立った、2秒後には決まっている。

 

何年も前にそれを知って、それ以降私は常々体感しています。

運命の本を探しに赴くこともあるくらい、そして数秒で手に取った本を、数分後には購入しています。

本から得られる知識。知識はかけがえの無い財産だと説いた人の言葉です。

 

そうして出会った「敏感すぎる自分を好きになれる本」 

5人に一人の確率で存在が医学的に認められた、HSPという性質を持つ人達の解説本でした。

精神疾患だと診られることの多いこの性質は、時に特殊能力と言えるほどの感覚を発揮する。他人に理解されることは少なく、その性質を持つために生きづらく、当人でさえ何かの病気だと思い込んでしまうほどのもの。

その特質の現れ方の度合いは様々で、それ故に神経を逆立てて日々暮らしているというHSPの人々は少なくない。


多くの人が持っているけれど、ただこの人達は敏感で繊細なのだと、周囲の理解さえあれば何ということはないのです。

苦しみの感じ方は人それぞれ違うのだと、それを軽はずみに「考え過ぎだよ」なんて、そんな一言で済ませないでほしいのです。

彼らは、「なんとかなるよ」とか、「考えていても仕方がないよ」という言葉が嫌いなんだと思います。そう言われる度にまた、心を刺されるような痛みに苛まれているのだと思います。

自分がそうだから、よく解ります。

だからこそ、理解したいと思います。理解してほしいと思います。


この本に描かれている人達が特殊だという話ではありません。

"そういう人達"がこの世界に、それどころか、多分ものすごく身近に居るのだということを知ってほしい。その存在を認めてほしい。願わくば、共存してほしいのです。


私の勤めている施設のお客様に当てはまる人が居ます。

お願いだから、クレーマーなんて言葉で片付けないで。








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2018.7.25


時は経ちまして現在ですが(笑)、またコンビニで即買いしてしまったバイブルがあるので近々ご紹介しますね。


私は弱い人間ですが、生きづらいのは弱いからじゃない、という言葉には少々救われました。

自分が特殊だと言いたいのではないのです。

ただこの本を読み終えた時、今まで味わったことのない安堵感を覚えました。

自らが正にそうだと思い当たる人がたくさん居るはずです。

むしろ、周りに思い当たるような人物が居る人は是非この本をその人に薦めてあげてほしい。

なんだったら、読んで理解を深めてください。


生きる勇気を、身近な人間だけが分け与えられるとは限らないのです。

悲しいですが。


それでは、次回はもう少し明るい話題で(笑)

またお会いしましょう。

アデュー









 


 

 
 
 
 
 
こんばんは、青木です。
お久し振りなのはお察しの通り、落ち込んでいたからです。
いや、絶望?地獄?悲劇?
自分はこの先何を楽しみに生きていけばいいのだろうと、本気で思いました。心から。
 
そうです、お察しの通りです。
愛してやまない安室奈美恵さんの引退、
Hilcrhyme KATSUさんの脱退。
 
いやもう言葉に起こすのも苦しいんです、マジで。
 
といっても、これらは我々の勝手な想いであって、当人様に押し付けることは許されません。
嘆くのではなく応援してこそだと分かっています。
が、
それでもやはり、目を逸らしたいと思うのが正直なところでして。
 
 
 
さて、ぱったりと途切れてしまったブログをまた再開したいなと思うまでには至り、色々と書き溜めています。
 
パラレルワールドに生きている私達は、自分達の舞台で生きるしかないのです。誰とも交差などしない。
だけど時々疲弊してしまうから、人を求め、理解を求め、交わろうとする。生きる希望を捜し、生きる価値を見出そうとする。
形があるものはいつか壊れてしまうけど、見えないものは形を変えてしまう。思わぬ変化というものはいつの時も残酷で、そんな時でも平衡を保とうとするから苦しくなる。助けを求めたくなる。支えを必要とする。
 
応援していたこちらが元気や勇気をもらっていて、彼らがその舞台を降りたらそれらが叶わなくなると独りよがりに考えがちですが、
同じ世界で生きていないからこそ、その変化や彼らの決断に揺れ動かされてはいけないとも思います。
心の中で彼らの音色が消えるわけではないのだから、悲しむ必要もないのだと思います。
だからといって、彼らの代わりは居ない。紛らわせられる何かがあれば良かったのにと思いました。
 
そんなこんなで青木は相変わらずぐずぐずしながら生きていますが皆様お元気でしたか。
今年は異常気象に拍車がかかっていますね。
猛暑、猛暑と騒がれていた数年前に、酷暑という言葉を初めて耳にし、次は何と呼ぶのかな。極暑ですか、激暑ですか。なんでもいいけど殺人級ですね、ほんと。
未来都市はあれですか、街が地下に出来て昼とか夜は機械装置で切り替わって、人類が太陽を見るのは真冬のみ、なんて世界になったりしませんか。「溶けそう」なんて今はただの暑さの表現のひとつでしかないけど、そのうち冗談じゃなくなったりしませんか。
ちょっといやだな。
 
無理は禁物です。日頃水分を摂るのが苦手な私でも水を欲するようになったほどです。
くれぐれも用心して過ごしてください。
またブログ一年(以上)前に遡って書きますので、お手すきの時にでもお付き合いくださいませ。
では。


会社に設置した自家製ミスト↓意外と効果的。


 
 
 
 
 
 



信じていた人が、人を傷つけ裏切り、人として罰を受けなければならない行いをしていたと知った時、自分はどうするのだろう。

尊敬してやまない彼が
絶対に許されないことをしていた



大切な人に、彼を信じるのはやめてくれと頼まれた。
恋愛感情の介入しないこの関係で、一体何事かと尋ねた。

胸が痛い
溶け出すことのない鉛が胃に溜まっているようだ



悔しいが、過去に憎しみさえ抱いた人々と同じ立場に立たされ、彼らの気持ちを理解した。

被害者の言葉だけを鵜呑みにはできない
彼を信じることにした



何か事情があったに違いない
きっと彼なりの理由があったのだ

私にとっては彼の生き様すべてが手本だった。
尊敬し憧れ、一生ついて行くと決めた。
いつの時も彼は、誠実だった。



思わぬ警告に一瞬惑わされたけれど、
今更自分の中に確立された存在を消すことや修正することなどできそうもない。ましてや、他人の意見で人に対する見解を変えるなど、私のルールに反する行為。そんなことは絶対にできない。
人の評価を変える時は、自分で見たもの感じたものが全て。

本当はどうしたらいいのか散々迷った。
警告をしてきた人の真剣な思いも解っているからこそ。
だけど、天秤にかけたわけではないが、会ったことも無い被害者の人伝の言葉なんかより、自分が通ってきた際どく危険だった瞬間とに考えを馳せた時、答えは出た。

彼が信じられる人間に値するかどうかではない
自分自身が彼を信じたいかどうかだと



そのうちに裏切られるのかもしれない
別にそれでもいい

彼の誠実さを、私はきっと誰よりも知っていて見てきたのだろう。

世界中の誰もが彼を後ろ指さしたとしても
私だけは最期まで信じたい

彼が孤独だということも、知っているから。
















 
 
 
 
 
こんにちは、青木です。
仕事はハードになったのだけど、そんな合間にも、私に充実した時間の過ごし方を与えてくれる先輩たちが居ました。
私は本音と建前の見分け方が分からないので、大人に言われることは全部建前だと思うことにしています。笑
 
こちらはお世話になったと思っていても、あちらはお世話した覚えはないということはよくある話で、
こちらが真剣に思いを伝えているつもりでも、あちらには全く届いていなかったりもする。
でも、そんなあれこれひっくるめて私の多くを理解してくれる人がなぜか居て、
居てくれるのに「なぜか」って言うのも失礼な話なんだけど、
終業後帰宅前の90分ほどが、今の私の支えになっています。
 
 

少し前に、テレビで心理テストをやっているのを見ました。
良ければやってみてください。
 
一枚の紙に、
①家
②煙突
③池
④生き物
を描いてください。
 
いいですか?
描けましたか?
 
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/青木画
 
一つの質問が、「あなたが信頼している人の数」という結果で、私には2人居る、という診断でした。「心を開いている人の数」とも言ってたかな。
この結果を鵜呑みにするわけではないのだけど確かに、思い当たる人が二人居ました。
だけどそこでふと、その二人にまったく同じ接し方をしているかと言うとまるで違っていて、その差はどこにあるのだろうかと考えてみました。
 
“信頼”って何でしょう。
前にも本当の友だちってなんでしょうとかくどいこと書いたけど、今日は信頼ってやつをくどくど考えてみます。
 
“信用”とは違う。その違いは、なかなか大きい。
辞書を引くと、
「信用している人」は、嘘や偽りや計算がなく、信じて疑わないで居られる人。
「信頼している人」は、評価し認めていて、任せられると思える人。
みたいなことが書いてあります。
 
私の中に浮かんだ二人の違いは、“信頼”と“信用”の違いかもしれないと思いました。
信用している人と信頼している人がひとりずつ。充分な気もするし、少し寂しいかもしれない。
でもその二人に自分の100%すべてさらけ出せるのかと言われるとそうじゃないし、関係性が違うから話す事柄も違う。
仕事の話はAさんに、恋愛の話はBさんに、趣味の話はCさんに、人の悪口はDさんに(笑)みたいに、きっと無意識に分けられているのが普通なんでしょう。ほとんど無意識だから、仕事の話をBさんには絶対にしないぞと決めているわけでもきっとない。
そう考えたら、もっと居るぞ失礼な!とやっぱり反抗してしまったりするわけですが……w

さて、結果発表です。
この心理テストでは、
①家に描いた窓とドアの数=あなたが信頼している人、心を開いている人の数を表しています。両開きのものは「2」と数えます。
②煙突から出ている煙が、=仕事に対するやる気を表しています。もくもくと立ち上る煙を描いた人は仕事にやる気がみなぎっていて、そうでない人は、お金の為だけに働いている人です。
③池=お金。大きな池を描いた人ほど今の経済状況に満足していて、小さな池を描いた人ほどお金に飢えています。
④生き物=性の象徴。
空を飛ぶ生き物を描いた人は妄想やロマンチックな部分がある人。
地面に生き物を描いた人は普通の感覚の人で退屈とも言える。
池の中に生き物を描いた人は性に対する執着心が人一倍強い人。
といったことが分かります。
どうですか?当たっていましたか?
 
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10人居たら10人とも違う描き方をするんだろうなと思うと面白いですね。
 
 
最初に頭に浮かんだ二人のうちの一人。彼は、多分自分と似ているところがあって、話が合う。
そして今の私の抱えるものを通過してきたから、私としては解答を用意してもらっているみたいな気分になる。この人は凄いと純粋に思うし、理解してもらえれば、とても救われた気分になる。
もう一人は自分でも驚くほどに信用していて、多分こちらも自分と同じ、平たく言ってしまうと他人に興味がなくて噂話を嫌う。だから私一人では抱え切れない秘密の話を聞いてしまった時、一番に思い浮かぶ人。何の抵抗もなく話せて、それがどう転んでもアウトプットされることがないと知っている。
 
でも一言に信用とか信頼とか言ってみても、やっぱりどこかに隠し事をしたり、少しの無理をしたり、嫌われたくないという感情が邪魔をして言葉を選んだり……でもそれは大人として最低限の距離感を保とうとしているからかもしれない。歳を増すごとに臆病になっていく部分は多くの人にあって、心を開いたり閉じたりしながらバランスを取ろうとしているのかもしれない。
 

社会という戦場では、互いが互いを認め合い共に邁進して行かなければ簡単に歪みが生まれてしまう。

合理的で打算的な事も時には必要だけど、探り合い、騙し合い、駆け引きが渦巻く中で皆独りで闘っている。

それでも、一つの目標に向かう時には、同志と呼べる人、仲間と呼べる人と共に行けたらいいと思う。

私は輪の中に入っていくことがとても苦手だけど、信頼出来る人が居るだけで恵まれていると心底思います。

 
 
信頼している人は同時に、大切な人だと思います。
“信用”は片一方だけが持っていたら悲しいけど、“信頼”はこちら側だけでも成立するものなのかも。
信用には段階があって、その段階ごとにできる話が割とあるけど、信頼出来る人はそう居なくて、ハードルが高い。でもどちらも、人から得るのは簡単じゃない。
ミーティングと称してただ私の話を聞いてくれる先輩に、私は心からの信頼を寄せています。大切な存在で、信用もしてる。この人は建前を言わないと信じたいし、お世話になった感謝を返したら、真っ直ぐに受け取ってくれる。そしてまたそれ以上のものを与えてくれる。

仕事を、相談を、自分を任せられる人との時間は何よりも安心感があって失いたくないと思う。でも、当たり前になってはいけないとも思う。

そう思う誰かに、同じように思ってもらえる人になりたいと思います。やっぱりこちら側だけでは寂しいから。

どんと構えて、いろんな話を持ち掛けられる、信用も信頼もされる人になりたいと思います。少人数でもいい。ひとりでもいい。

私が誰かにかけがえのない時間を与えてもらっている分、建前など必要のない関係を築けていけたら、それ以上の事はないと思います。

 

 

 

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さて、5月の中旬はなかなか忙しかったです。ということは?充実していたということですね。

しょうがないな、と言いながら仕事終わりに奈良から出向いてくれる先輩は、たぶん誰にも言えない話を聞かせてくれていて、多分それは、私が適度に離れた位置に居るからだと思う。

あまり身近な人には色々話せないけど、私には大事なことを話しても影響がないんだと思う。

で、せっかく貴重な時間と知識をまた与えてもらったのに、翌週に前の職場に行って精神を消耗して帰って来ました。行くんじゃなかった。はは

その中身はまぁ、いいとして、それで丸々二日は立ち直れなかったところに、定例ミーティングです。いや相変わらずタイミングが絶妙ですねって多分口に出てたな。

来月は心開ける仲間たちと先輩の生誕祭です。先輩がいっぱい出てきてややこしいので、次からはあだ名を付けることにします。途端に私のブログに登場しなくなったりしてw

 

心理テストは分かり合った人達とのコミュニケーションを取るのに最適ですね。

また面白いのがあったら持ってきます。

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
久し振りに空がへんな色をしていたので写真を撮りました。
 
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やっと、新しい業務にも慣れてきたのか、写真を撮るという発想が少しだけ戻ってきた。
それは、よく話をしてくれる先輩のおかげだったりもします。

 

先輩宅のにゃんこ。

 

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なんっってかわいいんでしょう。

 

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あーもふもふしたい。

アレルギーだけど。←

 

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戦い。

 

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なかなか激しめw

 

 

 

一ヶ月で4回通った歯医者がいったん終わりました!

えらい!よくやった!ちゃんとまじめに行った!!

普通のことですね、はいすいません。

後から抜かれた左の親知らず、下の方が斜めに生えていたみたいで、激闘でした……お兄さん先生が。

まだ抜いた後の歯茎がびらびらしています。

2回目の時に歯石もごっそり取っていただいたので、正しい磨き方でちゃんとケアがんばります。

次は半年後です。おそらくきっとたぶん、行けると思います。

でも何するにもとりあえず麻酔打ってくれないかな。(まだ言う)

 

4月18日、初メンバーでの飲み会は疲れるくらい笑って笑って笑い倒して終わりました。

年上の同期と疲れたねーなんて言いながら帰ったけど、なんて心地よい疲労感なんでしょう。

こんな気分は久し振りです。

誰にも言えない話を持っている私達は、本社という閉鎖的な空間の中でなんとなく日々を過ごしているけど、言葉を選ぶ場面が多過ぎて周りとぎくしゃくしてしまっている。それは目に見えないものではあるけれど。

隙間を見つけてはいつもこそこそと二人で本音を言い合っていたのが、きっと今日はいつ振りかに解放されて、だから笑い疲れたけど、すごくいい時間だったと思えました。

GOD会と名付けられたこの会を出来る事なら定期開催したいな。

こんな風に人と交わるから此処を去る決心が鈍るのだと分かっているけど、欲望のままに生きていくと決めたから、それはそれでいいと思っています。

必要だと思えば、それを相手に伝えたいのです。

話したい、顔を見たい、触れたい。ぱっと目が合って握手やハイタッチをするような、それと同じことなんです。

私達がGODと慕う先輩は、皆が楽しかったならそれだけでいいと言っていました。私達にとってもそれは同じだから、とてもいい時間だったと思いました。

 

 

 

さて、会社では社員研修という名の社員旅行の話が大詰めに入っています。

何が嬉しくて会社の人間と旅行しないといけないのって言ったら、割と賛同を得られて苦笑いするしかありませんでした。

行き先はナガシマスパーランドからのー

なばなの里ですって。

2月に行ったばっかですけどー!

まぁ、初めてのなばなの里が会社行事じゃなかっただけましと思うことにします。

写真は撮ってきます。

そんなことよりどうやって過ごすのか、どこで心のエンジン切ったらいいのか、当日までまた頭を抱えそうです。

可能ならチームGODで動くのが安心安全。果たしてそれが叶うかどうか。。

不安しかないけどいつも通り考えなくてもいいことまで考えて、なんとか乗り切れるよう最後は神頼みします。

定例のGODではない方の先輩とのミーティングで策を練ろう。巻き込もう。

 

ではまた。

 

2017.4.28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
心の支えというのはいつの時も、自分に都合のいいものだと感じます。
どんな形でも自分を受け入れ、ひとときの安らぎを求めては現実を直視する時間を減らせる場所、人、物を探してしまう。
けれどそれが日々の活力になり動力になれば、逃げているばかりではないと自分を否定せずに居られる。
場所も人も物も、支えがなければ倒れてしまう。
 
 
 
私は、人より気が短いと思っています。
そうは見えないと言われるけれど、見せないようにしているところもあるけど、憤りが内に向かって行く傾向にあるから見えにくいだけだと思っています。
怒りや苛立ちが常にあって、ちょっとしたことで熱を発します。それが零れては、周囲に迷惑がかかると思うから、本当は抑えるのにいつも必死です。
 
でもそれを吐き出させてくれる人が居て、受け止めてくれる人が居る。
私が間違っている場合も、そんな風に考えてはいけないという場面も、考え過ぎだと言われる状態も引っ括めて、でも私はこう思うのと、そうすればただ楽になって、頭が冷えていくことを知っている。
自分の事を自分が一番わかっていないから、悪い癖や欠点をそうして修正していきたいと思います。話を聞いてもらっている分、成長しなくてはいけないと思います。
 
楽しみな行事がありながらも、会社でうまく消化できないことがあって、でも仕事は選べるわけではもちろんないから、めそめそしながらただ時間が過ぎるのを待っている。
そんな時に、今ココで、という瞬間に、見たい顔が現れた時は、まるで凝り固まっていた何かが溶けるように、止まっていた時間が流れるように感じるのだと初めて知りました。自分が般若のような表情をしていたかもしれないということも……
同時に、いつの間にか支えになっていたのだと気付いて驚愕しました。
 
次の日の飲み会のために長居はせず、差し入れだけ置いて去っていったけど、そのスマートさは惚れ惚れするくらいでした。きっと心配をかけてしまったのだと反省もしました。でもそのおかげで一日を終えることが出来たと感じたのは、決して大袈裟じゃない。
 
私は仲間に居場所を与えてもらったけど、小刻みに過ぎる毎日の居場所は自分で見つけなくてはならなくて、似たような感覚でそれを日常に組み込んでいる先輩が、いつもヒントを与えてくれます。
求め続けていた共感を得ることができた。
 
私は支えられている。自分の都合のいい時に、誰かに支えてもらっている。
誰もが周囲に生かされているけど、自分も誰かが倒れそうな時、疲れたらちょっと手をかけて休めるような、そんな支えになれたらいいと思います。
誰かのためならば立って居られる気がするから。

その人の都合で、加減で、タイミングで、求められたならなんだって出来る気がするから。

 
領域を穢すことはできないけど、此処に居るよと示してくれるのは、みんな孤独が怖いから。
そんな都合も、自分の弱さを認めた後なら一層愛おしい。
いつかそんな居場所さえも、共有できる日が来るかもしれない。
それまでは、しっかりとそのポジションを掴んでいたいと思います。
 
2017.4.17
 
 
 
 
 
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