こんにちは、青木です。
仕事はハードになったのだけど、そんな合間にも、私に充実した時間の過ごし方を与えてくれる先輩たちが居ました。
私は本音と建前の見分け方が分からないので、大人に言われることは全部建前だと思うことにしています。笑
 
こちらはお世話になったと思っていても、あちらはお世話した覚えはないということはよくある話で、
こちらが真剣に思いを伝えているつもりでも、あちらには全く届いていなかったりもする。
でも、そんなあれこれひっくるめて私の多くを理解してくれる人がなぜか居て、
居てくれるのに「なぜか」って言うのも失礼な話なんだけど、
終業後帰宅前の90分ほどが、今の私の支えになっています。
 
 

少し前に、テレビで心理テストをやっているのを見ました。
良ければやってみてください。
 
一枚の紙に、
①家
②煙突
③池
④生き物
を描いてください。
 
いいですか?
描けましたか?
 
image
/青木画
 
一つの質問が、「あなたが信頼している人の数」という結果で、私には2人居る、という診断でした。「心を開いている人の数」とも言ってたかな。
この結果を鵜呑みにするわけではないのだけど確かに、思い当たる人が二人居ました。
だけどそこでふと、その二人にまったく同じ接し方をしているかと言うとまるで違っていて、その差はどこにあるのだろうかと考えてみました。
 
“信頼”って何でしょう。
前にも本当の友だちってなんでしょうとかくどいこと書いたけど、今日は信頼ってやつをくどくど考えてみます。
 
“信用”とは違う。その違いは、なかなか大きい。
辞書を引くと、
「信用している人」は、嘘や偽りや計算がなく、信じて疑わないで居られる人。
「信頼している人」は、評価し認めていて、任せられると思える人。
みたいなことが書いてあります。
 
私の中に浮かんだ二人の違いは、“信頼”と“信用”の違いかもしれないと思いました。
信用している人と信頼している人がひとりずつ。充分な気もするし、少し寂しいかもしれない。
でもその二人に自分の100%すべてさらけ出せるのかと言われるとそうじゃないし、関係性が違うから話す事柄も違う。
仕事の話はAさんに、恋愛の話はBさんに、趣味の話はCさんに、人の悪口はDさんに(笑)みたいに、きっと無意識に分けられているのが普通なんでしょう。ほとんど無意識だから、仕事の話をBさんには絶対にしないぞと決めているわけでもきっとない。
そう考えたら、もっと居るぞ失礼な!とやっぱり反抗してしまったりするわけですが……w

さて、結果発表です。
この心理テストでは、
①家に描いた窓とドアの数=あなたが信頼している人、心を開いている人の数を表しています。両開きのものは「2」と数えます。
②煙突から出ている煙が、=仕事に対するやる気を表しています。もくもくと立ち上る煙を描いた人は仕事にやる気がみなぎっていて、そうでない人は、お金の為だけに働いている人です。
③池=お金。大きな池を描いた人ほど今の経済状況に満足していて、小さな池を描いた人ほどお金に飢えています。
④生き物=性の象徴。
空を飛ぶ生き物を描いた人は妄想やロマンチックな部分がある人。
地面に生き物を描いた人は普通の感覚の人で退屈とも言える。
池の中に生き物を描いた人は性に対する執着心が人一倍強い人。
といったことが分かります。
どうですか?当たっていましたか?
 
image
 
image
 
10人居たら10人とも違う描き方をするんだろうなと思うと面白いですね。
 
 
最初に頭に浮かんだ二人のうちの一人。彼は、多分自分と似ているところがあって、話が合う。
そして今の私の抱えるものを通過してきたから、私としては解答を用意してもらっているみたいな気分になる。この人は凄いと純粋に思うし、理解してもらえれば、とても救われた気分になる。
もう一人は自分でも驚くほどに信用していて、多分こちらも自分と同じ、平たく言ってしまうと他人に興味がなくて噂話を嫌う。だから私一人では抱え切れない秘密の話を聞いてしまった時、一番に思い浮かぶ人。何の抵抗もなく話せて、それがどう転んでもアウトプットされることがないと知っている。
 
でも一言に信用とか信頼とか言ってみても、やっぱりどこかに隠し事をしたり、少しの無理をしたり、嫌われたくないという感情が邪魔をして言葉を選んだり……でもそれは大人として最低限の距離感を保とうとしているからかもしれない。歳を増すごとに臆病になっていく部分は多くの人にあって、心を開いたり閉じたりしながらバランスを取ろうとしているのかもしれない。
 

社会という戦場では、互いが互いを認め合い共に邁進して行かなければ簡単に歪みが生まれてしまう。

合理的で打算的な事も時には必要だけど、探り合い、騙し合い、駆け引きが渦巻く中で皆独りで闘っている。

それでも、一つの目標に向かう時には、同志と呼べる人、仲間と呼べる人と共に行けたらいいと思う。

私は輪の中に入っていくことがとても苦手だけど、信頼出来る人が居るだけで恵まれていると心底思います。

 
 
信頼している人は同時に、大切な人だと思います。
“信用”は片一方だけが持っていたら悲しいけど、“信頼”はこちら側だけでも成立するものなのかも。
信用には段階があって、その段階ごとにできる話が割とあるけど、信頼出来る人はそう居なくて、ハードルが高い。でもどちらも、人から得るのは簡単じゃない。
ミーティングと称してただ私の話を聞いてくれる先輩に、私は心からの信頼を寄せています。大切な存在で、信用もしてる。この人は建前を言わないと信じたいし、お世話になった感謝を返したら、真っ直ぐに受け取ってくれる。そしてまたそれ以上のものを与えてくれる。

仕事を、相談を、自分を任せられる人との時間は何よりも安心感があって失いたくないと思う。でも、当たり前になってはいけないとも思う。

そう思う誰かに、同じように思ってもらえる人になりたいと思います。やっぱりこちら側だけでは寂しいから。

どんと構えて、いろんな話を持ち掛けられる、信用も信頼もされる人になりたいと思います。少人数でもいい。ひとりでもいい。

私が誰かにかけがえのない時間を与えてもらっている分、建前など必要のない関係を築けていけたら、それ以上の事はないと思います。

 

 

 

image

 

 

 

 

 

さて、5月の中旬はなかなか忙しかったです。ということは?充実していたということですね。

しょうがないな、と言いながら仕事終わりに奈良から出向いてくれる先輩は、たぶん誰にも言えない話を聞かせてくれていて、多分それは、私が適度に離れた位置に居るからだと思う。

あまり身近な人には色々話せないけど、私には大事なことを話しても影響がないんだと思う。

で、せっかく貴重な時間と知識をまた与えてもらったのに、翌週に前の職場に行って精神を消耗して帰って来ました。行くんじゃなかった。はは

その中身はまぁ、いいとして、それで丸々二日は立ち直れなかったところに、定例ミーティングです。いや相変わらずタイミングが絶妙ですねって多分口に出てたな。

来月は心開ける仲間たちと先輩の生誕祭です。先輩がいっぱい出てきてややこしいので、次からはあだ名を付けることにします。途端に私のブログに登場しなくなったりしてw

 

心理テストは分かり合った人達とのコミュニケーションを取るのに最適ですね。

また面白いのがあったら持ってきます。

ではまた。