夜の接待で記憶に残るのはやはり食い物の事しかありません。私は酒を飲まないので、ウーロン茶を飲みながら癖のある次長がぐいぐいと勢いよく酒を飲むのを感心してみているだけでした。繁華街にあるレストラン街では最終的に何回も通い顔なじみになったのは、京都の料亭の出店でした。
この店は私が転職前の会社に勤務している時、どうしてもシステムを受注したいお客様がいてユーザー見学を京都の町工場で行いました。お客様の専務以下技術者が3名程同行して工場の現場を視察したのですが、専務は肝心のコンピュータシステムよりも現場の作業工程に興味が湧いて担当者に「作業の仕方を見ておきなさい」と語気を強めて技術者に言っていたのを覚えています。工場見学が終わったのは午後5時も過ぎて夏場でしたが少し暗くなってきたので予約していた料亭まで車で移動しました。料亭では主人らしき人が挨拶に来たので特別な客とでも思われたのかと勘違いした程でした。借景の庭を見ながら、色々な形をした器に少しずつ料理が乗って出来てきたので満腹になるのか心配でしたが、食べなれない高級な料理でちゃんと腹一杯になったので私は満足でしたが、お客様は田舎の会社の人達ばかりでしたのでえらく恐縮をするばかりでした。これで舞妓さんでも呼べば絵にかいたような酒席になったと思いましたが、それは普通の接待では度を越しているし、会社でもそんな接待は認めないと分かっていたので段取りはしませんでしたが、何となくそういうことが似合いそうな座敷の雰囲気で、酒の飲めない私でも非常に楽しかった印象を持ちました。
この料亭の出店は京都での好印象が残っていたので、自然と何回も足を運ぶようになっていきました。値段が少々張るのが玉に瑕に感じましたが、とっくに癖のある次長への接待では会社への請求は諦めていたので、どうでもいいやと少々投げやりの気持ちで一番高いコース料理を注文していました。癖のある次長は遠慮も無く高い地酒とか好きなワインを飲みほしていました。料亭の出店だけにちゃんとした板さんがいるらしく、前菜・煮物・焼き物・てんぷらなどはどれでも美味しいのは当然でしたが、仲居さんがいちいち料理の野菜とか魚の種類を説明してくれたのは中々に楽しいものでした。大きな鮎の塩焼きも和歌山から直送された天然ものとかいう解説を聞くと、そういう物を食うだけの価値がある人間なのかと考えてしまうのでした。最後のご飯も普通の白飯ではなく鯛飯にはじまり、秋には松茸ご飯とか本当に贅沢だな思えるようなものばかりでした。こういう贅沢な夕飯が体重が増える事になる要因だろうと思い、癖のある次長を接待した夜は下剤を飲んで体が栄養を吸収しないようにと努力していましたが、効果はあまりなかったようでした。
この料亭の出店には2年以上にわたり度々行くので段々と顔がつながって、店の座る場所も最初は入り口付近だったのが最後には何時も店の一番奥に案内されるようになりました。それに夜も遅いので癖のある次長が散々に酒を飲んで少しは満足した頃には閉店の10時をとっくに過ぎていた時も「そろそろ閉店ですが」などという無粋な事は一切言われなかったのは常連客だからという特別扱いをされていたのかなと感じたのでいた。店のレジの前にはお土産用の佃煮とかが売っているので癖のある次長には家族用にと持ち帰らせていました。
癖のある次長の接待では、何処の店に行っても必ずお土産を持たせて帰らせるのが私の流儀だったので、そういう気遣いも毎度なので大変でした。お土産ついでに私がヨーロッパ旅行に行った時も、ウィーンのデメルで買ったチョコレート菓子を帰国後に宅配便で送ったら、夏場なのでチョコレートが溶けていたので冷蔵庫で冷やして固めたという連絡がありました。
又、この料亭の出店は昼も高い値段のランチがあって、癖のある次長の会社で午前中の会議が終わった後に何回も行きました。昼のランチは安いと言っても5・6千円もするのでこれまた懐が痛みました。私と癖のある次長がこの店にくるのは最後の客として夜8時から9時以降ばかりだったのですが、昼間は普通におばさん連中でにぎわっていて繁盛の程が分かる程でした。店の中に座る場所も無いと思っていても、私の顔を見た仲居さんがこじんまりとした小さな部屋を何時も用意してくれたのは常連客として顔が売れていたせいかと思ったのでした。
 
私が自腹で癖のある次長を接待している時には、会社の幹部は接待名目で私用で酒を飲んでいました。個人又は会社の仲間だけで接待をしたかのように偽装して申請する行為は内部統制上の違反行為であり、まして管理職や役員がこういう行動をするということになれば会社ぐるみの違反行為、コンプライアンス違反になると思いました。又、役員自身がこういう行為をやってたせいか、私が勤務している時には禁止の通達などは皆無でした。営業という職務上許されると勘違いして、建前の接待やゴルフをしている幹部が多かったように思えました。
海外出張も建前があるからと平気で繰り返し行く幹部もいましたが、明らかな内部統制違反・コンプライアンス違反でした。海外出張を認許する役員も内部統制とかコンプライアンスとかを理解していないと思えました。
最近は会社経営にガバナンスという考え方が使われるようになりましたが、建前があるから社内の承認は通るという考え方は明らかなガバナンス違反と感じていました。
話題は少し外れますが、新システム開発が始まってから翌年の夏頃にはプロジェクト開始で発覚した諸問題が一応の解決をみた事と、私の接待攻勢もあり表面上は顧客との関係は良好に見えました。
又、どういう風の吹き回しか分からないのですが、癖のある次長が実質情報システム部の責任者という地位になったこともあったのか突然ゴルフを始めたと聞かされました。
癖のある次長にはスポーツなんかは全く縁遠いものだと思っていたので意外でした。唯一あるとすれば見栄かなとも思えたほどでした。新システム開発に絡んで、外資系コンピュータ会社からは相当の裏金を貰ったらしいというのは、1千万円位のスポーツ車を購入してスマホに入れて見せびらかしていたのでピンときましたが、本人はそういう事には無頓着なのが頭隠して尻隠さずというものかなと思っていました。購入した車が二人乗りのスポーツ車だったので、スポーツというカテゴリに興味があるのがわかり、そこにゴルフを始めたということに通づるものがあるのかなとも勝手に理解をしたのでした。
「最近ゴルフが流行っています」と自分で始めたゴルフが情報システム部内で部下を無理やり誘っていることをそう表現していました。休日に河川敷の安いゴルフ場に行っていますと聞かされる事が度々で、部下も嫌とは言えないのか「へへへっ、そうなんです」と無理に笑いながら癖のある次長に同調をしていました。

そんな時に私の勤務していた会社の上司である営業部長とか子会社の幹部とかが、この顧客の受注が好調とか何より利益も高いと言うのを会社の中での建前のお題目として見つけて、自分が好きなゴルフをこの顧客をだしにしての接待が始まったのでした。私は長年ゴルフ接待をしていなかったし、今更ゴルフなんかしたくもなかったので参加しませんでしたが、新システム開発が途中で頓挫する2年間は、私の勤務していた会社の幹部は丁度良いゴルフ接待の相手が見つかったとばかりに癖のある次長を盛んにゴルフ接待をするようになりました。ゴルフの接待が終わった月曜日には、私が「どうでしたか」とゴルフ場での癖のある次長との会話を聞く必要もないと確信をしていました。
営業部長や子会社の幹部は、癖のある次長の下手なゴルフの相手をした感想として、この顧客とは良好な関係が築けているというのを確認できただけでなく、これからも新しい案件が受注できるのではないかと思ったらしいというのは私はゴルフ接待をする前から分かっていました。
癖のある次長から、私が新しい案件受注のあうんの見返りの裏金を渡すと共に自腹接待で完全に文句を居合わせない程に抑え込んでいるので、癖のある次長としてみれば十分にお礼になっていると思い込んでいるので、私の勤務している会社に対しては悪い話は一言も出さないのは当然の事でした。裏金の効果は一か月も続かないのですが、夜の接待が間合いを埋めたということだと思いました。
それにしても私が不思議に感じていたのは営業部長や子会社の幹部が、この時この顧客とは何でこんなに良好な関係にあるのか不思議に思わなかったという疑問でした。人間関係の機微には疎い社風がそういう疑問を呈させることが無く、管理者は人間関係に無神経であることが露見したのだと思っていました。同時に、社風として人間関係に無神経な社員が第三者にサービス提供とか販売とかをしているので、多くの顧客とぎくしゃくしているように思えましたが、そういう事に全く気づかない役員も又同じ穴のムジナだろうとも感じていました。随分と昔話の武家の商法を地で行くようなものかと理解をしていました。
いずれにしても問題のある管理者が闊歩する会社であったのは間違いないと思うと当時に、何故そういう管理者が登用されるのかというと、やっぱり役員も同じ部類の人種なのだろうとも思えました。
いずれにしても、この癖のある次長が情報システム部を席巻していた頃は、私が舞台の裏方として姿を隠して仕切っていたので、表舞台は立派に出来ているし段取りもスムーズに進むしと文句のつけようの無い劇が演じられていたのですが、それが劇であるとも知らない管理職は踊らされていただけとは考えもつかなかったのだ思っていました。
癖のある次長の夜の接待では本当に常識以上の大枚を散在してしまいましたが、新システム開発プロジェクトで私の勤務する会社の担当者が何かをやらかしても何事も無かったかのように許してもらえると思えば仕方無いことと割り切るしかなかったと考えていました。
このような個人の接待が始まった最初の頃は、夜の接待は繁華街の何処か目印のある場所とかで待ち合わせをしていましたが、プロジェクトが段々とよれてきて癖のある次長も夜8時とか9時位にかにしか情報システム部の部屋を出られなくなるような事態になると、会社の近くのファーストフード店で待ち合わせをするようになりました。この時の出来事は以前の項で記述しましたので省きますが、じっと店内から道行く人やファーストフードを買い求める人たちを見て、その人の生活とはどんなものかと想像しながら癖のある次長が来るのを待っていました。こういう内緒の接待は同じ会社の社員に知られないようにと配慮して、待ち合わせ時間に癖のある次長が現れなくても決して督促の電話などはしませんでした。1時間以上も遅れるのはざらで、夜10時過ぎに現れた時も空になった紅茶のカップを前にして焦らずじっと待っていました。そういう時にはどういう事件が起きているのか癖のある次長は自分で白状するので状況が把握することが容易に出来ました。普段ならば自宅に帰ってとっくに風呂に入り終わり、テレビのニュースを見ながら寝る支度をしている時間に、しょぼしょぼする目をかっちと開けて身構えていられたのは、この接待は仕事であると自身に言い聞かせていたので出来たのだろうと思っています。営業マンのプロフェッショナルとして根性の見せ所だと思えば眠気も自然と失せて行きました。

夜の接待ではありとあらゆる飲食店に行ったと思います。これほど気の利いた接待を受けた人はいないのではないかと思えるものだったと思います。自腹の接待とはいえ決して相手に不満を思わせるのは嫌なので、相手が満足するまで徹底するというのも私の性格がそうさせたのだろうと思います。それくらいに相手は接待されると、出ばなをくじかれた如く意地悪な性格が溶けてどうでもいいような風に変化するような人間なので、こちらもそれじゃやってやろうという気になるのでした。
そういう変な人間関係がプロジェクトの開始半年後から約3年間も続いたのでした。そういう策を打っているので、朝会社に出社して自分のパソコンでメールを確認してもクレームなどは来るはずもないので安心できました。それまでは、何か変な言いがかりを付けられるのではないかという変な不安感が毎日のようにあり心理的に非常に悪い日常を送っていましたが、この接待攻勢を続けていた3年間のみは全く気分が違い昼間の会社で過ごす時間ものんびりできていたと思いました。新システム開発を受託した外資系コンピュータベンダーが何かをやらかしとエンジニアから報告を受けても、私の勤務していた会社が受託した仕事に影響がなければ「そうですか、そりゃ大変だ」と他人事で済ませられるくらいに余裕ができていました。
 
接待する店は何時も同じではいけないというので、初めの頃は繁華街にあるレストラン街の4フロアにまたがっている店を順番に全部回ろうと言うことにして、味やサービスの良い店は繰り返し利用するということになりました。寿司屋に始まり、日本料理、中華料理、西洋料理とあらとあらゆる料理を食べることになりました。
癖のある次長はそういう店に入ると他人の様子が気になると見えて良く私に解説をしてくれるのでした。夜が遅いので飲み屋のおかみさん風の人なんかが来ているのですが、ちょいと厚化粧の女が気になるのか「今、板さんとメールのやりとりをしましたよ」なぞというのを私に解説するのが楽しいようでした。私は酒を飲まないし、そういう類の人間も好きではないので全く関心がないのですが、癖のある次長は私とは全く正反対な性格なので飲み屋の女将とかが気になるとしか思えませんでした。それからバニーガールのいるキャバクラに行きましょうと言われると嫌だと思いながらもとぼとぼとついて行きました。このお気に入りのキャバクラ店も場所が変わってもちゃんと行けていたのは、私と一緒の時以外でも一人で何度も来ている証拠かなと思ったこともあります。
このキャバクラに情報システム部の美人の女性社員を連れてきて得意になっていましたが、件の社員はキャバクラ嬢よりもずっと美人で酒も強いので「明日からここに出社しましょうか」と冗談を言って笑っていました。癖のある次長は部下をこのキャバクラに呼んで自分の力があるのだというのを見せつけようとしていましたが、部内での評判は一向に良くはなりませんでした。そういう表面的な事では誰も懐柔することは出来ず、元々の性格が変なので部内では嫌がられていたということが自分では分かっていないなと思っていました。何より自分で金を払わないで、私が金を支払うので部員はそういう場面を見て余計に心は離れていったのではないかと思いました。
この顧客で新システムの開発が始まってから中断するまでの3年半もの間に癖のある次長を自腹で接待したのは以前にも記述した通りですが、この接待で食った物について忘れられないのは人間と言う生物の特性がそうさせたのだろうと思います。特に私は酒が飲めないのでウーロン茶ばかりを飲んでいたので余計に料理の質が気になったのかも知れないと思います。
癖のある次長は尋常では無い酒の飲み方と尋常では無い性格でしたが、私と酒を飲むときはスポンサーであるというのを意識してか、会社での会議での席上の見下した会話に対して、極めて普通の会話に終始するので相手にするのには楽でした。辛いのは私の財布ばかりという事でした。
接待は昼食と夜の酒席との2部構成でした。昼食は顧客の会社の近くで蕎麦屋とかすし屋で食べるくらいなので値段も知れたものでした。それでも癖のある次長は午後の会議の時は大抵早めに来ませんかと誘ってくるので12時前には会社の前で待ち合わせては近所の同じ会社の社員が来そうにない店を選んでは行きました。
データセンターに来る必要の無いくだらない用事で昼間にデータセンターに来るときには、データセンターは住宅街にあって気の利いた店も少なく、地下鉄駅前の和食屋がランチの定食で店の看板料理を安く出していたので何時も利用していました。今ではその看板料理が何であったのかも思い出せない程に美味しくはなかったというのは覚えています。
 
話は少し脇道にそれますが、昼飯の思い出で面白かったのは顧客の情報システム部長と癖のある次長と一緒に埼玉県の小川町にあるデータセンターを見学した時の事でした。そのデータセンターは埼玉県のものすごい田舎にあるので訪問する時は、顧客は電車で東京から目的の駅まで行ってからタクシーで行くか、ないしは東京から社用車で行くしかないのでした。
この時は顧客の高級な社用車を借りて朝9時前には東京都内の会社を出発して埼玉のデータセンターに向かいました。データセンターの営業マンからもらった地図を見ながら進みましたが、高速道路はいいとしても一般道に入ると田舎なので標識も無く少し迷いながらのろのろと進み目印の石屋とかの風景を見つけて漸くたどり着くことが出来ました。
この田舎のデータセンターでは会社概要やデータセンターの説明とコンピュータの設置場を見学して、見学会の終わりが12時の少し前になりました。データセンターの営業マンが折角なので名物の昼飯にご案内しますというので、田舎の商店街の端にある風格のある古そうな店に案内されました。旅館業と兼業しているような店らしいと思えました。
こういう田舎の格式あるらしい店なので「うな重」とか「懐石料理」でも出るのかなと期待が膨らみましたが、出てきたのはお茶漬けでした。正式な名前は失念しましたが、いずれにしても地場の名物料理という能書きを聞きながら食べた思い出があります。
同席のデータセンターの営業マンは我々が気落ちしているのも感じていないようで「時々はお客様からカブトムシを持ってこいと言われて、この近くの山で捕獲して持って行くこともありました」という話をして場を盛り上げようとしていました。

お茶漬けは、特別に美味しいと言うほどのものではなく普通のお茶漬けだと思いました。帰りの車の中でも「昼食をご案内しますと言ってお茶漬けとはね???」という事を誰もが何度も繰り返しながら東京の顧客の会社まで戻ったという思い出があります。 

先回の記述は以前にも同じような事を書いた記憶がある非常に接待が辛かったという思い出でしたが、それが段々と頻度を増していったのは私が情報を探ろうとしたという理由だけではなく、癖のある次長はプロジェクトが思い通りにならないと言う不満のはけ口と同時にプロジェクトが不成功に終わるのではないかという素人ながら漸くプロジェクトの危険性を感じ始めて心理的な抑圧があったのではないかと感じていました。

プロジェクトが1年もたたないうちに迷走を始めていました。それは元々は業務システムの刷新と言いながら要件を整理しているチームがあったらしいのですが、中々要件が確定せず困っているということでした。これは顧客が急成長して業務整理ができないうちに業績だけが独走して向上するので現場が日常業務に急がしくてシステム開発に中々協力できないという事もあったと思いますが、それは最初からリスクとしてあったもので受託した外資系ベンダーでも分かっていたと思いますが予想以上にひどい状態であったのだろうと推測していました。癖のある次長も元々「宜しくお願いします」と丸投げでシステムは開発できるものと勘違いしていたので、それを外資系コンピュータベンダーは逆手に取って受注したのですが、今度は逆手に取ったつもりが自分の方に帰ってきて困り果てたというのが実態ではなかったかと思います。所詮は外資系コンピュータベンダーも100億円と言うニンジンを目の前にして食らいついたのはいいが、今度はそれがひどくまずいものであると食ってから気づいたものの、時すでに遅くプロジェクトは泥沼化していたという風に思えました。
プロジェクトがそんな状態になったのは癖のある次長の指導性の無さでもあっいたのですが、そういう不甲斐なさや責任を誰にも転嫁できなくて私のような第三者的な人間に不満をぶつけていたのではないかと思っていました。

最初はこのプロジェクトには業務ごとに銀行子会社のコンサル会社からサブリーダーと称してとりまとめ役みたいな若造のシステムエンジニアが配置されていました。その人数だけで十数人はいるかと思えて、こんな形ばかりのプロジェクトの推進方法でいいのかなと思っていたら、半年もすると癖のある次長もこのサブリーダーが無能で何の役にたたないのに気付いてリストラしたのでした。こういう体制を作ったのは銀行系のコンサル会社のプロジェクトマネージャーだったのですが、この男はプロジェクトが強制中断するまで残っていたのは最初にプロジェクトを全てお任せしますと言った経緯からだったと思いました。しかし、プロジェクトが中断してから数年後に一部のシステムの再開発を細々と始めた時には再びこの男を指名していたという話を聞いた時には耳を疑いましたが、所詮人を見る目が無いのがシステム開発の失敗の原因というのが全く理解出来なくて、何となく話しやすいとか仕事を頼みやすいとかいう仕事の本質から外れたところに目が行ってしまうのがこの会社の社員レベルを表しているのかなとも感じたのでした。
個々のプロジェクトで運用とかが話題に上がると私の勤務していた会社のシステムエンジニアにもお呼びがかかるので私も同席して変な方向に行かない様に目を光らせていました。
殆どは外資系コンピュータベンダーが仕切って資料の説明をするのですが、担当に割り当てられた情報システム部員は黙って聞いているだけで誰も発言をしないので、私が合いの手でも入れないと仕方ないかと思って少々自分の会社の担当する領域とは違うとは認識しつつもあれこれと質問や疑念を述べていました。
そういう事実を夜の酒席で癖のある次長に意見を求めると全くそういう事実は知らないというので部下からは何の報告も上がっていないというのも分かりました。元々癖のある次長は部内でも嫌われ者だったということもありますが、各サブプロジェクトの問題も把握しないてないというも分かり、プロジェクトの破たんは時間の問題かなという気もしたのでした。情報システム部の部員も担当する仕事をしているだけで、プロジェクトを成し遂げると言う気概も気力も無く只癖のある次長の安易な発想だけで始めたプロジェクトに嫌々参加しているのかと思わざるを得ないと感じたことが何度もありました。
このシステム開発プロジェクトは100億円と言う金額に食いついた外資系コンピュータベンダーと部内で一人だけが浮いている存在の社員が引き起こしたイベントみたいなものに見えてくるのでした。しかしながら、会社の仕事として100億円もの金をつぎ込んでいるので流石の強気の癖のある次長も時間が経過するにつれて社内での報告も段々と意気消沈したものになりかけていると感じられると、毎週のように夜のお誘いが「どうでしょうか」と電話が掛かってくるので嫌とも言えず「はいはい」と答えてしまう日々が始まったのでした。
 
この会社の新システム開発は外資系コンピュータ会社でも大型案件受注というので営業とか担当SEが表彰されて多分なにがしかの金品をもらったようでした。営業マンは海外旅行がプレゼントされたということでベトナム観光に一週間程夫婦で出かけたという話を聞きました。
一方、システム開発はといえば新規に作成するシステムの要件整理は遅々として進んでいないようでしたが、既存システムの改修や一部新規に作成するWeb系のシステム開発はどんどんと進んでいたようでいた。
私はプロジェクト内の事情は分かりませんでしたが、顧客が開発システムエンジニアやプログラマの常駐する場所として準備していたのはかなりの広さの部屋で、総勢200名位は狭い部屋に押し込められていたのかと想像出来て、このプロジェクトがハチャメチャな状態だなというのは外見から見当はつくというものでした。


このプロジェクトは最初から色々な躓きがあって順調に滑り出し出来なかったと思いました。開始して1年もたたないうちに外資系コンピュータ会社と顧客との呼吸が合わずにぎくしゃくしているのではないかとも感じ始めていました。

癖のある次長も開始早々の威勢の良さは段々と無くなって行くのがわかるほどでした、そうなると急に私のような第三者的な立場の人間に接近して、自分の窮地を救ってくれる知恵を貰いたいと思ったらしいのが分かってきました。

プロジェクトが開始する前後では忙しいにかこつけて全然電話にも出なかったのが、開発用サーバーの電気代発生事件後は以前よりも電話のつながりが良くなり愛想も幾分は気遣いがでたような雰囲気に変わり、こういう場当たり的な態度をとる人間とは個人的には相いれない性格ですが仕事上ではそういう自身の個性は心のうちにしまい込んで対応をせざるを得まいと思ったのでした。この顧客とはこういう嫌な思いが何度もあったので末永く付き合えるのかどうかと疑問に思ったのですが、そういう私自身の自制する態度がよかったのかどうか分かりませんでしたが、定年まで12年間もの間取引をすることになり売上も事業部に貢献できるような数字を残すことができたのでした。


私の心配はプロジェクトが段々とおかしな方向に向かっているのを感じていたので、癖のある次長が愚痴るのを聞いてプロジェクトの実態を知ることで自分の勤務している会社に被害が及ぶかどうかを知ることが出来るようになったのでした。

新システム開発が始まってから1年も経過しない翌年8月頃から、夜8時過ぎに顧客の会社近くのファーストフードの店で待ち合わせては、ご指定の繁華街のソープランドの地下にあるスペイン料理屋に頻繁に出はいりするようになり、個性的な髪形の店主と顔なじみになると酒を飲まないで支払いだけする財布のような人間だと見られているのが分かるようでした。

このスペイン料理屋は繁華街だけに割合と繁盛しているのかしていないのか分からなかったのですが、料理は息子、会計は奥さんと言う風に役割分担が決まっている家族経営の店だと分かり、それで何とかやっていけているのかなと思いました。最初は癖のある次長と私だけの酒席だったのですが、「部下を呼んでもいいですか」と癖のある次長から言われると駄目とも言えないので段々と接待する人数が増えて行きました。そういうのが普通になると、癖のある次長を含めて4・5人の情報システム部メンバーを何時も接待するようなことになっているのでした。そして何時も食いきれない程の料理を食って最後に3・4人分のパエリアを癖のある次長が注文するので、癖のある次長だけは満足していましたが、私を含めたメンバーは食いきれなくて往生するのが常でした。個性的な髪形の店主が「ここのはサフランの量がちがいますから」と自慢げに満腹の客の前にパエリアヲ出してくるのでした.

最初はここで食事が終わると二次会のキャバクラに連れて行かれたのですが、段々と頻度が増えると流石に癖のある次長も「一次会だけでいいです」と言って深夜の繁華街の人混みの中に消えていくようになりましたが、当然ながら何時ものお気に入りのバニーガールのいるキャバクラに行っているのだろうというのは分かりました。

数万円の接待費もあまりに頻度が多いと会社の中でも申請しずらいので自然と自腹負担になるのでしたが、この新システム開発で私の勤務する会社が何とか被害をこうむらないようにしなくていけないという営業マン魂みたいなもので自身の金銭的な損失を納得させていましたが、それが2年以上も続いたのは少々痛手だったと今思い起せばバカであったと思えました。と同時に会社の中では誰も知ろうとしないし無関心であったのは会社の社風のなせる業でもあったのだろうと感じていました。


2稿ほど違う話題を挿入しましたが、何せ新聞記事なので読んだ旬の時に感想でも書いておかないといけないという義務感みたいなもので書きました。


さて、再び私の担当していた癖のある次長の会社の話に戻ります。新システム開発の始まりで大きな躓きがあったのですが、次に来たのは何時も起きていた外資系コンピュータ会社の来襲事件でした。というのも外資系コンピュータ会社が契約の殆どを握っているのは仕方が無いとしても、開発用にとハードウエアをどんどんとデータセンターに入れようとしたので一悶着が起きたのでした。

世間では周知のことですが、外資系コンピュータ会社では期末の売上で給料が決まる歩合給なので、自然と期末にハードウエアやソフトウエアの押し売りを客先にするのが通例となっています。そこに裏金とかというものに代表される便宜供与が発生するわけです。癖のある次長は何時も当たり前の事として堂々と便宜供与を受けていたのでした。


一つ目は外資系コンピュータ会社が癖のある課長は金でどうでも操縦させられると踏んで、ハードウエアとソフトウエアをセットにしてリース契約を結ばせたのでした。当然ながら通常の購買価格よりは安くなるので、それを癖のある次長は鬼の首を取ったかのように「70%引きなので」と大言壮語するのでした。私はそんなはずはありゃしないと思っていたのですが、癖のある次長は裏金をもらったらしくすっかり外資系コンピュータ会社の代弁者になり切って且つ社内でも安い安いと公言をしていたと思います。

しかし、この契約には不必要なソフトウエアも多々含まれており、後に新しい情報システム部長が着任して契約内容を調べて初めて露見したのでした。癖のある次長の失敗はシステムに詳しくもないのに自分で勝手に契約した事が後々会社に膨大な費用負担をさせる事につながっていったのでした。


二つ目はハードウエアの導入でした。何せ期末にはハードウエアをデータセンターに導入して売上を上げたい外資系コンピュータ会社はシステム開発がシステム要件整理中のフェーズにも関わらず、プログラム開発用にサーバーが必要だと称してプロジェクトが開始した翌年早々には巨大なサーバーを導入しようと目論んでいました。そういう話は癖のある次長からではなくプロジェクトに参画しているSEからもたらされたものでした。

私は直ぐに危険を感じて癖のある次長に電話して「サーバーを導入されるのはご勝手ですが、電気料金は直ぐに発生します。至急電気料金の見積書を送ります」という連絡をしました。

その話を聞いた癖のある次長は直ぐに外資系コンピュータ会社と私の勤務していた会社を呼び寄せて対策会議を始めたのでした。この時に薄々感じたのは、癖のある次長は稟議書を出すときに、数年間のシステム開発期間中はサーバーの電気料金は発生しないと勝手に想像して費用を上申していないという事でした。そういう不都合な事実が背景にあったので、癖のある次長はサーバーの導入を少しでも遅らせられないかと発言をしていました。

それに加えて、今まで私が癖のある次長に電話をしても何時も会議中ですと言われて中々通じなかったのが、これを境に急に電話が良く通じるようになったのも何とか電気料金の発生を遅らせて欲しいという気持ちがあったというのは手に取るように分かりました。私もここで少し恩を売りたいと言う気持ちになって「何か理由があれば私の会社内でも理解が得られますがね」と久方ぶりに癖のある次長を威圧することができたのかと思って少しばかりの満足感がありました。


イメージ 1
今日、新聞を読んでいて目が留まったのが朝日新聞のコラム「粉飾されたガバナンス」であった。何がひっかかったのかというと「監査委員会の委員長に社長の息がかかった元部下が就くと言うのは制度の潜脱であって論外である」と解説していました。
それで私の勤務していた会社ではと思い出すと、監査役と言えば定年を過ぎて最後のご奉公でもするような位置づけで、この役職を何年かやると会社を辞めることになるのでした。監査役としては穏便に言わざる・見ざるをせざるを得ない弱い立場なので、監査しても何も起きるはずもないのである。一応上場しているので、それは株主の立場を代弁するというのは建前で、代弁していようがしていまいがなどと意識などはしないのである、いや出来ない立場なのだと思います。
絵で描いたように監査役の役目を果たしている上場企業がどれほどあるかは甚だ怪しいものだと思いますが、私の勤務していた会社は元々機能不全なので、この新聞社が指摘していることがズバリ当てはまっているなというのを再確認した次第。本当にまともな会社で仕事をしていたのかなと疑問も持ったのは当然なことだとも感じました。
イメージ 1
昨日の日経新聞の書評を読んでみたら、自分の勤務していた会社とは真逆のあらすじが書いてあったのを見て、改めて自分の勤務していた会社がこの作者が言う優良企業ではなかったという事を理解しました。
一番の論点は「数字を通じた経営を過度に進めるとイノベーションの機会を見逃し、リーダーの座を新興企業に譲ることになる」と書いてあった下りでした。
私の知る限りでは、毎週数字の進捗を管理するのが管理職たるものの至上命題とばかりに、担当者に詰問するのが通例だったので、この著者の言っている数字を通じた経営が過度を通り過ぎて超過度になっていたと思いました。それ故に、やはりこの著者の書いている通りイノベーションには程遠い環境でした。管理者から言わせれば「イノベーションがどうしたって言うんだ、それよりも今期の数字達成が重要なのは当たり前だ」というのが聞こえてくるようです。そういう現象は個人とかに源を発しているものではなく、まさしく役所体質の社風だろうと思っています。
建前は顧客大事と言ってみるものの、その実困ったときには相手が悪いと開き直るのは、会社の風土がそうさせているんだろうとつくづく感じさせられていました。イノベーションなど糞くらえ精神があふれているとも思えるのでした。
新システム開発のプロジェクトが開始されて以来1ケ月経過しても私の勤務する会社には注文書を提示しないような状態が続きました。
何せ開始早々に、開発する外資系コンピュータ会社と私の勤務する会社との仕事の分担が決まっていなかったという事は以前の項目で書いた通りですが、そういう本来プロジェクトを開始する前に段取りすべきことが何もできていなくて、大げさな開始のセレモニーをしただけで実作業になだれ込んだというような事で混乱があったのは事実ですが、私は社印さえ押印すれば提出できるような注文書をとっくに渡していたのですが、癖のある次長はどういう訳かなかなか差し出そうとしませんでした。電話を掛けると何時も会議中ですと返事があるのですが、癖のある次長はどのみち聞いていても内容の分からぬ会議ばかりだろうというのは想定していましたが、形ばかりにとらわれて会議に出席し、朝から晩まで忙しい忙しいと言っているというような状況は容易に推測できました。
電話が通じないのでメールでも何回となく督促してもなしのつぶてで、これも私がプロジェクトを仕切る外資系コンピュータ会社のプロジェクトマネージャーを会議の席上でこてんぱんに責めつけた事も理由の一つかなとは思い当たりました。
外資系コンピュータ会社でもこれほどの大規模のシステム開発の経験が少ないので、プロジェクトを組んだ時にプロジェクトマネージャーとして転職してきた年配の男が担当をさせていました。会議の席上で私がシステム開発の一般論を述べても理解が出来ないのを見ていると、外資系コンピュータ会社では普通によくある口先ばかり達者なエンジニアというので、レベルの低い客先にはもってこいの人材だったかも知れませんが、私の勤務している会社との仕事の分担という具体的な話になると理解が全く出来ないようでした。私は仕方がないので、システム開発を解説した資料を探しては、会議の席上でどういう作業が発生するのかを説明せざるを得ないような状況も発生して、私は一人で憤慨するばかりでした。
それに銀行の子会社から派遣されたプロジェクトマネージャーもネットワーク構築という肝心な作業をずっぽりと抜け落ちていたのを私が指摘して大騒ぎになった事も一因かなとも考えてしまいました。
 
私はメールと言う感情の入らないものは好きではないので、何度も癖のある次長に対して電話をしていると「契約担当が癖のある次長の子飼いの係長だ」という風に情報システム部員から聞いたので、今度はその係長に何度も電話をして何とか話がつながりました。
その係長は癖のある次長から私の作成した見積書や注文書をもらい、初めて中身をチェックしたようでした。というのも私の作成した見積書に誤りがあって、その係長から一部修正してほしいとの要請がきたので漸く話が進むと確信したのでした。この時に、見積項目数は決めているものの内容が未定な要件についてはみなしで係長と相談して決ました。
そういう調整が終わると漸く、数億円の注文書を係長からもらうことができたのでした。当の係長も何で私の勤務している会社だけ注文書が遅れたのでしょうかと少々いぶかし気で、申し訳なさそうに注文書を受付の横のソファーに持ってきてくれたのは忘れがたい光景でした。
こういう事を平然と行う癖のある次長の態度には呆れるばかりでしたが、私はプロジェクトがこけた時に私の勤務する会社に影響が及ぶことだけが心配になっていたのも当然でした。ベテラン営業マンとしての対応力が求められるとも感じて、色々な策を考えざるを得ませんでした。こうして私が一人で苦労するのは何時もの事で、私の勤務している会社の連中はそんな雰囲気はどこ吹く風で「情報システム部長に挨拶に行かなくていいかね」とか言ってぼけまくるのでした。