先回の記述は以前にも同じような事を書いた記憶がある非常に接待が辛かったという思い出でしたが、それが段々と頻度を増していったのは私が情報を探ろうとしたという理由だけではなく、癖のある次長はプロジェクトが思い通りにならないと言う不満のはけ口と同時にプロジェクトが不成功に終わるのではないかという素人ながら漸くプロジェクトの危険性を感じ始めて心理的な抑圧があったのではないかと感じていました。

プロジェクトが1年もたたないうちに迷走を始めていました。それは元々は業務システムの刷新と言いながら要件を整理しているチームがあったらしいのですが、中々要件が確定せず困っているということでした。これは顧客が急成長して業務整理ができないうちに業績だけが独走して向上するので現場が日常業務に急がしくてシステム開発に中々協力できないという事もあったと思いますが、それは最初からリスクとしてあったもので受託した外資系ベンダーでも分かっていたと思いますが予想以上にひどい状態であったのだろうと推測していました。癖のある次長も元々「宜しくお願いします」と丸投げでシステムは開発できるものと勘違いしていたので、それを外資系コンピュータベンダーは逆手に取って受注したのですが、今度は逆手に取ったつもりが自分の方に帰ってきて困り果てたというのが実態ではなかったかと思います。所詮は外資系コンピュータベンダーも100億円と言うニンジンを目の前にして食らいついたのはいいが、今度はそれがひどくまずいものであると食ってから気づいたものの、時すでに遅くプロジェクトは泥沼化していたという風に思えました。
プロジェクトがそんな状態になったのは癖のある次長の指導性の無さでもあっいたのですが、そういう不甲斐なさや責任を誰にも転嫁できなくて私のような第三者的な人間に不満をぶつけていたのではないかと思っていました。

最初はこのプロジェクトには業務ごとに銀行子会社のコンサル会社からサブリーダーと称してとりまとめ役みたいな若造のシステムエンジニアが配置されていました。その人数だけで十数人はいるかと思えて、こんな形ばかりのプロジェクトの推進方法でいいのかなと思っていたら、半年もすると癖のある次長もこのサブリーダーが無能で何の役にたたないのに気付いてリストラしたのでした。こういう体制を作ったのは銀行系のコンサル会社のプロジェクトマネージャーだったのですが、この男はプロジェクトが強制中断するまで残っていたのは最初にプロジェクトを全てお任せしますと言った経緯からだったと思いました。しかし、プロジェクトが中断してから数年後に一部のシステムの再開発を細々と始めた時には再びこの男を指名していたという話を聞いた時には耳を疑いましたが、所詮人を見る目が無いのがシステム開発の失敗の原因というのが全く理解出来なくて、何となく話しやすいとか仕事を頼みやすいとかいう仕事の本質から外れたところに目が行ってしまうのがこの会社の社員レベルを表しているのかなとも感じたのでした。
個々のプロジェクトで運用とかが話題に上がると私の勤務していた会社のシステムエンジニアにもお呼びがかかるので私も同席して変な方向に行かない様に目を光らせていました。
殆どは外資系コンピュータベンダーが仕切って資料の説明をするのですが、担当に割り当てられた情報システム部員は黙って聞いているだけで誰も発言をしないので、私が合いの手でも入れないと仕方ないかと思って少々自分の会社の担当する領域とは違うとは認識しつつもあれこれと質問や疑念を述べていました。
そういう事実を夜の酒席で癖のある次長に意見を求めると全くそういう事実は知らないというので部下からは何の報告も上がっていないというのも分かりました。元々癖のある次長は部内でも嫌われ者だったということもありますが、各サブプロジェクトの問題も把握しないてないというも分かり、プロジェクトの破たんは時間の問題かなという気もしたのでした。情報システム部の部員も担当する仕事をしているだけで、プロジェクトを成し遂げると言う気概も気力も無く只癖のある次長の安易な発想だけで始めたプロジェクトに嫌々参加しているのかと思わざるを得ないと感じたことが何度もありました。
このシステム開発プロジェクトは100億円と言う金額に食いついた外資系コンピュータベンダーと部内で一人だけが浮いている存在の社員が引き起こしたイベントみたいなものに見えてくるのでした。しかしながら、会社の仕事として100億円もの金をつぎ込んでいるので流石の強気の癖のある次長も時間が経過するにつれて社内での報告も段々と意気消沈したものになりかけていると感じられると、毎週のように夜のお誘いが「どうでしょうか」と電話が掛かってくるので嫌とも言えず「はいはい」と答えてしまう日々が始まったのでした。