新システムが開始されてから、メインコントラクターとなった外資系コンピュータ会社は概算の開発費用やハードウエア・ソフトウエアの費用を提示していたと思います。私の勤務する会社が担当する運用に関連するソフトウエアは当然ながら私の会社が提示した見積書で決まったと思い込んでいたのですが注文書が中々出てこないので再三督促すると、突然夜8時に来社しろという連絡がありました。
とっくにプロジェクトは開始されていたのですが、癖のある次長とは何時も会議中で電話が通じないし、忙しいという言い訳ばかりで、私の勤務する会社が担当する範囲の注文書は中々出さないので嫌がらせをされているのかと思っていました。特に運用で利用するソフトウエアは外資系コンピュータ会社とは違う製品だったので競合しており気になっていたので心配をしていたのでした。
 
そんなある日にメールが届いて、運用に関するソフトウエア費用の打ち合わせを夜8時から打ち合わせをしたいという事だったので、訪問すると会議室に案内されると外資系コンピュータ会社の営業部長が座って私を待っていたようでした。
癖のある次長から「両社でベストプライスを出してください」という風に言われて驚きましたが、その言葉を聞いて初めて会議の趣旨が分かりました。この席で競合先の外資系コンピュータ会社と私の勤務していた会社とで面と向かってソフトウエアの見積金額を競わせようというものでした。
外資系コンピュータ会社の営業部長は当然私よりも若くて40代の男で、以前から面識はあるので競合先だからという感じではなくて両社は自分の権限範囲でうまく収まるのかなというような雰囲気だったので、特段に厳しいような感じではなく言われるままにお互いに費用を提示しあうというような折衝になりました。
最初に私が外資系コンピュータ会社の見積書を見せられた時に、条件が違いますという事を癖のある次長や外資系コンピュータ会社の営業部長に説明したので、外資系コンピュータ会社の見積もりをしているシステムエンジニアに伝えてほしいと言う事になり、私が外資系コンピュータ会社の営業部長の携帯電話を借りて見積作業をしているというシステムエンジニアに見積条件を説明してから、費用の提示をしあうという事が始まりました。
 
私はこんな事になるとは予想もしておらず、癖のある次長に若干の値引きで納得してもらおうと思っていたので、こういう展開に驚きました。癖のある次長ならやりかねないなと思いなおして、私も自分が勤務していた会社の見積担当のエンジニアに電話して値引き上限を何度か聞きましたが、その程度では収まらない価格競争となりました。私の勤務していた会社のエンジニアは開発元の会社の営業担当でないと判断できないと言われて、私はソフトウエアを開発している会社の営業担当に何度か値引きの上限を聞いて、外資系コンピュータ会社が提示している費用を下回る費用を回答しました。
夜も10時を過ぎるとソフトウエア開発会社の営業担当は「もう上司も帰宅して承認が得られません。あなたに一任するので受注してください」という相手もどうなっているのかねというような投げやり態度が分かるような回答を最後に出したのでした。
見積金額の出しあい会議の最後に私は最低限の費用を提示すると、外資系コンピュータ会社の営業部長は「そういう費用では当社は対応できません」という白旗が上がって漸く決着したのでした。
夜も10時を回って私は少々怒りのモードになっていましたが、それでも何とか注文を貰える見通しがついてほっとした複雑な気持ちでした。
その日は夜も遅いので癖のある次長とは会議室を出たところで別れましたが、こんな酷い事を平気でする人間にはうんざりしました。同時に、そういう人間が中心となっていているプロジェクトの監視をしていかないと危ないという危機感が募り、どういう風に監視をするかと思案しながら夜道を帰宅しました。
新システム開発のプロジェクトが開始され、見慣れぬ大勢の人がぞろぞろと情報システム部の部屋の周りの会議室に集まっているのを見て何かをやっているのは分かると風に感じました。というのも、癖のある課長はプロジェクトが開始されると課長職から次長職に昇格してますますのぼせていたのかどうか分かりませんが、私の勤務している会社に対してはシステム開発の全体像が分かる工程表を見せようとしませんでした。私が要求しても中々出さなかったのは何か思惑があったとしか思えませんでしたが、私は多分外資系コンピュータ会社との裏金の推測をされるような資料は出したくなかったのかもしれないと推測していました。
私は仕方なく、私の勤務する会社のシステムエンジニアが参加している分科会で入手した全体スケジュールのコピーを貰って漸く全体像が分かりました。そこにはどこのベンダーが何を担当して何時迄に仕上げるかは記述していましたが、私の勤務する会社の仕事について何も書いてありませんでした。この資料は銀行の子会社のプロジェクトマネージャーを担当している男が作成したという説明でしたが、何とも頼りない工程表で、こんなものでシステム開発ができるのかなというのが私の最初の感想でした。
業務システムについては私は取引先会社の全貌を把握している訳ではありませんでしたが、工程表を見てこれで全部なのかな、大丈夫かなと癖のある課長に問いてみましたが反応はありませんでした。何もかも丸投げでシステム開発が出来ると空想している輩には到底理解できていないと考えた方がいいかと思ったのでした。
 
私はその工程表をじっくりと会社の自分の机の上で眺めていると、何か足りないのではないかと直感が働いて、この工程表を1週間ほど眺めてシステムのイメージを頭の中に入れて行きました。そうすると、工程の中にはサーバーを導入するという項目はあるのですが、そのサーバーや既存のシステムを接続するネットワーク構築の項目がすっぽりと抜け落ちているのを見つけたのでした。
2・30人もいる外資系コンピュータ会社の大勢のベテランのエンジニアや銀行子会社から派遣されているマネージャーとかいわれている連中は、誰一人としてこの大きな欠陥に気づかなかったのが非常に不思議になるくらいの凡ミスでした。
そのミスを癖のある課長に指摘すると、癖のある課長は烈火の如く怒って外資系コンピュータ会社を会議の席上で叱りつけて「提案したお宅の責任でネットワークを作って下さい」と言ったものの、私は内心どうせ裏で金を渡されてうやむやになるんだろうなと思っていました。
私がこのミスを発見したのが契機でネットワーク設計のプロジェクトに強制的に参加をさせられました。私は自分の勤務している会社で仕事を担当出来ないかと思いましたが、癖のある課長の会議での剣幕はどこ吹く風で、いつの間にか何もなかったかのように外資系コンピュータ会社が自分の領分として担当することになりました。癖のある課長の剣幕がどこかに飛んで行ったのは、外資系コンピュータ会社から何かされたんだろうなというのは容易に想像できるのでした。
プロジェクト開始早々に私が銀行子会社のプロジェクトマネージャーの仕事のミスを暴露したことで、このプロジェクトマネージャーとは自然と疎遠になりましたが、この男は以後の仕事でも私の勤務していた会社には何の利益をもたらさなかったので、自然と疎ましい関係になるのは当然の事でした。
新システム開発で私の勤務していた会社の担当が出番が一番遅くても良さそうだと勝手に癖のある課長が判断したらしく、10月末になっても中々プロジェクト会議に呼ばれないので仕方なく「一度訪問しますので状況を教えて下さい」と私から申し入れを行って初めてプロジェクトに参画したような状況でした。それは、プロジェクトマネージャーを請け負っている銀行の子会社のシステムエンジニアの能力が自ずと分かろうというようなものでした。癖のある課長は、自分の相手がそういう能力が低いのも分からぬ程なので、第三者から見ると滑稽な図式が出来上がっていたのでした。
プロジェクトで最初に問題となったのはシステム開発する領域の担当区分問題でした。これは銀行の子会社のプロジェクトマネージャーは当然仕切れなくて、仕事を請け負った外資系コンピュータ会社と直接折衝となったのでした。
癖のある課長は当然自分では仕切れないので、外資系コンピュータ会社と私の勤務していた会社と面談して決めてほしいと言うような事を言ったので仰天しました。
システム開発で誰が何をするのか役割も決めないし、役割が何なのかも理解できない人たちが集まって「さあ、システム開発だ」という姿勢に言葉も出ない位に驚いたのでした。決まっているのは費用だけという信じられないようなプロジェクトだったのでした、それに取り入ったのは素人を易々と落とす外資系コンピュータ会社というのはさもあらんという風にしか理解できないし、先行きは真っ黒だなと私は少し危険を感じたほどでした。

外資系コンピュータ会社も大規模なシステム開発は慣れないというので、急遽コンサルタントという名刺を持った年配の人が受託する側のプロジェクトマネージャーになったというので、癖のある課長から紹介されました。開発の領域問題はこの年配のコンサルタントという人と私が対峙して、癖のある課長以下情報システム部の面々の前で論戦を展開するという図式になりました。私の勤務していた会社の所属する部門でシステム開発に詳しいエンジニアもいないし、そもそもこういう厳しい折衝を出来ると思える人もいなくて自然に私が前面に立たざるを得ないという事となりました。
大勢の会議の席上でもあり、私の勤務していた会社の代表として自分一人では体裁が整わないので何人かのシステムエンジニアを同行させて観覧席に座らせて、私と年配のシステムコンサルタントとの論戦の聞き役に仕立てたのでした。
この外資系コンピュータ会社のシステムコンサルタントという人も何処かの会社のシステム開発経験を活かして途中入社したという経歴を聞いて少しはシステム開発の内容を理解しているのかと思いきや、全然話にならない位に程度が低いと言いうのが分かりました。結局、外資系コンピュータ会社ではプロジェクトに参画させた人間もあり合わせで都合したというような状態であるのが分かろうというようなものでした。この外資系コンピュータ会社のコンサルタントとの論戦の席上では、そもそもシステム開発の役割分担とはと言うような素人向けの説明をせざるを得ないのでした。
その上で、外資系コンピュータ会社が受注した範囲はこの領域ですと解説して、私の会社が担当すると誤解していた範囲を訂正して下さいと迫ったのでした。同時に癖のある課長には、私の作成した見積書には外資系コンピュータ会社を支援するような費用は一切含まれていませんと説明をしたのでした。
最初に躓いた担当範囲の調整は少しばかり長引いて、外資系コンピュータ会社と私の勤務する会社が対峙する会議では決着もつかず、暫くして外資系コンピュータ会社のプロジェクトの幹部と私ともう一人のシステムエンジニアを同行させて狭い会議室で決着をさせました。
外資系コンピュータ会社のエンジニアも漸く自身が担当する領域の理解が出来て、私の勤務する会社の受注金額が極めて少なくとてもその領域の仕事は出来ないというも分かったからだろうと推測をしていました。
この時ばかりは、夜遅く窓の明かりがきれいな高層ビル街をとぼとぼ歩いて帰宅した時の安堵感は今でも忘れられませんが、それくらいに私一人だけで奮戦したという何時もながらの仕事の仕方に納得が出来ないという事もあったのだろうと感じています。
8月中旬には見積書の最終版の提示も終わると癖のある課長からの連絡が来なくなったので、これでベンダーの最終選定は終わったらしいと思いました。それでも見積書の全部の注文書が来るかどうか、癖のある課長は易々とは注文書を出さないのではないかとも考えると欝陶しくなり、注文書を貰うまでは心が休まりませんでした。
9月も過ぎてプロジェクトについて何かやっていると言う雰囲気はありましたが具体的な連絡がないので「どうなっているのか」と癖のある課長に問い合わせると「プロジェクト開始の準備中だ」という話を聞かされました。私としては注文書も貰っていないのにプロジェクトが始まるのかなと何とも変な気持ちになりました。

プロジェクト開始のイベント日の連絡が突然あり、出席者のリストを出せと言う事でした。100億円のプロジェクトの中でも精々5億円程度の金額では役員などを出席させる必要は無いと思って営業部長どまりで十分と判断しましたが、技術を担当する子会社のリーダーが事業部長を出すと言って私とは意見が合いませんでしたがそのまま出席者を連絡しました。私は癖のある課長が外資系の会社にはちゃんと注文書を出しているというのは分かっていたので、私の勤務していた会社には注文書を出さないで出席しろというのは甚だ非常識だと思っていたので余計にこのイベントは面白くない気持ちが強くあったのでした。癖のある課長が非常識だというのは分かっているにも関わらず、どういう訳かこの時は非常に嫌な気持ちになった時でした。
イベントはどんな具合なものかと思っていたら、その会社の地下にある4つに仕切られた会議室を全てぶち抜いて、前面には3つも大きなスクリーンが用意されているという会場に驚きました。座る場所が決められていて、見慣れない若い男が仕切っていました。後ほど聞いたら、この連中は銀行の子会社が手配した各サブプロジェクトのプロマネと聞いて再び驚くことになるのでした。会場が広いのは約100数十人もの関係者を集めて、前方にはプロジェクトのベンダー会社の役員が座って、挨拶をさせられるというのものでした。
私の勤務している会社の関係者は会場の一番奥に座らさせられて、その位置づけが分かろうというものでした。出席者は10人もいなかったので、存在は非常に小さいものだという事も自然と理解が出来ました。
当日の総合司会は銀行の子会社でプロマネをするという若い男で、会議のスケジュールをスクリーンに映して、プロジェクト開始にあたっての説明とかベンダーの責任者の挨拶とかを次々に指名していました。発注者である顧客の代行をするような形で行われていたので、私は「これはいかんな」というのを即座に感じました。こういう大規模なシステム開発は開発する当事者がその気にならない限り成功した例がないというのを長年の経験で感じていたからでした。そういう事は無理で「うちの会社では全部丸投げでやるのがしきたりで・・・」と言ってのける無知な癖のある課長ならば、こういう流儀でやりかねないと感じたのでした。
プロジェクトの開始イベントさえも仕切れないで、システム開発という目に見えないものを作る奇怪な作業を仕切れるはずはなく、他人事でこの難解な仕事を出来ると踏んでいる癖のある課長を唖然として見ているしかないと感じました。それならば自分たちのやることをさっさとして、肝心の難しい開発は外資系の会社が出来ると言っているんだからやらせたらいいだろうと割り切った対応をしようと考える機会にもなりました。
一番の傑作は最後に出てきました。プロジェクトマネージャーをするという銀行子会社の若い男が3つのスクリーンにだるまを映して「これから片目を関係者のベンダーに入れて頂き、完了した暁にはもう一つの目を入れてもらいます」と言って、前列のベンダーの責任者がパソコンの画面に少しづつ目を書いたのでした。私はこういう作法は初めて見たのでしたが、開発が成功するかどうか非常に不透明なのに堂々とこういう事を考える神経に違和感を持ったのでした。会場では笑い声が上がりましたが、それはこのプロジェクトの難しさを何もわかっていない連中が多いという事かなと理解をせざるを得ませんでした。案の定、プロジェクトは中途半端に完了せずだるまには片目が入れられず終わったのでした。
新しいプロジェクトが始まりそうな時期には、癖のある課長はほぼ自分の思い通りのベンダー選定を行ったようでした。私が違和感を持ったのは、プロジェクトマネジャーを実行する銀行の系列会社のメンバーが予想以上に多いということでした。その他のベンダーは従来の取引の枠組み通りの会社が自分の領域を受注すると言う極めて普通な結果に終わりました。
私の勤務していた会社の他にも同様のシステム開発をする会社が名を連ねていましたが、要件が決まらずに費用感だけ決めているという事に極めて敏感になり、何処もしり込みをした結果だろうと思いました。無知な癖のある課長は、そういう事などには頓着もせず、自分がこれでいくらもらえるかという銭勘定をしていただけかも知れません、そんな事はとうに承知の助の外資系ベンダーはご希望通りの費用試算書を堂々と提示したのでした。外資系ベンダーなので出たとこ勝負で、うまくいかなければその時に策を考えればよいと踏んでいたに相違ないと推測をしていました。
 
私は自分の担当領域であるデータセンターとか運用の領分が何とか受注できそうだという時には、毎日のように見積もり督促がありました。こういう内容でああいう体裁でというような指示が来たので、これは受注が出来たのだなと言うのは内々感じていたので「はいはい」と癖のある課長の言う通りにせざるを得ない状況でした。
当時は丁度営業部長が異動して変わったばかりで、新任の黒人の様に日焼けしている真っ黒な顔が売りの部長は「何かお手伝いをすることは・・・」という様な言葉を私に掛けてきました。どういう見積書とか資料を作らなければならないかという事は、癖のある課長の意向は私にしか分からないので結局のところ私自身で処理をするしかないような状況でした。見積書は相手の稟議の内容に合わせて、多分癖のある課長も上司の意向に合わせて作成しているものの、都度体裁が変わるものと思えて3・4回も見積書を作成しました。中身は変わらないのですが、作り方が変わるのと、それに加えて急げ急げという指示で翌日には欲しいというような無理難題でしたが、50歳も半ばを過ぎた体には少々応えましたが、何とかご要望通りに翌日朝9時までにはご所望の内容で提出をすることが出来ました。それは一度ではなく、2・3回もあったのが異常だなと感じたのですが、見積書を提示してほぼ受注が固まったという確信が日々高まるので何とか体も持ちこたえたのかなと思いました。

それでも最後には当初想定していない内容の作業の見積もり依頼が担当者からありました。それは無理からぬことだと理解できたのは、この会社では大規模なシステム開発というのは経験も無いので、どういう仕事が必要なのかというのも考えつかなくて稟議書を作成している途中で担当者が気づいたのではないかと思いました。当然ながら、要件も決まっていないのに仕事を想定して考えろと言うのは無理がありましたが、私はそういう事には対応が慣れているので、中身は直ぐに思いついて担当者と打ち合わせをしながら早々に見積書を作成しました。しかしながら、これがプロジェクトが中断した後に、癖のある課長が「賠償だ」と叫ぶことになる見積書とは当時は思いも寄らなかったのは当然でした。それどこころか、早く早くという催促が電話で昼夜を問わず矢のように飛んでくるので、それに対応することの方が大変でした。
又、提出資料の中には稟議の大きな理由であるホストコンピュータをなくしてサーバーシステムに置き換えるメリットを書くというのも必要なのはよく分かっていました。当然データセンターの費用もそういう変動に対して年度ごとにどう変わるかという資料も必要なので、癖のある課長もご要望通りの体裁で適当に作成して送付しました。
こういう臨機応変は私の得意技というか経験から対応できたことなので、この大きなプロジェクトのほんの小さな部分でしたが受注できたのは私以外の人では出来ないだろうというのは感じていました。しかしながら、私の勤務していた会社の役員部長連中はそういう成功体験もなく、所謂ヒラメ生活を送るばかりなので、私の顔を見ても「よかったね」とか「おめでとう」とか声をかけた人は皆無でした。そういう会社に勤務していたのは重々承知なので、私も部長や役員のそういう態度に特に気になることもないよな、という何とも変な心持の日々を過ごした事もあるという思い出が残っています。
 
顧客の提案説明会後から会社へ帰る時の足取りは非常に重かったのを思い出します。何も要件が決まっていないシステム開発に対して予算100億円ですと言われたので社内ではどう説明しようかと思案をしていましたが、社内での回答は聞かなくても分かっていたので、どう社内で仕切りをつけるかと言う事で頭が一杯でした。説明会には当然ながら専属のシステムエンジニアが同行しましたが、そういう提案的な思考は全く出来ない人間なので、私が社内の反応を見定めてから方針を決めざるを得ませんでした。これは以前からそういうスタンスでシステムエンジニアとは付き合ってきたので特別な事とは思いませんでした。
 
一応大規模なシステム開発案件であるというので、社内の愛想の悪いコンサルタント部門に相談をして「そりゃ難しいね」という予想した返事を貰って、早々にシステム開発には手を出さないという方向を見出したのでした。何せ口先ばかりで技術レベルが相対的に世間レベルより低く、チャンレンジという思考には程遠い社内風土なので、私も変にやる気を出されると困ると思っていましたが、至極当然の帰結となりよかったよかったという事になりました。
この方針を早速癖のある課長に連絡すると、相手も思惑通りに動いたのを感じたらしく「あっ、そうなんですか・・・」というような心のうちではニコニコ顔なのを抑えているような感情が電話を通じても伝わって来るようでした。
ビジネスの現状を維持しなくてはいけないというが目標なのは当然とばかりに、私は言われなくてもそういう思考になる人間なので、データセンターと運用部分を提案することにして、関係部署に掛け合ったのでした。殆ど24時間オペレータに近い部分の極めて泥臭い作業に関わる運用部分だけなので総額100億円のプロジェクトからすれば数億円の提案はゴミみたいなものに思えてくるのでした。それでも小さい金額ながら毎月のデータセンターの収入で稼げれば有難いというのをメインテーマにしたのでした。
この時、提案書を作成したシステムエンジニアは、かって一番最初にデータセンターにホストコンピュータを導入した後直ぐにデータ連携ソフトウエアの導入を依頼した外資系販売会社の営業マンが納期を約束できず実行しないので、癖のある課長がキングファイルを机の上に思いっきり投げつけて書類が飛び散るという事件後、ソフトウエア導入のために急遽私が手配したシステムエンジニアだったのも何かの因縁かと思いました。

この時に、客先ではシステム開発費を巡って議論百出状態で情報システム部内は盛り上がり、癖のある課長も自分の押すベンダーが賛同を得られるようにと祈っていたかも知れません。流石に費用が張るので癖のある課長の一存で決められるわけでもなく、部内でもそれなりに理屈がないと通らないような状況になっていました。
私の勤務する会社はとうの昔にシステム開発提案から降りてしまっているので、そうい騒動の渦中の情報システム部員と一緒に「どうなっているんですかね」とヤジウマ根性丸出しで首を突っ込んでいました。当然ながら他社の提案書も見せてもらったのですが、他社のあまりにも立派な提案書を見るにつけ、私の勤務していた会社がシステム開発を提案をしなくてよかったなあというのを実感させられたのでした。
提案書は体裁だけでなく内容も担当したエンジニアなりの理解で書かれており、思考能力が分かろうというもので、私の勤務していた会社の口先ばかりのエンジニアとは雲泥の差があると思い知らされたというか、能力差に絶望的になるというような表現の方が正しいという感想を持ちました。
そういう立派なシステム開発の提案書よりも、例の費用根拠資料の方が余程気になっていたので内緒で資料を見せてもらうと、癖のある課長の押していた外資系コンピュータ会社の費用試算ではちゃんと100億円となるように尤もらしい数式が書いてありました。この程度なら私でもねつ造出来るなと思えるようなもので、それほどに見え見えだなと感じました。対抗する国内のトップベンダーの資料では概算と云いながら100億円を少し超えた試算で、これでもかなり低めかも知れないというコメントが付記させていたのが、完全に100億円と言い切った外資系コンピュータ会社との差を見ることになったのでした。こういう状況では自然に癖のある課長の押す外資系コンピュータ会社が優位になるのは当然かなと思えました。
外資系コンピュータ会社は当然ながらデータセンターと運用という私の勤務している会社が提案したのと同じ領域も提案していたので気が気が無かったのですが、外資系コンピュータ会社は私の立場を考えてくれたのかどうか分かりませんでしたが、私の勤務していた会社よりも高く提案してくれたので助かりました。多分こちらは値段も標準価格の高い費用で提案して最初からやる気が無いようなものでした、ひょっとして癖のある課長が内々そういう指導をしてくれたのかも知れないという勘ぐりも出来ないことはありませんでした。
癖のある課長が提案依頼をするために動いていると察知したのは、当の本人から「データセンターの最新レイアウト図を送れ」とか「ネットワーク図を送れ」とかいう電話が頻繁に来るようになった時でした。それ以外にも、あれはどうしたこれはどうなっていると言うような細々した情報を求められて、そういう電話の話し方を聞いていると今どんな資料を作成しているのかが薄々感じられるようなものでした。「あんたはそんな事も知らんの」というような内容もあり、如何にも自身の理解がされないままに仕事がされていたということも露見するようなものでした。同時に、子細にわたり聞いてくるのは、従来からの取引先に加えて新規のベンダーにも提案書の依頼を掛けるために現状の詳細を知らせる必要があったものとも思え、不愉快ではなく不安な気持ちになるのは当然でした。

いよいよ提案依頼書が出来上がると各ベンダーに説明会を行うというので、この時ばかりは少し緊張が走りました。100億円という費用の決まったシステム開発だけでなく、各社にデータセンターの提案も依頼をするという項目があり、当時年間で1億円以上もの売り上げがあった顧客を失うかも知れないという少しの可能性があり、会社にとってはどうでもいいような数字でしたが、私個人の顧客としては大きな数字だったので久しぶりの緊張感が体にみなぎるのを感じた時でした。
癖のある課長がまとめたという提案依頼書の出来は、子細を私から聞いたにも関わらず、私の伝えた内容の4・5割程度しか反映されておらず「こんなものじゃあ、質問しないと分からないよね」というレベルに思えました。
それ以上にひどかったのは当時外資系コンピュータ上で自社開発しているアプリケーションの概要でした。詳細はきちんと整理されておらず、これで分かる人がいるのならスーパーマンだなと思わせる内容でした。つまり、自身のシステムの内容さえも他人には十分に説明が出来ない内容と思えるというものでした。システムを全面的に作り直しする提案を貰う癖のある課長の立場から言えば「現状なんか大体が分かればいいでしょう。欲しいのは100億円で開発を約束できる提案書だからね」というような意志が取ってみえるようなものでした。
提案依頼書には開発費用の根拠を示せと記述してありましたが、そういう類の資料はコンサルタント会社が得意とするものでした。適当な数字を並べてもっともらしく見せるだけのことであって、後で実際は違っていることが発覚しても「昔の話ですから」とか「今では条件が違いますから」というような事を正々堂々と述べられるだけの面の皮が厚い人間にしか出来ないことだと思っていました。
この提案依頼書の作成には銀行系のコンサル会社のシステムエンジニアは深く関わっていないと思えたのは、かように記述内容が稚拙なものであったからでした。しかし、機能項目は順番に番号が振られており、後々に提案の仕分けができるようになっているのを見ると、そういう程度のアドバイスしかできていなかったのかなとも思えたのでした。この時は、コンサル会社のシステムエンジニアが後ろにいるとは気づいていなかったので、ただ単に項目番号整理はできていたので、提案書は番号を記述すると範囲が明快に分かると感じていました。コンサル会社のシステムエンジニアが関わっているのなら、もっと適格な提案依頼資料を作り上げられたはずだと感じたのですが、このコンサル会社のシステムエンジニアのレベルが低いのがこの時に既に証明されているようなものであったと気づかされたのは、プロジェクトが始まって色々な事件が起きるとよく理解ができたのでした。
そういう意味では、プロジェクトの開始から既に失敗の布石を打っているようなプロジェクトであったというのを3年後には「やっぱりそうか」というのを理解したのでした。

この時、癖のある課長は一計を図り、提案をする各ベンダーに「どの機能を提案するか事前に提出してください」という説明を提案依頼説明会の席で行いました。これは、各ベンダーの提案を仕分けして、自己利益に結び付きそうな構図を作り上げようとするものであるのは直ぐに気づきましたが、新参のベンダーには「えらくご丁寧なことで」というような事柄にしか思えなかっただろうと感じていました。
新参の会社では癖のある課長への注文の返礼がどういう物であるかなどは到底理解もできないので、癖のある課長は注文主の意図が十分に出来ている業者に受注をさせようとする深謀遠慮でした。この話を聞いていると私は「私の担当しているデータセンターはある程度確保できるのかな」と薄々感じることが出来て内心ほっとしました。
案の定、提案は癖のある課長の思惑通りの取引先が過去の取引領分を提案したので、ベンダーの決定は割合に楽に行えたのではないかと思えました。純粋に競争となったのはシステム開発の部分だけとなり、各社競争するという構図になりました。
私の勤務していた会社の顧客であった癖のある課長は、システムのリニューアルについて以前社内統制資料作成会社を仲介した銀行の関連会社に相談をしたようでした。余程赤坂の料亭がお気に入りの様子であるというのを薄々感じていました。
折角の私との密接な関係を無視して美味しい蜜のある会社へ流れるのは良いとしても、システム開発という一般人には理解ができない仕事をするには良き相談相手が必要で、それは経験豊富な私ならば適任と思えたのですが、自己利益を確保したい欲望だけが暴走して、自身が冷静な思考など持ちえないというのを顧みず勝手気ままに普段通りの行動をとったのでした。それは自身が経験の無いシステム開発の怖さを知らないからで、「知らぬが仏」とか「猪突猛進」とかいう諺通りだわと感じていたのを思い出します。
このプロジェクト開始前の状況を見ていると、このプロジェクトは問題を起こすという危険を感じていましたが、一方で私は自分の勤務している会社の取り分がどうなるかと言うことも課題だと思ったので、この案件に取り組む不安が日ごとに増していったのでした。
癖のある課長はシステム開発の方法とか手法を全く知らないので、頼りにしたのはコンサル会社のシステムエンジニアでした。同時に、自身はプロジェクト管理が出来そうにもないのでこのプロジェクトの全体管理をもコンサル会社に任そうとしたのでした。
癖のある課長は口癖のように「全部お願いします」というスタンスだったので、コンサル会社にとっては客を食えるだけ食おうというような態度になるのは当然のことでした。システム開発というものは、依頼主である発注者が開発している内容をどれ程の理解力をもって進めるかというのが重要な要素なのですが、元々個人会社が膨張したような会社でしたので、仕事の管理とか物事を理解できる人材には著しく欠け、必然的に癖のある課長のような人間が管理職になってしまう状態でした。それ故にプロジェクトの失敗は最初から見えていたというべきだったかも知れませんでした。
 
システム開発の経験は持ちえないとしても、サラリーマンとしての管理職としての能力も無いのをいいことに、管理するという仕事を他人に任せるという事は、事の大小関係無く自らの仕事を放棄しているのと同然なのでプロジェクトの行きつく先は結果が見えようというのものでした。つい最近も同様のプロジェクトを経験しましたが、システム開発の成果は所詮その顧客自身の能力以上のものは実現されないという事実を確証する機会となりました。
そういう懸念を私は癖のある課長に何度となく説教するような事もありましたが、癖のある課長は社長と言う後ろ盾があるのをいいことに勝手放題やり題で、慢心して危険性について説く私の意見を聞くことはありませんでした。
一方、コンサル会社のシステムエンジニアというのは某電気会社からの転職というふれこみでしたが、その能力には疑問符がつきました。癖のある課長の頼るべきはこの男しかいないので、この男の能力とか思考力や管理力に依存せざるを得ないのでした。このプロジェクトマネージャーに初めて会ったのはプロジェクトの開始後でした。プロジェクトマネージャーを見て「ああ、これはいかんね」というのを感じましたが、当時はエンジニアと称する名前ばかりの連中が大勢いたので、癖のある課長は人数を見てシステムは完成出来ると錯覚していたのではないかと思いました。
コンサル会社の人選はどうして行われたのか聞きそびれましたが、たまたま暇な人間にアサインしたのだろうと思いました。顧客の癖のある課長のお相手をするには、立派な理屈派ではなくて世間話でもしながら時間潰しができる人間が適任と思われたかも知れません。コンサル会社も相手は酒と女で容易に操れると、癖のある課長を値踏みしたのかも知れないとも推測していました。
癖のある課長はこのプロジェクトマネージャーについて、擁護はしても批判的な言葉は殆ど使わなかったので、自分の名代だということがあったのかも知れませんが、そもそも物事を頼んでいる主を管理できないことを自身が認識できていなかったのかなと思い、情けなるような状態であったのを思い出します。
人には何度も同じ事を言われると自分の意志とは無関係に何となく言われたことをするという習性があるように思えます。これは自分が判断をしなくてもよいという安易な方に流れる普通の人ではよくあることだと思います。おばさんたちが歌舞伎に熱中しているのも思考のタガが外れていて周りのおばさんに流されているだけと意識している人はいないのではないかと思えるのと同じかなと思います。
私は癖のある課長に酒を勧めながら「もう、ホストコンピュータの時代じゃあないですよね」と何度も繰り返して言っているうちに、同時に実際ホストコンピュータの能力が足りなくてアップアップしている現実もあって、癖のある課長も無い頭を使って「開発となるとなあ・・・、場所があるのかな」と別の心配をしているのでした。
こういう雑談が少しずつ成長してきたころに癖のある課長は以前の上司である当時は社長職にあった人に相談をする機会があったようでした。それは「いや、相当な金がかかるかも知れないという話をしたら100億円が限度だろうと言われてね」という言葉が出てきて、急に現実味が帯びてきたのでした。この100億円の話は何の根拠も無く、単に会社として使える金はその位だと社長が軽口を言っただけだろと思えるのでした。
システム開発はどこのベンダーでも鬼門になっていて、特に大きくなればなるほど危険性が増すので気軽に引き受けるシステム会社は無いのが普通の世界でした。しかし、癖のある課長は当然システム開発の経験などもないし、そもそもシステムの大きさのイメージさえもつかんでいなかったと思います。只、単にホストコンピュータで毎月支払う金がえらく高い、それは至極当然なんだけれども、そういう理屈は関係なく感覚的に高く思えるのを高いと決めつけているのだと第三者の目には写りました。それに、もともと高いと分かっていて外資系コンピュータを利用しているので、高いと思う事自身が自己矛盾を起こしているのですが、そういう事には無頓着なのが何とも情けないなあと思っていても「ええ、そうですね」と私は相槌を打つ係りをしているだけでした。
 
そうするうちに、今度は「いや、もう100億円で何とかしなきゃあ」という言葉に変わりました。システム開発は最初から規模が決まるわけでなく、システムの要件を整理するとおぼろげながら少しは全体感が見えるというもので、五里霧中のなかで山の高さなどは分かるはずもないのですが、社長から言われた限度額が自分に貰えた小遣いみたいに思えたのだろうと想像していました。
現実に会社が出せる金額が100億円ならば、実際は危険を感じて80億円位でどうかなと見立てをするという風に考えるところ、そういう思考回路が無くショートしているので100億円と堂々と公言するようになってしまったものと思えました。しかし実際はもっと大きな金額になったのはプロジェクトを開始して直ぐに露見することになったのでした。
癖のある男のサラリーマン人生の絶頂期は丁度このころで、懇意な社長が後ろ盾と言うので社内でも指さしされていたのではないかと思いますが、そういう事とは無関係にサラリーマンとして謳歌をできるのは何とも羨ましい限りであるとも見えたのでした。癖があってもどこまでもついて行って自分の会社の利益を得なくてはならんと言う、自分の性格上営業としてのプロフェッショナルな気持ちがますます強くなる時でしたが、退職した今では自分の勤務していた会社からは何の見返りも無かったので全く見方が変わり、やらん方がよかったねと思うこの頃です。
大手銀行のコンサル会社がこの顧客に取り入って社内統制の資料を取りまとめていたのには違和感があっただけでなく、個人的には何か見返してやりたいと言う気持ちが強くなりました。元々自らが考えて行動できるような顧客ではなかったので、相手が社内統制ならこちらは災害対策と言うのを思いついて癖のある課長に「大災害時のBCP(事業継続計画)マニュアルを作成しましょうか」と持ち掛けたら一も二も無くOKが出たので作成することにしました。
資料は私の勤務していた会社の誰かが作れるとは思いましたが、金と時間ばかりかかるのは必定なので、手際のよいのは自分で分かっているので自身で作成することに最初から決めていました。
私の勤務していた会社でもBCPとかは口とか宣伝文句で、皆が異口同音にお経の如く唱えていましたが、具体的なものは社内用の暇を持てました人間が作成したと思われる細かすぎて見にくいだけの資料しかありませんでした。仕方なく自腹で関係する書籍を探してインターネット書店で5・6冊ほど購入して参考にしました。この時にも、専門分野の本でありながら私と変わらぬ浅い知識で書いてあるものもあり愕然と失望した内容のものもあり、書店で実際に目にして本を選択することの意味を思い知らされたのでした。
資料は通常のコンサル同様に全て顧客名で代行して作成し、規定集から始まり一連の資料を完成させました。当然ながら一度に全部出来るわけでもなく、通常の営業活動の余暇としてやっていたので2週間に一度くらいのペースで都度癖のある課長に説明しながら、約3か月ほどで仕上げました。
本文は50ページ程で添付の関連業界のBCP(事業継続計画)の資料をつけたので10cm程の厚みのあるキングファイル1冊に収まる体裁となり、見た目にも一応は形になって第三者が見てもおかしくないものだと思いました。
無料の仕事なので、私としては銀行系のコンサル会社が1千万円もかけて作ったという資料と見比べてほしいという気持ちでしたが、癖のある課長の立場上からすれば大枚を支払って作った資料と私が無料で貰った資料とを比べられるとまずいと思ったらしく、以後特にコメントはありませんでした。
癖のある課長の反応の無いのは、この無料のBCP(事業継続計画)資料の作成効果があったと思えたのでした。どのみち読んでも意味が分からぬ社内統制資料に大枚をはたいて作ったことを社内には宣伝できなくなったと思い少しは痛快な気持ちになった時でした。
銀行が癖のある課長や頼りない部長に毒を盛って易々と情報システム部に入り込んだというのは逆説で、癖ある課長は自分から「毒を盛って下さい」というのをあからさまにしていたのではないかと想像していました。普通ちょっとした大手の会社では取引先の役員なんかを接待する場所があって、この銀行は場所柄も赤坂という雰囲気の良い場所にそういう接待寮を持っていました。酒好きで女好きの癖のある課長にはこういう場所で接待されたらころりと行くのだろうというのは容易に想像できる事でした。
以前に記述した外資系コンピュータの導入を国産に替えた時なども、この国産コンピュータ会社の工場見学の折には、近場であるにも関わらずわざわざ一泊して夜は大いに楽しんだという話も聞いていたので、手練手管になれた銀行マンにころりとやられたのだろうと思いましたが、私は銀行に対抗すべく行動をして自己満足したという一件でした。