この顧客での新しい仕事が出てこない膠着した時期が続きましたが、ある日打ち合わせで癖のある課長と雑談していると「このたびは銀行系のコンサル会社に社内統制の仕事をお願いすることになりました」という話を聞きました。同席していた頼りなさそうな情報システム部長も「世の中がそういう方向にあるので」とにこにこしながら答えていたのを見ると、これは銀行から毒をもられたのだなと簡単に察しがつきました。
当時、この会社の業績も悪くはなく銀行からの借入がそれほど多いと言う状況でもなく、逆にこの会社の顧客にこの銀行を紹介するというような蜜月の関係にあったところに、急にそういう話が浮上したように思えました。
個人会社が膨張したような会社で、体質は建前さえも守れないようなところがあったと思いましたし、個人利益供与を堂々と要求する癖のある課長がのさばっているので、そういう姿を見て若い人たちがかえって萎縮しているようにも感じていました。
後に私がSOX法対策として色々な提案をしたのですが、役員は「ソックスソックスって言うけれど、足にはくソックスですかね」と茶化すくらいのレベルなので、社内統制と言う言葉自身がこの会社には不似合だと感じていました。
これから後、取引のあった銀行の関係会社のコンサル会社が情報システム部に入り込んだという事になったのですが、これは後の大きなプロジェクトにもつながる前哨戦であったというのは当時は知る由もありませんでした。私には関係の無い案件だったので、知らないうちに意味がどれほど理解されているか甚だ疑問な資料が納品されて終わったようでした。


社内統制とか書いていると、日本の会社には元々そういう事は難しいのではないかと思いましたし、まして外資系の会社はうわべばかりを繕っているので裏側がどれほどの状態か想像がつかいないというので、建前の統制はほどほどにするべきものだというのが私の感想です。
以前に勤務していた会社では私と不仲の頭の悪そうな顔をした事業部長は、期末になると業績の不足を取引先の会社に数億円規模の循環取引を堂々と持ち掛けて、その数字を上乗せするのが常態化していました。
転職前の会社でも私の所属していた事業部は万年赤字なので常に期末に架空受注入力をしていました。しかし、この時は製造する工場があったので、製造現場としては本当かどうか心配になるのは当然でした。受注入力した後に工場から直接電話で営業部長では無く担当の私に問いただしがあって「まだ本決まりではないですよ、役員決済ができていない状態ですが取敢えず入力をしただけです」というようなやりとりをすると、営業部長からは受け答えが悪いと言われたこともありました。


直近では東芝事件がありましたが、あんな大きな数字の操作ではなくて目立たない数字の操作は日常茶飯事に行われている現場にいた者には、ちょっとやりすぎだなという程度にしか思えないような事であると感じています。
サラリーマンの建前主義が行き過ぎて悲哀を感じさせる出来事になってしまったのは何とも残念だとは思いますが、同時にマスコミは表面的事象ばかりを報道するのを見聞していると、思考能力とか判断力とかのレベルの低さを感じてしまいます。
オリンパス事件では事件前に散々マスコミが首謀者を切れる経営者と持て囃しておきながら、事件後は記事がばったり途絶えるのは致し方ないとしても、以前に掲載した褒めちぎった記事については知らん顔をされるのは甚だ不快に感じました。
せめて自身で以前の掲載記事についての反省評論でも書いてくれれば余程信用があがったところを、知らぬ存ぜぬを決め込んだのは見て見ぬふりする日本人独特の行動とも重なるとも思えまたのでした。割合に立派そうに見える雑誌でもレベルはタブロイド紙と変わらないとも思えたのでした。


新しい外資系高性能ホストコンピュータを導入してからは、ホストコンピュータを云々と話題にする事が御法度のような感じになると、癖のある課長は暇を持てましたのか色んな雑用の相談を持ち掛けてきました。
実際はセキュリティ対策とかシステム改善という類の相談で、無料のコンサルタントをする羽目になりました。これも顧客大事と言う私の営業ポリシーから出た親切心で対応をしていただけでした。普通の営業マンならば「それはちょっと筋違いですがね」とか「当社にはそういう事には詳しいエンジニアがおりませんで」と言って断るような話が多かったように思います。何せ癖のある課長は、私にはすっかりは気心が通じていると勝手思い込んでいるので表面上は「はいはい」と対応をしていて、私は言ってみればおためごかしをしているんだなと思っていました。
訪問するのも何時も夕方6時から夜間8時を指定されて往生しました。年配者だけに早く家に帰ってゆっくりしたいと思っている私の心を知る由も無く、人の事情などは糞くらえと思う輩なので自分の都合で私を会社に呼び寄せていると思えました。会議の後の接待にも期待をしていたのだろうとも薄々感じていました。
本音で仕事に困り呼んだのか、うまい酒を飲ませろと内々強要したいがために呼んだのかが甚だ怪しいような内容ばかりでした。しかし、私は近い将来に大きな仕事があるような予感を薄々感じていたので、嫌々ながらも癖のある課長のご機嫌を損ねないようにと対応をしていただけでした。
こういう相談毎は会議室に社員を1・2名同席させて話を延々とするのですが、元々普段から「それは問題だから何とかしなくてはいけない」と社内で議論しつくされているような事ばかりだったので、無駄話で延々と時間が消費されるだけでした。
こういう会議での話を聞いていると普段の仕事ぶりが分かろうというもので、忙しそうに会議ばかりしているのだが一向に何も決まらず、話に疲れてきて「そろそろ終わるか」と結論も出ないで漸く尻切れトンボで会議が終わると言うようなものでした。この会議にシステムエンジニアを1・2度は同行させた記憶はありますが、話の内容が技術的と言うよりも顧客の仕事の仕方を改善した方が余程手っ取り早いと思わせるようなものが多かったので、私が一人で対応して、その会議後の接待も何時も通りにして癖のある課長のご機嫌を損ねないようにとそれだけが気がかりで過ごしました。
この課長の偏狭さは尋常では無い事を5.6年の付き合いの中ですっかり理解していたので、はれ物にでも触るような対応をしていたのですが、こういう営業ができたのも経験豊富な営業マンなのでできたのだろうと当時から感じていました。というのも、私の勤務していた会社の営業マンは殆どが応用の利かない人が大半で、決まり金時の仕事をするのが精々というレベルだったので、そういう職場の環境で過ごしている中で私だけが特殊な仕事でもしている変な感覚であったのも確かでした。
朝から晩までExcelを駆使して見積書を作成して、忙しい忙しいと言っている営業マンは、顧客からの頼まれ仕事をしているだけで大得意になっているのでした。そういう仕事の仕方を見て何ともレベルが低い営業だと心の中では思っていましたが、肝心の営業部長もそういう営業マンが見積書を作っているのが営業という仕事を一生懸命にしているように見えるらしく励ましていたりするのを見るにつけ、いやはや救いようのないレベルの社員の集合体というのが理解できて、自然と部内でも口数が少なるのでした。
新しい日本でも数少ない高性能コンピュータを導入して、オンライン端末のレスポンスもすこぶる改善されて問題が一時解決されたように見えたのは1年程でした。再びコンピュータの性能に限界が見えて色々な対策をしないといけないという事が起きました。
それはこの会社のシステムに問題があるのは明らかだと思ったのは私だけかも知れませんが、業務別のCPUの割り当てを変更したり、磁気ディスクのファイルを整理したりとかして、その場限りの対処療法しかできないのでした。その理由は業績が向上してデータ量が増えただけでは無く、ユーザーがどんどんと新しい仕様を追加してシステムは膨らむに任せていて何の管理もないとうのが実態だろうと推測していました。
元々現場主導の会社なので、コンピュータの使い方は現場のニーズをそのまま実現しているのでシステム上の理解とかは全くないので、自然とコンピュータのCPUはどんどんと100%に近づくのでした。情報システム部の部員はプログラムを書くのが精々の技術レベルで、システムの利用の仕方は全てベンダー任せでもあり、自然とシステム資源は悪い方向へとどんどんと進むのでした。癖のある課長もベンダーから聞いた話を振り回すばかりで、自分では何もできないのでホストコンピュータは管理不在の野放しになっていると感じていました。
相当の金額をつぎ込んで導入したホストコンピュータがアップアップしてくると、私は「もうホストコンピュータの時代じゃあ無いでしょう。オープン化への取り組みをしては・・・」というような話を何度もするようになりました。
しかしながら、大きなホストコンピュータを導入したばかりの時で流石に新しいコンピュータを導入するとは言えないので、苦肉の策としてホストコンピュータのデータベースとサーバーのデータベースを同期させるという事を思いついて、ホストコンピュータのデータベースの外資系ベンダーに依頼をしたのが、新しいシステム導入へのとりかかりとなりました。
外資系ホストコンピュータで利用していたデータベースは別の外資系コンピュータ会社のデータベースだったので話がややこしくなりましたが、私の勤務している会社の運用をしているシステムエンジニアも参加して始まりました。
話を聞いてみるとこの外資系データベースを販売している会社ではサーバーと接続するソフトはあるものの日本での実績は無い様でシステムエンジニアも苦戦しているようでした。月例の会議でも報告を聞いていると如何にもうまくいっていなのだというのが分かるような内容でした。このプロジェクトに関しては、私が勤務していた会社は直接の関わりが無かったので他人事で話を着ているばかりで助かったと思いました。半年以上も経過しても外資系データベースのシステムエンジニアが会議の席上何のかんのと言って旨くはいっていないことが分かり、最後にはとうとう難しいということで尻切れトンボで終わってしましました。
ホストコンピュータの問題というのが、このプロジェクトが終わるころには明確になってくると、何でこんなに金をかけて導入しても問題が解決しないのだという雰囲気が社内にあることが、出入りしている一業者の私にもうすうす感じられるようになりました。
当時は業績も頂上にもぼりつめる位に良かった最後の時期と重なり、この会社の社内では過剰投資ではなかったかというような話にはならなかったようでした。癖のある課長は何とかしようと外資系コンピュータ会社にも相談はしているようでしたが、当時は次期ホストコンピュータの導入なんてことは触れることさえできるような状態ではなく、出入り業者の私は顧客が壁にぶち当たったような状態だと見ておりました。 
サラリーマン人生模様と言うのは浮き沈みというものがついて回るのですが、私の場合はずっと沈んだままで定年を迎えた。それだけ理解のある上司に恵まれなかったということだと感じております。サラリーマンで大切なのは上司との相性というのが重要とはつくづく思い知らされたのですが、性格がとんがっている分、性分が合う上司は極めて少なかったという事実がありました。
癖のある課長は会社の社長が交代になると急に勢いが増してきました。元々オーナー会社なので経営者の思うがままに決められると思うのですが、この時の社長交代は色々な事情がありました。創業社長はちょっとした軽はずみなことで新聞沙汰にもなって社長を辞めざるを得なくなり、後任には生え抜きの子分みたいな創業当時から社員として働いていた年配の人を社長に据えたのでした。こういう創業者からは何でも言える人が使いやすいということではなかったかと推測しておりました。
この新しい社長は癖のある課長と同じ営業所で上司と部下の関係にあったので、癖のある課長からすればなんでも出来そうな気がしたのではないかと思いました。社長が交代すると、以前よりはずっと元気が増して私には一層厄介な人物になったと思いました。
情報システム部で何か買いたいものがあると直ぐに社長に直々に説明にあがり事前に了解を得てどんどんとサーバーなどを導入したのでした。
 
こういう背景があった時に、裏金まみれになったホストコンピュータの能力が3年程で不足して新しいホストコンピュータを導入することになりました。未だ償却も終わっていないホストコンピュータはフロアの端において除却が終わるまで鎮座することになって、後の情報システム部長が「除却が進まないな」という感想をもたらすことになったわけです。
新しいホストコンピュータはものすごく能力が高いのはいいのですが、値段もそれなりのものだったろうと思いましたが、この時は癖のある課長は前回のホストコンピュータの裏金作りで税務監査が入った事情もあり私には何の相談もありませんでしたが、多分別の業者を使って裏金作りをしていたのは間違いないと思いました。私は何時変な話に巻き込まれるのかとひやひやしていましたが、何の音沙汰もなかったのでほっとしました。
癖のある課長からは「社長に相談したら、XX億円用意すればいいのだろう」と言われて快諾を得たという事でした。コンピュータそのものがよく分からないので、金を用意して会社の業績が良くなればそれでよしとするという判断でしかなかったように思えました。当時は、その顧客は毎年20%以上も成長するというような当時でも信じられないような売上の伸びがあったので、こういう若干金のかかる話でも容易に社内が通ったのではないかと思いました。同時に癖のある課長の口八丁手八丁に易々と情報システムに疎い社長が乗せられたとも感じました。
私の勤務していた会社でも、この巨大な新しいコンピュータをデータセンターに設置するという事や、運用の方法も少しばかり複雑になるので毎週外資系コンピュータ会社の技術者との会議がありました。この会議では外資系コンピュータ会社の営業マンも同席していて何時も満面の笑みがこぼれていましたが、それだけ美味しい案件だったと思いました。そのおこぼれで磁気ディスクの注文を貰いましたが、外資系コンピュータ会社からの仕入値段を見ると、客には半値と言いながら「これくらいの利益ならいいでしょう」と言いながら安い値段の仕入れ価格を設定してくれたので一時の大きな利益が出ました。その外資系コンピュータ会社の営業マンは、ホストコンピュータの販売では相当に利益を得てボーナスも良かったのではないかと想像をしたのでした。こういう事態になると、外資系の営業マンが癖のある課長を盛んに接待してくれたので、1年程は私は接待する仕事から一休みができて楽になりました。
 
8月という声を聞いて思い出したことがありました、今書いている時期からは数年も後の事で今から10年程も前の事でした。丁度新しいシステム開発が始まって、私の勤務していた会社は運用設計からデータセンターまでの基盤構築の下請けみたいな仕事をしていました。当然ながら開発の進捗だとかプロジェクトの問題とかについて詳細に聞き出して自分の受注した範囲に影響があるかないかとかを常に確認をするために、癖のある課長を週一で接待をしていました。当然ながら月3回分は自腹で会社への請求は1回分だけと言う気遣いをしていたのですが、誰もそんな事には気づく筈などはありうべきもない程の鈍感な管理職がずらりと居並ぶ職場でしたので疲れがたまりました。仕事が順調にまわるのを調整するための仕事をしていたということでした。


詳細は後に記述しますが、システム開発が始まると癖のある課長がプロジェクトの責任者になっていたので帰宅が遅く、早くても夜の8時となるのでした。私は会社の近くのファーストフードの店で紅茶を一杯飲みながら癖のある課長を待つのが慣習になってしまいました。ファーストフード店は山手通り沿いにあり、道路が見渡せるカウンター席で店に出はいりする人や、店の前を通る人達を観察して時間を過ごしていました。
ファーストフード店は地下鉄改札出口近くに立地していたので老人から若者までの幅広い年代の人が来店していました。時間を持て余しているので自然とそういう人達を観察するという事になるのでした。店内でサラダとかハンバーガーを注文して店に置いてある新聞を眺めて夕食に来ていると思われる中年の男だとか、大量のハンバーガーを子供と一緒買いにくる主婦とかを見ていると人生の縮図を垣間見えるようでした。自分勝手に相手の家庭状況を想像して時間でもつぶさないと早く帰って寝たいばかりの体には辛いものがありました。
そういう状況に置かれていた時に、午後9時も過ぎて中々現れない癖のある課長をファーストフード店のカウンター席で紅茶も飲み終わったカップを前にして座っていると、80歳も過ぎたと思われる老人が私の横に座ってホット珈琲を飲み始めました。店は空いていて別のもっと広い場所で飲めばいいのにと思い少々嫌だなと感じていました。しかしながら、老人は私が手持無沙汰で暇そうにしているのを見たのか「私はここから5Km位先から歩いてきたのですが・・・」と自慢げに話しかけてきました。私は「えー、こんな夜中に何処から歩いてきたのですか」と質問すると「哲学堂です」と答えました。場所が哲学堂というのは普通の閑静な住宅街ではあるものの、哲学堂という言葉の響きに何だか一種独特のニュアンスを感じて気になりました。それはお寺から来たというような印象だったと思います。
私は老人が徘徊でもしているのかなと思ったのですが、それは間違いだと分かりました。聞くところでは毎日ここまで歩いて来るのが日課と言う話でした。世の中には変わった人も大勢いるけれど、この人もそういう類の人かなと思いました。
それから口にしたのは「私は南方の戦線帰りでしてね」と言ったので、私は「沢山兵士が死んだ島でしょう」と反応すると、誰かに訴えたいとでもいうような調子で「島からジャングルを歩いて帰る道は死人がぞろぞろ連なっていましてね、皆死ぬ前に水、水って叫ぶんですよ」という話を聞かされたのでした。この老人は幸運にも生きて日本に帰り、そういう状況を見ず知らの人に話したいという欲求があったものと思えました。逆にそういう話は一切封印して口にしたくない、誰にも会いたくないと言う人もいると言うのはテレビの報道などで見ていたので、色々な人がいるものだというのを知らされた思いでした。しかも丁度その時期が8月お盆前の時だったので、こういう話を聞かされると思い出さざるを得ない事になっているのでした。老人の話が一段落もした午後10時少し前に癖のある課長が店の前に現れたので、その老人に挨拶してそそくさと店の外に出てタクシーを拾って繁華街に向かいました。その日癖のある課長と話をしても、少し上滑りになるのは奇妙な老人の話が脳裏から消えないと言うことがあったからだと覚えています。
癖のある課長との付き合いも段々深まっていくと、この課長に私は酒も飲まないのに夕食に酒を加えた飲食だけでも大変だなと感じていました。というのも、自分の力を部下に見せたいと思ったのか、食事をはじめると「部下を呼んでもいいですか」といやおうなしに私に認めさせると言うようなものでした。会社で残業をしている2・3人の若い連中を店まで来させて一緒に飲食をする羽目に陥るのでした。費用が高くなる時は領収書を2枚に分けてもらい、日付もいれないで2回に分けて接待申請をするというような面倒な事をしていました。
上司である事業部長や営業部長は何人も変わりましたが、接待の支払いは嫌々というのが分かるような認め方をしたので私も何時も気分が悪くなるのでした。接待で自分が酒をどんどん飲んで肝心の接待相手の事などは気にもしない営業の本当の辛さが理解できない連中ばかりでした。
こういう連中には、好き勝手放題に酒を飲む癖のある課長や癖のある課長には社内で逆らえず耐えている部下の面倒を見ている私の気苦労なんかは爪の垢ほども分からんだろうなと思っていました。売上を上げる時は知らん顔をしておいて、わずかな接待の金を使う時は嫌な顔をする、上司としては問題のある連中が会社の幹部になっていたのは、それが会社の実力というものかなとも感じておりました。
癖のある課長は段々と接待の度合いが深くなると、2軒目に行くようになりました。当然私が支払い掛かりとして同行させられた訳です。酒も飲まないので夜11時も過ぎると早く帰りたいと思うばかりだったので、2軒目は非常につらいものがありました。
2軒目は飲み屋ですが、いわゆるキャバクラという類の店で、若い子がバニーガールで話し相手になるという店で、癖のある課長は常連のようでした。外資系コンピュータ会社からの裏金はこういう店で使っていたのかとうかがわせるようなものでした。
この店では癖のある課長は常連さんなので、少々混んでいても客を移動させて席を作らせてしまうほどでした。ここも最初は癖のある課長と私の2人だけでしたが、部下を連れてくると金額が張って接待費の処理には大変苦労しました。大枚を自腹を切っても仕事がうまくいくのであれば仕方が無いとあきらめていました。又、癖のある課長はこの店の店長とも懇意と言ってましたが、私にはそれがどうしたと言う風にか思えませんでした。金遣いが荒いというだけの事ではなかったかなと思ったのでした。
ここに癖のある課長の好きな見た目にかわいい女性がいました、昼間は劇団に入って練習をしているということで、後にある人からの聞き伝えでは、癖のある課長はこの女性の出演する演劇を見に行っているという事も聞きました。
私は質問係りなので酒なんか飲まないで「どうしてこんな場所で働いているんだ」という質問を興味本位にかわいい女性にすると「関西で学生の頃からこういう商売をしていました」と聞いてびっくり、関西のK大学に通学していた時にバニーガールをしてから以来だそうでした。そして何で東京に来たのかというのはとうとう聞きそびれましたが、多分演劇でもやるつもりで上京したものの、生活のためにバニーガールをしているらしいと想像してしましました。この店でも顔がかわいらしいので人気者のようでした。
この店では時間制限があって制限時間を過ぎると料金が増えるので気が気でなかったのですが、癖のある課長に合わせないといけないと思って眠い目をしょぼしょぼさせて若い女性とくらだぬ話を続けるのでした。私にはこういう場所がなんでいいのかさっぱり分からず、酒を飲まないので若い女性と話をしても高揚感がないからなのかとも思いました。私はこういう場所で働く女性が金の為とはいえ少々過酷な商売かなと思えて憐みも覚えるようなものでした。店の女性から「xxさん、xxさん」と呼ばれるのが癖のある課長はうれしいらしく、同時に支払いの気兼ねも無く気前よくボトルを入れていました。
嬌声を発して喜ぶ癖のある課長に対して、私は早く飽きて帰ろうと言わないかなと思ってぐったりしていました。店内の様子を見ていると、客がすくないとバニーガールが私の前にも来るので何か質問をしてやろうと思い「昼間は何をしているのですか」と尋ねると多くは「学生しています」という答えなので驚くばかりでした。稼ぎのいいアルバイトというようなものかなと思いましたが、夜が遅いし少々危険なアルバイトかなとも思いました。癖のある課長の好きなかわいらしい顔をした女性も「帰りは自転車でフルスピードで帰ります、危険な場所は特に・・・」と言っていましたので、私の懸念はあながち外れてもいないと思ったのでした。
その学生に「明日の授業は・・・」と質問すると「ええ、明日は午前からありまして・・・」と答えるので「早く帰らなきゃあいけないね」と暗にこんな場所でアルバイトなんかするなと言うような言い方でした。それでも話は終わらないので「何を勉強しているんだ」とか相手が嫌がるような話ばかりをして、癖のある課長が帰るのを待っているのでした。私は癖のある課長の財布のような存在なので店を出る時にカードで支払い領収書をもらうのでした。
夜1時も過ぎて漸く解放されて、翌日朝5時には起きるのが大変だと思っては気も重くなるのに、癖のある課長はご機嫌で「それじゃあ」と街の何処かに消えるのですが、私はネオンも消えて薄暗い駅前のタクシー乗り場で眠い目をこすっているばかりでした。
ドラッカー名言を読んでから、さて何ほどにドラッカーの言う企業経営のアドバイスと私の勤務していた会社経営とは大きな乖離があったのかを考えてみました。企業風土・社員の素質というのもが取引先を自ずと限定していたのも、ドラッカーの名言との関係があるかも知れないとも思いました。
新入社員で何度か「私の能力では業界のトップクラスの会社入社は無理だと思ったのでこの会社に決めました」という事を聞かされて、聞かされた当時は非常に驚きました。振り返ってみれば入社する社員の素質も、ドラッカーの言わんとする効率的経営とか経営者自身を適切に管理(自己管理)の重要性への理解を最初からあきらめる素地のある新入社員を採用していたのではないかと思われてなりません。
ドラッカーの名言録は沢山ありすぎて、その一つ一つを読むと何となく納得をさせられるものばかりですが、これだけ沢山のいい事をいうのもコンサルタントの業かなとも感じました。経営学と言う体系から出てくるものとは少し違うものではないかと感じております。経営学の上に現場感覚を反映したアドバイスとでもいうべきものかとも思います。というのは、ドラッカーのいう様なことは全て実現することは非常に困難で、一部でも出来る企業は少ないのではないかと思えるからです。コンサルタントは口先商売で、相手を納得させるだけの理屈(場合によっては屁理屈)を積み重ね成果とは無関係に金を受け取るわけですが、相手が変に理屈っぽかったりすると対応が出来なくなることがあります。当のドラッカーでも晩年に、コンサルタントした結論を相手に書い下さいと勉強の成果でも問うような質問をすると、相手からお引き取り下さいと言われたというような事があったと、何処かに書いてありました。
ドラッカーの名言録も少し斜めから読むとすこしばかり印象が違うのかなというのか私の感想です。
 
その中で私の勤務していた会社を象徴する一つを取りあげてみたいと思います、それは「効率的な企業は、問題中心主義でなく、むしろ機会中心主義である」なるものがありました。
ドラッカーは効率的(エフェクティブ)な企業は、能率的(エフィシエント)な企業とは違うと言っています。能率的な組織というのは、物事をとにかく早く手短かに処理してしまうことに重点を置いている。だが、効率的な企業というのは、打つ手が真に狙うべき肝心の成果を生むかどうかを真剣に問う企業であると言っています。
ドラッカーは、講演の中で次のように語っている。「問題解決(プロブレム・ソルビング)の中に経営の真髄があるなどと考えるのは、とんでもない誤りである」。ドラッカーは、そんな考え方は〝緩慢な死〟を受け入れることになるとすら言っている。また、こうした防御的な発想は、敗北主義者の思想であるとも言い切ってます。
私の勤務していた会社では、自己能力の低さを棚に上げて、とかく「リスク・リスク」と叫ぶことが正義でもあるように勘違いされていたのは理解はしていましたが、ドラッカーの説明を聞くと納得が出来るような気がしました。
ドラッカーのいう効率的な会社を目指さない会社に長年勤務していたのを、退職してから確証を得たような気分にもなったのでした。

最近ひょんなことか経営学のドラッカーの名言集なんてものを調べる機会があって概要を読んでいると非常に興味深くもあり、又部分的には日本でも諺があるぞと言う風に思えるような内容もありました。とかくドラッカーと言うと、難解とか分かりにくいとの感想を聞くことがあり、私自身は多数の著作を読んだことはありません。しかし概要を読む限りでは私のサラリーマン生活は一部のドラッカー流を身をもって実行していたのかというのも分かりましたが、私の勤務していた会社はドラッカー流を全否定するような会社であることも分かり感心をしました。
ドラッカーは経営学者といいながらコンサルタントでもあり、実際にデパートの売り場に立って調査したことがあるという程の現場主義者であり、日本でも学会があるようですが学者が仮想世界の空想をして議論をするような人間ではない非常に稀な人だと感じました。
ドラッカーの多くの名言は日本の企業では実行できなかったからこそ持て囃されたのではないかというが私の感想です。
    


① 業績は企業の内部には生じない。
企業の内部には利益原点は存在しない、あるのは努力原点だけである。内部の事柄に自らが企業の内部に飲み込まれてしまう事を許されないとドラッカーは指摘する。業績は、企業の外部の顧客や市場に依存する。こうした顧客が持つ購買力を、企業側の努力と交換しようとする場合にはじめて、そこに価値や結果が生まれるのだ。  
                                                                                                      私の勤務していた会社では役員や管理者は会議に明け暮れて、部下には数字をノルマ渡して終わりというようなものであった。業績を上げるために顧客や外部と緊密な接触などは全員が自らしようとはしなかった。精々何の効果も無い表敬訪問どまりであった。ドラッカーの言う業績をもたらすという努力は皆無でした。

② 利益が出るのは正常な状態ではない。
利益(プロフィット)とは人間の努力によって生まれ、損失(ロス)という正常な状態を覆すことから生ずる。物事がすべて純粋な確率(プロバビリティ)に基づいて進行するとすれば、正常な状態とは損失である。すなわち、利益とは発生しないはすである。こうした正常の確率を逆転させる仕事こそ、経営者やマネジャーの任務なのでる。マネジャーの本来的な責任とは、潤沢でない貴重な資源である人間や資材を受託し、これによって利益を社会のために生み出すという重要な責任を託されているのだと考えるべきである。                                                                                    私の勤務していた会社では役員や管理者は自らがコストしかないというのは殆ど意識が無かったようでした。お題目のノルマを部下に与えた後は海外旅行や接待と称して飲み歩いてコストを上げる努力ばかり。基本的に会社という組織の上に安住して利益は自身ではでは無く部下が持ってくるものだという文化でした。 

③ 経営者の仕事は、ほかの人々を管理することから始まるものではない。
経営者や管理者などというと、部下やそのほかの人々を管理することからすべては始まると、アメリカでも日本でも思い込んでいる人は多い。ドラッカーは、それはとんでもないミステイクだと断言する。 すべては、自分自身を適切に管理するという仕事から始まるのだと強調する。自己管理ができなければ、何事も達成することは不可能であるともドラッカーは続ける。        
私の勤務していた会社の役員や管理者できちんと自己管理出来ていた人は幾人が出来ていたかは甚だ疑問でした。社内には役員や管理者を取り巻く出世願望者が彼らをおだててばかりいた会社でした。いい気分になっているのを、ドラッカーごときの人間にあれこれ言われる筋合いは無いと吐き捨てる人の集合と思いました。
癖のある課長からは色々な事を依頼されても嫌な顔一つせず「はいはい」と承っていましたが、ある時に相当労力を要するような事を依頼されて難儀をしました。
この顧客の関連会社に海外にリゾート会社があって、客が少なくなる不振期に取引先を客として送り込むというような事が慣習となっていました。本社の各部署に膨大な人数の割り当てが来ていると言うことでした。癖のある課長は多分自分の力を社内で誇示したいと思ったらしく「金を払うので200人程集めてもらえませんか」と人集めを依頼をしてきたのでした。十数人ならば少し歩き回って何とかできるのですが、桁が違うので大いに弱りました。
旅行代金は私が受注した機器の代金に何百万円も上乗せして代理店を経由してそこから金を貰い支払いましたが、集客はそういう伝票が経由した代理店にお願いして人を集めました。それでも足りないので知り合いの昔に出入りしていた業者さんに事情を説明して参加する人集めをお願いをしたわけです。金を払わないで遊びに行けるので案外集めやすいとはいえ200人は大変でした。癖のあるある課長は最後の一人までチェックして、人数が不足していると何度も電話で督促されました。そのたびに関係先に人数をごまかさないでちゃんと申し込みをしてくださいとお願いをするのが嫌でたまりませんでした。
旅行代理店のツアー担当者のようなことをしたのですが、200人が一番大きな規模の時でしたが、100人規模は何年にもわたって依頼されたので本当に往生するとはこういうことかと思い知らされたのでした。
 
当然こういう事は私の勤務していた会社には何も言わないでやっていたことでしたが、こういう芸当が出来るのも会社の中でも私くらいしかいないだろうなと思っていました。こういう積み重ねが売上も順調に増加する滑剤になっていたのは間違いのない事実でした。それに技術者のヘマに対する攻撃も癖のある課長の手加減がゆるくなったのも分かったので、効果はあるというのは身に染みて感じていました。
私の勤務していた会社では「ルールが重要だ」とか声高に叫ぶ輩に限って実績が何もなくて役職についている連中だったので、こういう連中は本当の仕事なんてものはした筈もないことは少し話をすれば分かる事でした。何でそういう無能な連中が役職についているかという理由は無難だからとしか思えないようなもので、そこに外資系の口八丁手八丁の連中が容易に入り込んでいる構造でした。毎日会社に来て会議で仕事していると錯覚して時間を浪費し、部下には知ったかぶりの説教をたれているのがご愛嬌というような部長や役員がごろごろしている会社でした。しかし、時には相手の会社から堂々と遊興費を要求されても公然と金を渡している会社もあって、そういう場面を見ていると所謂ご都合主義が蔓延しているともいえる会社でした。
私の勤務していた会社にも当然取引上の関係からツアーに参加してほしいとの正式な依頼がきていましたが、精々4・5人程度しか集めることが出来ないのでした。そういう状況が顧客にとっては満足できないことを分かっていたのは私だけで、能天気で無神経な部長や役員は「これだけでも大変だ」という風に思っていたらしいのが面白くもありおかしく思えたのでした。
 
データセンターに設置したホストコンピュータの能力が業績の急増に追いつかず更新する時に癖のある課長から裏金作りの協力の要請がありました。新規に導入する外資系ホストコンピュータは高級機で金額も数億と言う程度の規模でした。
癖のある課長の話では、私の勤務していた会社の子会社の部長にも手数料を払わなければいけないという変な話をきかされたのでした。子会社の部長は外資系コンピュータ会社から異動できていたので、外資系コンピュータ会社の営業マンともツウカアというような関係であるのは明らかでした。この時はとっくに退職していた筈の人物が登場するのは自分の分け前を増やしてほしいというのが理由らしいと思いました。一線から外れていたのはこの部長の他に、もう一人の同じ外資系コンピュータ会社から子会社に異動して部長職で私と何度か取引をした人でした。この時は病気で会社も退職をしているというような時でした。不思議な事に、癖のある課長はわざわざ平日に休暇を取って入院している部長の所にも行かなくてはいけないと言うような事を言っていました。
こういう話を聞かされると、データセンターに最初に外資系コンピュータ会社からホストコンピュータを導入した時も同じことがあって、それで同じ登場人物に依頼をしたのではないかと推測をしました。それ以外には考えられません、というのが私の感想でした。
その上に「自分の取り分を増やしたいので何処か代理店を紹介して欲しい」というような嫌なことまで依頼されたのでした。私の以前に勤務していた会社で付き合いにあった代理店に勤務する男を呼び出して事情を話すと、蛇の道は蛇でこの代理店を辞めて会社経営をしている男がいると言われて紹介をしてもらいました。こうなると何の仕事をしているのか訳が分からなくなっていましたが、この時は顧客との関係を何とか維持しなくてはいかんという営業活動の一環として取り組んでいましたし、そう言い聞かせないと出来ないような仕事でした。
外資系のホストコンピュータを導入するのは癖のある課長の独壇場でした。自分で稟議から契約一切を全て仕切っていたようでした。私は外資系コンピュータ会社から顧客への注文書がどういうルートで何社絡んでいるのか全く知りえないのでしたが、多数の会社が関わっていたのは事実だという確証は癖のある課長の発言から読み取ることが出来ました。
最後には「現金が最後の代理店に入金したら持ってきてほしい」と言われて断ることもできずに運び屋までされられたという事もありました。かなりの金額で政治家に届けられる紙袋同様に紙袋に入れてすごい金額の札束を運ばされました。
この案件では私の勤務していた会社は一切関与させてもらえず売上もゼロでよくこんな仕事が出来たものだし、頼む方の見識も如何なものかと疑わせるものでしたが、癖のある課長に対してはこういう実績で私の信頼感は確固たるものになったのだというのは感じられました。それが後に私の勤務していた会社に対して年間1億円以上もの利益を生む源泉になったというのは、この時は知る由もありませんでした。
こういう悪い事をしていると誰かが目をつけるもので、外資系コンピュータ会社から最初に伝票が渡された会社に大きな金の流れがあるのが税務署に指摘されて、税務署は全ての関連する代理店に調査に入ったという話を後ほど聞きました。私は当然だろうなと思いましたが、癖のある課長には現金しかわたっていないので何の証拠も無いので税務署が来ることはなかったと思いますが、代理店からは相当に恨まれたのだろうと思いました。
この時導入したコンピュータも能力不足で後に更に大きなホストコンピュータを導入しましたが、このコンピュータの固定資産が残っていてなかなかデータセンターから撤去できないでいました。
このコンピュータを導入してしてから7・8年もしたある時、会議の席上で情報システム部長から「あのコンピュータはなかなか償却がすすまないな」という発言がありびっくりしました。正直な人なので単に感想を述べただけと思いましたが、その実「沢山の手数料がコンピュータには含まれています」と言うのを知っているのは、その会議に同席していた癖のある課長と私だけでした。