新しい日本でも数少ない高性能コンピュータを導入して、オンライン端末のレスポンスもすこぶる改善されて問題が一時解決されたように見えたのは1年程でした。再びコンピュータの性能に限界が見えて色々な対策をしないといけないという事が起きました。
それはこの会社のシステムに問題があるのは明らかだと思ったのは私だけかも知れませんが、業務別のCPUの割り当てを変更したり、磁気ディスクのファイルを整理したりとかして、その場限りの対処療法しかできないのでした。その理由は業績が向上してデータ量が増えただけでは無く、ユーザーがどんどんと新しい仕様を追加してシステムは膨らむに任せていて何の管理もないとうのが実態だろうと推測していました。
元々現場主導の会社なので、コンピュータの使い方は現場のニーズをそのまま実現しているのでシステム上の理解とかは全くないので、自然とコンピュータのCPUはどんどんと100%に近づくのでした。情報システム部の部員はプログラムを書くのが精々の技術レベルで、システムの利用の仕方は全てベンダー任せでもあり、自然とシステム資源は悪い方向へとどんどんと進むのでした。癖のある課長もベンダーから聞いた話を振り回すばかりで、自分では何もできないのでホストコンピュータは管理不在の野放しになっていると感じていました。
相当の金額をつぎ込んで導入したホストコンピュータがアップアップしてくると、私は「もうホストコンピュータの時代じゃあ無いでしょう。オープン化への取り組みをしては・・・」というような話を何度もするようになりました。
しかしながら、大きなホストコンピュータを導入したばかりの時で流石に新しいコンピュータを導入するとは言えないので、苦肉の策としてホストコンピュータのデータベースとサーバーのデータベースを同期させるという事を思いついて、ホストコンピュータのデータベースの外資系ベンダーに依頼をしたのが、新しいシステム導入へのとりかかりとなりました。
外資系ホストコンピュータで利用していたデータベースは別の外資系コンピュータ会社のデータベースだったので話がややこしくなりましたが、私の勤務している会社の運用をしているシステムエンジニアも参加して始まりました。
話を聞いてみるとこの外資系データベースを販売している会社ではサーバーと接続するソフトはあるものの日本での実績は無い様でシステムエンジニアも苦戦しているようでした。月例の会議でも報告を聞いていると如何にもうまくいっていなのだというのが分かるような内容でした。このプロジェクトに関しては、私が勤務していた会社は直接の関わりが無かったので他人事で話を着ているばかりで助かったと思いました。半年以上も経過しても外資系データベースのシステムエンジニアが会議の席上何のかんのと言って旨くはいっていないことが分かり、最後にはとうとう難しいということで尻切れトンボで終わってしましました。
ホストコンピュータの問題というのが、このプロジェクトが終わるころには明確になってくると、何でこんなに金をかけて導入しても問題が解決しないのだという雰囲気が社内にあることが、出入りしている一業者の私にもうすうす感じられるようになりました。
当時は業績も頂上にもぼりつめる位に良かった最後の時期と重なり、この会社の社内では過剰投資ではなかったかというような話にはならなかったようでした。癖のある課長は何とかしようと外資系コンピュータ会社にも相談はしているようでしたが、当時は次期ホストコンピュータの導入なんてことは触れることさえできるような状態ではなく、出入り業者の私は顧客が壁にぶち当たったような状態だと見ておりました。