癖のある課長の行動は正に常軌を逸したものだという事は何度もありました。自分に関わったことで最初に起きたのは10数年も以前になりますが、新規にパッケージソフトウエアを導入することになり1億円以上も投資をすることになった案件でした。
私も何とかサーバーだけは買ってもらえないかと思いましたが蚊帳の外であることが分かり直ぐにあきらめました。裏金を渡すということができていない以前の事であることと、そもそも導入する目的が社内の重要なシステムらしくきな臭く、この顧客の社内でも癖のある課長の他にも裏で関わっている人がいるように感じられたことも一因でした。
何時の仲良しの外資系コンピュータ会社とはこの時ばかりは不調で、多分渡す金が少ないという事だったのかも知れません。外資系コンピュータ会社の営業マンは歩合で四半期ごとの成績が給料に反映されるので、癖のある課長には多分必死に頼み込んだのだろうと思います。それでも注文がでないのでとうとう社長にトップセールスをかけたのですが、これが癖のある課長の逆鱗をかって本当に外資系コンピュータ会社からはサーバーを買わないということに決めたようでした。
癖のある課長からは「社長からメーカーは情報システム部で決めていいと言われた」という話を聞かされると、外資系コンピュータ会社のトップセールスが失敗したのかなと思いました。この時は未だ創業社長の時代で、当の社長はコンピュータなんてものはさっぱり分からないという事と社長は金持ちなので裏金なんて渡しようがなかったということがあったのかも知れないと思いました。
この時、私は癖のある課長に「どうするんですか」という質問をしたら「同じ製品を国産コンピュータメーカーが作っているのでそれを入れますから」といって本当に国産会社のコンピュータメーカーのサーバーをデータセンターに導入してしまいました。当然の様に「代理店はxxxxという会社から購入します」と言って、普通ならば直接購入できる商品をわざわざ代理店経由にして裏金を作っているのだと言うのは明明白白と思いました。
普段から散々裏金で散々お世話になっている外資系コンピュータ会社の営業マンが気に入らないからと言って簡単に裏切って喜ぶような人かなとも思ったのですが、そういう人格的に少し歪みのある人だというのはずっと感じていたので、付き合い上は気をつけるようにはしていました。
その国産会社のサーバーは外資系コンピュータ会社の設置していたラックの間に設置されると周りの色との調和が無く、違和感が漂っていました。それはサーバーが導入される経緯を物語ってもいるのかなと思いました。このサーバーは次の更新ときには外資系のサーバーに置き換えられたので、一時の癖のある課長の怒りが一瞬見えていたとも言えるのかなと思いました。
私の勤務する会社ではデータセンターで運用するのに必要な準備をするだけの仕事しかありませんでした。それでもこの国産コンピュータ会社のサーバーはやたら電力を消費するのでその分売り上げは自然と上がり嬉しくなりました。
外資系のコンピュータ会社ではこれ以降は慎重な行動と多分裏金も相当に水増しをせざるを得ないことになったのだろうと思いました。
この会社の癖のある課長には色々な嫌な思い出ばかりですが、中でも一番いやだったのでは電話が来た時でした。毎度いちゃもんをつけたり、不平を言ったり、様々な感情的な表現が用件と共にのべられるので、電話が掛かってくるのが分かっている時は若干心の準備ができていましたが、案外突然に怒鳴り込まれるという事が多かったので神経的にも苦労がありました。言ってみればそういう代償を会社からほしいくらいでしたが、鈍感無知な管理者ばかりの会社では所詮無理というものかなとも顧客を担当していた10年以上も感じていました。
別の観点から見てみると、癖のある見えのある課長より私の方が年配で営業経験も豊富なので逃げ方が分かっているので何とか続けられたのかなともずっと思ってはいました。
裏金作りの手助けをするようになってからは、癖のある課長も少しは態度は軟化しましたが、それでも時々ものすごい剣幕で電話口から怒られることも度々でした。時々、技術者がへまをして問題を起こした時などは、怒りでボルテージの上がっている癖のある課長には平身低頭でお詫びに出かけて、事実を説明するのが一番良しと言う記憶が多々あります。そして、案外問題の発生のきっかけを作ったのは情報システム部の担当者ということになると急に怒りの矛先は行先を無くして、詫びると言うことは「顧客だから」という理由でしないという風に考えている人間なので、お詫びの会議は尻切れトンボみたいな雰囲気になるのでした。
上記の事情だけが理由ではありませんでしたが、私は会社から支給されていた携帯電話を使う事は殆どありませんでした。日中の会社に掛かってくる電話だけでも少しばかりの緊張を強いられているのに外出先まで追っかけてこられてはたまらんという気持ちが強かったということでした。個人的な感想では、私の勤務していた会社でわざわざ携帯電話で連絡をするような急ぎ用件は皆無であったろうということでした。仕事自体に緊急性のあるものは少ないし、第一企業としてそういう投資をして見返りはどれほどのものかという事を何時も思っていたのですが、多分そういう事に思いが至る人はいなかったと思います。単に便利と言うだけで業績も上がらず、顧客の評判を上がらず、何一つ変わらなかったと思って、携帯電話を忙しく見せる道具に使っていた連中をみていたのでした。
 
振り返ってみれば、癖のある課長からの電話が来ること自体がすごく嫌な事ばかりだったのでした。会社の業績底上げする「見積もりを下さい」と言われればどういうお返しを期待しているか聞かなければならんと思って心が折れてくるし、契約書の文面がおかしいといちゃもんをつけられれば「はいはい、ご希望の通りに」と言って相手をなだめなくてはならないし、クレームの時の首でも取ったように見下されて大声で怒られる時はひたすら耐えるしかないというような具合でした。
それでも営業経験の長い私の口からは「何時も貴重なご指導有難うございます」といって相手をおだてて少しは怒りの矛先をよけていました。これは以前に勤務していた時の上司から「客から矢が飛んできた時は、さっと頭を下ろしてやり過ごすのが定石ですよ」と営業マンの心得を学んでいたのが少しは役にたったのかと思いました。そういう癖のある課長との電話を横できいている連中には「おや、何だか楽しそうだね」と言う風にしか聞こえていなかったようで、私が退職する時に某管理者から「あなたはあの会社と楽しくやっていると思いましたが」というものすごい勘違いをしているコメントを聞いて、理解度のレベルの低さに驚嘆したことがありました。
この顧客の仕事のなかでも一番厄介なのが外資系コンピュータ会社の保守という契約でした。第一余りの沢山のサーバーを導入しているので、どのサーバーを私が販売したのかさえも分からなくなるありさまでした。又、サーバーだけでなくサーバーで使用するディスクだけを販売をしたこともあり、最初の頃整理がほとんどできまでした。
又、同じ外資系コンピュータを癖のある課長はあちこちの代理店に分散して発注をしていたので、保守管理が十分にできていませんでした。それでも癖のある課長から時々は電話がかかって来て「保守が切れている、至急見積もりを提出してください」という督促があって、調べて見ると私が勤務していた会社が販売したものだと分かって、保守見積もりを外資系コンピュータ会社にお願いするのでした。
私が勤務していた会社からこのデータセンターを利用している会社に外資系コンピュータを販売する時、子会社の代理店を利用することも最初は多々ありました。というのも、癖のある課長はコンピュータを購入する時に利用する代理店をころころと変えて、と言うよりも手玉にとって自分の懐具合が一番よさそうな会社を選択していたようでした。結果として、データセンターには同じ外資系コンピュータ会社のホストコンピュータとかサーバーが導入されたのですが、一体どの機器がどの代理店経由で販売されたのか分からなくなるような事も一時ありました。これには管理上の問題ばかりでなく、機器の動作を監視する業務を請け負っている関係上問題があるというので、癖のある課長に「必ず当社にも連絡した上でサーバーを導入をしてください」という申し出をしたほどでした。
サーバーを導入して1年も経過した時に、外資系コンピュータ会社の代理店をしている子会社の営業マンから「もし・・・」と電話があり保守費用の請求連絡が度々くるようになりました。この子会社の営業マンは何故「もしもし」と言わないのか変だなと思っていましたが、それは保守契約が切れていて私に「遅ればせながら請求します」という図々しい依頼をしてきたからでした。理由は簡単で、外資系コンピュータ会社は保守契約が自動更新になっていて有無を言わせず代理店に請求がくるのでそれを私に伝えるのですが、問題はとっくに保守期間が終わっているのが問題でした。当然ながら私は癖のある課長に「保守が切れていますが、見積書を出します」と言わざるを得なくて嫌な思いを数えきれない程にしたのでした。
子会社の営業マンには「保守が切れる前に連絡しろ」と言っても改善されないので、外資系コンピュータ会社と私が勤務していた会社とで直接契約をするという変更をしましたが、これも子会社の承認が必要ということでしたが強引に殆どの契約を変更して、保守契約を私自身で管理できるようにした頃にはサーバーの寿命も終わって入れ替えるというような事になっていたことが多々ありました。
急成長した会社だけにその場の思い付きでサーバーをどんどんと導入したつけを払わされたのかと思ったのですが、同時に子会社の誠意のない対応にも振り回されて、退職少し前まで気苦労が絶えない仕事になっていました。

癖のある課長には、保守が切れていると「これじゃあ、お宅で費用負担してもらわないと」と言うようなことも言われてドキッとさせられたこともあり、この会社の仕事の中でも一番嫌な思い出となっています。これも、年配の私だから何とか癖のある課長を抑えることができていたのかなと思ったのでした。
蛇足ですが、この外資系コンピュータ会社の保守の見積もりも一見すごく厳密で正確に作られているように見えたのですが、ある時に担当者が病気で休んで代理の担当者が見積もりを作成すると以前よりも高くなっていることがありました。理由を尋ねると「私はルール通りに作成しているだけですよ、前の担当者が抜かしたのでしょう」と言い訳を言っていました。全く同じ構成なのに担当者によって保守費用が変わるなんというのは非常識な会社だとは思いましたが、顧客にはそのまま伝えると渋々ながらも受け入れてもらいました。顧客と外資系コンピュータ会社とは、癖のある課長へのリベートとかを話をしていている中での事だと思うと理解が出来るように思えるのでした。
この会社の情報システム部で接待していたのは癖のある課長だけで、私が退職するまで続きました。データセンターにサーバー群が増設々々と増え続けて、データセンターの賃貸場所を貸増をするころには売り上げも順調に伸びて利益も相当に出るようになっていました。当初は売上が数千万でしたがあっという間に一億円を超えて利益も数千万円というような状況になりました。
このころ、は新入社員に仕事を説明してほしいと言われて小一時間ほどの説明をしたことがありました。自分自身で4・5年間の売上と利益の数字を整理すると事業部でもそれなりに貢献しているのが自然と分かろうというものでした。担当を外された以前に私が受注した顧客はデータセンター値下げとか撤退とかがあってどんどんと売上が減少していくのと対照的だなと思っていました。当然ながら頭の悪そうな顔をした事業部長は苦々しく思っていたに違いありません、口なんかは聞かないのですが、私と通路で出会うと下品な顔が益々貧相になるのでよく分かりました。
そういう状況では、通常顧客に対して毎月何らかの接待をしても罰は当たらないと思うのですが、私自身は酒を飲まないので自からはお誘いはしませんでした。癖のある課長が見積もり依頼をしてきた時にお返しの接待を自腹でする程度だったので、事業部から見たら接待の金も使わず利益ばかり上がる客で褒められても当然という風に思ったのですが、事業部の誰からも褒められもせず感謝もされないという状況にありました。それどころか毎年予算計画の時期には売上をどんどんと積み増してくるのが図々しいとしか思えませんでした。定年間際の人間にそういう対応をする会社があったという証明をしているのかなかと思って、当時はブラックなんて言葉はありませんでしたが、今時でいえば本当に真っ黒な会社ということだったかなと思っています。

それでも顧客には何らかのお返しをするのが当然だろうと思っていたので、忘年会を企画しました。最初は幹部だけでお願いしますというので始まりましたが、情報システム部の部長と課長は2名しか来ませんでした。情報システム部には、ベンダーが主催する飲み会は嫌いだという課長が一人いて、とうとう私がこの顧客を担当して間は一度も接待には応じなかったという人でした。変人と言うことではなくて仕事を真面目にこなすという人だったので通常の仕事ではシステムエンジニアと懇意にして仕事を進めていました。
この顧客との忘年会は最初は少人数だったので盛り上がりに欠けました。給与が安いという会社なので年に一度は美味い料理や酒を食べ放題飲み放題でもいいのでないかと、癖のある課長に相談すると、今度は癖のある課長の部下の女性ばかりを連れてきたので、翌年には他の課にも声をかけてくださいと言ったので、毎年忘年会の人数がどんどんと増えていきました。
沢山の情報システム部員に忘年会に来てもらうのは営業担当者としてとても嬉しく思って何時も幹事役をして、調理場に酒とか料理の追加注文をして宴会場を仕切っていました。
一方では、癖のある課長は部内でも評判が悪いというのは部員の発言を聞いて何となく理解していたのですが、この課長が部内ではこういう忘年会をできるのは俺のおかげだと部員に恩着せがましく言っていたと言うのを聞いて気分が悪くなりました。そういう話を聞くにおよび私の親切心が裏目にでていたのかなと悲しくなったこともありましたが、元々そういう人間だと割り切らないと癖のある課長とは付き合いは出来ないなとも思いました。
こういう忘年会を会社の接待施設で行うので金額もそれなりに膨らんで、二三十万円になることが度々でした。接待の少ない金額なら、請求書が来た時には事務担当の女性がさっさと事業部長の承認印をもらうのですが、流石に十万円も過ぎた金額では行けませんと言って私に事業部長印を貰うように依頼が来るのでした。忘年会も金額限度を決めていた訳でもないので、飲み放題食べ放題では金額も増える事は分かっていたのですが限度が超えているなとは自分自身でも分かっていましたが、頭の悪そうな顔をした事業部長に私が承認印をもらいに行きました、それが年に一度の事業部長との会話でした。
この会社の癖のある課長とは厚い信頼に基づいた裏金でつながりができると色々な案件が増えていった時に、プログラム開発をしている課長からサーバーの注文を出したという電話がありました。
「どういう製品ですか」とプログラム開発をしている課長に確認すると、データセンターには導入しないが何処かの部署で使いたいので導入するという説明でした。同時にサーバーの構成表も送ってもらいました。この時、直接発注ではなくて間に代理店が入りますという事だったのですが、その時は「そうですか」と何の疑問も無く電話の説明を聞いていました。
ところが後日代理店から送付されたサーバー構成表を見るとプログラム開発をしている課長からもらった構成表との間に差があり、私がもらった見積用の構成では部品がいくつか少ないものでした。秋葉原にある代理店の担当者に「私が貰った構成と違いますが」と疑問を投げると相手は何時もの事でしょうと慣れた調子で「あの会社では物を売る時には別途の料金が係るのはご存知でしょう」と言って電話を切られてしまいました。
私はそのプログラム開発の課長と代理店との間の話なんかはどうでもよくて、構成が変わってシステムが動作し無くなる事に不安を覚えてプログラム開発をしている課長に電話して確認をしました。「代理店からもらった見積依頼内容と課長からもらった構成内容には差があります。代理店からもらった構成表で問題ありませんか」という質問をすると、課長は笑いながら「いいんです、いいんです、その構成でも動きますから」と言って早く見積書を出すようにと催促をされたのでした。この会社では癖のある男ばかりか、他の男も裏金を貰うような事をしているのが分かった時でした。
小さな会社が急成長して大きなお金が流れるようになると、おこぼれでも貰おうという気持ちになるのは人情かなとも思いました。私はコンピュータ関連の業者として出入りしていたので、コンピュータ関係の物品購入とかサービス購入とかを眺めていると明らかに普通の会社とは違う動きがありました。導入する製品はその時々で変わってしまい統一性がないし、割と大手の良さそうな製品を選ばないでベンチャー製品が割合多く導入されているという感触を持っていました。それは、すべての取引に何らかの情実がからんでいるのかなと思えば十分に理解ができるものでした。

癖のある課長に「こういう事は会社に損失をかけていませんか」という質問をしたことがありましたが、その返事が「いやあ、会社の金なんで困りません・・・」という答えと同時に「購買部門ではもっと大きな発注がありますからね」と自分よりも他部署の人間の方が余程いい思いをしているんだ、というようなことを堂々と言ってのけたのには少々驚きました。
コンピュータ会社がコンピュータを買ってもらった時に、金品や海外旅行をプレゼントしたり、中には好き者のために風俗に案内するようなことは外資系コンピュータ会社では日常茶飯事というのを知っていましたが、まさか私自身がこういう事にかかわるような事になるとは思いもよりませんでした。それもこれも定年を目の前にしていたので清濁併せ呑むというような心境で対応をしていたのかなと思います。この会社との付き合いも長くなると、この会社では上から下まで一部の社員が行っているのではないかと思えるようになって、そういう風土かなと割り切って考えるようになりました。
こう書いてくると、自分の勤務していた建前ばかりの綺麗ごといっていた会社でも、時々不思議な事が管理部門でもあったのが思い出されました。とにかく綺麗事が声高に言う会社だけに、出来るだけ知られない様に行動をしているだけと思いましたが、疑いの目で見ると怪しい動きは社内でもちらほらありました。
いやはや、世の中とはかくの如く何処でも地位に乗じて欲をほしいがままにする人間の性が現れて、それはやり方が上手下手の差があるだけの事なのかと思ったのでした。
データセンターにコンピュータを移転してから、この取引先の業績もうなぎのぼりに上がって行ったせいかどうか分かりませんが、情報システム部にも新人が何人かは配属されました。この会社は歩合給による営業が主な仕事なので大量に新入社員を採用するものの1年後には半分くらいは厳しいノルマに耐えられず退職するというような状態が毎年続いていましたが、情報システム部に配属された人で退職した人はいませんでした。少々給料が安くても仕事が楽なので割り切って続けていたのかなと推測をしていました。同時に、女性の採用基準は容姿もあるということも聞いていました。
その情報システム部には毎年新卒の女性が数人配属されたのですが、付き合いが始まっての数年は美人が何人か配属されたので私もこの会社を訪問する楽しみが増えました。
癖のある課長もこういう女性を自分の言うがままに使いたいということもあるのが見え透いていて、何度か接待する度に若い女性を連れてきていました。
接待とは仕事上での御礼とかいうふうに考えるのが普通で、癖のある課長には現金と引き換えに色々な見積書の注文を貰うというので意味があるのですが、一緒に部下まで面倒をみてほしいというような事には少々抵抗がありました。それも注文書を貰えるということには変えられないかなというのが私の感想でした。
 
彼女たちがどれほどの仕事をしているのかが皆目見当もつきませんでしたが、ある時実態を垣間見えたように思えた時がありました。
付き合いを始めたころには情報システム部の部屋には自由に出はいりしていたので、時々は癖のある課長の席の横に座っては雑談をするようなことも多々ありました。私は世間話をするのは仕事の一環だと割り切って色々な話をしていました。
そんなある時、情報システム部で急に資料を修正しなくてはいけないと言われた時がありました。空いている席を借りて持参した資料を手書きで修正した時に、線を引くので定規が必要になり新入社員として入社して1・2年もしていた美人の女性に定規を借りると、机の引き出しから出して貸してくれたのですが新品で未使用のような定規だったので驚きました。机の中を見るときれいな事務用品ばかりが整理整頓されていて、仕事をしているという感じが全くありませんでした。そういう状態を見ていると会社に来てとても仕事をしているという風にも感じられないと思ったことがありました。それでも暫すると、開発ツールを利用して開発をするというような仕事をしていると聞いて何となくほっとしたような気分になったことがあります。
この女性は役員にも認められる程の美人でした。ある時役員が何かの行事でこの女性と一緒に酒を飲む機会が大いに盛り上がったという事でした。後日、役員がわざわざ情報システム部の部屋に来ると、頼りない部長が慌てて起立したのですが役員は全く無視してその前を通り過ぎて、この若い美人の女性の席に行って歓談していたという話も聞きました。
他の女性陣は、プログラム開発をしている人を除くと仕事は割合に暇そうで、支店から送付された壊れたパソコンの埃を取ったりとかしていたので、何とものんびりした仕事振りだなと思いました。
情報システム部一番の美人の女性は直ぐに結婚するのかと気になっていましたが、入社後10年後位に何処かで知り合ったのか経緯は不明ですが結婚して子供もできたという話を聞くに及んで、随分と遅い結婚の理由はなだろうなという感想をもちました。もちろん会社は辞めないで勤務していると聞いましたが、趣味同然で会社勤務をできるのは何とも羨ましいことだなと思いました。 
データセンターの顧客である、癖のある課長との酒席という接待がどんどんと深みに入っていったのですが、それを象徴するような接待が付き合い始めて直ぐの時にあったのを思い出しました。思い直せば、その時の接待の形式が相手の期待していたものだというのは、私が会社を退職する時にようやく理解ができたというようなものでした。
データセンターを私の勤務する会社に決めてもらってからは、直ぐに実務としての移転作業が開始されました。前の項でも説明したようにコンピュータ移転費用は言い値で受注ができたのですが、そういう一連の契約も終わった12月の中旬、私の勤務する会社で、頼りなさそうな情報システム部長と癖のある課長を接待することにしました。この時、この案件を紹介してくれた子会社の営業部長と担当者も一緒に案件紹介の御礼として接待をしたのでした。
この時の接待の出席者は、頭の悪そうな顔をした事業部長とその事業部長が同じ大学という触れ込みで連れてきた常識外れの行動をする営業部長だったので、当然ながら私の案件なので出席者からは故意に外しました。事前に接待申請も上げて異論は出ませんでした。同じ会社のメンバーとしてはコンピュータ移転をする担当のシステムエンジニア3名を同席させました。
接待は親会社の管理する接待用の宴会場で行い散々に美味いものを食わせたのですが、私はこれが終わってさっさと帰ろうとしたら、子会社の営業マンが「これから新宿に行きましょう」というので嫌とも言えないので、子会社の営業部長と担当者に連れられて新宿にタクシーで向かいました。この時、同じ会社のシステムエンジニアの3名のうち2名はこれから会社に帰り仕事をしますと言い訳を言って帰ってしまいました。一番年配の酒好きな感じのする男だけが私と二人残されたようなことになりました。
子会社の営業マンは新宿の繁華街でタクシーでの移動後全員が合流するのを見計らって、夜の10時も過ぎたネオンの輝く街をどんどんと先頭に立って歩いて飲み屋かと思われるビルに入って行きました。慣れた道筋らしく迷いも無く行きついたところを見ると常連だったのかも知れませんでした。
20年も前ですが、その店は今でいうセクシーキャバクラとでもいう店で、ホステスの女性は上半身が裸だったので驚きましたが、私はそんなことよりも支払いが出来るのか心配になりました。
癖のある課長はご機嫌で上半身裸のホステスを眺めて酒をぐいぐい飲んでご機嫌な様子を見ている間に、子会社の営業マンと連れだって店の責任者に「予算は8万円が限度ですよ」というのを伝えて予算内で飲み食いをお願いしたのでした。私は手持ちが4万円しかなかったので子会社の営業マンには「折半でお願いします、私の領収書は4万円で書いてもらうようにしてください」と言ってお金を渡したのでした。そんな苦労も知らずに、私と同じ会社の酒好きのシステムエンジニアも癖のある課長と一緒になって話が盛り上がっているようでした。
私は飲みもしないウィスキーの水割りを自分の目の前のテーブルに置いて、上半身裸の女性が呑み助なのか助べえなのか分からない輩とけらけらと大声で笑っているのを見ているだけでした。この日は客が少ないのか私の横にも上半身裸の女性が座ったので「あなたはアルバイトでここに勤めているのですか」という質問をしたら「はい、ちょっとお金を貯めようと思って・・・」という答えだったので「何か買いたいものでもあるのですか」と立て続けに質問をしたら「イギリスに勉強に行きたいので」という驚くべき答えが返ってきて拍子抜けしてしまいました。勉強と言っても学問ではなくデザインとか絵画とかそういう方面の勉強をしたいという話だったので、こういう稼ぎのよさそうな店に勤めている理由が分かりましたが、それが本当かどうかなんてわからないなあという感想でした。
騒いでいる連中とは違って、私は酒も飲まずに色々面白くも無い興味本位の質問をしていたら、その女性が「店の中央にあるカーテンで仕切られた場所を示して「あそこの中では触り放題です」と言ってそうしてほしいというような仕草もしましたが、私が興味を示さないので仕方なく意味のない世間話を延々としていたということでした。
とっくに夜の12時も過ぎて朝の1時少し前に店を出ました。私はひどく疲れて早く帰りたいという気持ちばかりでした。この時、当然ながら癖のある課長には会社のタクシーチケットを渡していたので「タクシーを拾いましょうか」と質問をしたら「未だ飲み足りないので、これからショットバーで飲んでから帰りますから」と言ってさっさとにぎやかな方向に一人で歩いていってしまいました。
残された子会社の営業マンと私と同じ会社のシステムエンジニアとはその場所で別れ、私は眠い目をこすってタクシーで自宅に帰りました。
 
翌日、会社に行くと酒好きのシステムエンジニアが非常識な行動をする営業部長に昨日の顛末を全て吐露していたらしく「昨日は随分と楽しそうだったですね」と自分も同席したかったというような感じで、普段は話しかけなどはしない営業部長から問いかけをされて驚きました。私はこういう特別な接待は内緒にしておいてほしいと思ったのですが、この酒好きのシステムエンジニアは軽口だけでなく会社の人間関係というものに配慮が行き届かない無神経な男であるということが分かり、以後は遠ざけるようになりました。
営業部長は「領収書は出してもらっていいから」と普段は仲が悪いのに、システムエンジニアが顛末を吐いたので許すと言うようにも聞こえて気持ちが良いものではありませんでした。以後はこういう変な接待は自腹で処理するしかないかと覚悟を決めた時でもありました。
接待する店は相手の会社の近くでは、会社の仲間に接待されているという事実が知れ渡るのでまずいと言うことがあるらしく、取引先の会社の近くでは接待はできませんでした。しかし昼飯をご馳走するというようなことは度々ありました。特に若い女性陣を何人かを一緒に連れて行くと、この癖の課長は自分の悪い評判が上がると思ったらしく、私が午後からの会議があるので「昼飯でも」という事前に連絡をした後には大抵そういう事態になっていました。
この癖のある課長は自分が部内でどれほど嫌われているか全く能天気に知らないようで、そんな子細な事では改善などはしていないと私は見ていました。まるで落語のネタになるような事をしていたと当時は思っていました。又、昼飯代を毎度会社に接待費で請求するのも気が引けて自腹にすることも多々ありました。
その自腹というのは昼飯だけでなく、夜の接待も度が過ぎてくると自然に自腹にせざるを得ませんでしたが、自分自身が会社に貸でも作ったつもりになった気分にでもならないとやってはいられないなと思い数知れずの接待をしたということにも後にはなるのでした。


相手の癖のある課長は何かと理由をつけては、午後おそくに会社から小一時間もかかるデータセンターに来るので、自然と接待をしなくてはならないという事になるように仕組んでいたようでした。
データセンターから帰り道の駅前の赤提灯で済ませたのはほんの数回で、その後は接待で使える親会社の系列会社が運営する宴会場に案内するようになりました。
接待は事前申請なので毎度「これで注文がもらえますから」という説明をして、調子者の営業部長のはんこを貰うのが常と言うことになりました。接待する宴会場は少しばかり高級で費用も掛かるので費用を節約する意味で営業部長には同席を依頼はしたことは一度もありませんでしたが、売上が上がるので配慮が足りないとかいう文句も出なかったということだろうと思っていました。
この接待も回を重ねるうちに女性社員同伴が多くなり、私は接待費用が増えるので嫌だなとは思っていましたが、注文をもらうためには仕方がないかと思って受け入れていました。何人もの女性社員をデータセンターの勉強と称して連れてきたのは、癖のある課長は部内で自分の威厳を誇示するためにおこなっているのだなというのは明らかでした。
こうして接待するうちに、宴会場の年配の仲居さんが「おや、またいらっしゃいましたね」という馴れ馴れしい言葉が出るようになり「いや、今日もハイエナが来ますので宜しく」という返事をするのが常となりました。このハイエナと言う意味は、この宴会場は会社の接待施設なので年配者が多くて、若い女性なんかはめったに来ないような場所ということと、若いだけに飲んだり食ったりする量が、この接待施設を利用する年配者とは格段に違っていたのでそういう表現をしていたのでした。
最初の頃は、相手の会社の給与水準が世の中一般よりも低いので、出来るだけこういう機会に美味いものでも食わせてあげた方がいいかなという親心がありましたが、段々と慣れ親しんでいつの間にか相手から「そろそろ・・・」とか言われて要求されるような感じなるのでした。
その「そろそろ・・・」という言葉が出てくるころには相手の会社はいつの間にか私の勤務する会社の売り上げの3・4倍にも上がっていたころで業績が絶好調でした。当然の成り行きとして比例してこの会社からの受注も毎年増加するという事態になっていた時でした。
しかしながら皮肉にも私の勤務していた会社の業績はずっと横ばいでした。この会社がデータセンターを利用し始めたころは、私の勤務していた会社もこのデータセンターに入居してもらった会社も同じくらいの売上高だったものが、それほどの圧倒的な差が出るものかと仰天させられたころに「そろそろ・・・」という癖のある課長からの接待の催促が度々あったのでした。

データセンターを借りて営業を始めた当初からの顧客との付き合いは、所詮会社との付き合いというよりも癖のある性格の曲がった課長との付き合いであったと総括してもいいと思います。
会社としては売上のための注文をくれる人がいい人で、何もくれないのはただのひとという様に思えるのはビジネスを考える上では当然だろうと思いました。そういう感覚になるのは私の勤めていた会社もある意味では同様でした。
毎年建前ばかりの事業計画があり、出来もしない御託を並べては部下に強要しているのでした。社員を育てると言う風土が無いので、出来ない奴は本人が悪いという風にも理解されがちな会社でした。幸い私は年配と言うだけでなく、普通の営業マンに比べれば格段の売り上げと利益を上げていたので上司もやりにくかったのだろうと思いました。
私個人は会社に勤務している以上、当然ながら売り上げを上げる努力をするのは当然だろうという思想が転職前の会社で叩き込まれていたので、売上をどんどんと増やすことには賛成でしたが、やり方が上から押しつけがましく言われるのが一方的だったので相当に抵抗感がありました。数字は一方的に部下に押し付けて、自分たちは海外視察というのが何とも許せないとも感じていました。
建前ばかりが社内の中でまかり通るので、馬鹿な人間ほどそういう建前を声高にお題目然と主張して役員に取り入ろうとする姿が何とも醜く思われたことは日常茶飯事でした。こういう社風は個人の人格を無視するという事が上から下まで自然と行われて、社員同士でも飲み仲間かゴルフ仲間程度が限界で、家族的雰囲気が絶無というのも社是のように思えました。
 
売上を上げるためには色々な案件を掘り出すのに抵抗が無かったのが、癖のある課長のいる会社でした。普通の感覚ならば相手の事情も考えて程度を考えて営業活動をするのが私のやり方でしたが、癖のある課長は自ら注文を出すので自分にもお返しをしてほしと言うので、ある意味では分かりやすいとも言えました。悪い言葉では業者にたかるとも言いますが、言葉を変えて年一度のイベント大会とか海外研修とかxx行事などと体裁を繕うような言葉に替えて、その社内でも見栄え良く表現している例多いのですが、所詮は業者へのたかりというべきものが業界では横行しているという事実だと感じていました。
特に外資系のベンダーとかは見境なくそういう事をやっていたのを長年見てきました。よく海外の発展途上国で賄賂とかが新聞紙上に掲載されると、途上国のモラルは低いのかなと感じさせるのですが、日本でも普通に行われているのを目にすると、そういう記事も見る目が変わるものだと思ったこともあります。
データセンター利用で取引が始まり、インターネットサービス開始の事件の対応がよかったことや、私が年配で営業経験豊富で何事も対応できると知ると、癖のある課長は最初は小出しにして見積もり依頼をしてきました。
最初は年に一度のソフトウエアの保守更新でした。見積書を提示してから競合他社との金額感を聞くと、時によっては価格を提示価格を指定されたりとか、又ある時には他社との差額がいくらであるとかと提供される情報はばらばらでした。付き合い出して分かったのは、この癖のある課長は気まぐれであり記憶力も良くないという事実に気が付いたのでした。いずれにしても売上ばかり上がっても利益は無いと言う変な注文から私の売上は伸びて行きました。
情報システム部の癖ある課長からは何度か返金を求められることがありました。私の勤務する会社との取引を始めてから10年位の間に、最初の頃と最後の時期にそういう事件が起きました。
当然ながら全て私は自分自身で解決したのですが、私の勤務する会社ではそういう事態になると普通のサラリーマンばかりで全員が「頼みます」というのを口にさえ出さないで放っておかれるのでした。
データセンターでのインターネット接続サービスを開始してから2年後位に、インターネットの回線が通信業者の設備故障で何秒か停止することがあり、正直にこの癖のある課長に報告したら「停止した分、返金して下さい」と電話口から正々堂々と言われたので驚きました。
普通のサラリーマン会社では考えられない発想でしたが、この癖のある男はそういうことも当然と言う風に思っていたし、上司もそういう常識外の行為に対して何の注意もするどころか黙認していたようでした。こういう場面に遭遇すると、この会社が個人商店から急激に膨張しただけの会社で世の中の普通の会社の様には付き合いえないと感じたのでした。
私の勤務していた会社では、こういう事件が起きても全部自分で始末をつけないといけないし、第一こういう事件が起きても知恵がでないので誰一人として助けにはならないのでした。社内では誰も謝罪文だけでなく、私は返金金額を精細且つ出来るだけ少なくなるように考えて数万円弱の返金処理も内々に処理して始末をつけました。
つい5年程前に起きたのは1000万円も返金を要求してきた時でした。この癖のある課長が100億円のシステム刷新を画策したのですが頓挫して、社内で少しでも評価が悪くなるのを避けようとして請求をしてきたものでした。この開発の大半は外資系コンピュータ会社が担当して、私が受注したのは数億円程度というものでした。理屈から言えば、100億円も受注した外資系コンピュータ会社に請求すればよいと思ったのですが、癖のある男はそこには一切請求をしなかったことを考えると、外資系コンピュータ会社とこの癖のある男との間には何か裏取引でもあったのかと思わざるを得ませんでした。
そういう裏での約束は一切ない契約を基に仕事をしていたのですが、癖のある男は会議では口頭でどんどんと方針を変えて指示を出し、私の勤務していた会社のシステムエンジニアは仕方なく対応していたようでした。会社の方針でプロジェクトが中止にさせられた途端に、契約書に書いてあって納品できていないものは返金と言う変な理屈を持ち出したのでした。
この時は情報システム部長が途中で交代して転職してきた部長が上司になり、この部長がいまいち押しが足りなかったので助かりましたが、返金できない理由は全て私自身が理屈を構築して1年ほどもかかり何とか返金しないで済ませたという事件でした。上司である営業部長を毎回支払わないという説明の会議に同行してもらいましたが、お飾りだけに終わり何の役にも立ちませんでした。詳細は後ほどに書くことにして、こういう事件があったのですが、私の勤務していた会社からは何の慰労の言葉もありませんでした、この時も本当に情けない会社だと再認識をさせられたのでした。
この大きな開発とは別に、少し遅れて私が面識のあるシステム会社がこの会社から数千万円でシステム開発を請け負っていたのですが、納期が遅れた時にやっぱり1000万円を請求されたという話を聞きました。現場に損害が出たという説明をしていたという事でしたが、それは口実だろうと思いましたが、このシステム会社は返金したという事を聞いて驚かされたのでした。この癖のある課長の脅しが利いたのかなと思ったのでした。
こういう話と言うのはまともな会社では起こりえない話ですが、そういう事を正々堂々とするところが個人企業が膨張した会社のモラルの低さでもあるのかなと感じた時でした。
ある意味では貴重な体験をしたということでしたが、私にとっては非常に嫌な思い出として消したくても消えない染みの様に残る事件を経験したということになりました。