データセンターにホストコンピュータ移転後直後にインタネット用サーバー導入があり、その時にコンピュータ販売の営業マンがシステムエンジニアを期日までに調達できなかったことで、癖のある課長からはその男は出入り禁止と申し渡されました。しかし、このコンピュータ販売の会社ばかりか卸元の外資系コンピュータ会社の営業マンも3人程が自分の意に沿わない行動をしたとして出入り禁止にしてしまいました。外資系コンピュータ会社はノルマが厳しいのでついついトップセールスに走り、役員とか社長にコンピュータを買ってくれと説得に掛かっていて、それが癖のある課長の考えているタイミングとか内容にあっていればいいのですが、ややもすると思惑が違うので、それが癇に障るようでした。
営業マンは会社として出入り禁止を決められた訳でもなく、癖のある課長との面会が出来なくなるというだけものでしたが「あのー、申し訳ありませんでしたが、そこを何とか・・・」と言っても返事を返さないので会話にならないし電話をしても出ないので、結局何か売り込もうとしても何も出来ないので、外資系コンピュータ会社は自然と担当を変えざるを得ないような状況になるのでした。この癖のある課長はそういう事も平然とやってのけるので少々度が過ぎると言う風に感じることがままありました。
担当する営業マンが中々変わらないと見るや、相手の会社の社長宛に直訴のメールを送ったりするので、余計に相手には嫌な奴だと思われたのだろうと思いますが、そういう事は一切気にしないという性格がねじれているのが何とも厄介な相手だと思いました。
ある時、部内でシステム開発をしている年配の課長から私にサーバーを発注しますと言われて「それでは御礼に夕食でも」という話をして、職人肌のプログラム開発をする課長と部下の三十路の女性を接待したことがありましたが。新宿の皿鉢料理屋で接待している時に、癖のある課長からシステム開発をしている課長にわざわざ電話がかかり、何処にいるのだという事を聞かれたと、その場にいた課長から聞かされ興ざめしました。その時に、あの人は尋常では無い人だなと思って、以後は癖のある課長を警戒しながら入り込む機会を待つことにしました。癖のある課長は、そういう変わり者なので、逆に使えば私の勤務している会社の業績につながると直感しました。
 
データーセンター利用開始後の2・3年は、その顧客はサーバー数が業績向上と共に自然に増えて行くので毎度契約を更新するのが大変でした。その大変と言う意味は、見積もりを持ってこいという日と契約書を持ってこいという日が殆ど猶予がなく、尋常では無い程急がされるという事でした。そういう意味でも、普通にしか仕事の出来ない営業マンでは対応出来ないので、少々間違ってもさっさと事務仕事がかたずけれられる私の能力が生かせる客先でもありました。
しかも、面会時間は何時も夕方から夜に設定されるので、受付の女性が帰ったあとでも薄暗いロビーで一人で待たされることも度々でした。そういう他人の心情なんか気にする人間ではないので、平然とやって来て自分より年上の営業マンにご苦労さんの一言も言いませんでした。お茶を出したりしてくれたのは、元営業マンという形ばかりの習慣が身についていたからだと思いました。
受付嬢も帰るかどうかという時間に、受付ロビーで私一人が目の前の道路を走る車を呆然と眺めて面会する相手を待っていると、いつの間にか社長がロビーの私とは少し離れた場所で座って迎えの車を待っていることが度々あり、社長とは目礼するので顔だけはお互いに認識するというような間柄になったのでした。
この社長にはデータセンター入居後も、私の勤務する会社の役員を挨拶に連れては行ったことは有りませんでした、それは年配営業マンの私がこの顧客を受注して契約も急ぎ終わったので、何でわざわざ形ばかりの挨拶などをする必要など無いと判断したからでした。この客先は役員が挨拶に来たからと言って何かお土産をくれるような顧客でもない、という事が分かっていたのも、役員挨拶をする必要が無いという理由でした。
ついでに「社長は真っ直ぐに帰らないで別宅に寄ってから自宅に帰る」と言う毎日を送っていますと言う話を聞かされたのは、情報システム部の癖のある課長からでしたが、この課長がこの類の話が好きだと言うのは後に明らかになるのでした。それに加えて役員が会社の女性に手を出すこともあったりしましたが全部金でかたをつけました、という何やら物知り気な話を聞かされたりもしたのでしたが嘘か真かは全く分かりませんでした。ひょっとして癖のある課長も妄想かなとも考えたりしたのでした。
私が営業マンとして付き合い始めた会社は、個人商店が急激に大きな会社となったので、色々な場所で普通の会社とは違うところがありました。個人商店なので社長が何事も決めるということでその存在は普通一般のサラリーマン社長とは全く違っていました。
大きな会社になっても近所のおばさんは昔からの付き合いというので、時々饅頭とかあんぱんとかを社長のところに持参する人がいたらしく、社員が決済についての説明を社長にした時などは、社長はそういう貰い物を消化する好機ととらえて社員に「食え、食え」と言って食べるのを強要していたことでした。社員からこの話を聞くと、仕事よりも胃の調子を整える方が大変と言う風に私には聞こえました。
社長は当然ながら人事権もあるので自分の座っているフロアには美人を据えたいというので、パソコンで顔写真付の社員名簿を見ては女性の異動もさせていたということでした。これは普通の会社でもよくあることなので特段に驚きはしませんでした。普通の会社ではそういうことは社員の定期異動とかで件の人が特定の管理者の横に座っていたという風になり意図が何となく分からない様に仕組むのですが、この会社はあからさまなのが大きな違いでした。
自社ビルも元々は自分の土地に建てたものでしたので、ありがちな道路に面する長さよりも奥行きが長いのでビル自身は見栄えがいまいちでした。受付の横には吹き抜けで大きな木を植えていました。役員会議室は後には一般社員にも開放されたので、私も会議で参加した時に初めてその会議室に入りましたが、椅子がやたら高級すぎて座り心地の悪いものでした、見た目ばかりの成り上がり者的な雰囲気を感じました。これは他社の一代で大きな会社にした企業を訪問した時も応接室がびっくりするほど豪華で会議をするという気が失せると言う記憶があり、それと同様というような感想を持ちました。
初代の社長が一代で大きな会社に成長させたというのが普通にはない希少な会社だと思って、ある意味では尊敬をしなくてはいけないかとも思いましたが、それよりも会社として組織で動きだすと社長が云々と言うようなことはなくなるので段々と普通の会社に変貌するのだろうと思って見ていました。
そんな個人会社の色濃い会社で一番の驚きは100円食堂でした。昼食と夜食を社員食堂で提供していましたが、会社費用負担で食事を提供していましたが全て100円でした。専任の料理人を社員として雇用していたのも個人会社が大きくなった会社ならではだと思いました。
私も何回かご相伴にあずかりましたが社員用カードで支払うので出入り業者は当然ながら利用する事は出来ませんでした。私は普通のラーメンを注文したのですが、その上には料理人が目の前で焼いてくれた海老が乗っており、付け合わせの野菜サラダは食堂の隅にある切った野菜やデザートがおいてある場所から取り放題というようなものでした。会社の規模からすれば費用負担は小さいと思われたので社長の偏見と独断で行われたものだろうと思いました。当然ながらあまりに安いので独身者ばかりか妻帯者も夕食はここで済ませると言う本来の趣旨から外れて利用する人もいたということを聞くと、それは当然だろうなという感想をもちました。
 
こういう社長の意志が会社の運営に影響したのも成長している間だけでした、7・8年後にはリーマンショックで業績が急速に悪化して銀行管理下に置かれると、こういう個人会社的な運営は無くなり、普通の会社になっていきましたが、管理部門の給料の安さは変わることはなかったようです。社員の話を聞いていた時に「嫁さんには給料には文句を言わせない」という強がりをいう人もいたのを聞いたことがあります。
こういう会社なので何時も人材を募集していますが中々良い人材が集まらないのは自然のなりゆきかなとも感じていました。
 
この新しい顧客の情報システム部は社内での地位が低く、何事も現場からの要請で動くと言うすべてに受動的な立場にありました。何か事があれば自分たちに責任が求められるのを非常に嫌がっているというのは、色々な局面で垣間見ることになりました。
当時の情報システム部長は某時計会社の情報システム部から転職してきたという人でしたが、特段に知識があるわけでもなく管理者としても何も出来ないと言う人でした。急成長していた会社なので人材の質よりも人をそろえるという数合わせが重要だったという理由だったかもしれません。この部長は、部下の課長が募集をかけたものだと聞きましたが、この募集をかけた課長と転職してきた部長とが不仲であったと言うのを聞くと面白くもありましたが、聞き側の態度としては「そりゃ大変ですね」と深刻な顔をして承るだけでした。

こういう社内事情は導入する機器に対しても常に過剰な仕様になるのは当然の成り行きで、年末年始を除く24時間365日稼働を厳しく求められ、常に機器は2台構成にするとかになるのは自然でコストは高くなりましたが、会社の役員はそういうことには理解が出来なので情報システム部の言いなりになるしかないというのが実情でした。
こういう社内の構図の中で情報システム部はというと、課長同士がコミュニケーションも少なくお互いに好き勝手やっているという風に見えました。特に癖のあるサーバーやネットワークのオープン系課長とホストコンピュータでのプログラム開発をしている二人の課長とは全くそりがあわないような感じでした。
情報システム部ではユーザー部門からの要請を受けて機器を導入するものとばかり思っていたら、例外もあっていつの間にか大きなサーバーが導入されていて、ビルのフロアの強度が不足しているという話が社内に広まって、情報システム部は初めて大きなサーバーが導入されるという事実を知らされたという事もありました。
こういう会社なので一体どこにサーバーがあるのかも当時は情報も整理されていないので、何か問題が発生した時に情報システム部にお助け要請がて始めて知ると言うような状態でした。
私がこの顧客を営業担当として訪問を始めたころはホストコンピュータも小さなクラスでしたが、会社の成長とともにこのコンピュータが会社の成長以上に大きくなったのは、ユーザー部門からの要請を整理もせずに言われるがままにプログラムを開発したのが大きな理由だろうと感じていました。システムという感覚は無く、迅速にプログラムを作ると言う発想しか作業が出来ないと思えました。
同様にサーバーも知らない間にどんどんと数が自然に増えて、データセンターに設置されているものばかりか、現場には情報システム部が関知しない間に設置されたものもありました。
こういう状態は後に、私が担当してから10年程して、転職で情報システム部に就任した部長が整理してようやく全貌が分かったという事でした。

この会社は個人商店が膨張して成長したので、普通の会社と違って会社の共通となる情報とか意識とかが希薄で、唯一の共通目標は「金を稼ぐ」という一点にだけなので、情報システム部という金を使うだけの部門の立ち位置は非常にあいまいで、所属する部門も組織変更があるたびに変わっていました。
ある意味では非常に普通とは違う会社なのでコンピュータを販売するベンダーにとっては扱いやすい会社と思われていたかも知れません。私はなんでもやります営業でこの顧客からの売り上げや利益を大きく伸ばすことができたのも、こういう裏面の事情があったからだと思っています。
私は2つめのデータセンターを自分で探して立ち上げて、そのデータセンターに入る顧客も受注したのでまるで自作自演をしているような気分になりました。事業部長は私を社内の他事業部とか子会社に異動させるという事も挫折したこともあり、当然そういうことを知っている私とは目も合わせずお互いに嫌な野郎だと思っていました。
しかし、新しいデータセンターを立ち上げてその顧客も受注したので、私に対して人事上の手出しが出来なくなった事態になりましたが、毎年の人事評価は相変わらず悪いと評価されるのは致し方ないかなと思っていました。
 
こういう悪い雰囲気の社内にいるよりも新しい顧客を訪問してだべっている方が俄然意識が解放されて楽しくなるので、何かにつけて新しい顧客を訪問するようになったのは自然の成り行きだったと思います。
何かあれば電話をするよりも話を聞きに行く方がよいと思ったことでしたが、顧客からの帰り道に新宿で中古カメラ店やデパートで買い物をしたりできるのがより楽しいという事もありました。しかし、対面で強い癖のある課長と話ができたので、段々と打ち解けていったのは自然のなりゆきだったと思います。
訪問回数を重ねるうちにも相手の会社にも私の顔が知れ渡ったのも自然の成り行きで、挨拶もしていない役員らしい人物にも頭を上げて挨拶していました。当時の社長にも挨拶なんぞはしていませんでしたが、よく一階の待ち合わせの椅子が置いてある場所で出会うので目礼していました。後日社長は、あいつは誰だと言うのを質問して私の事を知っていたのだろうと思いました。それくらいに頻繁に顧客を訪問するので、受付の女性とも段々と打ち解けていくので、時々は差入もするようこともして自分自身が顧客の会社の社員同様に話ができるようになっていきました。
そういう事は、暫くすると子会社での案件を紹介された時に「あなたの事はよく知ってます」と面識も無い人から聞かされたので、そう理解されていたことの確証を得ることができたのでした。
 
この顧客を訪問した帰り道には新宿を経由するので、買い物もできるのが非常に好都合でした。
当時は未だフィルムカメラ最後の時期でしたが、デジカメの一眼レフが発売される前でしたので、中古カメラ店とかクラシックカメラ店がかなりの数が新宿にはあったと思いますが、今では数えるほどしか残っていません。私のようなフィルムカメラと一緒に育った世代が死んだ後には殆ど消滅状態になるのではないかと思いますが、都内を通勤で歩いている時にライカとか古い中判カメラを首からぶら下げた若い女性を見かけると、フィルムカメラが生き残るのはファッションアイテムとして使われる道しかないのかなとも感じる事があります。
私が当時に買った中古カメラも半分以上二束三文で売りましたが、いまでも残骸が残っており、整理をしなくてはいけないと思うこの頃ですが、郷愁が整理を遅らせています。
 
又、この顧客の本社から少し離れた場所に有名なお寺がありました。若いころの一時期には奈良や京都の寺社を巡って歩くほどに仏教には興味があったこともあり、顧客を訪問するときには事前に、そのお寺に参詣するのが習慣になってしまいました。
このお寺には五重塔とか立派な本堂もあり、会社の社長とかの葬儀が時々行われているのを見ると金持ちが檀家なのかとも思えました。お寺には墓地が併設されていて立派なお墓がきちんと管理されているのを見ても檀家に金持ちが多いというも分かろうというものでした。
墓地の入口には石造の観音様らしい5体があり何時も新しい花が供えてあるのが、懐かしい昔話を思い出させるような風に感じていました。
このお寺には小山のように古い石臼を集めて積んだ周りに池があり、春先にはオタマジャクシが沢山泳いでいるのが見えたり、秋には紅葉した銀杏の葉が落ちていたり、冬には氷が張ったりする様子を見るのが楽しみにもなりました。この顧客を担当してから10年以上も参詣していましたが、どうもご本尊の不動明王のご利益はないように感じました。 
新しい顧客との契約はデータセンターの費用は増加するのでそのまま認められましたが、コンピュータを運用するオペレーション費用は据え置きを要望されました。
そもそも普通のマンションの一室に大きなコンピュータを設置して安いサービスを提供しているベンチャー企業のような会社のコンピュータサービスを利用していたらしいのですいが、データセンターのオペレータ費用が私の勤務していた会社でも堂々と通用するような高額の費用でしたので驚きました。
通常、小さなコンピュータ会社であれば管理費や人件費が安いので費用は当然ながら企業規模の大きな会社よりも提供価格は安くなるのが普通でしたが、私の勤務していた会社のデータセンターに移転する前に契約していた小さな会社のオペレータ費用は大手並みの費用でした。当時はそういう高い費用だったので据え置きと言われても仕方なく受け入れられる費用でした。
同時に、データセンターに移転する前の小さな会社の社長は、札束で財布が立つほどの金を持ち歩いているというような事を堂々と情報システム部の幹部に言っていたというような信じられないような話を聞いて、ある時「本当ですか」という確認を情報システム部のある課長にしたところ「ええ、そうらしいですよ。すごい金を持ち歩いているようです」と真顔で答えられて信じられない話の確証を得たのでした。
私が不思議だったのは、そもそも何でそんな零細な会社のコンピュータシステムを利用していたのかという事でした。多分、いわくつきで役員の誰かが口利きで利用をしたのかなと推測をせざるをえないと当時は思っていました。


金にまつわる話としては、情報システム部長から「会社の役員が金が有り余っていると言うのを見せびらかして、札束を扇子の様に広げて顔を煽いで社内を歩いていましたよ」という話を聞いたりしました。
当時は業績がうなぎのぼりだったので社内もそういう話をしても違和感が無かったのかも知れませんが、個人商店が急激に大きくなって金銭感覚が普通のサラリーマンには理解しがたいものあると感じていました当時受付で社長の娘が現れていて、切れやすい課長が「あれは社長に小遣いをもらいに来ているんです」という話まで聞かされる始末でした。
私ががこの会社と付き合い始めて7・8年後、社長がそういう感覚で社内の金を使ったので辞任をせざるを得なくなるような事件もありました。社長は最後まで自分の会社だからという感覚が抜なかったらしいと思いました。


そういう経営感覚の会社なので、データセンターの管理も普通ならば起きないような事が起きて難儀をしました。
データセンターでは設置するコンピュータは事前に契約してから導入するというのが普通ですが、この会社はデータセンターの場所を借りているという意識でした。営業の私が関知しない間にデータセンターにサーバーが増えているということがあり、切れやすい課長に文句を言うと「あっそうですか」と肩すかしを食ってしまう事がありました。この課長は何事にも自分に都合の悪い事は知らん顔をしているのに、ベンダー会社に落ち度があると鬼の首でも取ったように激しく攻撃してくるという通常では考えられない性格の持ち主でした。
当時は私も50歳を過ぎて、こういう会社と付き合うのもサラリーマンの最後のお勤めかなと思って、私が何事も受け止めてやらないと会社の中が混乱するという覚悟を決めたという強烈な思い出が残ることになりました。
私の勤務していた会社がサラリーマン根性の権化のような会社とすれば、サラリーマン生活最後に担当した会社はメチャ個人会社という風に感じて、落差は180度違うと感じていました。

新しい顧客の事務所は東京の都心から少しは離れた場所にありました。駅の周りはバブル時代に建築された綺麗なビルがありましたが、道路を一歩はさんだ隣は開発が出来ずに残された普通の民家が並んでいました。地下の改札口から近代的なビルに併設されたエスカレータで地上に出て、顧客のビルまで歩き始めると、最初に見えるのが風呂屋の煙突というのがバブルの残照みたいに思えたのでした。
当時、この会社の情報システム部は転職で部長職にいるという背は高いが貧相な感じの部長に、課長が3名いました。そのうち二人はプログラム開発の職人さんで、残りの一人が機器の導入などを行う課の営業マンから異動してきた課長でした。この課長は小太りで凝り性なのが私と似ていましたが、非常に短気で他人に対して威圧的なので部内でも嫌われ者でしたが今でもそれは変わっていないと思います。
この顧客とは、最初はきれいで広い打ち合わせ室で行っていましたが、そのうちに直接情報システム部に直接出入りするようになって驚きました。
狭い部内の壁側にはPCサーバーがラックに横に並べてあるのですが、そのPCサーバーが多すぎて落下防止のベルトが巻いてあることでした。サーバは大きさがばらばらなので落ちそうに見えるものもありました。
こういう異様な光景には驚きましたが、小さなシステムを次々に導入した結果こういうことになったのかと思いました。PCサーバー単位に担当者が決まっていて、バックアップを取ったり障害の対応をしていました。極めて原始的なシステムの運用に驚きました。
これも社風で、情報システム部の力がなくて現場の意向でシステムがどんどん導入されるという、急成長する会社にありがちなことでした。それに、そういう会社では情報システムに知見のある人材がいないので、システムの導入や運用についても素人の発想でしか対応できないというのを現実に見た思いがしました。
 
この顧客では、データセンターにホストコンピュータを移設後、ホストとサーバを接続しホストコンピュータにあるデータをサーバに転送して、インターネットで情報サービスをするということになりました。この時、機器を手配する役目の課長がサーバやソフトを導入してデータセンターに設置しました。当時、私の営業範囲はあくまでもデータセンター側のサービスだけなので、サーバーとか関連するソフトウエアの販売はしていませんでした。その営業は、私の勤務していた会社を紹介してくれた子会社の担当でした。
データセンターではインターネット回線の準備とか、サーバーを運用するための仕組みとか、オペレータとかを準備していました。しかし、インターネットサービス開始の会議が何回も開催されたのですが、一番の問題はホストからサーバーにデータを転送するソフトウエアの導入でした。子会社の営業マンは「手配しています」という話を会議の都度していましたが、インターネットサービスの一週間前の会議で件の課長から子会社の営業マンに対して進捗について問いただされると何時もと同じく「今手配しています」と答えたので、この課長がキングファイルを会議室の机に思いっきりの力を込めてバーンと叩き付けて「ふざけるな、何時になったら出来るんだ」と大声で詰問したので、その場に出席していた10名程は何もいう事ができなくてシーンと静まり返ってしまいました。「あの人は切れたね・・・」と小さな声で言う人がいただけでした。
私もコンピュータに関連する仕事をしていてこういう場面は初めての経験でした。仕事を請けた方にも注文書が出てくるのが遅いとか言い分はあったのでしょうが、納期のあるものは遅れそうであれば事前に相談するのが常識と思いましたが、そういう事も行われてはいなかったようでした。
現場が強い会社だけに、課長は社内でインターネットサービスの開始時期が遅れると言うのが余程嫌だったのだろうと思いました。
私は会社に帰ってから、事業部の愛想の悪い技術部長にソフトウエアの導入できるシステムエンジニアを紹介してくれと依頼したら、経験者がいそうだということでしたが、見積金額は目の玉が飛び出る程高くて驚きました。件の課長に「少々費用が張りますが、わが社のシステムエンジニアが対応できそうです」という連絡をしたら一も二も無く「直ぐにやって下さい」と言われたのでシステムエンジニアにデータセンターに行ってもらい作業をしてもらい、当初の予定よりも一週間遅れてサービスを開始することが出来ました。
この時、顧客の課長から「費用は納期通り出来なかった会社に請求してください」と言われて驚きました。嫌々ながら子会社の営業部長に連絡して「お客様からの要請です、費用の負担をお願いします」と依頼しました。子会社の方でもホストコンピュータを販売した経緯もあり、営業部長は顧客とのトラブルの状況も把握しており法外な費用の支払いをしてくれました。
仕事を出来なかったから金を払わないというような普通では考えられない事を堂々とやってのける課長だと分かり、警戒をしなくてはいけないと思いました。
こういう一件があって、私が顧客にとって役にたちそうな人間だと認識されてから、色々な案件の引き合いを貰えるようになったのですが、いつも見積金額に厳しいものばかりで、それは会社の特性と言うよりも課長の人間性の問題だと暫く後にわかりました。
この事件は、私の勤務していた会社にはさらっと報告しただけなので、どれほどの大変さかは誰も分かっていないし多分分からなかっただろうと思いました。それだけに、この顧客との付き合いも普通の営業マンでは難しいだろうなとも思えました。
2つめのデータセンターに入居を決めた顧客は、コンピュータをデータセンターに設置して共用の古いコンピュータからデータを移すという段取りでした。年末には計画を作り、年始から5月の連休に向けて作業を行い、5月連休明けが本番と言うスケジュールでした。契約はデータセンターの他に移設作業費用とか新規に運用のツールを入れるとかあり物入りでした。

年末には契約書を貰えるということになりましたが、この時も情報システム部長と課長が二人で契約書を持参するということでした。普通ならばベンダー会社から取りに行くのが普通なのに少し変だなとは思いました、しかし来社するということは当然接待をしなくてはいけないという事になり段取りをしました。
私が担当を外された食品会社の近くに、その食品会社との忘年会で使っていた料理屋がありました。私は酒を飲まないので接待する店の料理を厳しく評価していました。所謂名前だけの老舗店とか、立派な皿や器ばかり出てくる皿料理店は料金ばかり高くて好きでは無く利用もしませんでした。たまたま見つけた食品会社と同じ地区にある料理屋を見つけて接待していました。座敷は少々狭く感じましたが小奇麗なのが気に入っていました、料理もちゃんと仕事をしているのが分かって好感がもてました。
顧客が持参するという契約書は、当然ながら午後遅く持ってきてくださいという事にして、夕方そのまま料理屋に行きました。訪問する日が突然だったこともあり当日は座敷では無く椅子席になってしまいましたが、料理そのものは何時もと同じでしたので安心しました。飲食を始めて1時間帆した頃、顧客の課長の携帯電話が鳴りました。電話は代理店の営業マンからのもので、導入するコンピュータの機器構成でもめているようでした。売り上げを増やしたい営業マンがディスクを相当に大きなものを見積もったようで、わざわざ接待している時に連絡しなくてはいけない程に急いでいるのかなと思って、課長が少しは離れた場所でこそこそ電話をするのを聞いていました。この代理店の営業マンはコンピュータの移転後に問題を起こして出入り禁止になったのですが、この時はその予兆があったという事だと後で分かりました。
この新しい顧客には、ホストコンピュータ用の新しいツールの導入が必要というので、顧客をツールを開発している会社に案内しました。この時は、午後いっぱいで製品の紹介から使い方までを説明してもらい、夕方には少々早めでしたがこの会社の接待専用の場所に顧客と一緒に連れていかれました。和風の一軒家だったので、私が転職する前の会社と同じだなと感じました。私が転職する前の会社では部長や役員を接待するための専用の一軒家が高輪にあり、そこを利用していました。元はxx会社の会長も自宅だったというのを改装して接待用の場所にしていました。ツール開発会社に連れていかれた場所も同じような雰囲気だったので、私は転職前の接待する場所との比較をついついしてしまいましたが、さほどの違いはありませんでした。私が転職前に勤務していた会社の接待寮は個人宅の風情が残っていて銅板で作った手洗い所とかあるのが頭に残っていただけで、このツール開発会社の接待寮にはそういうものは無かったので、接待用に作り直したのかなと思っていました。顧客のお土産や送迎も全てツール会社で手配してくれたので、私は顧客に同伴で座っているだけでしたので楽だった記憶があります。
新しいデータセンターの契約とか製品の販売と、新しい取引が出来たのを接待という形で御礼をしたのが、やり手の課長と懇意になるとこの接待の意味が段々と変質してくるようになりました。
この会社は当時は急成長の始まり時期でしたが、聞くところによれば営業マンは歩合給で稼ぐ人もいたのですが、管理部門の待遇は良くなくてベンダーの接待が非常に貴重なものだと言うのも段々と分かるようになったのでした。
2つめのデータセンターの新しい顧客が内定した頃に、データセンターに事件が起きました。この事件というのは、私の勤務していた会社の社員が通信会社に出向していて、その社員がデータセンターの話を聞きつけたところから始まりました。私の勤務していた会社では普段でも余剰社員が沢山いるので何かあれば出向させてそのまま転籍になるというケースが非常に多くあり、特に年配の社員で行き場のない人たちが関係のない会社に出向していました。
ある日、その男が突然現れて「お宅が借りるというデータセンターにインターネットの回線を引きたい」という話が持ち込まれたのでした。この男は多分勘違いしているのだろうと思って「そんな大きいデータセンターでは無いので、ご期待に添えるようなビジネスは出来ないと思います」と言ったのですが、理解力がなさそうで納得しませんでした。
この男は担当者がインターネット回線の引き込みに消極的だと思ったらしく、私が知らないうちに社長にトップセールスをしたので、社長の取り巻きからクレームをもらってしまいました。私は怒って直ちに電話でその男に文句を言ったのですが、やっぱり感度が鈍くて何で怒られなくてはいけないのかというような調子でした。
頭の悪そうな顔をした事業部長は私がトラブルを起こしているとでも思ったらしく、社内でごたごたが起きるのを心配して早々に導入を決めてしまいました。同時に、この元社員も出向先の会社で手柄を立てたい一心であることは、私の勤務していた会社の知り合いに何とか実現したいということを酒を飲ませて依頼しているような噂を聞いて分かりました。こうなるとサラリーマン根性の座った事業部長は波風が自分に当たるのを恐れて「入れろ、入れろ」というような調子になったのでした。私はこの時も非常に気分が悪くなりましたが、サラリーマンのとして我慢しているだけでした。
この時の契約は私が手続きを行い、通信会社もデータセンターの顧客として設備を設置してもらうことにしたのでした。同時に、通信会社がインターネット回線をデータセンターまで引き込むのに「当然、わが社には費用は請求されないですよね」という念押しをしましたが、それはすんなりと認めたのでした。
私は自分の会社の実力を知っているので、データセンターに太いインターネット回線を引き込んでも多分利用者は少ないと分かっていたので、もうからないというのを後で金の請求をされたりとか、文句を言われないようにと考えていました。

この通信会社ではとにかく顧客を増やそうとして回線を引きたい一心であるのは、工事内容を聞いてもよく分かりました。地下鉄の線路に沿って敷設された光回線から直接公道に穴を掘って埋めでデータセンターの借りているフロアまで直通で引くと言う素晴らしい回線でした。しかもバックアップ回線も準備されていると聞いて、ユーザーにインターネット利用を進めても心配ないと確信しました。
太い回線をデータセンターのフロアまで引いてもらうまでは良かったのですが、私の勤務する会社の事業部では回線を小分けする機械を導入する程の金がないので、最初のユーザーには契約値は小さいが実際は太い回線をそのまま貸し出していたので、何も知らないユーザーは「アクセスが増えてレスポンスが悪くなるかと心配しましたが、何も起きなくてよかった」という感想を時々聞かされました。実情は10年後くらいに初めて説明したといういわくつきのインターネット通信サービスを行っていたということでした。案の定、データセンターを営業開始してから顧客は増えましたが、このインターネット回線を利用する顧客は少なくて業者は赤字だろうと思われました。
私の勤務していた会社が、この以後にデータセンターサービスを開始したインターネットサービスは、事業部の素人技術者が非常識なインターネットサービスを始めて、ネットワーク機器を切り替えるとサービスが止まるとかいうようなこともありました。しかし、この通信会社のインターネット回線サービスは、数回通信会社の設備トラブルで短い時間の障害があっただけでしたので安心できていました。そういう意味では色々な問題を経て設置された通信設備は顧客サービスと言う面ではよい結果をもたらしたというので評価できると思っていました。こういうのを瓢箪から駒というのではないかと思い、苦々しい思い出として残っております。 

今日は早朝とはいえない位に早くに目がさえて眠れなくなり、こうしてブログの続きを書くことにしました。ずっと書くのをさぼっていたのが自身の心のうちにあって早く書けとも言われたのかも知れないと思っています。


さて、2つめのデータセンターが営業を開始する頃には、いろんな縁があって3つの新しい顧客ができたのは不思議な事に思えました。頭の悪そうな顔をした事業部長から私の受注した顧客を全部取り上げてから閑職になり、事業部長が画策して他部署に異動をさせようとしても失敗に終わっていた事もあり、私は嫌な職場に置かれているように感じていました。

2つ目のデータセンターは、詰まるところ無能な事業部長が立ち上げられなくて私がその代理をしたのですが、社長に説明する段になりデータセンターの企画書には予定顧客を入れろという指示があり、適当に顧客名を書いたのですがその1社が現実に受注できたので私自身も驚きました。

最初の情報は私では無く、私同様に決まった顧客もいなくてぶらぶらしていた営業マンに関連会社から照会があったというのが始まりでした。その男では対応が難しくなり、私が変わってから進展が早くなりました。

今から18年程も前の9月位に、外資系コンピュータを扱う子会社の営業マンから新しいデータセンターを決めたいと要望されているので顧客情報を送ると言われたのが最初でした。FAXで送られた資料は整理が出来ていないので、その会社のレベルが分かりました。提案するのに必要なデータを追加で送ってもらうようなことを何回かして提案書をまとめました。当時はワープロの最終末期でしたが、表だけが書ければ全て説明できるのでワープロで作成した提案書で費用と期間を書ければ十分でした。

顧客の要件であるデータセンターを変わるにあたり、コンピュータを新規に導入して、そこに古いコンピュータのデータを移行するので費用が発生しました。その費用が高いと言われたのには閉口しました。この客先の体質は後に嫌と言うほど知らされたのですが、それは正確に物事を理解できないので社内に説明がつかず、経験上社内で許される金額感を持っているだけでした。

ホストコンピュータの入れ替えでしたので、私の勤務していた会社の親会社の使用しているのと同じ外資系のコンピュータを担当するシステムエンジニアに移行と構築の見積もりを依頼しましたが、その時は言われるままの費用だったので高いと言う印象になったかも知れないと思いました。事業部としては初めての社外顧客の移行案件でしたので、私は個人的には勉強代として無償にすべきだろうと感じていましたが、そういう感覚は絶無の部署だったので、びた一文見積金額を減らすことはできませんでした。

そういうお互いに対立する費用問題は、コンピュータの移転を急ぐ顧客にとっては仕方が無いという説明をしたようでした。この時、この顧客は丁度事業が上り坂にあり、業績が毎年2割も増加するという普通には信じられないような状況でしたが、契約を登録するホストコンピュータが時々停止するというとんでもない状況にあり、データセンターをまともな会社に変えようということでした。

ここで登場したのが気弱な部長ではなく、社内の仕切りを強引にする課長でした。部長は費用の説明をうまく出来ないのですが、この課長が役員に移行費用が無いとデータセンターが変われないと言う説明をして了解をもらったようでした。その様子は代理店の営業マンが「あの課長さんが役員を説得してくれたので話がまとまりました」と聞いたからでした。この話を聞いた時にはにわかには信じられませんでした。普通には部長が役員に説明するところを、この会社では課長が役員を説得したということでした。この課長とは段々と腐れ縁になって泥沼に入り込むことになるのですが、後で考えれば、そういう第一歩であったということでした。

顧客のコンピュータの情報を貰って、提案書を何度か説明して1か月も過ぎて10月半ばに代理店の男から電話があり「今日、先方の部長が来社されるので会社に来てほしい」と依頼がありました。夕方、代理店の会議室に顧客の部長と課長の二人が現れて「ようやく決済をもらいました」という報告を聞いたのでした。

子会社はデータセンターよりもコンピュータを売るのが主眼で、新しくコンピュータが売る方が大事でした。「データセンターはお宅とお客様で直接契約してもいいですよ」と言われたのでよく分かりました。後ほど色々な登場人物が現れますが、この時に現れた子会社の営業部長は外資系コンピュータ会社から異動で転籍になっていた部長で、見た目が恰幅がいいので少々圧倒されました。しかし、この人物も裏舞台で活躍する人間だと分かったのは10年も後のことでした。


子会社の会議室で吉報を聞いた後、子会社のある下町の飲み屋に連れていかれて「ここは魚が美味いですから」と子会社の営業部長のおすすめの魚を食べましたが、言われた通りなかなかの美味しいものでした。私は酒が飲めないのですが、当日は子会社の営業部長がご機嫌でそんな事などは気にもされなかったのが幸いでした。主役は子会社の営業部長と営業マンが演じて、私も顧客と同様に接待されているような感じになっていました。魚がうまい飲み屋の会食が終わって、午後9時も過ぎてようやく帰れるかと思って店の外に出て、私は地下鉄の入口で「失礼します」と一同に向かって言うと、子会社の営業マンは「我々は朝まで飲んでますから」と言って商店街の奥に営業部長と意気揚々と歩いていきました。

私の勤務していた会社でデータセンター事業をする2つ目となるデータセンターは前の項で述べたように他社のデータセンターを借りて事業をしようとしたもので、いわば他人の褌で相撲を取るというような表現が当てはまるような気がしました。
他社と言っても私の勤務していた会社よりはずっと格が上の会社だったので、格差の違いと言うのは前項で会社のありようの違いを記述しましたが、実際に仕事ではどう違ったのかも少し触れておきたいと思います。
前項ではお前の主観ばかりじゃあないかと言われるような気もするのですが、実際にデータセンターの運営の違いというものでも大きな格差を感じたのでした。
私の勤務していた会社が平成4年5月に竣工したデータセンターと他社が平成2年に竣工したデータセンターとでは殆ど同時期に建築されましたが、その思想は全く異なりました。それを大きく感じたのは受電設備の年1回の法定点検の時でした。
私の勤務していた会社のデータセンターでは設計するときに法定点検という事が考えになかったとは思えませんでしたが、2台の受電トランスを切り替えるためには仮設の電源ケーブル工事が必要でした。切り替えの遮断機の容量に問題があるようでした。それと同時にCVCFの点検も同時に行うのですが点検中はCVCFが利用できなくなり、通常の商用電源に切り替わるのでコンピュータの動作に気を付ける必要があり、工事の都度データセンターのオペレータにコンピュータの動作異常の有無を確認するというような事をしていました。
要するに、設備設計がずさんで法定点検をするにも仮設工事をしなくては実施できないほどの程度の低いものであったという事でした。当時は自分の勤務していた会社でもあり、そういう事でも仕方がないと受け入れてお客様には知らん顔をしていましたが、個人的には非常に腹立たしく感じていました。
一方の他社データセンターの法定点検の時はどうかと気になっていましたが、点検前には顧客に法廷点検の案内があり、エレベータの一部使用不可とか照明が暗くなるとかの説明がありました。点検は仮設工事をするようなことはなく、受電トランスを切り替え、CVCFも順次切り替えるというような普通の点検が行われていました。
こういう技術的なイロハが私の勤務していた会社の親会社が建築したデータセンターでは実現が出来なかったという事実を身をもって体験したということでした。こういう常識的な設備を作ったのは、20年も後にデータセンターを建築した時のことでした、その時は自慢気に新しいデータセンターの話をする技術者を見て、内心こういうレベルの技術者が闊歩する会社では心配だと感じました。