夜の接待では私が探した店ではなく癖のある次長に連れて行かれた店がありました。繁華街の一番奥にソープランドという看板があるビルの横に小さな地下に入る階段のある店でした。この店については以前にも少しばかり触れましたが、癖のある次長はこういう薄暗い店がお好みのようで、タクシーに乗ってから「何処に行きますか」という事を言わない時は自然とこの店に来るようになるのでした。
店は一応外国風にインテリアが置いてありましたが、薄暗いので壁のランプに見立てたオレンジ色の照明で雰囲気を出しているように思えました。しかし椅子が少し低く座りにくいなと思い観察すると色々な違う形の椅子が置いてあるのがわかり、最初から揃えていたのではないというのが分かりました。店内の一番奥にはバーカウンタもあって一人で店に入っても飲めるようにしていました。
店にはピアノが置いてあって演奏者決まっていないようでしたが、時間制で勝手気ままにジャズとかポピュラーな曲を弾いて、終わるとバーカウンタで食事を食べたり酒やコーヒーを飲んでいました。そういう演奏者の立ち振る舞いが全部分かる程に長時間この店で飲んだり食ったりしていたということでした。演奏していたのは中年の真面目そうな女性が多く、誰かから学校の先生ですよというのを聞いたことがありました。アルバイトでこういう仕事があるのだというのを知りましたが、どういうつてでこんな店に来ることになったのかを知りたいものだと思って、そういう演奏する人を眺めていました。
スペイン料理というのがこの店の看板だったのですが日本人の家族経営の店で、殆ど髪の毛の無い少しの頭の毛をちょんまげ風に結わえたスタイルの年配の親父が主人で何時もおすすめ料理を説明をしていました。調理は息子がやっていると聞きましたが、壁の中の調理室の様子は全く見えないので風貌は分かりませんでした。料理は壁に小さな穴があって、そこから出てくるようになっていました。
会計は奥さんの役目で人の良さそうな小太りの背の低い極々普通のおばさんで、時々店が満席になった時には配膳の手助けで出てくると風貌が店の雰囲気と違和感があって、どうして変人の様な主人と一緒になったのかというのは一度聞いてみたいと思った程に普通の人でした。小さな店なので支払いにカードは使えませんでした。何時も現金を数万円は事前に準備しなくてはならんというのが厄介で、癖のある次長がこの店に行きそうなときには事前に銀行で現金を引き出さなくてはならんということでした。しかし仕事の関係でどうしても現金が下ろせなくて店に行った時などには、手持ちの現金で足りるかという心配をしながらウーロン茶を飲むと言うこともあり、何とも情けないような気分になったこともありました。
この奥さん、支払い時には「請求書は分けますか」と私が言わなくても顔に書いてあるというのを読まれていて、領収書は会社に請求できる1万円と数万円に分けて書いてもらうのが常でした。どうせ数万円は請求できないので何時も会社の自席の引き出しに貯めては定期にまとめて捨てていました。当然ながら奥さんは支払い時の愛想はよくて主人の愛想の無さを補っているように思えたのでした。それだけ主人が愛想も無く、外見が個性的ということもあったということだったのかもしれません。この主人は店が休日の時にはあちこちゴルフに行くという事も聞き、ゴルフ好きも相当なものだというのを自慢していました。勝手きままな人間だといのを別に隠し立てもせずに自分でも言っていました。主人の話を聞いていると癖のある次長と住んでいた場所や卒業した大学が同じらしいというのも分かり、癖のある次長がこの店が好きな理由の一つかも知れないと分かりました。
あけすけな人なので「上にあるソープランドから余ったコンドームを沢山もらったので差し上げましょうか」というような事を、料理の配膳をしながら堂々と言うので笑ってしまうことも度々でしたが、主人は「は早く処分したいのでね、この間も若い男女に遠慮しないでと言って沢山渡しましたよ」と言っていました。これは私ではなく癖のある次長に対して言っているのかなとは薄々は感じました。商売柄、人を見ているのだろうというのは、顔なじみになると私には何も言わずにウーロン茶を持ってくるし、私が支払い係というのも分かってきたらしく、癖のある次長に対してばかり色々なおせっかいをするようにしていたので感じることができました。
外見に特徴のある主人は店の売り上げをあげようとしているのは「今度新しいワインが入った」とか「新メニューですよ」と癖のある次長に説明して半分強制的に勧めていたのでよく分かりました。私はどうでもいいやと思って聞いていましたが、癖のある次長はそういう主人の言動が好きなようで何時もご機嫌でした。
この店の名物らしいパエリアが癖のある次長の好物で飲み食いの締めには何時も注文をしていていました。主人の常套句が「サフランの量が普通の店の何倍も入ってるから」というものでした。店内は薄暗い照明なのでサフランの黄色が外に出た時に見た時にはどの程度かは知りえないものでしたが店内での見た目には、確かに言われた通りに確かに相当にご飯が綺麗な黄色に染まっているようには見えました。何せ商売熱心な主人なので大食いの癖のある次長を見ては「何時も魚貝ばかりなので、今日は鶏肉も入れましょうか」等と値段の高いメニューに何時も誘導されているなと感じてたものでした。
この店には頻繁にシステム部の部下を途中から呼び寄せていたので、人数も4・5人になることも多く、沢山の部下を呼ぶたびに私は懐具合がどんどん寒くなるばかりだと顔には出せないけれども心は不機嫌になったものでした。それに加えて、最後のパエリアが散々飲み食いした後なので誰も食えなくて困っているのですが、癖のある次長は勝手に「食え食え」と言って皿に取り分けて配るので食い地獄かなと思える時は度々あり、食えないようなものを注文する癖のある次長の無神経さには驚かされるばかりでした。
すっかり変人の主人と顔なじみになったこの店も既に無くなっているのをグーグルマップで確認しました。もう10年も以前の事なので当然だろうとは思いましたが、あの変人の主人も亡くなって店をたたんだのかも知れないとも思いました。