新システムが中断してすっかり私と顧客との連絡が途絶えて、細々とした案件を新入社員が勉強を兼ねて対応をしてもらっていたような日々が数年続きました。実はこの間にもほとぼりが冷めた頃を見計らって私は癖のある課長と面会をしていました。1千万円返還交渉から半年以上も経過していたという事もありましたが、元々この男は健忘症だという特性を理解していたので連絡をしたら案外簡単に誘いに乗ってきました。
夜の接待という訳には行かないので昼飯に何度も行きましたが、癖のある課長も私との一対一では怪しまれると思い女性二人を同行させてきました。私が勤務していた会社からこの顧客には地下鉄で行くのですが、昼飯に行ったのは地下鉄から顧客への行く途中の道ではなく、顧客のビルから先の地場商店街にあるレストランでした。昼飯は何時も弁当を持参しているという女性達には、昼飯代を私が負担するのでいい存在だったかも知れませんでした。この女性達は以前から面識もあり楽しく話が出来ました。そして、そういう会話のうちに顧客の情報を聞き出して部内の状況を把握することが出来ました。
レストランは女性たちを意識して何時もイタリアンを食わせる店に行きましたが、何時も子供連れのおばさんで混雑していることが多く、繁盛していると思ったのですが、半年後には店じまいになっていましたので小さな商店街での飲食業も厳しいのだという現実も見ることが出来ました。
何度も何度でも書きますが、当然ながらこういう飲食代は自腹で一度も会議費で会社に請求した事もなく、営業マンとして勉強代という風に思って割り切っていました。こういう現実も知らない会社の管理職や役員の能天気な顔を見ていると、社内で内弁慶よろしく偉そうにしている態度が何とも言えず可笑しくて、他社どころか自分の勤務している会社のレベルだって世間相場より相当に低いなと思い心の中では大笑いしそうになる時もありました。
 
癖のある課長とか、女性たちの話を聞いていると新任部長の評判が芳しくないことが分かりました。新任部長は書類の審査にはめっぽう厳しく、私もあれこれと不備を指摘された経緯があるので、技術者と言うよりも事務が得意なのかと思っていたら、部内の采配もいまいちだということでした。新任部長は転職してきて自分の色を出そうとして組織を変えましたが、それも不評の一因でした。同時に、新任部長は転職してきた後に部員の技術とか素養のレベルが低いのが分かって「部員にコンサル会社の研修を受けさせようと思い予算を捻出しました」と得意気に資料を見せて私に説明をしたことがありましたが、部員にとってはえらく迷惑な話であっただけだろうと感じていました。
意気込んで自分の考える事が正しいと信じて部内改革をするつもりだったのが、性急すぎて不評になったものと思えました。元々小さな会社が急成長して膨張した会社なので、会社の成長と社員の成長には大きな乖離があったのですが、社風も営業主体で事務方は日陰見たいな存在で社員の意欲も低いと言うが現実で、そういう風土とかいうものを十分に理解しないで自分の考えを押し付けしすぎたのだろうと思いました。
転職してきた新任部長が来てから1年程も経つと評価が定まって、ある時この新任部長が「私の悪口を告げ口している人がいる」と話しているのを聞いた事がありました。私が昼飯時に部員から聞いていた情報が本当だと分かった時でしたが、この会社ではこういう個人の悪い評判というのが社内では気にされるような風土であったと思います。家族的な雰囲気を少しは大切にすると言う、ある意味ではいい職場環境ですが、給料が世間相場よりも低いのでそういう事は気に掛けなくていけないという社内事情もあるのだろうと理解していました。癖のある課長は多分社内では地位を利用して悪い事をしでかしていると分かっていたとは思いましたが、それでも首にするわけでもなく勤務することができていたのも社風だろうと思っていました。
ある時、新任部長は情報システム部の部屋も関係者出入り禁止という張り紙を貼らせたので、部室には部長が不在のとき以外は入ることもできなくなりました。しかし、何かのついでに担当者と一緒に部屋に入ったこともありましたが、誰も私が室内にいることに意義を唱える人もいなくて、担当者が不在なのでその席で座って待っていて下さいと言われた程でした、部員には私のような業者が室内に入ることに抵抗はなかったようでした。こういう所も新任部長は大会社と思って何か勘違いしているのではないかと思ったのでした。
新システム開発中断で出てきた1千万円返還問題は、新任部長の決断により私の勤務していた会社は1千万円の支出を免れたのですが、癖のある課長は以前に他社から同じ手口で1千万円をせしめた経験から同じことを思いついたのではないかと、一件落着の後で冷静になってから理解が出来ました。自分がしでかした100億円新システム開発プロジェクトの失敗を1千万円位の返金で挽回など出来るはずも無いと思うのですが、この会社内では異論も出なかったようでした。会社の売上規模は大きいのですが、社員が育っていないので管理という面では一般の会社よりも落ちるというのも知ったのでした。
100億円システム開発プロジェクトは常務の中断命令以降も延々と続いて実質的に終わったのは半年以上も経過した翌年の3月末でした。
当然ながら、癖のある課長とは連絡も無く音信不通の状態が1年以上も続きました。そうすると定期的な会議以外では顧客を訪問する機会もめっきり少なくなり縁遠くなったような気がしました。それは気だけではなく新しい案件の見積もり依頼さえも来なくなったので余計に一抹の不安がありました。細かい案件の紹介はあっても大物の案件は以降は皆無でしたが、当然の帰結だろうと思っていました。
 
この顧客と取引のある外資系コンピュータ会社のシステムエンジニアとは新システム開発以前から付き合いがあって面識がありました。当然ながら新システム開発ではそういう人達も新システム開発プロジェクトに加わっていました。プロジェクト中断後から1年後迄には関係者に動きがありました。一番功績をあげた営業マンは東南アジアの拠点に異動となりました、この会社の出世コースですと解説はされましたが、外国での営業は大変だろうなと思いました。エンジニアも一部の人は退職して他の外資系コンピュータ会社に転職した人もいたようです。要するに外資系コンピュータ会社でこの顧客の新システム開に関わった人はちりじりばらばらになったという結末でした。それは決していい結末ではなく、外資系コンピュータ会社としては評価が悪く、プロジェクト関係者追放とでも思える様なものではなかったのかと感じました。
 
しかしながら、癖のある次長がやらかした100億円システム開発の中断で起こったことは、ハードウエアばかりが残骸と残っていたので私が勤務する会社は大いに潤う結果となったのでした。元々日本でも数少ない大型のホストコンピュータをなくすために始めたシステム開発が途中で頓挫したので、大型ホストコンピュータは残り大型サーバー群が増強されてシステム規模だけは肥大化した結果となったのでした。そのシステムの運用費用減の折衝も微々たるもので終わり、結果としては私の勤務していた会社に多大な収益をもたらす結果となったのでした。一方の不幸が反対側では幸福になるという皮肉な結果になったのでした。毎年固定的に1億円近い利益が計上できるので、私の営業マンとしての功績としては十分に評価されてもいいものだと思っていました。
しかし、実態はうさんくさい存在に思われていたのか退職をにおわせる様に、私には相談も無くいつの間にか私の後任として中途入社の社員を入れてきたのでした。定年退職後は自身で考えろということかなと、尋常ならざる実績をあげてもそのあとは知らん顔する会社の風土がここでも見えたのでした。退職する時位は気持ちよくというのが、非常に気分の悪いものになったという顛末は最後に書くとして、この時にも既にそういう前兆があったのでした。
人事は業績とは全く無関係な会社なので、妙に私の様な仕事人間は毛嫌いされたのかも知れないとも感じていました。こういう事実は新入社員のリクルート時には分からないので、若い人は入社してから暫くして状況を理解して、仕事の出来る人はしまったという結果になり、そこそこ仕事の出来る社員はどんどんと転職していく会社でした。そういう風土が退職する時まで影響して嫌な思いをさせられたと思いました。
新任部長とのからみは多々ありました。新任部長は費用値下げ問題で押しに弱いというのは分かりましたが、自身では技術的な面では経験者だというので自信を持っているようでしたが、私が見た限りでは普通の人でなかろうかという判断でした。年齢も私と近いので世代間の距離が短いせいもあり会議での会話を重ねるうちに新任部長も生活に困ってサラリーマンを送っているような状況が見えてきて、懇意とまでも行かないまでもお互いに話が出来るような関係になった後には何度かは電話で「いい就職先があったら紹介してください」とまで言われたのでした。
対立軸のある顧客に対しても、こういう人間関係が私の勤務していた会社の管理者や役員は作れないので顧客とは表面的な付き合いに終始して、事があれば顧客と自然と対立することが普通でした。人間教育の不十分な人間が管理者とか役員になる会社だったので、どちらかというと自分本位の人間がごますりで管理職になっていて、会社の機能としては不健全な印象をずっと持っていました。そういう職場環境が何となく面白くないと思っても大半の社員が辞めないのは実力不足、早く言えば仕事が出来ない連中で転職先が無いからでした。別の表現では言うと、からっ風が吹いて落ち葉が道の片隅に集まってできているような、がさがさと無意味な音しか出ない人間関係希薄、会社の方針希薄、それでも何とか食っていけるので延命しているという会社だという印象でした。
 
癖のある課長がしでかした新システム開発の中断の後始末もこの新任部長に任されたので、さぞかし嫌な役回りを引き受けたと感じていたのだろうと思いました。1千万円返還折衝は相手側、すなわち癖のある課長からは何ら反論の資料も出ず、私が創作した台本の資料を毎回説明しては終わりになりました。一方的に私が説明しても癖のある課長だけが納得せずというのが1年間も続いたのでした。会議には公平を期すと言う意味もあってか、以前は癖のある課長と私だけの打ち合わせが、情報システム部員が数名同席するので立会人の様にも思えるような雰囲気の中で、私と癖のある課長との意見対立が続いたのでした。新システム開発プロジェクトが動いていた当時の混乱した状況は情報システム部員も分かっているので、途中で方針がころころと変わり追加の仕様が多多発生したという私の言い分にも反論をするような人は誰もいませんでした。自然と会議と言っても私の一方的な説明に終始して、その説明に対して質疑がされるというような会議でした。毎度、私の勤務していた会社からは営業部長と私に加えて技術部門の責任者が出席していましたが、私の独壇場なので会議という体裁でしたが演説会場と言ったほうがいいのかも知れませんでした。
そういう会議が終わった後に、頭髪が真っ白な新任部長から「外資系コンピュータ会社への対応を協力してもらえませんかね」という発言があったりすると、会社の中ではこの1千万円返却折衝よりも100億円を食い逃げした外資系コンピュータ会社への対抗策が重要視されているのだなというのを知らされたのでした。癖のある課長は外資系コンピュータ会社から大枚の裏金を貰っているので何の対応もしないので、新任部長が訳の分からない契約から何とか少しでも返却させられないかと交渉しているのが垣間見える時でもありました。私の見立てではこの新任部長では、やり手の外資系コンピュータ会社を押し倒すには少し力不足かなと思っていましたが、1年以上も経過しても何の成果もないのを聞いた時には癖のある課長がすっかり外資系コンピュータ会社の都合のいい契約をしたばかりに何の対抗策も打てなかったのが分かりました。
こういう無意味な論争が1年間も続くと、これも当然ながら私は絶対折れないという私自身の性格もあったのだろうと思いましたが、相手の新任情報システム部長もこれ以上続けても無駄というのが理解できたのか「もう、これ以上はいいでしょう。金はいらないが仕事はきちんと終えて下さい」と言う一言で終わったのでした。その部長の発言のあった時刻は、夜も午後7時過ぎというのをはっきり覚えているのは自分の努力の成果が出た時でもあったからだとも思えました。
その時、私の勤務していた会社の技術者がやらかした外資系コンピュータ会社からの資料の流用が発覚して、体裁だけ作り直して資料のコピーだけでも百万円以上も掛けて再提出して終わりました。一千万円返却は資料コピー代百万円で終了したという、何ともおかしな終幕にほっとすると同時に、これから先はこの顧客との付き合いはほどほどに距離を置くようにしようと反省をした時でもありました。
再三何度も書きますが、これくらいの私の努力に対して慰労どころか何の問い合わせも無く知らん顔をしていた無反応な管理職や役員を見ていて、どの面下げて会社に来ているのだとエレベータで会う度に思いながら、そういう会社なのだとも知らされたのでした。
外部から来た新任情報システム部長への挨拶も随分と遅れました。最初は本人との面識も無いので情報システム部の課長を通じて挨拶のお願いをしたのですが、段取りが悪かったのか新任部長の仕事が忙しくて時間が無かったのかは不明でした。10月1日着任から1か月以上も経過してからの挨拶だったので何となく気が抜けたようなものでしたが、相手の新任部長は気にしていないようでした。
後付けで聞いたところでは親戚筋の紹介で転職してきたようだとの事でしたが、元々はメーカーの技術者で私の勤務していた会社とも取引がある会社でしたので内々どういう人物なのか聞いてもらったのですが、評価はいまいち良くなかったようでした。途中で退社した人を良く言う人などはいなので、普通の人で人間関係が嫌で転職したのだろうとは何となく推測はされました。
年齢は50歳を過ぎていて私よりも一回りは若いのに頭髪が真っ白なのが目立っていました。そういうのは本人も気にして一部茶色に染めるとかもしていましたが、度々染め方が変わるのが面白いと思ったのでした。
又、新任部長は情報システム部の費用削減を役員から指示されていたようで、直ぐに私にも費用削減の依頼が飛び込んできました。同時に新任部長は自分のつてで他社への見積もりも依頼していたようで、費用削減がうまくいかなければ他社へ乗り換えようと考えていたらしいと、これも後ほど情報システム部員からの話で分かりました。
という事で、これ以降私は退職するまでの約2年間くらいは、癖のある課長からの一千万円返却交渉と合わせて自社サービス費用の費用削減という仕事をせざるを得ない状況となり、サラリーマンも最後の最後まで嫌な仕事をさせられたものだという嫌な心持しか残らない時間となりました。
当然のことながら、上司である部長や役員などは知らぬ顔を決め込んで、嫌なことは他人任せの社風に従い、時々は管理職や役員に報告に行っても如何に損しない回答になっているのかということにしか考えが行かない偏狭さだったので、そういう偏狭な人物が満足するような回答を考えては欝っとおしい日々を過ごしていました。
この時、顧客の業績もリーマンショック以降一時の勢いが無くなり厳しい状態だったので、少しくらいは配慮してもいいだろうと個人的には思っていましたが、私の勤務していた会社ではそういう発想は絶無で、兎にも角にも売り上げや利益が下がる事には厳しく注文を付け、上司は口だけやるのは部下の仕事という会社だったので往生しました。しかし、そういう口先連中の思惑にも何とか追従できたのは自身の経験だと思いましたが、そういう私の仕事の仕方についても管理職や役員の何の反応が無いのは顔が白塗りの歌舞伎役者みたいなものにも感じられて、第三者から見れば噴飯ものという図式にも見えたのでした。
値下げの交渉が行き詰まっていると見た顧客は専務が直々に来社して私の勤務している会社の役員に依頼をしにくるといいう機会がありました。こちらの作戦としては如何に値下げと言うキーワードを言わせないかという風にしようと考え、話題を世間話に終始させようと思い和やかな雰囲気で会話をしましたが、相手の専務も肝心の要件を言わない訳にはいかないとばかりに、最後に値下げの依頼をして帰ったのでした。当然ながら具体的な数字が出なかったのが幸いで、その後情報システム部長との折衝でもほんのわずかの値下げで決着したのでした。私の勤務する会社では被害が最小限に済んだという事でしたが、顧客の役員からすれば大いに不満が残ったのではないかと思いました。同時に、新任の情報システム部長の力量が無いとも思われて、2年程の後に新任情報システム部長が異動する前触れでもあったのかしれないと思いました。
新任の情報システム部長は案外押しに弱いことはこの折衝で分かりましたが、今度は契約書のチェックでは私が劣勢に立たされることになりました。この契約書の事案についても過去のものを調べ上げられて、不備を追及されたのでした。全ては、癖のある次長(この時には課長に降格されていました)の指示通りに契約書を超特急で作成していたので、内容には不備が多々ありました。私は丁度良い機会だと思って棚卸をして客席と契約内容について全部確認をしました、そのくらいに契約本数が沢山あり管理されていなかぃったという事でした。それでも、契約不備で月額サービスの費用が下がるという事はなかったのは当然のことでした。

この時に、新任の情報システム部長がかみついてきて、民法を持ち出してきたので、私も久しぶりに六法全書を見て反論をしたのでした。随分と昔にも法律対決という経験があったので私には驚きというよりも対決軸が出来たことで反論を考えることで心労がでました。私の執拗な反論に対して新任の情報システム部長も根を上げたのか、顧客との会議の席上でも「おい、みんな聞いたか、xxxだって云うじゃあないか」と情報システム部員の反論を期待していたのでしたが、全員無言で終わりました。というので、いつの間にか情報システム部長からの追及も無くなり自然と終息したのでした。当然ながら、この時も上司に当たる管理職や役員も知らぬ存ぜぬの態度で、担当の私一人に任せっきりであったのは当然の事でした。
新システム開発の中断方針が8月中旬に決まってからは癖のある次長はプロジェクトの進行中と相変わらずの日常を送っていたようでした。プロジェクトが中断するとプロジェクト状況を探る私の個人接待も必要が無くなり劇的に頻度が少なくなりました。それは癖のある次長も当然のことと分かっていたと思います。それでも時々はどういうプロジェクトの後始末をしているかと聞きたくて接待をしていました。
その時に聞いた話ではえらくのんびりとしたもので「今制作途中の設計書は仕上げる」とか「開発中の新規のプログラムは完成させる」とかいうもので、プロジェクトは中断ではなく縮小と言ったほうが正確な表現だと思いました。プログラマが100人以上もいたので急には止められないという事情を外資系コンピュータ会社から泣きつかれて、裏金をもらった恩返しのつもりで引き延ばしをしていたのかもしれませんでした。
会社の費用とはいえ100億円もの金を使って始めたプロジェクトが完遂できすに終わって癖のある次長はどう進退をきめるのかと見ていたのですが、特段そういう事は考えていないようでした。本人に「100億円もかけて出来なかったんですよね」と質問をすると「そんなに使っていないよ」という返事がありましたが、その返事の意味は自分の小遣いでも使うような感覚だったのかなと思える時がありました。元々管理能力が無いので所詮これだけのプロジェクトを仕切れなくて、只やみくもに花火を打ち上げて騒いでいただけの事でしかなかったというのが私の感想でした。
上司である取締役も暫くすると部署が企画部門に変わりましたが、社内では大金を使って中国まで遊びに行ったとか、外資系コンピュータ会社とは裏金授受とかあったのかも知れないとは薄々察知されたので、そういう事情も背景にあるのだろうと思いました。
癖のある次長も次長から課長に降格というのを社内の掲示板で公表されたのですが、それ以上の事はありませんでしたので、何とも面白い人事だと感じました。
 
癖のある次長からは色々なクレームを投げつけられたのですが、私で解決できるものは社内の誰にも相談もせずさっさと全部解決して、残った1件が1年以上も係りました。多分社内の私以外の人間では誰も解決は出来なくて、さっさと1千万円を支払って終わりにしろというのが、私以外の社員が対応していたら管理職から出る言葉はそんなものだろうという一件でした。
これは当初の見積書に書いた内容の仕事ができていなので、その出来ていない分を支払えという内容でした。元々プロジェクト方針が無い状態で始まったので、途中で新しい要件がどんどん発生し、現場ではプロジェクト開始を優先して見積書に書いていない仕事を実行していたのでした。癖のある次長の言い分は実態を全く理解していないもので、1千万円返金をさせたいがための言いがかりでした。対抗策として毎月1回のペースで過去の作業実績を数字を交え解説し、実質私の勤務していた会社は赤字ですという架空の計算式を作って対抗することにしました。
癖のある次長よりは私の方が理屈を作るのは私が上というのは分かっていたので、最初から勝算はあると思っていたのですが、相手も社内での評価を挽回しようと必死で食い下がるので困りました。100億円も使って1千万の金を返して貰っても大した利益も無い話なので、それよりも100億円を使った外資系コンピュータ会社に億の単位で請求するのが筋ではないかと、普通の人間なら普通にそう考えると思いました。しかし、外資系コンピュータ会社から常識外の裏金を渡されていたので何の反論もできなかったので、金を取りやすそうな私の勤務していた会社に言いがかりをつけたという事と理解していました。
根拠の薄い要求に対しては徹底的に理詰めで対向して、癖のある次長の要求が如何に理不尽であるかを毎回のように説明したのでした。
この時、会議に出てきたプロジェクト責任者の取締役は「この人がこう言っていますが・・・」と発言して他人事であるような態度で関わりたくないというが分かる程でした。一方の私の勤務していた会社の営業部長も同様で私にすべてを任せているばかりで何も解決策は出てこないのでした、こういう事案が出てきた時に本当の能力が試されるというので私はこりゃいかんなと理解しました。そういう役立たずの人材を管理職につけるのが社風とは分かっていましたが、こういう時は邪魔なだけで何の役にも立たないので少しばかり神経がいらいらしました。難癖をつける顧客の癖のある次長とか、自分の勤務する会社の無能な管理職とか、どちらも大して変わりのない自己保身の極みみたいな人間の間に私が入って孤軍奮闘している図式に思えました。
そうこうしているうちに、顧客のプロジェクト責任者である取締役は異動になり、社外から新任の情報システム部長が着任しました。この件は事情の分からない新任部長のもとで継続することになりました。
新システム開発中断の方針が出たのは8月中旬だったので、私は9月末にはプロジェクトは解散するかと思っていたのですが、実際は半年以上もかかり終了したのでした。
癖のある次長はプロジェクト中断で気落ちしているかなと思っていたのですが、案外さばさばして「事後処理があるので・・・」と言っていました。会社の中では、癖のある次長が仕切っていても組織上は役員である取締役が責任者と目されていて、次長は少しは風よけが出来ていたのかも知れないと感じました。
プロジェクトは切りのいい9月末終了ではなく半年も延期されたのは、外資系コンピュータ会社から急に中断されても困るので助けて下さいと言われて、ずるずると引き延ばしを図ったものだろうとは容易に推測ができるものでした。社内で名目さえ立てればプロジェクトは延命できると癖のある次長は分かっていたようでした。癖のある次長は、プロジェクトで誰が何をいつまでもという重要な情報を全く把握していないので、何となく他人から言われたことを鵜呑みにしているところがあるのでした。完全に管理能力不足というのは日ごろの言動から分かっていたのですが、それが裏目に出たのが新システム開発というプロジェクトの実質責任者という立場ということだと思いました。
私の勤務していた会社の仕事でも、新規に開発するシステムの内容が異常に膨らんで、JOB数といわれるものが「百位だ」と癖のある次長は言っていたのが現場のエンジニアからは「千ですよ」と聞いたので慌てて癖のある次長に報告に行くと無言でした。自分の想像以上にシステムが膨らんでも何の対応策も出さなくて、システム開発をしている外資系コンピュータ会社の下請けのプログラマの力量に任せるしかない状態になっていたのだというのが明らかになったのだと思いました。このプロジェクトは技術面でも最初から外資系コンピュータ会社に全部お任せでしかできなった事の証であると共に自らそういう方針で臨んで失敗したということでしたが、癖のある次長は自らの技術面の力量不足があったという事実を理解したのかどうか分かりませんでした。
システムというものが人間とコンピュータの間にある影の見えない役者みたいなものなので、その役者に振付をして仕事をさせるというのを最初から決められないので、役者作りは低レベルの技術者によって安易な方向にどんどんと向かって行ったという事だろうと私は理解しました。
この事件で感じさせられた教訓はシステム開発というものは、簡単に形式化できるようなものではなく、対応する技術者の頭の柔軟性が何処まで対応できるかという評価レースではないかと思っています。一言では説明できないと思いますが、簡単に言えば本当の技術者の経験や技術能力が問われる仕事といってもよいかもしれません。
システムという役者が目に見えないのが厄介で、そういう目に見えない商品特性があるので、変に口先が能弁な技術者という肩書を持ったベンダーの部長職とか役員に騙されやすいという性格の仕事だと理解しています。
私の勤務していた会社の役員の中でも技術者と称する人にはそういう軽口人種が多いというのを、日ごろの言動を聞いて薄々感じていました。最も組織上は能力レベルが低いと分かっていても上司なので「はいはい」と分かったふりしか出来ないのは当然でした。システム開発という仕事の世界で、口先が滑らかというのは顧客や社内の事情を分からない人には響きよく聞こえるのですが、実際の仕事上では全く逆説的にしか作用しないので、そういう会社のする仕事は顧客に要望には全く応えられないものを作っていたと感じていました。後述になりますが、そういう事実は私の勤務していた会社を退職する直線に経験したシステム開発で実証されたのでした。 
癖のある次長から要件整理をしたらシステム開発は100億円を超えると聞かされてから外資系コンピュータ会社は対策として色々な案を癖のある次長と練ったようでした。そういう事はシステム開発が突然中止になる少し前に事情を癖のある次長から聞いた断片的な情報で大筋は理解ができました。

癖のある次長は社内でもやり手というのは十分に承知していた外資系コンピュータ会社はこの男を説得して何とか当初の予定通りにシステムを刷新するプロジェクトを完遂させることを画策したのでした。日本の会社と違って外資系の歩合制給与の会社では売上至上主義になるので当然とは感じましたが、多分日本の会社であれば違う方法で対応したのだろうと思いました。

この会社にはシステムに詳しい人間がいないというのが弱点で何もかもベンダー任せなので良心的なベンダーに当たればいいのですが、この会社は完全に外資系コンピュータ会社にやられていたのですが、癖のある次長には相当な裏金を渡して自分たちの要求を通させていたのでした。それが問題なく進めば仕事のやり方がどうであれ社内でも評価されるようでした。ところが新システム開発が行き詰ると外資系コンピュータ会社は悪知恵を働かしてプロジェクトを進まようとしたとしか私には理解できませんでした。


普通の新規にプログラムを開発するのが当初の計画でしたが、それでは予算をはるかに超えるので現在手持ちのプログラムをそのまま単純に変換する方式に方針を変えようとしたのでした。そのプログラムの変換も数が1万本に近い数字なので、それでも相当な費用が発生するのですが、それを費用の安価な中国でやらせて費用のつじつまを合わせようとしたのでした。

最初はその単純変換でうまく動くどうかという検証をしたのですが、このプロジェクトを開始してから既に2年は経過していたので、もし最初から単純変換でシステムの刷新を行うという事であれば2年間には全く関係の無い作業をしていたという事になり普通に考えれば大問題になるところを、新システムを作るという事にしか目が行っていないので問題の中身が全く違うものに変化していたのでした。癖のある次長と上司である取締役は社内の体面しか目が行っていないのでそういう方針を許すどころか、とにかく何としてでも実現させることにしか考えが及んでいないようでした。癖のある次長はこの単純変換が成功したことを鬼の首でも取ったように私に自慢気に話すので私はおかしいなと思いながら反論しても納得はしないだろうなと思って聞くだけにしていたのでした。


このころは丁度リーマンショック直後で会社の業績も大幅に悪くなり、どういう風の吹き回しが社長は病気という建前で交代して、運転資金借り入れのために銀行から常務が派遣されたという時期にも当たりました。癖のある次長の味方の社長が更迭されるわ、会社の業績が落ちるわと悪い環境になった所に新システム開発も行き詰ってしまっていたのでした。

当然会社の経費節減というので、社員のコックさんが働いていた社員食堂は廃止されるとかボーナスは廃止とか聞くと新システム開発は社内では厄介者になっていたのではないかと思いました。既に作業ばかり相当に進んでしまっているので止めるに止められないし、常務自身はシステムの中身が分からないので暫くは放置されることになり、そういう間に現場では新システム開発の方針が大きく変更されたのでした。

外資系コンピュータ会社では何としてでもプロジェクトを終わらせたいという方針で、新システム開発の責任者である癖のある次長と上司である取締役をプログラム変換する中国の会社に招待して駄目押しを計ったのでした。

この会社にもやり手の癖のある次長に反感を持つ人間がいるのは当然のことだと思いましたが、その社員が銀行から来た常務に当初の方針とは違う方法でシステム開発を進めようとしていると告げ口をしたらしく、癖のある次長と取締役が外資系コンピュータ会社に接待されて中国で日本語話せる若い女性と酒を飲んでいた時に、常務から直接電がかかり「プロジェクト中止」の方針が伝えられたのでした。こういう話を聞くと、つくづくと本当に悪い事は出来ないものだと感じさせられたのでした。


夜の接待では癖のある次長の帰りの電車の都合や私が渡すタクシーチケットの都合もあって飲み屋の繁華街も決まっていました。タクシーチケットは私が接待用に貯めておいたものを渡すとかのやりくりをしていましたが、癖のある次長は兄貴がタクシー運転手というので何時もこの個人タクシーを呼んでいたと随分と後になってから聞かされたのでした。
常連となったのは日本料理や割烹料理店だけではなく中華料理の店もありました。癖のある次長はワインとかを好むのですが、中華料理の店では紹興酒を最初に1本注文するので酒の種類も目先を変えて飲んでいたのかなと思いました。又、こういう中華料理の店では店員が中国人の場合が多く、料理を運んでくる若い女性に何処から来ましたかと癖のある次長はちょっかいを出すような質問をするのが常でした。それは癖のある次長自身がもう少しで中国に出張するということが意識の下にあったからかもしれないと後で思いついたのでした。
新システムの開発が行き詰っていた時に外資系コンピュータ会社から接待されて中国に行ったと聞いた時がありました。ごく普通の中国旅行だったらしいのですが、それは外資系コンピュータ会社が先手を打って癖のある次長を抱き込もうとしていた一環ではないかと後ほどの再提案の時に得心できたのでした。
 
こういう夜の接待が2年も続くと、もう行く場所が無くなってしまう時がありました。そんな時、たまたま子飼いの部下を連れてきたので「何処に行きますか」とタクシーに乗り込んでから私が質問すると癖のある次長は部下の男に「何か食いたいものはあるか」と質問をしたのでした。部下の男はおどおどしながら答えを強制されているのを感じた様に「博多の鳥鍋を食いたいです」と言ったので、それではその博多の鳥鍋を食わせる店を探せと懸命にスマートフォンで店を見つけて住所を探しし始めました。タクシーは何時もの繁華街に向かっていたのですが、途中で博多の鳥鍋の店に向かってもらいました。
私はその鳥鍋の店の場所がどこであったのかいまだに分かりません。4車線の割合に広い道路沿いにあったというのは記憶に残っています。何せ夜なので暗いという事もありましたが、周りは店が沢山並んだ場所ではなく街燈も少ない薄暗い場所にありましたが、その店構えはえらく立派な門や玄関のある由緒正しいような雰囲気を漂わせている料亭のような店でした。
「予約はしていませんが部屋は空いていますか」と玄関を開けて仲居さんに唐突に質問しても、平日の夜も8時を過ぎていてさほど混雑もしていないのは玄関の靴の数で直ぐに分かりました。直ぐに、3人では広すぎる座敷に案内されたので今日は暇で客は少ないのかなというのを確認できました。
癖のある次長の部下が食いたいと言ったのは博多の鳥鍋で白く濁ったスープが特徴とタクシーの中で聞いていたのですが、出てきたのは其の通りに白いスープに鶏肉とか野菜が浮いている鍋でした。普通の鍋料理で食べる水炊きや寄せ鍋で食べるあっさりした鳥とは少々違い、コクのある鳥の味が出ていると思いました。ここでも散々に日本酒と鳥鍋を3人で食いつくして満腹になったのですが、癖のある次長はご機嫌でキャバクラに行こうと言い出しました。ここで鳥鍋屋を出てタクシーを捕まえようとしたのですが、場所柄が悪かったのか結構タクシーを捕まえるのに時間を取られました。鳥鍋で体がぽかぽかと温かかったのが、20分もかけて場所を変えたりして漸くタクシーに乗り込んだ時には季節が冬だったこともあり体が冷えてきました。
キャバクラでは鳥鍋では食い足りなかったのか、癖のある次長は色々な料理を注文してはキャバクラ嬢と一緒に食っていましたので、癖のある次長の食欲には驚かされるばかりでした。ウィスキーのボトルも入れるわというので、この日の接待はこの部下のせいで相当な金額を支払い事になりました。最も接待されている癖のある次長は私が会社の接待費で処理をしているものと思っていたらしいのですが、常軌を逸した酒の飲食代金を普通に会社の接待費用処理などできるはずは無いとは考えられないようでした。
新システム開発プロジェクトが要件定義を終わって、どうも当初の予算100億円では出来ないというような状況になってくると癖のある次長の夜の接待場所も変わってきました。当初は二人で飲食している場所に部下を後から呼んで如何にも上司然たるような態度を見せていたのが、自分の尻に火が付いたのが漸く分かってからはもう部下を呼ぶ余裕なんかは無くなっていました。その不安を誰にぶつけるわけにもいかないので自然に私に「今夜は・・・」という様な意味深な電話がかかってくるようになったのだと理解していました。
私が新システム開発には問題がありますよと当初警告していた事が具体化してくると、癖のある次長は何とか逃げる策はないかと私にも何度も問いかけてくるのですが、システムを開発する仕事はきちんと筋書き手順を踏んで進まないと結果がぶれるのは、所詮人間のすることだから誤りがあるというのを自覚しているかどうかにかかっているという事を理解していないので、目先のごまかしでは対処できないというのは到底理解できないのでした。当然ながら癖のある次長には厳しい意見しかできないので、そこで話が消滅してしまうのでした。次段の某顧客のシステム開発の話では、私の勤務していた会社の開発部門で全く同じ誤りをして本当にひどいシステム開発をしたのですが、所詮システム開発は担当する会社や受託した会社の社員の能力以上のシステムは出来ないというのを辛くも定年前に2度も経験することになろうとは思いも寄りませんでした。
私は当初予算からオーバーすると言うのであれば、開発の内容を縮小するか、プロジェクトを仕切り直しするしかないでしょうと当然の事を説明しても、癖のある次長は社内で散々ほらを吹いた挙句の事で今更システム開発の全部は出来ませんとも言えないし、さりとて当初会社に約束した100億円をはるかに超えます等とも言えないので苦境に立たされたのでした。
そんな頃には接待場所も二人だけで行ける繁華街の外れにあるホテルの地階にある日本料理屋に行くようになりました。この店は私が転職前に勤務していた会社から割合近くにあったビルの地階にあった寿司屋と同じチェーン店であるというのも親近感がわいた理由でした。時間が何時も夜の遅い時間しか行かないので店の客も少なくて静かだったというのも理由の一つではありました。
この店にはカウンター席の反対側に椅子席が4席あって、その椅子席の入口から一番遠い席に座って高いコース料理を注文していました。この店は魚が美味いと言うふれこみ通りに季節ごとに魚も変わるので、同じコース料理でも季節によっては変わるので目先は新鮮に感じられることがありました。時々出てくる鮎の塩焼きは「何処の鮎ですか」と質問すると和歌山だというのを聞いて、何処かで聞いたのと同じだと思って、こういう店の常套句なのかと思ったのでした。
この店の板さんがもう70歳には近いと見える風貌の人で、この店を最初に訪問してから最後までとうとう変わることは有りませんでした。痩せて色黒の板さんは、板さん気質なのかどうか分かりませんでしたが愛想が悪くて黙々と作業だけをしているように見えましたが、最初の頃は板場で料理するのが気になってちらちらと目をやって「何だけ手つきが悪いですね」とか「今日はお客さんが誰もいないので売れ残りの魚でも焼いているんですかね」と癖のある次長に話しかけると、誰もいない静かな店内なので聞こえたのか聞こえないのか態度が少し変わったように見えたのでした。年配だけに動きが悪いと思われたと勘違いしたのか、やたらに声が大きくなったので悪口の反応が分かるような気がしました。
この店に来る時間が夜の9時も過ぎると本当に客の少ない時は一組二組という位に少なかったのですが、年末年始や人事異動のある3月や9月という季節に限っては割合混雑していました。何度か足を運ぶうちに、この店には小上がりというような小さな和室があって10人位の宴会はできるようになっているのが分かり、人の少ない時には利用をしていました。
又、当時は丁度ノンアルコールの麦酒が出始めた時期で、癖のある次長は試飲をしては「麦酒味ですが、割合によく出来ています」という評を私に解説をしていました。この店の締めでお茶漬けとかご飯とかの他にお寿司というのが何時も頼むのですが、どうも板さんが寿司を作っている気配が無いので仲居さんに「お寿司はどうして出てくるんですか」と質問すると「この店の反対にある寿司屋が同じチェーン店で、あそこから運んでいます」と聞かされて始めて合点が行きました。当然ながらその寿司屋にも行ったのですが、寿司ばかりでは刺身ばかりなので食べるも限度があるというのを知らされたのと、癖のある次長は寿司で酒を飲むのは好きではないらしいというので一度限りになりました。
癖のある次長の好きな酒はワインとウィスキーだったので自然にそういう酒に合う店となると、高級な日本料理店とか西洋料理とかになるのでした。いずれにしても支払いは個人のカード支払いなのでこの時ほどカードの利便性を知った時は有りませんでしたが、二ケタのカード支払い請求書を見てはため息が出るのが辛い時期でもありました。
夜の接待では私が探した店ではなく癖のある次長に連れて行かれた店がありました。繁華街の一番奥にソープランドという看板があるビルの横に小さな地下に入る階段のある店でした。この店については以前にも少しばかり触れましたが、癖のある次長はこういう薄暗い店がお好みのようで、タクシーに乗ってから「何処に行きますか」という事を言わない時は自然とこの店に来るようになるのでした。
店は一応外国風にインテリアが置いてありましたが、薄暗いので壁のランプに見立てたオレンジ色の照明で雰囲気を出しているように思えました。しかし椅子が少し低く座りにくいなと思い観察すると色々な違う形の椅子が置いてあるのがわかり、最初から揃えていたのではないというのが分かりました。店内の一番奥にはバーカウンタもあって一人で店に入っても飲めるようにしていました。
店にはピアノが置いてあって演奏者決まっていないようでしたが、時間制で勝手気ままにジャズとかポピュラーな曲を弾いて、終わるとバーカウンタで食事を食べたり酒やコーヒーを飲んでいました。そういう演奏者の立ち振る舞いが全部分かる程に長時間この店で飲んだり食ったりしていたということでした。演奏していたのは中年の真面目そうな女性が多く、誰かから学校の先生ですよというのを聞いたことがありました。アルバイトでこういう仕事があるのだというのを知りましたが、どういうつてでこんな店に来ることになったのかを知りたいものだと思って、そういう演奏する人を眺めていました。
スペイン料理というのがこの店の看板だったのですが日本人の家族経営の店で、殆ど髪の毛の無い少しの頭の毛をちょんまげ風に結わえたスタイルの年配の親父が主人で何時もおすすめ料理を説明をしていました。調理は息子がやっていると聞きましたが、壁の中の調理室の様子は全く見えないので風貌は分かりませんでした。料理は壁に小さな穴があって、そこから出てくるようになっていました。
会計は奥さんの役目で人の良さそうな小太りの背の低い極々普通のおばさんで、時々店が満席になった時には配膳の手助けで出てくると風貌が店の雰囲気と違和感があって、どうして変人の様な主人と一緒になったのかというのは一度聞いてみたいと思った程に普通の人でした。小さな店なので支払いにカードは使えませんでした。何時も現金を数万円は事前に準備しなくてはならんというのが厄介で、癖のある次長がこの店に行きそうなときには事前に銀行で現金を引き出さなくてはならんということでした。しかし仕事の関係でどうしても現金が下ろせなくて店に行った時などには、手持ちの現金で足りるかという心配をしながらウーロン茶を飲むと言うこともあり、何とも情けないような気分になったこともありました。
この奥さん、支払い時には「請求書は分けますか」と私が言わなくても顔に書いてあるというのを読まれていて、領収書は会社に請求できる1万円と数万円に分けて書いてもらうのが常でした。どうせ数万円は請求できないので何時も会社の自席の引き出しに貯めては定期にまとめて捨てていました。当然ながら奥さんは支払い時の愛想はよくて主人の愛想の無さを補っているように思えたのでした。それだけ主人が愛想も無く、外見が個性的ということもあったということだったのかもしれません。この主人は店が休日の時にはあちこちゴルフに行くという事も聞き、ゴルフ好きも相当なものだというのを自慢していました。勝手きままな人間だといのを別に隠し立てもせずに自分でも言っていました。主人の話を聞いていると癖のある次長と住んでいた場所や卒業した大学が同じらしいというのも分かり、癖のある次長がこの店が好きな理由の一つかも知れないと分かりました。
あけすけな人なので「上にあるソープランドから余ったコンドームを沢山もらったので差し上げましょうか」というような事を、料理の配膳をしながら堂々と言うので笑ってしまうことも度々でしたが、主人は「は早く処分したいのでね、この間も若い男女に遠慮しないでと言って沢山渡しましたよ」と言っていました。これは私ではなく癖のある次長に対して言っているのかなとは薄々は感じました。商売柄、人を見ているのだろうというのは、顔なじみになると私には何も言わずにウーロン茶を持ってくるし、私が支払い係というのも分かってきたらしく、癖のある次長に対してばかり色々なおせっかいをするようにしていたので感じることができました。
外見に特徴のある主人は店の売り上げをあげようとしているのは「今度新しいワインが入った」とか「新メニューですよ」と癖のある次長に説明して半分強制的に勧めていたのでよく分かりました。私はどうでもいいやと思って聞いていましたが、癖のある次長はそういう主人の言動が好きなようで何時もご機嫌でした。
この店の名物らしいパエリアが癖のある次長の好物で飲み食いの締めには何時も注文をしていていました。主人の常套句が「サフランの量が普通の店の何倍も入ってるから」というものでした。店内は薄暗い照明なのでサフランの黄色が外に出た時に見た時にはどの程度かは知りえないものでしたが店内での見た目には、確かに言われた通りに確かに相当にご飯が綺麗な黄色に染まっているようには見えました。何せ商売熱心な主人なので大食いの癖のある次長を見ては「何時も魚貝ばかりなので、今日は鶏肉も入れましょうか」等と値段の高いメニューに何時も誘導されているなと感じてたものでした。
この店には頻繁にシステム部の部下を途中から呼び寄せていたので、人数も4・5人になることも多く、沢山の部下を呼ぶたびに私は懐具合がどんどん寒くなるばかりだと顔には出せないけれども心は不機嫌になったものでした。それに加えて、最後のパエリアが散々飲み食いした後なので誰も食えなくて困っているのですが、癖のある次長は勝手に「食え食え」と言って皿に取り分けて配るので食い地獄かなと思える時は度々あり、食えないようなものを注文する癖のある次長の無神経さには驚かされるばかりでした。
すっかり変人の主人と顔なじみになったこの店も既に無くなっているのをグーグルマップで確認しました。もう10年も以前の事なので当然だろうとは思いましたが、あの変人の主人も亡くなって店をたたんだのかも知れないとも思いました。