新システム開発中断で出てきた1千万円返還問題は、新任部長の決断により私の勤務していた会社は1千万円の支出を免れたのですが、癖のある課長は以前に他社から同じ手口で1千万円をせしめた経験から同じことを思いついたのではないかと、一件落着の後で冷静になってから理解が出来ました。自分がしでかした100億円新システム開発プロジェクトの失敗を1千万円位の返金で挽回など出来るはずも無いと思うのですが、この会社内では異論も出なかったようでした。会社の売上規模は大きいのですが、社員が育っていないので管理という面では一般の会社よりも落ちるというのも知ったのでした。
100億円システム開発プロジェクトは常務の中断命令以降も延々と続いて実質的に終わったのは半年以上も経過した翌年の3月末でした。
当然ながら、癖のある課長とは連絡も無く音信不通の状態が1年以上も続きました。そうすると定期的な会議以外では顧客を訪問する機会もめっきり少なくなり縁遠くなったような気がしました。それは気だけではなく新しい案件の見積もり依頼さえも来なくなったので余計に一抹の不安がありました。細かい案件の紹介はあっても大物の案件は以降は皆無でしたが、当然の帰結だろうと思っていました。
この顧客と取引のある外資系コンピュータ会社のシステムエンジニアとは新システム開発以前から付き合いがあって面識がありました。当然ながら新システム開発ではそういう人達も新システム開発プロジェクトに加わっていました。プロジェクト中断後から1年後迄には関係者に動きがありました。一番功績をあげた営業マンは東南アジアの拠点に異動となりました、この会社の出世コースですと解説はされましたが、外国での営業は大変だろうなと思いました。エンジニアも一部の人は退職して他の外資系コンピュータ会社に転職した人もいたようです。要するに外資系コンピュータ会社でこの顧客の新システム開に関わった人はちりじりばらばらになったという結末でした。それは決していい結末ではなく、外資系コンピュータ会社としては評価が悪く、プロジェクト関係者追放とでも思える様なものではなかったのかと感じました。
しかしながら、癖のある次長がやらかした100億円システム開発の中断で起こったことは、ハードウエアばかりが残骸と残っていたので私が勤務する会社は大いに潤う結果となったのでした。元々日本でも数少ない大型のホストコンピュータをなくすために始めたシステム開発が途中で頓挫したので、大型ホストコンピュータは残り大型サーバー群が増強されてシステム規模だけは肥大化した結果となったのでした。そのシステムの運用費用減の折衝も微々たるもので終わり、結果としては私の勤務していた会社に多大な収益をもたらす結果となったのでした。一方の不幸が反対側では幸福になるという皮肉な結果になったのでした。毎年固定的に1億円近い利益が計上できるので、私の営業マンとしての功績としては十分に評価されてもいいものだと思っていました。
しかし、実態はうさんくさい存在に思われていたのか退職をにおわせる様に、私には相談も無くいつの間にか私の後任として中途入社の社員を入れてきたのでした。定年退職後は自身で考えろということかなと、尋常ならざる実績をあげてもそのあとは知らん顔する会社の風土がここでも見えたのでした。退職する時位は気持ちよくというのが、非常に気分の悪いものになったという顛末は最後に書くとして、この時にも既にそういう前兆があったのでした。
人事は業績とは全く無関係な会社なので、妙に私の様な仕事人間は毛嫌いされたのかも知れないとも感じていました。こういう事実は新入社員のリクルート時には分からないので、若い人は入社してから暫くして状況を理解して、仕事の出来る人はしまったという結果になり、そこそこ仕事の出来る社員はどんどんと転職していく会社でした。そういう風土が退職する時まで影響して嫌な思いをさせられたと思いました。