先回の新システム開発を受注した時の見積についての話になります。1月末に顧客から提案依頼書を貰ってから提案書を出すまでの2週間は本当に体力を使い、老骨に鞭を打つ如しという表現が的確な位に夜遅くまで提案書作成と社内役員説明用の資料を作成しました。
最初に「受注するのには何せ安くなくてはいかん」というを私は口酸っぱく提案書を作成するという、態度はでかいが背は低いという男に伝えていました。その男から会議室でプロジェクターを使って工数と費用の説明を受けたのですが、不思議な事にシステムの機能には全く触れておらず、開発フェーズ別に配置する人間と工数が表になっており「山崩しをするとこういう風になりました」という説明でした。何せシステム開発は丸ごと他事業部に任せているので、提示された工数や費用が高いのか安いのかは全く不明の状態でした。多分、顧客から提示された3年という開発期間から過去の提案をベースに作られたのではないかと推測していました。
この時に一番不思議に思えたのは、システムの機能数はシステム構想作成時に出ていたのをそのまま流用していたのですが、機能の難易度とか複雑性については一切言及が有りませんでした。時間が無いので提案内容は過去の提案書のコピペなのは仕方ないとしても、費用も適当に算出しているのは如何なものかと思えたのでした。その男曰く「どう安く見積もってもこうなります」と言って、この時の10億円を超える開発費用が会社として提案する金額となりました。
私が会社を退職後、この顧客に派遣社員として勤務していた時、開発規模から開発費用を算出してみました。それで明らかになったのですが、この時の見積もり費用は世の中のシステム開発費用よりも「4・5割も高く費用が掛かった=当初利益4億円のを超える利益が出た」という事実が判明し、この見積積算がいかにずさんなものであったかが立証されたのでした。又、当初より予定を超える利益が出たのは別の理由があったのですが、それは後ほど説明をします。
この時の見積費用が会社の標準とすれば、私の勤務していた会社の費用は世の中よりも相当割高いということも理解ができたのでした。
この見積をした男が後にシステム開発のリーダーとなり、システム開発開始後の見積も算出をしましたが、毎度トラブルが発生したのですが、自分勝手な理屈で作成するので相手には納得のいくものではなかったという事でした。そういう事実を眼のあたりにして、私が15年にもわかり延々と築き上げてきた顧客との信頼感を崩していくので、段々と腹立たしくなりましたが覆水盆に返らずという諺通り、引き返せない道を選択したのだと思っていました。
 
見積を作成中も自分の担当するシステム開発は早々に決まったとして、他事業部の私の担当するシステム基盤部分についても口出しをしておかしなことになりました。他人の仕事には口出しをするが、自分のことは何も言わせないという非常に偏狭な性格だと言うのも分かりました。システム基盤費用の責任は私の所属する部門にあるので口出ししないで欲しいと思うのですが、技術レベルが低いせいか余りに何度も構成変更してくるので、嫌になって対応を新人だけに任せる程にしたのでした。
そこに、先回も記述した上司の営業部長は、その男から私がいい加減とかいう悪口言ったのを鵜呑みにして、烈火のごとく怒って私に食いついてきたのでした。私は会社の上下関係から大人しく「そうですか、それじゃやり直してみましょう」としか言いませんでしたが、本音は殴ってやろうかと思ったほどでした。この時は自分の顧客のためには我慢かなという気持ちもあり、感情を抑えられたのだろうと思いました。
このプロジェクトを動き始めた時は、久しぶりのシステム開発の仕事で興味津々という様な状態でしたが、このプロジェクトマネージャーを務めた男の能力の無さといい加減さに驚かせるばかりで、同時に私の上司に私の悪口を言い始めたことで、無能な私の上司もすっかり信じこんでいたようで、私は社内でも非常に嫌な環境に追い込まれたのでした。
 
しかし、プロジェクトが終わってみれば、惨憺たるシステムを顧客に提供することになり、このプロジェクトマネージャーを務めた男の無能さが明らかになっただけでなく、そういう男を責任者としていた事業部の問題、その男の言動を信じていた私の上司である部長の無能さが明らかになって、社内で無視された私の主張していた事が正しかったことがわかったともいえると思いました。
しかし客観的な評価で惨憺たるシステムでも、私の勤務していた会社では立派なシステム開発に事例としているのではないかと思うと、言葉を失うばかりとはこういう事かと思えるのでした。
会社は金がもうかればよいと言う主張のもと、今どきのステークホルダーとかガバナンスなど糞くらえとばかりの社風が顧客にとって怪しげなシステムを提供したと思います。その証拠として、システムに何か重大な問題が発生しても役員は一度も顧客には足を運びませんでした。
この新システム開発を受注をするまでは色々な事件がありました。
私の勤務していた会社で新システムの基本構想書を急いでまとめた後、顧客では3月末までにはベンダーを決めたいと言う事情があったようでした。丁度人事異動の時期なので情報システム部長が事情を分かっている間に決着をつけようという事でした。新しい情報システム部長に変わってからベンダー選定をすると、再び最初の経緯から説明しなくてはいけないので話がややこしくなるというのを嫌ったようでした。そうなると、基本構想書を納入したのが1月15日で顧客から提案依頼書が出てきたのは1月末、提案書の提示は2月中旬というような押せ押せのスケジュールが組まれていました。
 
提案書作成は言うに及ばず、費用が10億円も超えるような案件は社内の役員審査が必要と言うので説明資料を作る必要がありました。それに加えて、顧客の課長からは特に私に対してシステムのハードウエア・ソフトウエア構成については日本の大手4社のコンピュータメーカーの見積書を作成してほしいという特別な要求もありました。この見積作成は私が勤めていた会社で出来る人間は私以外にはいないだろうというのは直ぐに分かったのですが、普段付き合いの殆どないメーカーについては見積依頼をするのが心苦しいので困りましたが、何とか作り上げるしかないのでやり遂げました。というのは、この顧客の課長はそういう類の見積書が欲しいと言いながら、当時この顧客に長く出入りしているコンピュータメーカーに決める腹だと言うのは見えていたという事でした。当然ながら、システム構成はメーカーによって違うので、4社のシステムの性能の横並びを確認しながらの作業でしたので約1か月半も係りました。この要求は、提案依頼書が出る前に課長から内々言い渡されていたので、システムエンジニアが基本構想書をまとめている12月初旬には私は各コンピュータメーカーとコンタクトを始めて見積依頼をしていました。
一番つらかったのは皆異口同音に「受注確度は?」と質問されるので困りましたが「一応顧客の判断なので不明ですが、ベストプライスを出して貰えば可能性が上がると思います」というのが精々でした。
 
こういう苦労をしながらの見積もり作業をしている時に因縁をつけてきたのは上長の営業部長でした。私が適当に積算をしているのではないかと疑いをかけてきたのでした。この時ほど腹が立った時もありませんでしたが、部下の新人社員が再び再計算をしても利益4億円の誤差は百万円程度で全く僅少で問題のないことが立証されました。しかし、烈火のごとく怒り私の見積作業に割って、入り私を犯人みたいな扱いをしたことには謝罪などは何もないという事実のみが残りました。
部長になる資格のない人間をライン部長に据えたと役員の能力程度が露呈したという事でした。この男はごますりが上得意で、外資系コンピュータ会社から転職してきた連中と同じ仲間なのかな普段から薄々感じていたのが、そういう俗物連中と同類であるというのが明らかになった時でした。これから部長とは口を聞かなくなったのは自然の流れでした。
この時、営業部長の能力が相当程度低いのが露見しただけではなく、肝心の提案書を作成していたシステムエンジニアの能力もぼろぼろで、会社の実力以上の仕事をしようとしているのではなかと感じたのでした。
提案書の作成にも私は最初から最後まで関わりましたが、システム開発提案の内容は殆どはコピペで過去の提案書の総集編でした。それに加えて、私の所属していた部署のシステムエンジニアが作成した提案書も同様な低レベルで、私自身が全部作り直しをしたいと思った内容でした。
私自身はそういう提案書を作成していく中で、能力の無いシステムエンジニアに出来ない仕事をさせるのは無理というのを薄々感じました。
提案は妄想だけで済みますが、実際のシステム開発は実物になるので、システムが稼働すると想像以上に酷いシステムであることが判明したのは、この時に既に分かっていたのだと思いました。

この時、システム開発のプロジェクトを担当したシステムエンジニアは40歳も過ぎていましたが、自身の所属する事業部の最重要顧客からの提案を失注するという失態をしたにも演じたにも拘わらず態度は何時もふてぶてしい態度で、この顧客は私が15年もかけて築き上げた会社関係あるのを無視するような人間でした。この男は私の上長の営業部長と同期という話も聞くに及び、人間の不作がそろってプロジェクトに参画して犯罪的行為を知らぬ間に起こしたということなかと思いました。
私はこの顧客から信用を得ていたのは、利益も相当なさじ加減を私自身の判断で行い、見積書を作成する前に顧客と相談して価格を決めるというようなきめ細かい対応をしていたからでした。しかし、この時は15億円という金額程度と、別事業部との共同作業というプロジェクトで、私が口をはさむ余地が殆ど無く建前通りに見積もり作業が行われたのでした。
一番の問題は、利益の他にコンテと呼ばれるリスク分を利益に加算していました。そのリスクは外注に全て負わせていたので利益は倍増する仕組みを会社のなかでは作っていたのでした。
コンテと言われるリスク費用は会社の中では稟議をする承認の書式に含めていて、私の勤務していた会社では仕事をすると大抵は失敗するという事を前提にして見積もりを作成していたという事でした。それほどに技術力や能力も無いということを全社員に知らしめるような見積もりの仕組みができていたので、自然と費用は過大にならざるを得ませんでした。
そんなに程度の低い提案書やいい加減な見積でよく受注ができたものだと思いますが、敵失で受注ができたのでした。競合したコンピュータ会社は慢心があって、費用を高く提案したので、それが決め手になり、私の勤務していた会社はたなぼた受注できたのでした。顧客の話によると提案書はベンダーが決まってから読みましたという事でした。
この企業犯罪とでも言うべき事件が起きることになった発端は私が深く関与していたのは当然でした。当時の顧客の課長は私とは懇意で、一度支店に異動になって再び帰ってきて相変わらず厳しい査定を行うのが日課になっていて部下も困るような日々が続いていました。ある日この課長との雑談で「そろそろホスト計算機も考え時ですか」というような話題をだしたのがヒントになったのか、後日になって課長は「ホスト計算機は保守も終わるし、継続するか新しいシステムを導入するか思案する時期になりそうです」と言って、情報システム部内で新システム開発を検討する方針を打ち出したのでした。
この課長はこの会社の中でも情報システムに詳しいという人で、同時に色々なアイデアが続々と出るという人でした。この課長のアイデアの相談相手が私という立場でした。何か新しいものについては私がコンサルまがいに調べては資料を作成して報告するという間柄だったのです。
かように親しくなった下地は、この課長が支店に異動する時に液晶テレビをプレゼントしたり、飲食も度々したという事がありました。当然ながら会社には金額が大きすぎて請求もせず全て自腹でしたが、私自身は何か見返りを期待していたというよりも過去に1億円も超える注文を出してくれたりしていたので、そういう配慮に対する個人的な御礼のつもりでした。
そういう人間関係が確立していたので何でも本音で話すことができたのが幸いでしたが、情報システム部としては新しいシステムの構想を作るにあたり、公平を期すとして出入りの業者2社に声がかかりました。
最初は無償サポートと言われたので、だらだらと月に2回くらいのペースでしか開催できませんでした。私の勤務していた会社でもコンサルするシステムエンジニアを動かすともの凄く高い費用の請求が来ると言うので、エンジニアが無料で動ける範囲のことでしか対応が出来ませんでした。
その会議では毎回ぞろぞろと情報システム部員が出てくるので熱心だなと思っていたのですが、後に気づいたのは熱心ではなく時間のある部員は全員が会議に出ると言うのが習慣になっているという事を知り、普通の会社では考えられない事だと驚かされたのでした。管理者が管理するというのではなく気づいた人が事を進めるという慣習らしく、会社らしくない会社だとも感じていました。
 
新システムの構想が持ち上がったのは5年程前の4月で、構想をまとめるためのベンダー会議が始まったのは6月でそれから9月末まで続きましたが、何か結論が出るというような事にはならないので、業を煮やした課長は「金を出すのでお宅の会社で構想を纏めてもらえませんか」と9月末に私に依頼をしてきたのでした。
当時、会社のコンサル部門にたまたま支社から異動で配属されていた、以前にこの顧客のシステムを開発したエンジニアをアサインしたのでした。今回は有料と言うので堂々と注文をもらい、開始は遅れて11月になってしまいましたが、納期の12月末には完成できず、翌年1月の15日に何とか納入することが出来ました。
この顧客では、この新システム構想書をベースに新システム開発の見積依頼用の仕様書を作成して1月末に出入りのベンダー3社に見積もり依頼をしたのでした。
新システム開発の構想書は、私の勤務していた顧客の業務システムに詳しいエンジニアが作成したので、当然見積もり作成時には圧倒的に有利だというのは内々感じていましたが、社内で対応する部門が誰もいないというのがネックになっていました。
私の勤務していた会社の所属部署はコンピュータの運用を主管する部署でシステム開発をする要員はいなかったので他部門に依頼する必要がありました。当時はどういう風の吹き回しか社内のシステム開発部門はトラブルが多く多忙と言うので候補の部署でも何度か打ち合わせをした後に断られてしまいました。
そしてこの時出てきたのが、丁度他社で提案をしたものの失注して仕事が無いと言う失業していた連中でした。その仕事が無いという連中を紹介されて挨拶に行くと、頼りなさそうな風貌の副事業部長が出てきて一抹の不安がありましたが、それは後に的中することになりました。
当時、この事業部では変人の事業部長が仕切っていて、部内でも厄介者扱いされているような状態でした。なんでこんな変人が事業部長に任命されたのかと探ると前社長から指名されてという事で情実人事がされていたのでした。
企業統治のガバナンスという観点からは考えられない情実人事が行われ、常識ではありえないような人物が上位管理者として配属されていて、部下全員が変人管理者の非常識さに困惑すると言う事態が発生していました。地方出張でこの事業部長と一緒に出掛け、疲れて羽田に帰ったので一杯飲んで帰りたい思い、同行した部員が「これから行きましょうか?」と質問すると「それじゃ会社に帰ろう」と言われて仕方なく会社に帰社せざるを得なかったとか、会社の接待費は独り占めしているとか、その行動は異常としか思えないのでしたが、現にそういう人間が事業部長として任命されていたという事実を見て、自分の勤務していた会社が普通の会社ではないのだというのを思い知らされたのでした。
この事業部長とは何度か会議で同席になりましたが、その言動から判断すると仕事は新入社員並みしか出来ず管理能力も無いと思われたのでした。常識ある会社ならば年功序列で仕方なしに担当部長にして、職場の片隅にでも置かれるような人だと思いましたが、そういう人を業務ラインの責任者に置くと言うのを事をやってのけるのでした。この事実は、使いものにならなくて首になった、口先がやたらうまい外資系コンピュータ会社から転職してきた連中を有難く思っている、役員や管理職の能力レベルが露見していた事だろうと思われたのでした。
その変人の事業部長の下で失業していた連中が、この顧客の新システム開発の提案とか見積もり作成をすることになったのですが、変人事業部長をけなしていた失業していた連中がプロジェクトを開始して直ぐに同じ穴のむじなである事が判明したのでした。
この企業犯罪まがいの出来事をしでかした連中と後ろ盾となった役員は、色々な意味でレベルや倫理観が低く、私のサラリーマン最後の仕事を見事に成し遂げたいという期待を裏切ると同時に、私が築き上げたこの顧客との15年の長きに渡る信用を一瞬にして砕いたのでした。
私の勤務していた会社では、親会社とか出入りの業者の紹介のみでしか新しい取引先にする力しか無い会社でした。自分自身で新しい会社に電話が出来ないので、高い金を払って業者にアポイント取ってもらうというような事をしていたレベルの低い会社でした。そういう方法では当然ながら碌な客は見つかるはずはありませんでした。社員も顧客は「個人に属していない、会社のものだ」という事を公言していた輩がいましたが、全く何も分かっていない会社人の発言だと呆れてしまいました。
私は自分で新しい顧客に足を運び自ら提案して新しい取引先にしていました。顧客からみれば私自身を信頼してもらい取引をしていたわけで、顧客は会社名よりも個人の仕事ぶりを信頼して注文をしていたと思っています。
私の勤務していた会社では、担当者や部課長は普通にそれが出来ないので役員が呼び出されて要求が厳しくなり、トラブルになっていました。自然と取引先は、大手でも筋の悪い顧客か、会社名を見てありがたがるような規模の小さい会社か、普通の理屈が通らないベンチャー会社というような類の会社ばかりでした。
 
私が退職する前後で繰り広げられた企業犯罪とでもいうべきことが実行された会社は私が新規の顧客として15年位かけて友好な関係を作り上げた会社でしたが、規模の小さい役所のような会社でした。
この企業犯罪とでもいうべき事件が起きたのは、当然そうなる素地があった訳で、その背景には会社が役所体質で何事も起こさないような事を望む体質にありました。とにかく静かに静かにというような毎日を送り、それでも会社として問題なく運営できるので、荒業をやってのけるような人間は困り者というような会社でした。
必然的に社員も全員が大人しく折衝事には慣れないし、コンピュータ会社との関係は建前がきちんと語れれば友好的に継続が出来るので、わざわざリスクの高い新しい取引先は起用されないという風土の会社でした。悪い表現では業者の言いなりにしか対応できず、情報システムの専門家でもない人たちがシステムを担当していたので、業者の言いなりでしか物事は進められないというような状態でした。
 
それでは、何故そんな取引に慎重な会社と取引が始められたかというと、それは私は個人的なつながりを一から築き上げたということでした。
今から20年も前に遡りますが、私がデータセンター営業として都内の企業を順番に新規訪問していた時、取引可能性のある顧客としてこの会社がリストアップされたのでした。聞いた事もないような会社でしたので最初は不安でしたが、私の勤務していた会社から徒歩10分位のビルの一角にありました。小さな会社でホストコンピュータを利用していたのは分不相応に思えましたが、特別な業務でもあるのかと想像をしていました。
丁度ホストコンピュータを安全対策として移転を計画しているというので、私は提案書を作成して何度も説明したかいがあって情報システム部としては私の提案で上申してくれましたが、上司の銀行出身の常務はデータセンターの場所が悪いと判断し、銀行が運営しているデータセンターに決定されたのでした。
それからは情報システム部の窓口であった人には毎年正月の挨拶だけには行くという状態が7年も続きました。データセンター営業を担当してからは超多忙で、以前に書いた通り会社への訪問と社内会議とか連続して昼飯も取れないような事が続いたので、この会社への正月の訪問は息抜きにもなって人間関係が毎年少しずつ高まっていったのかなと思います。何年も正月に訪問すると事務所も移転になり新しい綺麗なビルに移転して驚きました。又、担当者だけでなく情報システム部長も暇らしく同席して世間話や業界の話を数時間もしていました。
そうする内にシステム開発の引合いを試しにしてみようという事になり、私は喜んで社内に紹介すると費用が高くて問題外と一蹴されたので、たまたま他の案件で面識のある地方の部隊に見積もりをお願いすると3割ほど安く顧客の担当者から了解を貰って受注することができたのでした。
その後はパソコンの刷新案件があり私の勤務する会社が推奨する外資系の会社を提案したのですが、説明会当日に説明用のパソコンが故障するという不幸もあり採用されませんでした。それでも1億円の受注が何とかならないかと掛け合い、物流に加わることで薄利で受注することができました。
それ以降もなんだかんだと言いながら、小案件を嫌な顔一つせずに対応してきたことで顧客の信頼を得て、最後の基幹システム再構築の引合いまでにこぎつけたのでした。
この企業との関係は私個人の努力の何ものでもなかったと思っています。勿論そういう私の仕事振りを支えてくれたのは、日頃のシステムエンジニアの努力が作用していました。
そういう友好的な土壌ができた所に現れたのがやくざ者まがいの一団であったので、やくざ者一団としてはこんなにやりやすい環境とは思ってもみなかったと思います。
新宿歌舞伎町のぼったくり飲食と全く同じ事が起きたのだと思っています。「定価のメニュー表もあります」と言いながら「飲んだ分は支払え」と高額を要求しても警察は動けません。暴力沙汰ではなく、「飲食の高い安い」の紛争は当事者間の問題なので弁護士でも間にいれない限り解決はできず、殆どは泣き寝入りで高額のぼったくり料金を支払らわされます。
そんな事が私の営々と築き上げた顧客に対して行われて、サラリーマンとして最後の仕事がとんでもない事になったという事でした。 
本日の新聞の書評欄に「清張が昭和の時代の昭和という時代を照らし出す小説家だったとすれば・・・」という下りが有り唖然としました。私は清張が苦労しながら生活をしてきた中で様々な事件を見聞していく中で感じていたのは、昭和という時代の流れというような抽象的なものではなく、人間の心の奥に潜む本質的な欲というものを感じ取っていたのではないかと思います。清張の本は好きでもなかったので一冊も買ったことはありませんが、ラジオやテレビでドラマを見たことは度々ありました。そこで演じられていたのは、金銭欲・物欲・色欲・権力欲・名誉欲というようなものに固執する人間の悲しさというようなもので、見ていて侘しいとか寂しいとかというような印象ばかりあったと感じています。
清張が職業を転々とするなかで起きる事件を見聞し、事件の背景までを調べるうちに人間の心の裏に潜む闇に衝撃をうけたことが小説を書くきっかけになったのではないかと思います。
私は30年以上も昔に日曜のラジオの朗読番組を毎週布団に入って聞いていたことがありました。森繁久彌が清張の「或る小倉日記伝」を朗読するという番組で、布団に中で横になっていて耳元でラジオの音だけが聞こえてくるのですごく臨場感があり、今でも森繁久彌の朗読の声が忘れられません。それは朗読がうまいというだけには留まらず、その内容が余りにも悲しいという事でした。こういう自身の経験からも清張は昭和という時代性というようなものではなく、日本の社会の片隅でうごめく人間の心の奥底の何か感じていたのではないかと思います。「或る小倉日記伝」では主人公が障害者だったので戦前の日本では差別がひどかったというような解説も見受けられますが、それは一面だろうというのが私の感想です。
 
何で清張がここで出てきたかというと、これから書く或る企業のシステム開発で行われた行為が、清張が気づいた人間の裏面に潜む欲というものが見事に露出した事だろうと思ったからでした。
犯罪を公にするには被害者が被害届を出すか、検察官が起訴しない限り成立しないので、そういう行為とか対応が行われないと、何事も無かったように時が過ぎて忘却のかなたに置き去られてしまいます。
サラリーマンが自分は「会社のために仕事をしています」と月並みな発言をよくしますが、その会社の為と言うのは自分だけが得をして他人がどんな被害を受けようが無視をするというような場合があるかも知れません。彼らの言い分は、「そうしないと、自分にも被害がおよび会社のためにはならない様な事態が発生する」からです。現在ではそういう事を監査する仕組みとしてガバナンスというような仕組みを取り入れる事が求められていますが、東証に上場しているような会社でも、既定の書式に記入して終わりというような形だけの企業が大半と思われます。
東芝の業績粉飾事件は、社外の会計監査会社や社内のガバナンス体制にある監査委員が見つけたものではなく告発によるものでした。この事実は、企業犯罪は社内外の形だけの鑑査では見つからないと言うことを示唆しているようなものだと感じています。新聞の報道では社外取締役の充実とか書いていますが、そういう類の記事を読むにつけ何も分かっていない素人記者が書いたものをよくも記事にしたものだと笑ってしまいます。

私は自分が勤務していた会社で受注したシステム開発案件では、役員とその部下が犯罪行為と言うべきことを、会社の利益の為と言う御旗のもとに堂々と最後までやってのけたのでした。
このシステム開発は最初から最後まで微に入り細に入り見届けたので細かい経緯までを知り尽くしていますが、システム開発の途中で私は定年退職に追い込まれたので、途中からはこのシステム開発を受注した会社に派遣社員としてシステム開発の最後を見届けたのでした。最初は自分の顧客だったのが、途中から自分の勤務する会社になったという、何とも面白い経験をする事になりました。
その経緯は後ほどということになりますが、企業が侵す犯罪行為というのは清張が書いた人間の欲が裏に隠れ、如何にもお為ごかしした行為が企業に中で正々堂々と正義の如く行われていたというのは、東芝事件に通じるものがあると感じています。
転職してきた営業マンが来て以来、この顧客で新しい案件があっても殆ど転職してきた後任の営業マンに任せるようにしていました。しかしながら、顧客からは「あの人の名前はなんでしたか?」とか聞かれると質問された私も困ると言うようなことが度々ありました。私は本人の営業マンとしての自覚と努力しかないと思っていたので特に何も指導をするようなことはありませんでした。しかし、この顧客は私に対しては何かあれば直ぐに気軽に質問を出来るようだというのを知らしめられるような時がありました。
久し振りに顧客からシステム導入の引き合いがあった時、顧客とはエンドユーザーと情報システム部員を含めて打ち合わせ度々するのですが、アサインされた石頭のシステムエンジニアが顧客の質問に毎回的確に答えられなくて中々前に進まないという時がありました。
ある時、顧客の課長から「何でうまくいかないんですかね」という質問を受けたので「私は引き継ぐつもりで後任の営業マンに社内の仕切りも任せています。私であれば現場のエンジニアにぎしぎしと迫るのですが、その営業マンは普通にやっているだけなので社内の調整も難しいという事かも知れません」と他人事のように説明したことがありました。
私が担当している顧客について何の配慮も無く営業担当者さえ替えれば引き継げると上司の営業部長は気軽に思っていたのだろうと思いました。私がどれほど顧客との関係を築いていたのか全く無知識であったのは、本人の能力が並以下だったという事と知れたのでした。この部長は異動で来て私の上司となって以来、私の顧客が挨拶や接待の度に他の顧客より余程打ち解けているのに不思議だと全く気付くとか考えることはなかったようでした。

そういう日々を送っていて、ある時子会社に技術説明をしてほしいと言う依頼があって、社内で要求された件に詳しいエンジニアをアサインして出かけた事がありました。新しい案件に結び付くのかと思ったのですが勉強で終わっただけでした。その時、転職して異動になった元情報システム部長も同席していて驚きましたが、会議の終了後に呼び止められました。
夕方なので早くに帰りたいなと思い退屈な気持ちで話をはじめ最後に「実はこの子会社でシステムを導入する案件を担当していて、クラウドを考えています。提案をお願いしたい」という話に驚きました。この部長とは情報システム部長の時には新情報システム開発の1000万円返却事件解決でお世話になったので少しは負い目があり、余り話はしたくないというのが本音でした。担当部長になって暇らしく、この案件を担当することになったようだと分かったのでした。
この時、私は勤務していた会社の最後の仕事なので力は入りませんでしたが、受注をするために一計を案じて一肌脱いだのでした。そんな義理は無いよなと自覚しながらも、自然と注文を取ると言う営業マン魂に火がついたのかと感じていました。


この時、社内説明で契約に当たり色々な難癖がつきましたが、難癖をつけてきた連中は元々仕事が無くて、社内で難癖をつける事を生業とする輩で非常に受注に非協力的でした。それに加えて、そういう輩に上目を使う平目エンジニアとかが出てきて驚きました。所詮力の無い会社とはこういうレベルなのかというのを退職の前に再び知らされたようなものでした。
そんな内弁慶の部長連中に振り回されていても、私の一計が当たって顧客の担当部長から直々に電話があり「お宅の提案で行くことになりました」という連絡があったのでした。退職3か月前に新規システムの注文を貰ったという営業マンは世の中にも少ないだろうと思った時でした。忘年会の待ち合わせの席で退職通告をされて気分は悪かった後だったのですが、こういう注文の連絡が来た時にはそういう事を一瞬忘れさせたのでした。当時、私が非常に気分を害しているのを知ってか知らずか、営業部長に受注の報告をしても反応はありませんでした。暫くして、この営業部長も異動になると聞いて本人は不本意と思い呆然としていたと思いますが、私は遅きに失したと感じていました。

新任の情報システムにはめっぽう疎い部長は自らの知識の無さを勉強する風でも無く、何か事件が発生すれば常識的な判断をして解決をするという方法で毎日を過ごしているようでした。職務上自ら何かをするという風でもないので暇を持て余して部員と長話を延々とするというような事があったと、後ほど情報システム部員から聞かされる事もありました。
そんな呆然自失というような日常を過ごしていたら、新情報システムを開発した際に外資系コンピュータ会社とかわした契約が切れる事になり、更新をしなくてはいけないという事態になりました。当然ながら、この時は異動になったばかりの転職してきた担当部長も契約更改のアドバイスに当たったようでした。しかし、会議での発言を聞いていると追認ばかりで迫力も無く余り力になっていないと感じました。
この時ばかりは新任の素人部長は毎日のように残業が続き夜遅くまで事務所に残っているのを目にしていたので、私はてっきり真面目に契約費用の削減とか新しい契約について検討をしているとばかり思っていたのですが、それは思い過ごしである事は直ぐに分かりました。外資系コンピュータ会社では契約期限が切れるのを機に、再びハードウエアやソフトウエアを売って利益をあげようと考えるのは当然でした。
そういう水面下で色々な折衝が行われていて、愈々方針が固まりプロジェクトが開始されるというのでお呼びがかかり、システムエンジニアを同行して大きな会議室に出向きました。
そうすると、その時の外資系コンピュータ会社は数十人ものシステムエンジニアが出席して、前回の新システム開発の時のミニプロジェクトみたいなものが開始されようとしているのが分かり愕然としました。
前回の新システム開発と違い、癖のある課長が全てを仕切っているわけではなく、役割が情報システム部員に担当が割り振られていて各自に仕事の進め方がある程度任せられていたのが前回の開発体制とは違う様に思いました。前回の新システム開発では、形はシステム毎に担当者が割り振られていましたが、実質癖のある次長の言うがままに仕切られていたので決めるのは早かったのかも知れませんが、間違った方向に行くこともあったのではないかと推測されることも多々あったように感じていました。
 
最初のプロジェクト会議ではメンバーの座る席が指定されていたので、一番奥の3人が座る席に私の勤務していた会社のメンバーが座りました。そして、横に見覚えのある外資系コンピュータ会社のシステムエンジニアが座ったので少し驚きました。あの時にプロジェクトに参画したエンジニアや営業マンは全て飛ばされたと思い込んでいたのですが、この一人だけは生き残ったのかと思いました。当時よりは生気も失せて色黒になっていたように見えて、前回のプロジェクトの生き残りで経緯を知っているメンバーとして参画しているのではないかと推測をしました。
こういう全体会議が何回か行われた後に、分科会のような会議が開始されて新システム開発で導入されたハードウエアとかソフトウエアの更新作業が開始されたのでした。この時は、癖のある課長に非常識な値引きを強いられた私が見積もりをしたソフトウエアも更新になり、再び一苦労あるのかと少しばかり気が滅入るような気分になりました。
こういう状況を目にして私は情報システム部員に外資系コンピュータ会社との折衝の経緯を聞いてみると「無駄な使用しないソフトウエアも購入していました」という言葉を聞いて「癖のある次長は外資系コンピュータ会社の言われるがままに契約していたからでしょう」と答えると「そうですね」という答えが返ってきて、この時癖のある次長が確信犯であるというのを確認できたのでした。
それに加えて、素人の情報システム部長は何を努力していたのか分からず、外資系コンピュータ会社の提案をそのまま鵜呑みにしたような契約にサインをしたと聞いて驚かされました。結局、表向きは文句はいうけれど契約という言葉に脅されて、システムが止まるのではないかという不安から言うがままに契約をさせられたのではないかと思いました。
この時の外資系コンピュータ会社の営業マンは担当してから1年と少ししか経っていませんでしたが、会議の席で見せた笑いが止まらないという顔はしてやったりという顔でした。営業担当は中堅の営業マンでしたが、相手の心情を考えれば少しは自制した表情を作る場面ではないかと思いましたが、再び何十億円という契約を結んで自らのボーナスを想像すると笑顔は抑えられなかったという事だったかも知れないと思いました。
 
新任の素人の情報システム部長は真面目な人で、業者の接待には警戒をしていたので、少人数の接待には乗ってきませんでした。新任部長は中途採用とはいえ、社内で築いた信用には傷を付けたくないし、裏金にも縁の無い事が役員の信頼を得ているのだと私は思っていました。
そういう状態なので接待は個人的なものはできず、最初は課長さんを含めて十数人で忘年会をして、口では言えない程の高利益の契約の御礼をしました。
それが二回目になった時、部長さんや課長さんが時間通りに現れないのでロビーで待っていると、私の上司である営業部長が現れて「来年は嘱託契約の更新ができません」と関係の無い話をされて驚きましたが、こんな場所で気分の悪くなるような話をする方の神経も異常だと感じたのでした。薄々は不機嫌そうな部長の雰囲気は感じていましたが、そういう重要な話は会社の会議室できちんと説明するのが常識だろうと思ったのでした。
しかし、世の中には通じない非常識な感覚を持つ役員や部長がごろごろしている会社なので、その時も怒るわけでもなく「へえ、そうですか」という一言を返して会話は終わり、その日の忘年会もなごやかに何時も通りに終わりました。


転職してきた新任情報システム部長が実質更迭されて後任の情報システムに疎い部長が就任して個人的にはほっとしましたが、案に相違して対応が大変でした。
この新しい情報システム部長は現場では事業部長とか部長とか、一時は取締役とかと役職がころころ変わっていましたが、私の勤務していた会社はシステム構築案件を癖のある課長の仲介で紹介されて何度か提案をしていました。その時も提案はしたのですが提案が採用される事も無く、何事も無かったかのように自然消滅したのでした。1年もして話を聞くと問題があると言われていたにもかかわらず何も変わっていなかったり、いつの間にか別の場所でシステムが出来上がっていたりして、案件は社内の中で色々な思惑があって動くのではないかと感じていました。この新任部長は随分と昔に同業他社の営業から転職してきた人で、この会社に住み着いて会社の風土が理解できていたので、何かあっても現状を変える事には極めて慎重な人物ではないかと理解していました。そういう意味では転職してきた前任部長とは大きな違いがありました。表面上は物腰が柔らかいのですが、対応を間違えると怒りをぶつけてくるので慎重にしなくていけないのでした。

それは普通に相手を見て対応する能力があれば分かるのですが、私の勤務していた会社の部長が硬直した頭脳の持ち主で、ある時障害対応の書面を普通に書いて送信して、この新任部長の怒りを買ってしまいました。
それは、情報システムでは当然と思われるような内容が、素人の部長には如何にも対応がおざなりであると写ったようでした。この時は、翌日面会して謝罪をしたのですが、素人さんが言われるのは理屈が通っていて当然だなと感心するばかりでした。情報システム部長は社内に情報システムのサービスをしている立場から社内から苦情がくるのですが、そういう苦情が頭に浮かぶと、役員から苦情を指摘される事に恐怖を感じていて「ふざけるな」と言いたくなったのではないかと思いました。
真面目な部長さんだったので、いい加減な外資系コンピュータ会社に対して厳しく注文はつけてはいましたが、それじゃコンピュータを取り換えてやるとかいったところまでは勇気も無く出来ないようでした。口先はえらくうるさいのですが、実質は何も手を打てないという典型的な口先男と言われてもしようの無い人だと、半年ほど付き合って確証が得られました。
外資系コンピュータ会社はシステムの障害対応の不手際があり、就任早々の部長がものすごい剣幕で会社に乗り込んできたので、最初はあたふたした様子でしたが、ひとたび状況が理解できると再び強気の対応に自然と変わって、1年もすると以前と変わらぬ強面の態度になるのは自然の成り行きでした。

癖のある課長は、この新任部長とも以前職場が同じということもあってやりやすいと感じていたのではないかと思います。時々この二人が会議室で話をしているのを壁越しに聞いていたことがありますが、和やかではありませんでした。何時も部長の大きな声が聞こえていました。新任部長はかっての部下とはいえ、100億円損失事件を起こした本人には関わりたくなかったと思いますが、立場上自分の部下なので時々は上がってくる案件に対して説明を聞く必要があり、それはそれなりに本当かどうか半信半疑で聞いていたとは思いますが、所詮知識がないので言いなりにしかならないのが嫌ではなかったのかと思いした、そういう思いが大きな声となっていたと思うと「大変だね」と私は心の中でつぶやいていました。
転職してきた情報システム部長の異動先は企画部門の担当部長で、情報システムの個別案件に関わると言う立場になりました。転職してきた部長は個人的には頑張ったつもりでも、転職してきてから2年間も大きな成果もないので建前としての悪い評価になったのかなと思いました。私の勤務する会社のデータセンターを他社に移転し費用も大幅削減できれば大手柄で、異動は無かったのだろうと想像をしたのでした。
転職してきた新任情報システム部長に対して最初は手ごわいかなと思っていたら案外くみ易い相手だと分かり、プレッシャーもなく電話を掛けられるようになったのは100台のサーバーのデータセンター移転が終わってからでした。
私の勤務している会社との取引については費用が増加するし、一方では外資系コンピュータ会社との不平等契約については何の成果も得られないような状況が続きました。一度は情報システム部の課長が外資系コンピュータ会社との取引で何とか出来ないかと私に相談に来たので、これは内々に私が調査してみると絶望的な条件というのが分かって「次回の更新時期には準備して対応した方がいいでしょう」というアドバイスをすることが精一杯でした。

新任部長は会社の経営が厳しいので情報システム部門で何か費用削減の方法はないかと模索し、取引するベンダーと折衝をしていた中で、回線業者に目を付けて費用削減の計画を立てました。そして長年この顧客に回線を提供していた某ベンダーの契約を他社に切り替えることで費用が削減できることが分かり、当然ながら社内での決済も取って実行されたのでした。
これは100台のサーバー移転と前後して実行されたのですが、翌年の4月には新任部長は別の部署に異動になり、後任には営業畑の情報システムには素人の部長が配属されたのでした。
自分の勤務する会社でもないのでどうでもいい話なのですが、長年この顧客と付き合って私の顔も挨拶もしない人でも誰なのか知っているというような状態でしたので、そういう顧客の社内風土からすると転職してきた新任部長はそういうものを感じ取る感度が鈍かったのではないかと思いました。
癖のある課長は地位を利用して出入りの外資系コンピュータ会社から驚くべき裏金を懐に入れていたという事は、他の部署でも同様のことがあるのではないかと薄々感じさせているのでした。癖のある課長は「xx部のxxさんも最近新築の家を建てましてね」と暗にそういう事は自分だけではないと自己弁護するようなことを言っていたのでした。この種のことは日本中で行われていることで驚きには値しませんが、この会社ではあからさまなのが目立っていたという事かなと思いました。そういう風土の会社というのを転職してきた部長は全く関知していなくて、癖のある課長だけがそういう事をしていると思っていたのだろうと勘違いしていると推測をしていました。
 
件の回線業者の営業マンとは挨拶もしたことはありませんでしたが、受付前の椅子に座っているのは何回も目にしているので私同様に精が出ますなというような風に見ていました。しかも営業マンと言っても色黒でしたが相当の年配で、受付の前で座っている時の表情は決して明るいものではなかったという風体でした。御用聞きしか出来ない若造の営業とは違い私同様に苦労しているのかなと想像をしていたのでした。そういう事を知っていたので、この業者は社内の誰かと通じているのは当然推測されて、何にも知らない転職してきた部長は普通に経費削減の為にこの業者を切ったら、個人的な見返りを得ていた人が人事で切り返したというのが私の見立てでした。後任に素人を配属させたのもそういう事があっての事かなと考えさせられたのでした。
会社の中では何が起こっているのか、こういう事が起きてみて会社の中の状況が分かるような気がしました。
私の勤務していた会社も建前は立派な事を言うのですが、その実とんでも無い人がライン部長とか役員に配属されていましたので、裏を知れば他人の事などあれこれ言える様な状況ではないとも感じていました。
転職してきた新任情報システム部長は費用削減とか社員教育とか思うように行かないという日々を過ごして確たる成果もなかったように思いました。新任情報システム部長が就任してから1年程して急遽100台のサーバーの移転という話が持ち上がりました。業務上重要なサーバーをデータセンターに預けるという趣旨だったのですが、そんな事は言われなくても考えることだと思うのですが、そういうあたりまえの事が自分では言い出しにくい社風なのか、又は社員の意識が低いのかと思ったのでした。
夏ごろにプロジェクト発足の連絡があり、その年の年末には移転をすると言う方針でした。私は暇なのでプロジェクトマネージャーまがいの仕事をすることにしました。普通ならば社内でシステムエンジニアに仕事を振るのですが、そういう手続きや事情を知らないエンジニアを指導したりするのも面倒なので、私がやれば営業という立場なので費用も掛からず手際よく進められると思い、そういう方針で対応をしました。
プロジェクトは私の勤務する会社と外資系コンピュータ会社の2社で実行することになり、コンピュータの移転は外資系コンピュータ会社が行い、私の勤務する会社ではサーバーの接続とか受入れテストを行うという分担でした。
2週毎の定例会議では、サーバーの移転に伴う作業の整理と進捗を私の勤務する会社と外資系コンピュータ会社で資料を提示して説明をするというもので、私が移転の資料を作成しては説明をして修正をするということをしていました。変に頼りないエンジニアに頼むより自分でやった方がどれだけ楽かというのを再確認できたようなものでした。
私は過去のコンピュータ移転の経験から、サーバー運搬用のトラックはエアサスペンション車にして下さいと外資系コンピュータ会社に事あるごとに申し入れていました。毎回会議で話題にするので外資系コンピュータ会社もあきらめて自ら用意しますと言い出すまでになり漸く一件落着しました。
当然ながら毎回私の勤務している会社のサーバー運用のエンジニアも同行していましたが、そういうエンジニアは最後に自分の仕事の担当だけをえらく精密に記述した資料を作成していました。実際に自分が担当する範囲を明確にして、貰える費用が外資系コンピュータ会社との仕事の分担で押し付けられないようにするという意味もありました。この時も移転の費用の大半は外資系コンピュータ会社が受注していたのですが、いざとなれば立場の弱い私の勤務する会社にあれこれ押し付けてくる事も予想されていたので、これは有効な手立てと思いました。
プロジェクトは大きな問題もなく進み、年末の移転日を迎えたのですが、私は新任の情報システム部長がデータセンターに来場して監督でもされると嫌だなと思ったのですが、現実はそういう事になりました。
営業マンとしては当然ながら、顧客の担当者がデータセンターで仕事をするというので百貨店で仕入れた弁当や蜜柑とかお菓子を準備していました。私は新任の情報システム部長とだべるのも面白くないと思い、当日はデータセンターのサーバー室で作業を見守っていることにしました。
移転当日は12月31日でした。外資系コンピュータ会社の計画では夕方5時には移転の作業は終了するという事でしたが、移転したサーバーに故障は無かったのですが、テストがうまくいかず時間がかかり終わったのは1月1日の0時でした。
情報システム部からデータセンターの移転したサーバーにアクセスして稼働が確認できましたと、別室で待機していた情報システム部長に報告すると「随分と時間がかかったのでお菓子をぽろぽろ食べてしまいました」という感想がありました。
当然顧客が帰宅しないと私も帰れないので、情報システム部長が帰るのを今か今かと待っていましたが、午前1時直ぎに「今日は元旦なので地下鉄も動いているでしょう」と言いながら部長は情報システム部員と一緒にデータセンターから帰宅したのでした。
私は弁当やお菓子の後片付けをしてデータセンターを出たのは午前2時位でした。電車で帰る気力も無くタクシーを探しましたは、正月のせいかタクシーはなかなか現れず30分程待ってから漸くタクシーに乗車して帰宅をしました。60歳を過ぎた営業マンとしてはやりすぎかなと感じた時でした。
当然の如く、正月休み明けにこの移転作業について、ライン部長や役員からは「ご苦労さん」の一言もなかったのは申し添えておきます。相変わらずの不愛想な顔をして社内をうろうろしては自分が目立つことばかりを考えているようでした。
 
このサーバー移転では台数が100台もあったので費用は相当に上がりました。何時もならば癖のある課長から相当な値引き要請が出るところ、責任者が新任情報システム部長に変わったので、計算通りで費用を提示して契約したので、その年の4月に顧客から費用を値引きしろと言われてすずめの涙ほどに値引きした費用を上回り契約額は増加したので、これは新任部長にお礼を言わなくてならないと思った程でした。