私の勤務していた会社では、親会社とか出入りの業者の紹介のみでしか新しい取引先にする力しか無い会社でした。自分自身で新しい会社に電話が出来ないので、高い金を払って業者にアポイント取ってもらうというような事をしていたレベルの低い会社でした。そういう方法では当然ながら碌な客は見つかるはずはありませんでした。社員も顧客は「個人に属していない、会社のものだ」という事を公言していた輩がいましたが、全く何も分かっていない会社人の発言だと呆れてしまいました。
私は自分で新しい顧客に足を運び自ら提案して新しい取引先にしていました。顧客からみれば私自身を信頼してもらい取引をしていたわけで、顧客は会社名よりも個人の仕事ぶりを信頼して注文をしていたと思っています。
私の勤務していた会社では、担当者や部課長は普通にそれが出来ないので役員が呼び出されて要求が厳しくなり、トラブルになっていました。自然と取引先は、大手でも筋の悪い顧客か、会社名を見てありがたがるような規模の小さい会社か、普通の理屈が通らないベンチャー会社というような類の会社ばかりでした。
私が退職する前後で繰り広げられた企業犯罪とでもいうべきことが実行された会社は私が新規の顧客として15年位かけて友好な関係を作り上げた会社でしたが、規模の小さい役所のような会社でした。
この企業犯罪とでもいうべき事件が起きたのは、当然そうなる素地があった訳で、その背景には会社が役所体質で何事も起こさないような事を望む体質にありました。とにかく静かに静かにというような毎日を送り、それでも会社として問題なく運営できるので、荒業をやってのけるような人間は困り者というような会社でした。
必然的に社員も全員が大人しく折衝事には慣れないし、コンピュータ会社との関係は建前がきちんと語れれば友好的に継続が出来るので、わざわざリスクの高い新しい取引先は起用されないという風土の会社でした。悪い表現では業者の言いなりにしか対応できず、情報システムの専門家でもない人たちがシステムを担当していたので、業者の言いなりでしか物事は進められないというような状態でした。
それでは、何故そんな取引に慎重な会社と取引が始められたかというと、それは私は個人的なつながりを一から築き上げたということでした。
今から20年も前に遡りますが、私がデータセンター営業として都内の企業を順番に新規訪問していた時、取引可能性のある顧客としてこの会社がリストアップされたのでした。聞いた事もないような会社でしたので最初は不安でしたが、私の勤務していた会社から徒歩10分位のビルの一角にありました。小さな会社でホストコンピュータを利用していたのは分不相応に思えましたが、特別な業務でもあるのかと想像をしていました。
丁度ホストコンピュータを安全対策として移転を計画しているというので、私は提案書を作成して何度も説明したかいがあって情報システム部としては私の提案で上申してくれましたが、上司の銀行出身の常務はデータセンターの場所が悪いと判断し、銀行が運営しているデータセンターに決定されたのでした。
それからは情報システム部の窓口であった人には毎年正月の挨拶だけには行くという状態が7年も続きました。データセンター営業を担当してからは超多忙で、以前に書いた通り会社への訪問と社内会議とか連続して昼飯も取れないような事が続いたので、この会社への正月の訪問は息抜きにもなって人間関係が毎年少しずつ高まっていったのかなと思います。何年も正月に訪問すると事務所も移転になり新しい綺麗なビルに移転して驚きました。又、担当者だけでなく情報システム部長も暇らしく同席して世間話や業界の話を数時間もしていました。
そうする内にシステム開発の引合いを試しにしてみようという事になり、私は喜んで社内に紹介すると費用が高くて問題外と一蹴されたので、たまたま他の案件で面識のある地方の部隊に見積もりをお願いすると3割ほど安く顧客の担当者から了解を貰って受注することができたのでした。
その後はパソコンの刷新案件があり私の勤務する会社が推奨する外資系の会社を提案したのですが、説明会当日に説明用のパソコンが故障するという不幸もあり採用されませんでした。それでも1億円の受注が何とかならないかと掛け合い、物流に加わることで薄利で受注することができました。
それ以降もなんだかんだと言いながら、小案件を嫌な顔一つせずに対応してきたことで顧客の信頼を得て、最後の基幹システム再構築の引合いまでにこぎつけたのでした。
この企業との関係は私個人の努力の何ものでもなかったと思っています。勿論そういう私の仕事振りを支えてくれたのは、日頃のシステムエンジニアの努力が作用していました。
そういう友好的な土壌ができた所に現れたのがやくざ者まがいの一団であったので、やくざ者一団としてはこんなにやりやすい環境とは思ってもみなかったと思います。
新宿歌舞伎町のぼったくり飲食と全く同じ事が起きたのだと思っています。「定価のメニュー表もあります」と言いながら「飲んだ分は支払え」と高額を要求しても警察は動けません。暴力沙汰ではなく、「飲食の高い安い」の紛争は当事者間の問題なので弁護士でも間にいれない限り解決はできず、殆どは泣き寝入りで高額のぼったくり料金を支払らわされます。
そんな事が私の営々と築き上げた顧客に対して行われて、サラリーマンとして最後の仕事がとんでもない事になったという事でした。