40歳代から55歳くらいまではベテラン営業マンとして大いに忙しく動き回って、自分自身としては十二分に業績を上げたと思っていましたが、周りの人的環境は劣悪だったというべきかと感じています。勿論、中には私の仕事ぶりに感心して褒めてくれる人もいましたが極めて少数で、大半の役員や管理職は私に対する目線が斜めで皮肉に満ちたものだったと思います。そういう感情が表れている役員とか管理職は極め品格の無さが表れていたと思っていまたし、顔つきも人前に出せるような顔では無いように感じられる人達だったと思います。
次から次へと、まあこんな人がと思われる営業部長や事業部長に現れたのには驚きを隠せなかったのは事実です。類は類を呼ぶという諺を地で行くような職場だと自分では評価していました。何故そうなるのかは、仕事も出来ない管理も出来ないのに自尊心だけは高いという自身が普通のサラリーマンよりは相当落ちる能力だというのが無自覚で、自然と自分の周りには普通よりは能力は落ちるが調子のいい人間ばかりがいるのも認識できないらしく、自分の後任には無難な人材と勝手に思い込んでいる社員が自分と同類の仕事も出来ない管理も出来ない人間であったのだったと思います。そういう意味では人事に対する客観的な判断が出来ないというのも社風なのかと思えていました。
私の仕事ぶりは顧客利益を重視するのは当然で、自らの顧客に対する貢献が自分の会社の利益として反映されるものだというポリシーを貫いていました。社内の目先しか見ない役員とか管理職とかとは一線を画していたので、そのギャップは自身で采配を考えての行動となるのは仕方ない事でした。
会社では中期計画とか長期計画とかを定期的に報告をするのですが、形式主義がまかり通るのでいい加減に辻褄を合わせるというのが実態でした。役員や管理職で現場実務を経験していない人は空想や妄想にとらわれて、何となく尤もらしい話を聞かされると安易に納得するというレベルなので、退職した今ではどうでもいい話なのですが、企業としての先行きも決して安楽ではないだろうと感じていました。役員や管理職が、外資系コンピュータ会社からの目立ちたがりの転職社員が他人の褌でまわしを取っているのが如何にも尤もらしいと勘違していたのと相通ずることがある見識の無さの素地は、経験が少ないとか知識が不足しているとかいう理由ではなく、元々サラリーマンとしての基本的な思考能力に欠けていることだろうと推測をしていました。そうなると、そもそも新入社員の採用基準にまでさかのぼって考えないといけないのかなとさえ思えるときもありました。
以前のブログでも紹介しましたが、転職前の会社も伝統ある保守的な会社で、役員が赤字事業の理由を明確に理解出来ないので素人判断で黒字事業部と合併させれば赤字が解消できるのではないかと思って実行されたことがありましがが、問題の本質はそんなところには無いので赤字は解消できる筈も無いのを笑って見ているだけでした。
転職後の会社では役員や管理職が少しは情報産業に関わったという自負があるだけに厄介で、どう客観的に見ても素人の域を出ないのを自覚できないので、客観的第三者と勘違いして相手の事情よりも金儲け優先のコンサルタントとかを起用して経営判断材料としていたのには驚きを通り越して単に能力の無さを自ら表しているのだなと思える時もありました。そういう時はサラリーマンとして何事も感じない様にすることが大切なのかなという故事を得たような気にもなったものでした。