本社の事業部内の人間関係というのは極めて希薄であったのですが、工場の技術者とはまた違った意味での付き合いがありました。私の所属していた事業部はとっくに子会社になり果てて、工場も今では無くなって小さな研究組織だけが細々と残っているようです。その研究組織で過大な残業が理由のノイローゼで退職させられた人の事件が今年に新聞紙上に出ましたが、私は社内風土から推察してさもあらんという感想を持ったのでした。
新しい製品販売の時には、工場長以下開発部門の幹部が本社に来て、説明会で事業部員に向かって「たくさん売って下さい」と言うと同時に「物は安くないですから」という文言を付け加えるのも恒例でした。弱小事業部にも拘わらず製造業の会社ということからか千人規模の工場があるのは不思議には思っていませんでしたが、事業部にとって新規の顧客とか優良とは思えない案件の厳しい条件提示が必要になると、課長同伴で工場まで出向いて工場提示費用の値引き折衝を行わなくてはならないことが多くありました。そういう場合に工場から提示されるのは原価の内訳なのですが、見せられる費目の多さには驚くばかりで説明に納得しても了解は出来ないというようなことが多かったと思います。最後は事業部長から工場長に談判してもらうしかなくなると、営業担当者としてはほっとしたのですが、事業部長のご機嫌が悪くなるというような具合でした。弱小事業部に工場などは不要であったのに、そういう問題を解決するだけの能力が会社の幹部になく、事業部が分社された時にようやく工場を廃止することになったという事例であったと思います。
工場のソフトウエア開発部門とは別に、本社や全国支社の営業部門を支援するシステムエンジニア部門があって、こちらの部門とは顧客への提案とか問題解決とかが主な業務なので頻繁に会議とか打ち合わせをしましたが、人間的にはあまり深い付き合いができなかったのは、その仕事振りを私自身が技術者の素養で見るので嫌がられたせいもあると思います。この営業支援の技術者は工場の技術者と比べると、技術的な素養の深さが浅いと思っていました。同時に、営業マンまがいに口先が上手い人がいて、営業マンから重宝されていましたが、そういう意味では技術系営業マンとも言えなくはないとも思っていました。中には口下手でしたが訥々とした語り口が特長の人もいて、かえって朴訥な説明口調が顧客に安心感を当たるということもあって、顧客に対する信頼というのは口先の上手下手だけではないというのも教えられました。
その顧客支援のシステムエンジニア部門が入居していたビルには、転職後に某顧客で付き合うことになるシステム会社が入居していていましたが、そういう事を思うと随分と古くから将来への伏線があったのかとも思ったことがありました。
工場の部課長も個性的な人が多く、以前のブログでも紹介しと思いますが、個性的でも人間的には付き合って安心感があると思えたのは、本社の文科系の事業部社員とは何か違うものがあると感じていました。基本は仕事に対する姿勢は非常に真面目であるということがベースにありましたが、仕事以外でも何か普通の人とは違うことをしていて話を聞くのが楽しかったように覚えています。
当時はコンピュータのハードウエアだけでなくソフトウエアも自前で開発をしていて、弱小だけに人材難からかどうかは不明でしたが顧客からクレームが度々来るので、営業マンとしては工場の営業部門に連絡してから動いて貰うのでは遅いので、何時も直接工場の開発課長や部長に電話で緊急事態内容を伝えて対策をお願いしていました。土日でも障害の連絡が来るので、課長や部長の自宅に電話をして対応をお願いすると、直ぐに工場に関係者を出勤させて月曜日の朝一番に顧客に出向いて修正情報を届けてくれたという思い出があり、その真面目で素早い対応は本社の事業部のいい加減な文科系社員とはかなり違うなと感じていました。後日私の上司に当たる課長や部長から工場の部課長には、対応をしてもらった御礼の電話をするのですが、極めて事務的な物言いで、部下が勝手にやらかして迷惑を掛けましたというニュアンスのほうが強かったと思います。
工場のソフトウエア開発部長とか課長と一緒に障害説明とか対策で顧客を電車に乗って訪問する時もあり、長い車中で世間話をしていると真面目な人間同士というわけでもないと思いますが、気心が通じ合ったような人が多かったと思います。そういう人からは毎年年賀状が届くと、昔の付き合いを思い出すというようなことになります。