本社に配属されてから、社内外の人間関係は工場勤務の時と比べても希薄になったのは、皆一様に電車通勤で1時間以上もかけて出社するという通勤事情からだけではないと思います。
工場勤務の時は割合に年齢の近い者若者同士で、何泊かの旅行もしましたし、横浜中華街に出かけたりするという様なことも日常的にあり、職場の若手だけで土日に会社のテニスグランドで一日を過ごすというようなこともありました。
工場勤務の時、技術部長が偏差値の高い社員を特別な課に集めて自慢していました。そういう雰囲気は、普通の仕事をしている社員の間に嫌悪感を生んで、部長に媚びる若者もいましたが大半は心根に反発心を持っていたので、仕事が終わってからの時間とか土日は閉塞的な職場からの開放感を味わいたいという風に思っていたのではないかと思います。工場勤務の時の同期社員は今でも親近感が持てるのは、当時のそういう付き合いがあったせいだろうと思っています。
本社で新規まき直しという気持ちで勤務をはじめたものの、事業部の惨憺たる実情とか、まともに仕事も出来ない口先だけの上司がたむろする暗い雰囲気の職場では、社員同士で何かをしようとする意欲さえも出ないという状況であったと思います。
この暗い雰囲気は事業部内にとどまらず社内全体にあり社風であるとも感じました。その理由は、私の配属された弱小事業部は、余程の思い切った事を始めるとか、切り替えるとかすべきだったと思うのですが、何もできないのは事業部長や営業部長の能力不足なのだろうと思っていましたが、そういう不甲斐なさが職場に活気を抑制し社員同士がいがみ合うというような状況があっただからだと思います。
一方、業績の良い事業部ではどうかというと、毎年の売り上げは自然に世の中の景気に連動して上がりました。仕事の実務は全て協力会社の社員がするので、社員は会議や打ち合わせに加えて、取引先の接待が仕事となり、のんべんだらりとしたマンネリの雰囲気がフロア全体に広がっていて、外目には静かで良い職場と見えるかも知れませんが、実態は前日の飲み過ぎでぐったりして居眠りしている人もいたのが暗い雰囲気を醸成したと思います。
又、当時は事業部でゴルフ大会とか慰安旅行などというのが会社の方針もあって行われていて、私も幹事を何度か経験しました。こういう行事では、社員同士が仲良くなれるのではなくて、単なる飲み会が場所を変えて行われているだけで何の効果もないと思いました。バス旅行などの慰安旅行というのは自然にさびれたのは、企業に余裕が無くなっただけでなく、社員同士の懇親には効果がないというのも理由だったのではなかったかと思います。
時々、ライン課長が思い出したように夜8時過ぎに課員を飲み屋に誘う時がありましたが、嫌われ者の課長からの誘いでも酒好きな社員は足取りが軽かったのですが、酒を飲めない私は苦痛のひと時を過ごすのが嫌でした。上司の係長や他の課員との残業後の飲食は週に1回位はあって、課長の変な拘束力を感じない中で、営業部長や課長の悪口を好き放題言い合って食べてばかりいました。そういう生活をしていたら自然に腹が出てきて体重も増えるという悪い兆候が表れて、背広は作り直すたびに胴回りが増えていきました。
しかし、そういう社員同士の懇親会をしたところで仲良くなるという訳でも無く、お互いに不平不満を言い合う場所になっていただけでしたので、転職後にも付き合うということは皆無でした。その職場仲間の中にも呑気な性格の人だけが今でも年賀状を送ってくるというようなものです。
丸の内勤務というとサラリーマンでもステータスですと誰からか聞かされたのは本社異動後に随分と時間の経った時だったと思います。そういう事が理由かも知れませんが、職場に配属されていた事務女性社員は美人が多かったように思いました。
本社各フロアに配属される女性事務社員も、取引先や系列会社役員の娘を紹介されるという例が多く、業績が悪くて女性事務員の採用が少ない時に、紹介されて断るのに大変だと社内でも噂が聞こえるような時もありました。そういう事情があり、事務女性社員の容姿は自然と美人が多かったように思いましたが、意外だったのは以前のブログでも紹介した通り、社内結婚というのが非常に稀で、女性は近くの別の企業の社員と結婚する例が多いのでした。こういう事情は、女性社員が事務作業を通じて感じる職場の暗さに由来していたのではないかと推測をしています。
職場はあくまでも生活をするための場所であって、生涯の仲間となるというようなことは無いというのを知らされた時でもあったと思います。