長いサラリーマン生活を送り、果たしてその期間が長かったのか短かったのかということが話題になることがあります。テレビなどで時々見受けられるコメントは「あっという間でしたね」というのが多いように思います。
私自身、学校を卒業してから48年間の出来事をこのブログで書いてきたのですが、仕事をしている時から書き始めたこともありますが約500の出来事を書くのに8年間もかかったこともあり、この48年間というのは非常に長く感じております。「あっという間でしたね」という感想を出す人の頭の中は、多分思い出すことが少なすぎて短く感じているとしか思えません。この私のブログの500項目の話題についても、48年の日数で割ると約1カ月ごとに起きた出来事しか書けていないという事を考えると、この500項目の間にはまだまだ語りつくせないことがあると思っています。
新入社員研修一カ月後、鎌倉の子会社に出向となり配属されました。配属された設計部の歓迎会が鎌倉の有名なフレンチレストランで行われたのですが、その店の大広間は広い和室に四角く机が置かれていて、その上に白いテーブルクロスが置いてあるという光景だったと思います。座布団に座りながらフレンチを食べるというスタイルだったわけです。40年も以前の話なので、田舎のフレンチと称する店はそれでも通用した時代だったかも知れません。
フレンチのフルコースというので沢山のスプーンやフォークが並べてあるのですが、貧乏人の小倅ゆえにそういう料理なんかは食ったこともないので戸惑いましたが、私が「ナイフやスプーンをどうやって使うのでしょうか」と横に座っていた係長に聞くと「外からとればいいんだよ」と言われて自らの無知をさらしたということもありました。その時、人生初めてオニオンスープなるものを飲んだ感想は、味は分かりましたが金を大枚払って食うものではないなと思いました。
学生の頃は会社の学生寮住まいというので料金は安い代わりに、住み込みのお姉さんが作るご飯は食い放題でしたが、おかずは非常に質素でした。そんな生活を4年間も送っていたせいか、入社直後に200名弱の集団研修というのが名古屋の工場であり、その研修の時に朝晩食べた飯が学生の時とは大いに違って、サラリーマンになっただけで随分とうまい飯を食えるようになったものだと感じました。当然ながら、この時に体重は自然に5キロほど増加しました。
工場勤務開始後、宴会が何度かあったのですが、上司の次長から「何か歌でも」と指名された時には大いに困り何も浮かばず、とうとう歌えませんでした。学生寮で生活していた時、時々は食堂で100人が集まって宴会があったりすると大声で歌うということはありましたが、まともな歌を歌うということはなく、たまたま隣接する役員邸宅に大声で卑猥な歌を歌うのが聞こえて謝罪に行くほどのことがあるくらいでした。
工場勤務は塀に囲まれて簡単には外出できない生活なので、電話も外からかかってくる電話は取れましたが、自分から電話する時は会社の玄関の外にある公衆電話を使わなくてはいけないという事もありました。私用で休むときや一時外出する時も、いちいち申請書に理由を書いて係長から課長部長の承認印をもらわなくていけないというシステムでまるで囚人のようだと感じたことは何度もありました。
第三者から見るとすごく難しい仕事をしているように見えるのは、今も昔も変わらないと思います。そんな仕事も新人のうちは新鮮ですが、仕事に慣れてくるとものすごい倦怠感が感じられるように思いました。技術的な仕事なので少しは勉強しなくてはといけないと思って、独身寮で過ごす休日も専門書を読むという事はしました。
こういう具合にひょいと何気なく思い出しても、結構色々な場面が次から次へと思い出されるのですが、サラリーマン生活で何が一番の面白かったことかというと、サラリーマンをしている人間の生態という事だと思いました。社長と役員、役員と管理職、管理職と担当者という上下関係からと個人の持つ価値観がサラリーマンの行動を決めていたと思います。
このブログでは自身の長いサラリーマン生活の出来事や事件を思いつくままに書いたのですが、この先はサラリーマンの生態というものを色々な事例で紹介するのが面白いなかと思います。出来事ではなく、その時のサラリーマンの行動を決めたものはなんであったかというのを順次紹介したいと思います。
サラリーマンの行動を決めるのは、私利私欲や事なかれ主義がベースになるのは当然ですが、そういう状況でも妥協をせざるを得ない状況ではどうして起こったのかというのが興味のあるところだと思っています。