私自身のサラリーマン生活48年が長く感じられた理由を色々考えてみました。長くと言っても、その長さはとても長かったという風に感じております、それだけに現在の仕事をしない毎日は背中から重い荷物が無くなって軽くなったと同時に色々なしがらみや拘束から抜け出して解放されたという気分で爽快に感じております。
サラリーマン人生も十人十色と思いますが、私の場合は職場の場所を3回変えて、段々と成長をしていったように思います。先日新聞の某社社長の交遊録の記事があって読んでいると、社長職という名前だけで会社で自分が何をしてきたのか書いてありませんでした。年功序列で社長になると、仕事はさておきという事で、学生の頃のことばかりに花が咲くということにならざるを得ないという印象でした。それに引き換えると、私の場合はずっと仕事漬けの毎日だったので、一つの仕事を思い出すと芋弦のように次から次へと記憶が呼び覚まされて止まらないということになります。
Ⅰ期 工場勤務(サラリーマン基礎習得期間) 5年
Ⅱ期 本社勤務(情報システム営業職の実務経験期間) 13年
Ⅲ期 転職(情報システム営業職として成果を出した時期) 27年
Ⅳ期 派遣社員 3年
工場勤務でサラリーマンの基本習得期間といえども、普通に仕事はしていたので非常に疲れました。監獄同様の一日中拘束された環境での定型的な仕事でした。部内は私の様にラインで仕事をしている人だけでなく、偏差値の高い人ばかりを集めた隣の課では英語文献を一日中読んでいる人が何人もいたのが印象的で羨ましくも見えました。そういう人達は一様に度の強い眼鏡をかけていて、机の上には学生の頃から使っているらしい擦り切れた岩波の英和辞典がおいてあったのを覚えています。数年後、そういう人達を養う財源が無くなると、聞いたことの無いような小さな財団に異動になったので、会社ではラインで仕事をするのが王道だと自覚させられた時でした。技術者集団の冷たい雰囲気の職場でしたので、他人の失敗を聞いて内心笑ったり、毎日遊んでいるように思えた人たちの異動を喜んだりするような雰囲気がありました。
工場勤務ではひたすら図面や仕様書を毎日書き続けてとうとう指が腱鞘炎になるとか、異常に肩がこるので鍼灸院に通うというようなこともありました。工場の仕事は個人分担されていて、自分の仕事は自分一人ですべてこなすというやり方だったので、その個人に割り当てられた作業量が適正かどうかよりも納期重視で行われたので、右も左もわからない新人にはひたすら走るしか無いという状態だったと思います。そういう非常に多忙な職場環境が、ブログでも紹介しましたが隣の課の私の一つ下の後輩社員が突然失踪した理由であったかもしれないと考えることがあります。私の仕様書の書き間違いで費用損失も出し、年末の社員が殆どが帰省している中で私だけが居残りして機器障害の原因究明テストをしたという様な事件を経て、手書きの乱雑な文字の操作説明書と一緒に製品は納期通りに顧客に納入出来た時の達成感は忘れられません。
しかし、考え直してみれば安い給料であれやれこれやれと言われて素直に仕事をするのが普通と思っていたのですが、同じ部内の別の課には図面を前にして一日中ぷかりぷかりと煙草ばかりを吸っている人がいて、私と違い随分と暇だと感じていました。多分、この人の仕事の仕方が正道で、自分のペースでしか仕事はしないのだというのを貫いていたと思いました。こういう人を見習うべきであったとは随分と後になって理解が出来たのでした。
部員の親睦を目的とした慰安旅行で伊豆に行ったこともありましたが、所詮そういう表面的な懇親会をしても部の中での人間関係が改善されることはなく、会社の上下関係がそのまま旅行中も維持されるだけのつまらないものでした。そういう環境に本当に嫌気がさしていたころに、業績が悪化して出向している社員を本社に戻そうという事が発生したので真っ先に手を挙げました。元々技術採用の人が販売(当時は営業とは呼称していませんでした)というような部署に異動するのは余程の覚悟が必要と思われました。技術主体の製造業だった会社のせいもありますが、販売部門が軽く見られていた時代でした。この時に異動した人たちは私を除いて皆自らの希望ではなく会社からの指名で、言ってみれば不要要員の整理ということでした。
私の人生では、異動とか転職というきっかけは、周りの環境が悪化した時に起こり、それが何時も上司から命令されるのではなく自分の意志で動こうとした時、目に見えない運命の糸に導かれていたかの如く、渡りに船のように新しい職場が現れたのではないかと感じています。
工場勤務では、日本でも最先端の製品開発プロジェクトの最初から最後までを一貫して担当したのが後々の仕事に非常に役立ち、顧客の情報システムのコンサルや業務改善の提案は言うに及ばず、膨大な量の仕様書を書いていたこともあって資料作りはお手の物ということになりました。営業マンと言いながら何時も一緒に仕事をするシステムエンジニアからは皮肉を込めて「あなたはシステムエンジニアですなあ」と言われていて、私の仕事ぶりがシステムエンジニアの癇に障っていたようでした。