子会社には7月に月に異動になりました、子会社では丁度新しいデータセンターが竣工した時期で営業マンが必要という理由があったようでした。
転職した会社の新規事業部門がベンチャーそのもので業績のみを必死に追い求めていて社員が駆けずり回るような雰囲気だったのに対し、子会社の方は親会社からの定期収入があるという事情もあり、私が配属された営業グループでは43歳の私が一番の若手でした、全員が50歳を超えているような人達ばかりで雰囲気はのんべりだらりとしたものでした。この営業グループは高齢故というほかに、元々社内事務しかしていない人達だったので営業といってもなすすべもなく、親会社や取引先から顧客の情報を貰う以外に無く、紹介されるのをひたすら待っているだけでした。そういう事情も有り、営業グループの社員は一日中特段にする仕事も無いので、ワープロで同じ文章を一週間かけて添削するか、ワープロ付属のカードゲームや麻雀ゲームをして時間潰しをするか、あとは談話しているような状態でした。
この営業グループでは既存の顧客担当を任されたのですが、以前のブログでも紹介した通り年配の技術者が営業担当の私に連絡も無く勝手に顧客と打ち合わせて業者の見積書をもってくるので腹に据えかねていましたが、年齢が違うだけに長年我慢をしていたということになりました。この見積もりも1社に偏っていたので私が知り合いの業者から相見積もりを取らせるようにしてからは原価が下がったのは当然で、これは会社の親戚筋に当たる業者からは嫌がらせかなと思われたと思います。
こういう簡単な仕事のブラッシュアップさえ出来ない能力をというのを見透かされ、某外資系コンピュータ会社の営業マンからうまい話ですと耳打ちされた役員がデータセンター事業を始める話に乗せられて、親会社も絡んだ信じられない程の高価なデータセンター事業を始めたものの、某外資系コンピュータ会社の営業マンの思惑が外れてデータセンターが閑古鳥が鳴いている状態のところに私が異動したという事情も後で知りました。
事業というものを紙きれや他人の見聞のみで行うということが当たり前みたいな社風があって、それは所詮自身の能力欠如を他人が補ってくれる筈という手前勝手な思い込みに気づかず、その社風は今でも変わらないと思っています。どうでもいい事ですが、そういう事が何度も何度も延々と続いて失敗しても社員を首に出来ないので間接社員が異常に多くなり、会社としてはものすごく高価なコスト構造が将来も続いていくと想像していますが、その構造は全て顧客への対価という形で現れるので、自然と顧客も減っていくという状況だろうと思います。
異動先であった子会社の営業グループは、転職した会社のベンチャー事業部とはまるっきり雰囲気が違って誰からも指示される事も無いという事が、私の自主性に火を点けて自分の経験から見込み客のリストアップから訪問までを全て一人でこなしていました。当然ながら技術者の支援を受ける事も無く自分自身で説明書や提案書をワープロで作るという日々を半年以上過ごしましたが、最初の顧客となる情報システム部長とは、その顧客の入居するビルを訪問した時たまたま同じエレベータで一緒に乗り合わせたという出会いを受注後の会議で「出かけるところでした」と聞かされて、その会社が丁度訪問100社目というような節目でであったというような事だけでなく、縁があっての事なのだろうと退職した現在でも覚えています。
その顧客の入居していたビルが10年後に新しい顧客の一部門が入居していたというのも、私の一連の仕事ぶりが延々と続いていたのかなとも思えた時もありました。