私が子会社に異動後の5年程の間に新しい7社の顧客と賃貸契約してデータセンターを売っていったのですが、最後には親会社のコンピュータを他のデータセンターから移設して満床になったという経緯がありました。当時の社長は「データセンターはのどに刺さった骨だ」と正月の挨拶で私の勤務していたフロアに来て苦言を呈していましたが、建築したのを承認した責任者が後になって他人事みたいに言うのを聞いて、役所みたいな会社だなと錯覚した覚えがあります。
当時、営業部の高齢の営業部員はデータセンター営業の事を自虐的に不動産営業ですと言っていました。その意味は、コンピュータ設置する貸す場所の契約できるのですが、コンピュータを動かすオペレータ等の用役契約が全く契約できないことを指して言っていました。その理由は、顧客への説明が満足に出来ない事の裏返しだと私は分かっていました。私は長年のコンピュータの利用や運用についての経験があるので顧客の問題解決を提案しながら用役業務を契約することが出来たので、そういう意味でも他の社員とは違う色の人間と思われていたと感じていました。
余りに私一人が世間に名の知れた顧客を次々に受注するので役員の中には偏見を持って私の悪口をいう人がいたのは普通に考えれば信じられませんが事実でした。自分の無知を恥じて教えを乞うという態度が無く、自分の説が正しいと言うばかりの役員が揃っていたので業績が伸び悩むのは自然の成り行きだろうと判断していました。
私の契約した顧客は信頼感があって、顧客という関係が出来ると次々に色々な案件を紹介されて非常に多忙になりました。ハードウエアからソフトウエアまでの販売だけでなく、システム開発を受託したり、常駐のヘルプデスクを受託したりという案件を次々に受注したので自然と業務多忙になり、一人で受注する金額も一つの事業部と言える程だと思えました。一度水が田圃に流れ始めると、留めなく次から次へという風になっていったのは嬉しかったのですが、年齢が50歳にもなるのにこれほどの多忙な日々を送ることになるとは予想もつかなかったことでした。丁度、男性の更年期障害みたいに思えて体が非常に疲れるようにも思えた時期でもあり、多忙に疲労が重なってストレスをため込んで、ストレス解消で詰まらぬ多額の借金を作ったのもこの時期でした。

何事も顧客から頼まれたら断らないという精神が一番発揮されたのは、データセンターの顧客で鉄塔をセンターの敷地内に作りたいという案件の時でした。顧客から鉄塔建設業者が談合して価格が下がらないという話を聞いていたので、私が別の業者を調べて見積もりを取ると談合している業者よりも安く建築できることが判り、顧客から私の勤務していた会社経由での契約にしましょうという事がありました。私は業者に鉄塔図面を作らせていた時に、営業部長が心配なので親会社に移管したいという話が出て、無知の上司には単なる心配事にしか映らなかったと思えて、未練を残して移管を了承したということもありました。
先日、たまたまデータセンターの近くまで行ったので、データセンターの横を通った時には顧客はとっくにいなくなった筈なのに鉄塔が残っていたので、どういう事なのかなと不思議に思えたのでした。
又、私は顧客との付き合いも仕事だけでなく交流を深めるというのは転職前の会社でも教育されていたので、顧客との休日のソフトボール大会とバーベキューと言うセットの行事を相当に長い間続けて、顧客との関係を盤石なものにしていったという自負はありますが、営業担当が変わった途端に風向きが変わってどんどんと顧客との関係が希薄になり、段々と業績も落ちていったのも面白い現象であったと思っています。