転職したのは丁度40歳の時で、弱小事業部の事業部長の肝いりで私と広島支社の社員との交換を画策したのがきっかけでした。この時、たまたま私の顧客に転職先の会社の営業マンが来ていて、顧客から私の名刺を見せられて私に直接電話があり転職の誘いがありました。そういう意味では、人材会社に登録して再転職したのではないので、産直みたいな形での転職であったと思います。
本当に人生の分かれ道と言うものは不思議なもので、広島転勤を渋っていたところに転職話がきたという事で、選択を迫られたのでした。どちらの会社も弱小事業部ならば、新しい事業部の方が私の活躍の可能性が高いだろうと思って、転職を決めました。
結局のところ、私が13年勤務していた本社の弱小事業部は私が転職後暫くして、赤字が解消できないまま子会社化されたのですが、転職した会社の新規事業部も全ての投資案件を失敗して子会社されたのをみると、同じような命運をもった会社に勤務していたのも何かの因縁かなと思う事があります。
Ⅰ期 新規事業部(CAD関連機器販売) 3年
Ⅱ期 アウトソーシング営業(既設データセンター)10年
Ⅲ期 アウトソーシング営業(新規データセンター) 14年
転職した新規事業部では、私が転職前に担当していたCAD/CAM製品の延長みたいな製品だったので、製品の特長も直ぐに理解して、転職後3か月ほどで以前勤務していた会社の私の顧客に販売することができました。この時、私の所属していた部長が目立ちたちがりやで、あわよくば役員に昇格したいと思っていたふしがありました。焦っているというのが分かったのは、毎週の朝会では素人にも拘らず、玄人の私にたいしていちゃもんをつけてくるのが煩わしく感じられて、3年後にはぶちきれたという事でした。部長個人の思いが強く出た変な運営状態だったので、私は転職前の職場で色々と文句を言われても我慢をするという事を学習していましたが、我慢出来ない外資系コンピュータ会社から転職してきた連中は事業部の雲行きがおかしくなると、私に「大変な事態ですよ」と耳打ちして、何時の間にか転職先を見つけていなくなるという事がありました。転職後は秘書付きの会社にいるらしいと聞くと、どうしてそんな事ができるのかと不思議に思えてなりませんでした。
転職後は前職18年の経験を活かした営業が出来たと思っています。最初の3年で扱ったベンチャー製品販売は、プロパー社員が世間でも名の知れないような零細企業にしか販売できなかったのに対し、私は上場一流といわれる会社に多数販売できたのは、同じ製品でも売る人によって違う商品になり得るのだというのを自ら実証していたのかと思いました。一番苦労したのは販路の拡大で、全方位外交みたいに協力してくれる人は誰でも受け入れますというような具合だったことと、こういう仕事はプロパー社員には全くできなかったので私が一人で切り開いていたようなものでした。そういう私のやり方に部長は嫉妬心があって、自ら受注した大手会社の事例を盛んに自慢をするのが癖でした。
扱っていた製品が特殊な商品で市場が限られるので次の手を考えなくてはいけなかったのですが、プロパーの技術者には到底そういう能力もなく、私が子会社に異動した後は奈落の底に落ちるようにして最低限の仕事だけが残る部署になり果てていました。
新規事業部で扱っていた商品はベンチャー製品が多かったというのは、実力相応の会社しか相手にしてくれなかったという事情もあったのだろうと思います。金はあるが能力は無いという状態を正確に理解できていなかったと思います、それは全ての新規事業でものすごい金額の赤字を出したことが証明していたと思います。同時にこういう大きな事業失敗に対して誰も責任を取ることなく、いつの間にか分社して上場までしたというのは何とも平和ですがおかしなことだと感じていました。サラリーマンとしては流され流されてやりましたという状況だと思いますが、そういう状況を正確に社員に説明もせず建前だけを何時も延々と述べているだけでした。皮肉な見方をすれば、倒産して社員が解雇されなかっただけでも良かったという風に思う事も出来るのかなとも思います。