コビトの世界と未来の日本
こんにちは。田上よしえの「オダギリジョーのプロマイドと間違えて小田原城のプラモデルを買ってしまった」というネタがツボだった複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
三日がかりの作業が完了!!!!→
エンジョイしております。
さて、今日は衆議院選挙の投票日です。
投票そのものに尋常じゃない労力と時間を必要とされ、現実的には投票が困難な方のことを考えると、私のようにちょっとそこまで行けばどうにでもなる人はなおさら投票するべきだと思います。
私は昼過ぎごろに、彼女と二人で投票に行く予定です。
ところで今回の選挙は私がよく知っている人が立候補しているんですよ。
選挙区が違うので投票はできませんが、もし当選したらどうしよう・・・ガクガクブルブル
国会議員が知り合いに出来るかもしれないと思うと一人で勝手にどきどきします(笑
私が行く投票所は保育園を借りて開かれていますが、ここに行くと毎度変なところで感動してしまいます。
とりあえず
あらゆるものが小さい
トイレとか・・・机とか・・・まぁあたりまえなんですけど、まるで「コビトの家」みたい(笑
思わずホビットを探したくなります。ちょっと25年くらい前まで自分がこういうサイズだったということが信じられません。
国造りには世代を超えた一定の責任関係が存在していると思います。
例えばこういうことを言う人がいますよね。
「今の日本が借金漬けなのは団塊世代が高度成長時代やバブルで好き放題やったからだ!!若いやつの文句を言う前に自分達が行ってきたことを反省するべきだ!!」
この主張には一定の事実が含まれているのでしょうが、私はかならずしもこれが正しいとは思いません。
しかしこういうことを言われてもやむを得ない部分があると思うんです。
まぁとりあえず人のことは置いておきます。
そんでですね、例えば30年後の日本の借金が今よりさらに増えていたとしますよね。
そうすると、今度は私たちが同じようなことを言われる番なわけです。
「なんでも親世代のせいにして自分たちがなにもしなかったから、だから今(未来)はこんなに悪いんだ!!」
って言われて、反論する自信が私にはありません。
「俺だけが悪いわけじゃない・・だけど、そうだな。確かにそうだ。」
って言うしかないやん!!!みたいな(笑
私たちは民主主義国家に住んでいますので、きちんと議論をして導き出された結果に全員が責任を持つ必要があるのだと思います。
有権者は1億人以上いるそうですが、残り3千万人の人達・・そしてまだ見ぬベイベーが大人になったときに
「これが、俺たちが作った国だ」
ってもし言えたら、すごくステキなことだなと思うんです。
逆に、もしその時に状況が悪化していたとしても言い逃れは出来ません。
「俺だけは悪くない!」って言えるような、そういうシステムじゃありません。
私がもしこうした言い逃れをしようとした時に、目の前に子どもがいたらこう問われることでしょう。
「じゃあ、どうしてコンプレさんは立候補しなかったの?」
ぐうの音も出ぬわ!(`Θ´)
投票は有権者の義務だという方もいらっしゃいますが、私はやっぱり権利だと思っています。
義務なんじゃなくって、当たり前のように権利には責任がくっついているだけだと思う。
権利を手放して責任だけ取らされるのは私はイヤです。
そんなわけで私は今回も、未来の有権者達の学舎に足を運び、コビトの世界を楽しみながら投票をする予定です。(`Θ´)
私にとっての分かち合う技術 その2
こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
本日は昨日 の続きで私にとっての「分かち合う技術」についてお話させていただきます。
技術なんていうと非常に偉そうですが、単純に今の私が使っている方法論をご紹介したいという程度です。
昨日お話した私なりの結論は、
・真の客観は存在しない。
・第三者の意見はそれ相応の重さで取り扱えばいい。
この二点に集約されます。
以前の私は客観的な視点を重視したいと思っていたのですが、それだと当事者間の歩み寄りをする上でははなかなか解決には繋がりませんでした。
私の場合は特に客観を振りかざすような行為で相手と対峙してしまうことが多かったんですね。
例えば「だけど一般的には」とか「あなたはそう言うけど客観的にはさ」とか・・・こうした言葉は相手の方向性を修正しようという試みですが、建設的な場合ならまだしも私は利害の相反でこのような論理を使っていました。
実はこれを行うと、相手と自分の距離はますます離れていく場合が多いのです。
私は必ずしも誰とでも仲良くしようとは思っていません。
しかし自分の好きな人を「一般的」だとか「客観的」という言葉で傷つけたくない・・・今はそう思っています。
では今の私がどのようにして利害の不一致を解決しているかというと、それは
分かち合い
です。
お互い理解し合う・・というのとは私の中では微妙にニュアンスが違っていますが、相手の事情をよく把握するという意味においては似たようなものです。
そしてもう一つとても重要なのが、こちらの事情を相手にしっかりと伝えるということ。
相手のことばかり考えていては分かち合うことになりません。私はあくまでも分け合うことを大事にしています。
さきほど「理解し合う」と「分かち合う」はニュアンスが異なると申し上げました。
理解というのはあくまでも自分を中心にした行為だと思っています。
あ、ちなみに私は自己中心的であることを悪いことだと思いません。
だって世の中、自分を中心にしないでどこを中心にするんだ?みたいな(笑
グリニッジ中心主義とか仰る方がいたら恐いです。(`Θ´)
自分を中心にして理解しあうことは可能だとしても、分かち合うためにはそれでは少し足りません。
私にとっての分かち合うという言葉の意味は、一瞬だけものごとの中心を相手に移すことを言います。
この一瞬というのがミソです。
昨日に引き続き話が漠然としてきたので具体的な例で説明させていただくと・・・
父 現在トイレの中で踏ん張っている(10分経過)
子 今すぐトイレに行かなければヤバイ(リーチ)
↑
コピペ(笑
ちなみに昨日は「母 それを見ている」と最後に書いていましたが、当事者間での問題解決を題材としていますので母は登場する必要がありません。
さて、子は当然ながらトイレのドアをどんどんと叩きます。非常に深刻な事態ですので。
この時の子の行動は極めて自分を中心に据えたものだと思います。ああああああ・・うまれる・・・・うまれる・・・
「はやく出てきやがれこの長グソオヤジ!!」
このくらい言うたとしても不思議ではありません。
どんなに優しい人であったとしても、この瞬間に修羅の世界に転落してしまうのは無理からぬこと。
鬼の形相となりすべての目に入るものはうんこと化します。
恐らくこの状況をリアルに想像できない人はいないのではないでしょうか。誰しもトイレに困った経験をお持ちだと思います。
一方で父は子と比較してわりと優位で余裕のある立場であることは明確でしょう。
ところが父にも父の都合があり、タイミングによっては中断が非常に困難であることも事実です。
出てこいと言われたからといって出てこれるものではない・・・まだ出てきてないから出てこれない・・・これもまた誰もがリアルに想像できるのではないでしょうか。
この両者は極めて切迫した都合を抱えており、おいそれと相手の言う通りにすることは出来ません。
この状況で相手のことを優先しすぎると災害が起こります。
じゃあ、もし私だったらどうするか。
もし私が父であったとしたら、恐らく
「どのくらい待てる?」
ってまず聞くと思います。まずは基本的な相手の状況を理解することから始めます。
そして十分に状況を把握したら、今度は私の抱えている状況を相手に理解してもらいます。
お互いの状況を理解し合った上で、ここから分かち合いの作業が始まります。
ものごとの中心を子(相手)に移動してみるんです。
「相手がどう思っているかな、どう感じているかな」というのとは違います。そうではなくて
「私だったらどう感じるかな」
という方向で考えてみるんです。
考えるという言葉には語弊がある・・・感じるという言葉が適切です。
私は人間のちょっとした表情を読み取るのが結構得意です。
少しの動作が多くを語る場合があるということは、とりたてて言うまでもありません。
ではあなたが相手の表情を読み取るときに「この人いったい何を感じているんだろう?」っていう風に考えるでしょうか?
恐らくそうではないと思います。
その方法はあくまでも自分を中心としたものであって、これも大事だと思うけど、それだけではなかなか本当のところに気づくことは出来ないと思います。
そうではなくて私の場合、相手の表情を読み取るときに
私がこの表情をする瞬間ってどんな時だろう
という方向で感じているのです。
「自分だったら」と感じることが、私が考える「分かち合い」の第一歩なんです。
ちょっとした相手の変化を敏感に察知するために、私たちは日常的に分かち合うという行動をとっています。
そうした能力を使うことによって相手になりきり、相手の事情を一旦自分のものとする・・・・
そして相手にも同じように、私がどんな状況であるかを感じて貰う努力をします。
有り体に言うと、これは「感情移入」という言葉に近いだろうと思うんですよね。
こう言われてどのくらい悲しいかな、自分だったらどんなに嬉しいかな、辛いかな・・・
相手をよく知っていれば、その人の性質に従って特定の感情をブーストしたり減らしたりも出来ます。
例えば、この人は恐がりだから私が感じているよりもっと恐いだろうな・・とか、この人は心配性だから私が感じている以上にもっともっと心配だろうな・・とか。
相手になりきることも相手の性質を考慮することも、旺盛なイマジネーションを求められる大変な作業です。
自分を中心に物を考えるのは悪いことではないと思いますが、お互いが気持ちよく歩み寄ろうとした場合は想像力を働かせて
一瞬だけ相手の立場になりきる
ことが大事だと考えています。
これをしないと簡単に人を傷つけてしまったり、逆に相手のことを異常に甘やかしたりしてしまうのだと思うんです。
(特にこの「甘やかす」という点においては、感情移入に手加減を加えているせいだと思っていますが、これはまた別の機会にお話させてください)
もしも相手になりきることが出来なかったとしたら、それはもしかすると情報が不足しているのかもしれません。
「この人がどうしてそういうことを言っているのか」が感覚的に納得できない場合、私は沢山質問をします。
以前は「あなたはそう言うけど客観的にはさ」という言葉を多く使っていた私ですが、こういうことを考えてからは
「じゃあ、あなたはどうしたいの?」
っていう言葉をよく使うようになりました。
人から見てどうか?という話ではなくて、相手のことにちゃんと興味を持てるようになったのだと思います。
人間はたった二時間の映画で泣くことが出来るんです。
十分な情報が得られさえすれば、目の前の相手がどんな風に感じているか分からないはずはありません。
そんなわけで、私は相手と利害が相反したときは特に、分かち合うことを大切にしたいと思っています。
とか言っていますが・・・自分が完璧にそれを出来ているかどうかと言われると、決してそんなことはありません。
気のゆるみが自分の好きな人を傷つけてしまう場合が多々あります。また、そのことに私が気づいていない場合もあると思います。
また
対面>電話>文字(ブログとかメール)
という順番で情報量は格段に減っていきますので、特にメールやブログのコミュニケーションは私にとって課題山積の世界・・・
だからこそ面白いっていう面もあります(`Θ´)
私にとっての分かち合う技術
こんにちは。久しぶりにイラストを描いたけど昨日、一昨日と髪の毛を描くのをすっかり忘れていた複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
今日は私なりの「主観・客観」に対する考え方をまとめてみたいと思います・・・まとまるかな(笑
私はあまり「自分は!!自分は!!」と言う人間になりたくないと思っています。
自分の意見を主張することは大事だと思いますが、反面で相手の都合を斟酌(しんしゃく)する度量を持たないと単なる利己主義に陥る危険性があるからです。
自分の都合を振りかざす度が過ぎれば、そこには分かち合いが存在しません。
互いの都合を分け合って、なるべくなら双方が納得できる方法論を採用することを大切にしたいのです。
表現方法は多少違うかもしれませんが、恐らく多くの方が私と同じように考えておいでではないでしょうか。
押しつけたくない、利己的になりたくない、しかし自分を失いたくない。
人が二人以上集まると、なかなかバランス感覚を求められるものだと思います。
お互いが「分かち合う」ことに尽力しない場合、その先に待っている結果はわりと明確に予想出来ます。
・ 論破されて屈服する
・ 立ち去る
・ 腕ずくで解決する
このくらいしかないんじゃないでしょうか。
しかしお互い「分かち合おう」とすることによって選択肢は無限に増えます。
意見を分かち合って痛みを分かち合って、お互いが納得できるルートをさぐる・・・これは社会に所属している我々が当然のように行っていることだと思います。
そうした円滑で平和な社会を構築するために必要なもの・・・それは
客観的なものの見方
だと私は思っていました。
AとBの利害が相反していてお互い一歩も譲らない場合に、Cの意見が必要だと思っていた。
私は自分の中にCを設定し、他の誰かが我々(AとB)のことを見たらどう思うだろう、どちらが正しいと言うだろう・・そう考えて解決の道を探っていたのです。
AとBは対立した主観を持っており、私はそこにCという客観を設けて正しい判断を導く努力をしていました。
【主観 しゅかん】
(2)自分ひとりだけの考え。
「―だけで言うのは困る」
⇔客観
【客観 きゃっかん】
(2)特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。主観から独立して存在するもの。客体。かっかん。
⇔主観
どのくらい前か覚えていませんが、私はそれまで採っていた「問題解決のために客観を設定する」という解決方法があんまりナイスではないということに気づきました。
なぜなら、私が設定しているCはあくまでもCの主観で物を言うはずだからです。
ちょっとややこしい話になってきましたので例を示します。
父 現在トイレの中で踏ん張っている(10分経過)
子 今すぐトイレに行かなければヤバイ(リーチ)
母 それを見ている
父と子の利害が相反していることは明確だと思います。
そして現時点で父は子よりも強い立場であると言えるでしょう。トイレは鍵がありますし、その気になればいくらでも立てこもることが可能です。
以前の私はここで客観としての母の意見を尊重するということを行っていました。
「お父さん、もうだいたいひねり出したでしょ?そろそろ代わってあげなさいよ」
と、まぁこうなるわけですね。
ところがこの母の意見が妥当であると担保することは出来ません。
なぜなら、これはあくまでも母の主観だからです。
ややこしい言い方をすると、客体の主観・・・
第三者の主観が当事者(父と子)の利害相反を解決する良い手だてになるかどうかは場合によると思います。
ナイスなときもあれば、そうでないときもある。
つまり客観なんていうものは、そもそもたいした価値がないと思うんです。
データとして客観的なものが存在するじゃないか!という反論がおありかもしれません。
しかし多くの場合、客観と呼ばれているものは
主観の集合
でしかあり得ないと考えています。
例えば小泉さんの支持率は客観的なデータのように見えますが、一つ一つの要素は主観の集合であって社会全体の傾向を表しているにすぎません。
どっちがどのくらい多いか程度の意味しか持たず、妥当かどうか判断する材料にはならないと思うんです。
さきほどご紹介した客観という言葉の意味の冒頭に
特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。
という部分がありますが、特定の認識作用を超えたものの見方・・というのは言葉そのものが矛盾しているように感じられます。
そのような考察から、私は今現在の結論として
真の客観なんてものは存在しない
という風に考えています。
私が客観という言葉を使うのはもう一つの意味である
主観から独立して存在するもの。
を示す場合に限っています。
しかもこの場合でも第三者の主観でしかあり得ないので、単純に「当事者から独立している」に過ぎません。
さきほどの例で申し上げれば「母の意見」は「第三者の意見」として参考にしてもいい・・その程度であって、ことさら重く扱うような・・・例えば当事者の意見より重大に扱うような価値はないと考えています。
で私の思想をまとめると
真の客観は存在しない。
第三者の意見はそれ相応の重さで取り扱えばいい。
という2点に集約されます。
それでは、客観を必要以上に重視しなくなった私が現在どのように分かち合いを行っているのか、明日はその点についてお話させていただきます。
マシーンの趣味
こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
書くのをすっかり忘れていたのですが、彼女のアリの飼育はすこし前に中止されました。
アリンコゼリーにカビと思われる謎の斑点が生えて止まりません。
一度、アリを全部解放してゼリーだけの状態でしばらく放置したりもしたんですが、削っても削っても止まる気配がなかったのでこれ以上続けられないという結論に達しました。
「(`Θ´) ちょうど見飽きたころでしょう?」
「(‘Θ‘) うん・・いや、そんなことないよ」
今一瞬、うんって言ったよね(笑
そんなわけでアリの観察は終了いたしましたのでここにご報告申し上げます。
今日は彼女の習性について少しご紹介したいと思います。
私の彼女がマシーンとしての性質を強く持っているという話をこちらの記事 で致しました。
とにかく彼女は虚飾や無駄をほとんどみじんも持っていない女性で、私がこれまでおつき合いしたどの人とも似ていません。
私はこれまで一度たりとも変なワガママを言われた記憶がありませんし、高い物をねだられたことも、不誠実に扱われたこともありません。
月に一度ホルモンのバランスを崩す女性にとって「ガマンがきかない」ことがあるのはやむを得ないと思います。
しかし彼女のヒステリーは非常に軽度のもので、多少はイライラしていることがあるけどそこは放置しておけば済むというレベルです。
彼女がマシーンたる所以はこの平らかな性格だけではなく、坦々と黙々と作業をこなすという点にもあります。
私の彼女は、ちょっと目を離すとすぐに
掃除
をはじめます。
クイックルワイパーでうろうろ、うろうろ・・・
我が家にはテレビがなくて全部プロジェクターで見ているのですが、プロジェクターの光を遮るコースでうろうろ、うろうろ・・・ああ・・見えない (`Θ´;)
夜遅く帰ってきて、ほとんど自分の時間を持てないような日であっても掃除をはじめるんですよね。
最初のころ、その様子を見ていた私は
「もう明日にしとけば?ムリしてやらなくてもいいよー」
とよく言っていました。
しかしある日ふと気づいたんです。
もしかして、本気で好きだからやってるんじゃないだろうか・・・
そうなんです。彼女は軽く潔癖のケがあるので、掃除が楽しいらしいのです。
私は料理や風呂掃除や食器洗いをすることはありますが、掃除はほとんどしたことがありません。
利害が一致した有り難い関係(笑
そんな彼女はお菓子を食うのが趣味です。
もう一度言います、食うのが趣味です。
現在通っている会社の履歴書の趣味の欄に「お菓子」と書いた強者です。
彼女にとって趣味と言えることをさらに挙げると、それは恐らく「掃除」だろうなと思います。
部屋が綺麗になると落ち着くので、それで精神的なバランスをキープしています。
つまりこれは趣味ですよね。
仕事で疲れたお父さんが釣りでリフレッシュするのに似ています。
そしてもう一つ特筆すべきことがあります。それは
昼寝
平日懸命に働いている分、土日は昼寝が定番となっており、私が武術の道場から帰ってきてお昼ご飯を食べた後は、だいたい2時間くらい昼寝をしています。
食後にソファーで話をしていると、だんだん反応が鈍くなってくる(笑
「(`Θ´) 昼寝するの?」
「(‘Θ‘) しないよ!!」
昼寝の最大の魅力は、誰もが起きている時間帯に寝るという一種の優越感ではないでしょうか。
そして必然的に、小さな罪悪感が伴うもの・・・
優越感と罪悪感が入り交じり、昼寝はとても刺激的で魅力的なリゾートとなるのです。
そんなわけで彼女の場合、寝る前から「昼寝するの?」って聞かれても素直に「うん」と言うのはなかなか出来なかったりするんですね。
それでも睡魔に抵抗する気なんてさらさらありませんので(笑)必然的にだんだんとリラックスして、気づけば寝ています。
「(`Θ´) ん?やっぱ寝るの?」
「(‘Θ‘) 寝ないよ!!」
「(`Θ´) だって今目閉じてたじゃん」
「(‘Θ‘) それは・・
まばたき! (‘Θ‘#) 」
まばたき・・・(笑
「(`Θ´) だけどずっと目つぶってたよね。」
「(‘Θ‘) うん・・だから
長いまばたき! (‘Θ‘#) 」
長いまばたき・・・(笑
今から昼寝しようとする人をつかまえておちょくるのも楽しいものです。
彼女が寝たら寝たで、私はブログを巡回してみたりしてそんなに退屈することはありません。
「(`Θ´) うん、じゃあ長いまばたきしてね。」
「(‘Θ‘) 4時には起こしてね。」
というわけで彼女はだいたい2時間くらいかけてまばたきをするのでした。
ちなみに当ブログで時々ご紹介している彼女の寝言は、だいたいがこの「長いまばたき」の最中に発せられたものです(笑
カルバドスのメモリー
こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
昨日は彼女と「百聞は一見に如かず」ということわざの妥当性ついて2時間ほど議論をしました。
私の主張はこのようなものです。
予備知識のない状態で一目みただけの奴と比較すると、さすがに100回聞いた場合のほうが深い理解(情報量)が得られるのではないか。
百という数値を適性なレベルにまで下げる作業が必要じゃないか。
それに対して彼女は
そもそもことわざにはオーバートークの機能があるので数値を修正する意味がない。
また語呂の良い「百」であったほうが利便性や公共性が高い。
途中を説明するのがめんどくさいのですが(笑)とりあえず最終的には
・十聞は一見に如かず
もしくは
・百聞は十見にしかず
ということで、聞く価値を10倍に高めて貰うことで合意しました(笑
さて、本日はちょっとばかしアルコールの話をさせていただきます。
以前、私が酒を飲みすぎた場合にどのような行為に及ぶのかという話をこちら とこちら でご紹介いたしました。
よろしければご覧下さい。
私は平生、家で酒を飲むことがありません。
お酒自体が好き!というよりは、場の雰囲気で楽しくなるというタイプだと思います。
最も最近家でお酒を飲んだのは、先日公開した歌 を録音したとき。
昼間っからたった一人でビールを飲みながら録音していました(笑
そうなんです、ちょっと飲むと、調子が良くなるんですね!!(`Θ´)
一種のドーピング行為なわけですが、案外ボーカルの人がスタジオで飲んでいることって多いです(笑
血行良し!!
年に何度か彼女と二人でワインを開ける以外はほとんど家で飲むことはありませんが、そんな我が家にもお酒のストックはあります。
まず先日彼女が会社から持って帰ったビール(笑
会社に届いたお中元をみんなで分けたそうなんですが、こういうものはだいたい彼女は辞退します。重たいから。
しかしこの時は私が録音作業をやっているのを知っていたので、必要かと思って持って帰ってくれたらしい。有り難いです。
その他には日本酒、紹興酒、カルバドス(安物)、ワインいろいろ
主に料理酒!!(`Θ´)
ちなみに、私が現在探し求めているのはマディラ酒っていうお酒。
フレンチのレシピによく出てくるんですが、さっぱり見かけることがないんですよね。もうネットとかで買ったほうが早いかな、こりゃ。
先日、私が二十歳のときに社長の鞄持ちをしていたという話しをさせていただきました。
ナイトクルーズで帆船に対するトラウマを抱えたりもしましたが、それでも社長は本当にいろいろな場所に私を連れて行ってくれました。
この人はとにかくものすごい強力なアルコール分解酵素を持っていて、どんなに飲んでも我を失うということがありません。
社長と飲む日に私は決まってぶっつぶれ(笑)タクシーで帰って翌日会社に遅刻し、そんで私が遅刻すると社長が経理部長に怒られる・・みたいな。そうした日常でした。
部長 「あんまりコンプレ君に飲ませないでって言ってるでしょ?」
社長 「だって、勝手に飲むんだもん。」
そう、私は勝手に飲んでいたのです(笑
飲むスピードを相手に合わせてしまうという九州男児の悪しき習性が、私をして「遅刻病」と言わしめる根源でした。
ところで、この会社では私のせいで新たな給料制度が確立!!
それまでは遅刻をしてもペナルティがなかったのですが、何度言われても私の遅刻が治らないのでペナルティが発生するようになりました。いろんな意味ですごいでしょう。
それでも社長は私のことをかわいがってくれて、多くのことを教えて下さいました。
私はその後、いくつかの会社に就職しましたが、この社長はいろんな意味で最強の経営者だと思います。
社長のことについては別の機会にお話させていただきますが、私は経営者として目指しているものがあるとすると、ズバリこの社長みたいになりたい!!!
すごくかっこいいんです!!女性に対してもとてもジェントルメン!
専務が言うには
「社長は女のほうが『して』って言わないとしない男だからさ」
だそうですよ(笑
なんの話だ。
社長が連れて行ってくれたお店の中で私が最も気に入ったのは、表参道にあるバーです。
私が嬉しそうにしている様子を見て社長は
「プライベートで来てもいいよ!ボクのボトル、飲んでもいいしさ!」
って言って下さったんですよね。(`Θ´)ラッキー
社長がキープしていたのはカルバドスのブラーという、多分酒屋で買っても3万くらいする高いブランデーです。
てことは、お店で入れると8万円とかするんじゃないだろうか・・・
カルバドスといってもいろいろレベルがありますが、社長がキープしていたカルバドスはリンゴの香りが豊かでブランデーと思えないほど飲みやすいすばらしいお酒です。
水で割ったりしません!!そのままがうまいです。
で、私は女の子を口説くときによくこの店を利用していました(笑
あんまりよく記憶していませんが、3人くらいは連れて行ったはず。
そして高級酒(社長の・笑)を振る舞うわけです。
ところが私が行くときにカルバドスの残りがどのくらいあるかというのは行ってみなければ分かりません。
当然のように、たまたま行ったときに残りが少ない場合もあるわけです。
一度は残りが5センチくらいしかない日がありました。
当然、2~3杯飲むと残りは1センチになり、もうあと一杯でおしまい。
そして私はこのタイミングでカルバドスを飲むのをやめるのです。
ご理解頂けますね?
このお店のバーテンはまさにプロフェッショナルで、洗練された話術と優雅な身のこなしを身につけた優れた方々なのですが、
「次のボトル、お入れしましょうか。」
って言うわけですよ!ねぇあなた!
「あいやいやいやいやいや、いいですいいです。そのままにしといてください(`Θ´;)」
「え?いいんですか?お入れしなくて?」
「いいんですいいんです。いいんですって (`Θ´;)」
少しは人を見て物を言っていただきたい!
8万円のボトルを入れられるような男に見えるかね(笑
私にとってカルバドスはとても思い出深いお酒です。



