長文 恐怖と向き合ってみる
頭の整理のために書いていきます。私の中の恐怖(課題)に他者からの評価を気にする。があると思っている。薄々気づいてたけど、見て見ぬふりや気にしてないし!っていうごまかしがあったと思う。それは身近な人間関係において顕著にある。なので、人の気持ちがよくわかったりもする。相手の気持ちをまず考えている。自分の意見はだいぶ言えるようになってきた。でもまだ、言ってしまったことにモヤッたりしてもいる。ここまでが、今までのはなし。なんでこうなったのか。赤ちゃんの頃の環境が大きく影響してると考えている。泣いても誰も来てくれなかった事が多々あった。まずそこで絶望を感じてる。ここで誤解の無いように書きますが泣いてる赤ちゃんにすぐ対応できないのは上の子の世話や仕事などでできない時もあるしちょっとやそっとで絶望を感じるとは思ってません。家の母親の場合、自営の客商売をしていたため私が泣いて、そこから泣きつかれて勝手に寝るところまで放置していました。(物心ついた時話された)そしてそれ以外の時間でもフォローが無かったことも原因だと思います。とにかくほったらかしだったと思います。赤ちゃん放置はしないで欲しいけど、私の乗り越えるべき課題があってあえてそんな環境になった可能性もあるかも・・・?(まゆつば物)それが、ありのままの自分ではダメ。という刷り込みになりました。自信がなくて自分が嫌いでした。息をするように自分を否定し他人を上に考えてきました。そして何年もかけて自分と向き合い、ありのままの自分でいいと思えるようになった今。最後の恐怖と向き合う時が来ました。自分を信じて生きてたらこの流れに導かれた気がします。私の今まで見て見ぬふりをしてた恐怖。それをしっかり感じさせてあげる事。最悪の場面て何だろう。あなたはダメ人間って罵られること?罵られるならまだましかも。完全に無関心になられる事が恐怖かもしれない。何を言っても無視される。何をやっても評価されない。あれ?書いてみるとあまり怖いと思わないかも。きっと向き合おうと決めた時点で解決してるのかもしれません。恐怖はほぼ幻想ということも今は知ってるので。そして自分の世界には自分しかいないので。特にYouTubeは目指す目標があるから評価されない事が辛く感じる事もあったけど=自分がダメなわけじゃない。というか数字=評価じゃない。数字=評価って考えてた時は、すくない再生回数が拷問のように辛かったな。今は数字にびくびくしながらじゃなく楽しいからやれてると思う。なんか書き始めはもっと違うこと考えてた気もするけどわからなくなったのでこの辺で。