こんにちは!
本投稿は,肩の荷が80%軽くなります
気軽に読んでいただけますと幸いです
第二章として,人生の道を誤らず,力強く歩く羅針盤となる哲学を共有させていただいています.
本投稿は「困難との付き合い方」についてです.
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※前投稿にて,困難を肯定的にとらえられるか否かで,
人生における幸・不幸,さらにはその後の運命までが決まることを示してきました.
ここで,私がサラリーマン時代に経験した最大の困難との軌跡を,参考に供したいと思います.
この最大の困難を経験するで,困難を肯定的にとらえることが,
強い生き甲斐と幸せをつかみ,善果を招くということを肌身で感じることができました
私は,今年の4月末までゼネコン(総合建設業)の研究開発部門に勤めていました.
研究開発部門の主な業務は,建設現場における生産性向上を目指し,施工性の改善,安全性の向上,環境配慮,コスト削減等に着目し,新たな革新的技術を開発していくことにあります.
その中で,私は特殊なコンクリートの材料および適用技術の研究開発をメインに担当していました.
そして今年の年明けより,新規に開発した特殊な配合をもつコンクリートのポンプ圧送試験を担当することとなりました.
この業務が最大の困難になりました
この試験の目的は,新規に開発した特殊なコンクリートを対象とし,
建設現場でポンプ圧送するにあたっての圧送性能を検討することにあります.
ポンプ圧送ってなんや!
と私も当初思ったので,少し専門的ですが,想像しやすくなるように簡単にポンプ圧送と試験概要について示させてください.
現代の建設現場では,コンクリートの打ち込みにあたっては,コンクリートをポンプ車に投入し,配管等を介して数十~数百メートル圧送して所定の箇所に打ち込んでいるところがほとんどです.
(コンクリートの打ち込み場所までコンクリートミキサー車が向かう必要がなくなります)
この施工方法をポンプ圧送といっています.
↓写真は,配管は使用していませんが,ポンプ車についたブームでコンクリートを打設している状況です.
海外の写真の為でしょうか.おっちゃんたち,ヘルメットつけてなくてあかんです

そして,ポンプ圧送時には必ず避けねばならない事案がいくつかあります.
代表的な事案は,以下の二つです.
- 配管内でコンクリートの材料分離(モルタル分と骨材が分離)等による品質不良の問題
- 配管内でコンクリートが詰まってしまう閉塞の問題
そのため,今回のように前例のない特殊なコンクリートを工事で圧送するには,
上記の問題が生じない安全な圧送計画の作成を可能とするための,事前の圧送性能の検討が必須となります.
圧送性能の具体的な検討方法は,実際に配管を組んだ実大規模の圧送試験を行い,
対象のコンクリートに対する,配管系,配管方向(上向き,下向き等),配管形状の影響等を時間当たりのコンクリート吐出量で検討するといった手法が多いです.
今回の試験においても,上記の手法での検討を行うこととなり,最終的には,配管長さ100m程度,特殊なコンクリート数十m3,大型ポンプ車数台,コンクリートの現場練り(特殊な配合によりプラント練り不可),各種必要な計測を行う一大実験となりました.

では,そんな試験の何が困難であったのか.
大きく三つの困難がありました.
一つ目は,ポンプ圧送試験は大規模な試験であり,多数に行われているものではなく,規格化されたものではないことに由来します.
そのため,圧送試験を計画するにあたり,大がかりな実験である一方,細かな点を一つ一つ意義を考え,基礎から積み上げ,段取りをしていく必要があります.
二つ目は,試験を三カ月以内に完了する必要があり,悠長に計画している余裕がないことです.
三つ目は,私自身にポンプ圧送の知見がほとんどなかったことです
以上の困難から,当時の私には試験の先行きが全く見えず,漠然とした不安をもつにいたりました.
いうなれば,
あなた,日本酒を三カ月以内に作りなさい.失敗はなりません
と言われたくらいの見通しです
えっ,本当にできるの?三カ月しかないよ,設備は?原料は?そもそもどうやってつくるの?
といった,不可能に近い先行きの不安は同じ感じです.わかりづらいですかね...(笑)
果せるかな,始めの数週間程度は広範な課題を抱え,先行きの見通しは一切つきませんでした.
課題を解決しようと計画を詰めるほどに,期日が近づくのと反対に,さらなる課題が山積する毎日でした.
他の研究所のすべての上司の抱えている実験が心底うらやましく思えました
実際そんなことはないのですが,自らの試験が最も困難に思えていました.
死ぬ気で頑張ってもうまくいくかわからない,着地点が見えないというのは,心理的にとてもスリリングな状況なのだと思います.
そして,もしもこの困難を前に,後ろを向こうとするならば,
すぐさま不平不満を連ねて,自らの境遇を不運であると呪っていたことと思います.
そして,責任転嫁をし,果てには試験を放り投げることもあったのかもしれません.
困難が大きいほど,後ろを向くのは容易です.
これらの背景のもと,私にとって,本試験は最大の困難と感じられるものでした

しかし,そのような状況において,困難を肯定的にとらえることで運命が拓けることを感覚的に正しいと思っていたため,困難に目を背けることはしませんでした.
では,如何に困難を肯定的にとらえたのか.
やはり安易な方に流れ,中途半端に適当にやってしまおうとする気持ちは強いです.
しかし,やせ我慢の側面が大きいですが,常に自身に次のような言葉を投げかけて,前を向いていました.
この困難は必ずや飛躍の糧となる.
自らが乗り越えられる困難しか,人生にはない.
必ずや,全力で当たれば,道が拓ける.
その一心であり,具体的な行動としては,ただただ目の前のできることをひたすら対応していくのみでした.
決めなければならない課題は先送りにせず,すぐさまアクションを起こす.ひたすらに全力で働くのみでした.
もちろん,その間も全てがうまくはいかず,製作機器の不調で,実験用の配管が期日に間に合わないかもといった想定外の困難等が数多くでてきました.
その都度心の中では,
本当かいな.善いことなんてなんもないじゃないか
...
否,これは起こるべきして起こった.自らにも非があるはずだ.肯定的に考えて,最善の道を行くしかない.進もう
と気持ちを切り替えていました.
正直に,困難が出てくるたびに,心の中はブラックになり,喜怒哀楽の激しい鬼の形相になりかけます(笑)


気持ちが緩んでしまったときには,
ああ,今,とても情けない顔してるのが,鏡見なくてもわからぁ
と思ったこともあります
ただし,そんな時に,自らの人生の羅針盤,哲学として,肯定的にとらえなければ,何も解決しないというプリミティブな考え方が強くあったために,気持ちを強く引き締め,前を向けたと思います.
そして,困難を肯定的にとらえることで,何か善いことがあったのかというと,
気持ちへの善果,運命への善果がもたらされたと実感しています.
◆気持ちへの善果
日々間欠泉のごとくあがる課題に対し,そこには時として苦しい思いもあるものの,
それらを少しずつでも乗り越えられていることに,自らの成長を感じ,自らに誇りを感じられました.
そして,それらは,何物にも代えがたい強い生き甲斐となりました.
その生き甲斐ある日々には,喜び,幸せがにじみ出ていました.
こたつで寝ながらテレビをみて,みかんを食べるといった幸せではなく,もっと有難い幸せを感じていたと思います.
終わってみれば,この経験を積めたことは人生の宝物であり,その機会をいただけたことに感謝があるのみです.
こたつにミカンの幸せは決して否定しません.
むしろ,人生には必要な幸せです.
しかし,困難に直面したときには,こたつにミカンの暇はありません.
困難を肯定的にとらえ,そこに強い生き甲斐を感じるべき時期であるとも,一面言えるのかもしれません.
◆運命への善果
試験においては,無事に良好な結果を得て,完了することができました.
当初は,全く見通しがつかなかったなかで,大規模な試験を安全に完了できたことが何よりも善果でありました.
そして,そこに新たな自信を得て,人は何でもやろうとすればできるという境地を拓くことができたこと.
それも善果であると思います.
また,試験がうまくいったのは,何より社内社外に問わず人に恵まれ,社外の方々では,契約という利害関係をこえて,うまく実験を成功するために,全力で協力してくれた人たちばかりでした.
本心から思うのですが,試験がうまくいったのは周りの方々の協力(実作業のみならず,斬新なアイデアなど)が大部分をなし,自らの力はほとんどです.
その面から見ると,うまくいったのは偶然ではないかとも思えますが,
そんな素晴らしい人たちと実験をできたのは,困難にあっても常に肯定的に取り組んだことに善因があるように思えてならないのです.
困難で苦しむのが人生なのかという疑問を前投稿にて提起しました.
その答えとしては,人は困難を肯定的に受け止めることで,そこに大きな幸せと強い生き甲斐をつかみ,人生の原則をもって,力強く歩くことができます.
そのような人間としてあるべき生き方には,当然として力強い善い健康・運命がついてくるのです.
ですから,人生は困難を飛躍とし,決して苦しむのみではないのです.逆に,困難を後ろ向きにとらえたとき,人生を常に苦しみの中に置くこととなるのです.
※少し難しい表現ですと,人として困難を飛躍とする生き方は当然のことであり,必然として,そこに幸せも運命も健康もついてくる.
ですから,運命と健康をのぞむために,困難を肯定的にとらえるのではなく,“人の生き方として正しいからこそ困難を肯定的にとらえるのである”という姿勢が一番正しいように思います.
そして,私の今回示しました話はうまく言ったケースです.
しかし,これは結果論ではありません.困難を真正面から肯定的にとらえることで,必ずやその人にとっての最良の結果がもたらされると思います.
そのような感じを,直感的ですがこれまでの人生を通して常に私は感じています.
そして,もちろん私だけではありません.
確かな補足となると思いますため,次投稿において,数々の名経営者,哲学者が指摘する,困難を肯定的に受け止める大切さを引用抜粋します
>>>続く>>>
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【本ブログ構成】
【はじめに】~現代社会の道徳的退廃要因.その中で力強く生きる哲学~
◆第一章【存在価値を見失っている要因】
①【存在価値を見失っている要因】
②【存在価値を見失っている要因】
③【本当の幸せ】目指すべき方向
④【本当の幸せ】目指すべき方向
⑤【本当の幸せ】目指すべき方向 完結
⑥【精神的豊かさとは?生きる意義は見失いたくない】
⑦【サラリーマンが唖然と泣いた理由】
⑧【サラリーマンが唖然と泣いた理由】完結
⑨【ならぬものはならぬのです】
⑩【困難でも少し楽しくなった人生の歩き方】
⑪【困難でも少し楽しくなった人生の歩き方】完結
1-12【毎日ウーバーの果てに】
1-13【今すぐできるスマホを触る以上に楽しいこと】
1-14【周りの雰囲気に影響されるということ】
2-1【アクセス稼ぎの自己啓発ではなく,若造の本気の哲学です】
2-2【生きる意義を素直に考えてみた】
2-3【生きる意義を素直に考えてみた】②
2-4【生きる意義を素直に考えてみた】③完結
2-5【困難との付き合い方】①