イラストとマンガ ときどき哲学

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こんにちは!

 

埼玉県では,午前中に豪雨が雷とともに通り過ぎていきました.

 

雨が降ると,なぜか気持ちが落ち着きます.

心が雨の音に向けられて,ふと無意識的に思い悩んでいたことを忘れられる,なんてことも一つあるのかもしれないです.

 

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タイトルの,肩の荷が少し軽くなる話を書かせていただきます.

 

仕事や家庭,将来の不安,悩みが積み重なると,心がつらくなるものです.

 

ただ,そうしたつらさを解消する特効薬はないと思います.

 

一朝一夕に解消される不安,悩みは稀だと思うのです.

 

 

もちろん,悩みの種であった仕事が一区切りついたり,成功したり,不安だった約束や出来事を終えたりしたとき,

 

そうした不安,悩みは一旦は霧散します.

 

ですが,人生山あり谷あり,一度山を越えれば,次の峰が迫ってくるのが実際のところのように思います.

 

 

 

ならば,人生は不安,悩みを多くの時間,抱えて生きていかねばならないものなのでしょうか.

 

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悩み,不安が積み重なり,心がつらいとき,

私は,心に融通性がなくなっていることをよく感じます.

 

思うように心を動かせず,楽しいこと,感謝すべきことにも,あまり心が動かない.

 

 

一例ですが,朝,会社に向かうとき,

どうも心がつらく,何か悩みを考えているわけではないのに,つらく,

無意識的に心がつらさを感じることも多くの人が経験しているのではないでしょうか.

 

 

土日を経た月曜だろうと,金曜日だろうと,積み重なった不安,悩みが漠然と肩に重しとして

漬物石のように乗っている感覚,

 

あまりというより,本当に勘弁ねがいたいものです.凝視

 

 

 

こうした悩み,不安で心がつらい時, ふと,少しだけでも肩の荷が軽くなる方法があります.

 

 

それは,肩の力を抜くことです

 

 

とても単純なことですが,是非一度試していただきたいのです.

 

心がつらく,融通性がなくなっているとき,

 

その時は,決まって肩に力が入り,肩があがっています.

 

 

 

一度,肩を思いっきり上げて,瞬時に肩の力を抜いて,ストンっと肩をおろす.

 

そのおろしたときの脱力したときに感じた心,そこに本来の人の心の強さがあります.

 

虚心平気,何物にも動じず,揺らがず,強く正しく尊く清くいれる心があるのです.

 

 

 

 

私も,漠然とした不安を感じているとき,いつまでも,こんな不安を感じていないとならないのかなぁと思っていた時がありました.

そんなときに,ふと肩の力を抜くと,不安を考えられない自分がいました.

肩の力を抜いているとき,不安も悩みも考えられないと思うのです.

 

 

 

心身相関という言葉があります.

 

心と肉体はお互いに影響しているということです.

 

心に怒りが生じると,野生時代の名残で,切られても血が出ないように毛細血管が縮小し,酸素,糖分を脳に行かせるために血圧は高くなり,どこか忘れましたが蓄えている糖分が解放されて血糖値も上がる.

 

逆に,

善い香りをかげば心は落ち着き,温泉やサウナに入れば,神経系統が整い,心はリラックスする.

 

 

同じように,肩の力を抜けば,不安や悩みが薄まる.

 

 

 

もちろん,肩の力を抜いただけでは,悩みや不安のつらさの全てが解消されるわけではないと思います.

 

ですが,確実に,肩の荷はぐっと軽くなり,歩を進める脚に力が宿り,より軽やかに活きられると思うのです.

 

 

是非,心がつらい時,融通性を失っているなと感じるとき,

 

肩の力をストンッと抜いてみてください.

肩に乗っていた漬物石が,スポンジくらいに感じられると思います!

こんばんは!

 

これまでの人生を通して,幾度となく学んできた,どこか共通したことがある.

 

昨日,ふと考え事をしていて,明確な言葉として出てきた.

 

 

それは,

 

人生で大切なことは,何かにとらわれていると見ることができない,そして触れられない.

 

ということである.

 

 

 

 

心は扱う存在である.

 

しかし,人間は目先の利益にすぐとらわれる

 

すると,好き勝手やったあとに,心に振り回されていた自分を自覚するなんてことがある.

 

その「最中」に自覚したとしても,振り回されている心を如何ともできず,

 

目先の甘美な誘惑にいざなわれ,自分本位な道を突き進んでしまうことも往々にあるのではないか.

 

 

こうした心がとらわれたときの行きつく先は,決まって不安定な環境である.

 

なぜか,心が自分勝手な欲にとらわれているからである.

 

 

保身のため,お金のため,格好つけるため,権威のため,人より優位でありたいため,,,

 

人は自分勝手な欲で,心がとらわれやすいのである.

 

すると,扱う存在の心が,機能せず,暴走し,活力は低下するし,環境は不安定化していく.

 

 

 

自分も,幾度も心がとらわれ,その都度,心境が乱れることを経験してきた.

 

高校生の頃,体育の時間は大好きであった.

 

バトミントンの時間はさらに好きだった.

 

そんなとき,バドミントンのペアが当時片思いの女性となった.

 

青春の感情というやつだろうか.とても歓喜していたのを覚えている.

 

翌週の体育の時間が待ちきれず,とても楽しみで,毎日うきうきであった.

 

そして翌週,格好良いところをみせてやろう,紳士な対応をして他の男子と違うところをアピールしてやろう,,,

 

意気込みながらその時間を過ごした.

 

とにかく,楽しいはずの時間が,でも何か歯車がぎくしゃくしていて,快活さを感じないなぁ,なんて思いながら過ごしたことをよく覚えている.

 

そして,体育の時間の後,楽しいはずの時間は,心がとらわれて終わり,その後はなぜか,心の活力がとても低下して,元気がなくなっているのである.

 

当時は,不思議なもんだなあ,とよく思っていた.

 

 

 

ただ,それは因果応報な単純なことで,自分本位な欲に心がとらわれ,本来あるべき心の状態から逸脱させていたためだったのである.

 

豊かな土壌で育つアスパラガスも,乾いた砂漠に植え替えればすぐに頭をたれて,ギブアップするのと同じである.

 

 

 

そうした心がとらわれる経験を何度もしてきた.

 

状況は変われど,本質はいつも同じだったんだなぁと今になって思うのである.

 

 

 

 

 

そして,冒頭の言葉である.

 

人生で大切なことは,何かにとらわれていると見ることができない,そして触れられない.

 

本当に大切なことは,何かにとらわれていると見失っている.だから見つけられないし,触れられない.

 

目先の利益を追っているとき,幸せになれるだろうと思っているはずなのに,

 

なぜか,どこまで追い求めても,幸せは手に入らないのである.見えすらしない.触れられすらしない.

 

 

本当に大切なことは,心が何ものにもとらわれていないときに,はじめて見つけられて,触れられるんだ.

 

 

 

 

だから,いつも自分自身にささやきたい

 

「心はとらわれていないか.本当に大切なこと,本当に求めていることは,とらわれていたら姿を絶対にあらわさない.

力を入れるんではなく,力を抜いてみよう.とらわれていないときこそ,幸せは,安定は,大切なことはあらわれてくるんだ.」

 

こんばんは!

 

最近,いろいろと考え方が変わってきた.

 

今までは,自分磨きを一番大切にしてきた.

 

しかし,最近は,好きなことをやろう,も大切にしている.

 

 

自分にとって,自分磨きは,内面の在り方をみつめ,感謝や世の人のためといった積極的な思考を多くすることだ.

 

だから,ただ今の思考を積極的にする,今の現状を積極的にとらえることを大切にしていた.

これからどうしたいとかはあまり考えずに.

 

 

しかし,今は,そうした積極的な思考を意識したうえで,好きなことをやっていこうと思っている.

 

そう,好きなことをしている未来を描いていることが何よりの変化である.

 

 

 

 

 

 

「来るものこばまず,去るもの追わず」

 

でいた今までである.

 

 

ただ,親友に言われた.

 

「自分から会いたいと思える人がいないんですか?」

 

 

 

冗談っぽく言われたものの,心の中に,その言葉は沈殿し,ふとしたときに考えるようになった.

 

 

 

自分は何をしたいのか.

 

自分は何が好きなのか.

 

 

自分磨きに一生懸命になり,あまり考えてこなかった.

会うべき人には,こちらから何もしなくても,向こうから来てくれると...

 

 

 

好きな人に会いたい,魅力的な人に会いたい,尊敬できる人に会いたい,お互いに笑顔で話せる人と会いたい

 

 

好きなことをやっていきたい

 

 

今まで,それは我欲のように思い,隠していた思いである.

 

 

 

 

でも,それらの思いは,よくみつめると,透明なことに気づく.

決して,私利私欲,自己本位な思いではないのである.

 

とても自然な思いなのである.

 

 

 

小さいころは,もっと好きなことに純粋な心があった.

 

どこかで,感情を脱ぐとともに,そうした心も置いてきてしまったように思う.

 

 

これからは,もっとそうした純な思いを大切に,

 

好きなことをやっていこう.

 

 

※「好きなことをやっていこう」

の言葉は,旅をする木という星野道夫さんの本に出てきた.

今でもその言葉が出る話を何度も読み返し,力をいただいている.

 

 

 

こんばんは!

 

この一週間,仕事で人間関係の摩擦を大きく感じた.

 

消極的な思いが多く出た.自身の未熟さを大きく感じた.

 

そして,この土日,

 

 

心は晴れなかった

 

 

今日は,座禅を30分ずつ,数時間行った.

 

それでも,心は乱れたままだった.

 

珍しいことである.

 

 

 

そんな今夜,ビールを飲もうと思った.

 

けれど,今飲んでも,ハイボール含めて美味しいお酒にならないと直感した.

 

 

今日は,この心の乱れからくる不安,つらさを味わいながら夜を越そうと思った.

しかし,少しまさつが大きい.

 

 

 

ただ,タンスに,いつか価格が高騰するかと未開封の角瓶を閉まっていたのを思い出す.

 

その封を切った.

 

 

ビールとハイボールは合わないと思ったが,

 

この心のつらさには,ウイスキーのストレート,水割りが染みる

 

 

心がやわらぐ

 

 

 

今は2杯目である.

 

 

このへんで,シャワーを浴びて,眠りにつこう

 

 

 

つらいと思うことが続くと,

ふと感謝を忘れているのである.

 

感謝の大切さをしっているはずなのに.

 

 

 

うれしいときは

 

感謝を持った時,思いやりを持った時である.

 

 

一つ一つ,感謝に,思いやりに変えていこう.

 

格好良さを考えないでよいんだ.

 

自身の内側が環境に反映されるんだ.

 

 

強引にでも,感謝,思いやりで活きていこう.

 

 

なかなかに落ち込む時期だ.

 

格好良くない思いも出てくる.

 

彼女がいない.

 

元カノに会いたいなぁ.

 

 

お互いに笑って,大切に思って,たくさんいろいろな話をしたいな

 

 

明日から,何か工夫をして,積極精神を少しでも煥発していこう

こんばんは!

 

田舎に住んでいた小さいころ,

 

雪が降り積もる中,森の近くを歩いた.

 

雪がものすごい降っているのに,静寂がそこにはいた.

 

 

何か,とても心地よい静寂だったのを覚えている.

 

その心地よさを改めて感じたいとたまに思う.

 

 

もっと,ゆっくり活きて,自分の感じるものを大切にしたいと思う.

 

自分が何をしたいのかをもっと感じながら,歩いていきたいとふと思うのである.

 

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