こんばんは!
これまでの人生を通して,幾度となく学んできた,どこか共通したことがある.
昨日,ふと考え事をしていて,明確な言葉として出てきた.
それは,
人生で大切なことは,何かにとらわれていると見ることができない,そして触れられない.
ということである.
心は扱う存在である.
しかし,人間は目先の利益にすぐとらわれる
すると,好き勝手やったあとに,心に振り回されていた自分を自覚するなんてことがある.
その「最中」に自覚したとしても,振り回されている心を如何ともできず,
目先の甘美な誘惑にいざなわれ,自分本位な道を突き進んでしまうことも往々にあるのではないか.
こうした心がとらわれたときの行きつく先は,決まって不安定な環境である.
なぜか,心が自分勝手な欲にとらわれているからである.
保身のため,お金のため,格好つけるため,権威のため,人より優位でありたいため,,,
人は自分勝手な欲で,心がとらわれやすいのである.
すると,扱う存在の心が,機能せず,暴走し,活力は低下するし,環境は不安定化していく.
自分も,幾度も心がとらわれ,その都度,心境が乱れることを経験してきた.
高校生の頃,体育の時間は大好きであった.
バトミントンの時間はさらに好きだった.
そんなとき,バドミントンのペアが当時片思いの女性となった.
青春の感情というやつだろうか.とても歓喜していたのを覚えている.
翌週の体育の時間が待ちきれず,とても楽しみで,毎日うきうきであった.
そして翌週,格好良いところをみせてやろう,紳士な対応をして他の男子と違うところをアピールしてやろう,,,
意気込みながらその時間を過ごした.
とにかく,楽しいはずの時間が,でも何か歯車がぎくしゃくしていて,快活さを感じないなぁ,なんて思いながら過ごしたことをよく覚えている.
そして,体育の時間の後,楽しいはずの時間は,心がとらわれて終わり,その後はなぜか,心の活力がとても低下して,元気がなくなっているのである.
当時は,不思議なもんだなあ,とよく思っていた.
ただ,それは因果応報な単純なことで,自分本位な欲に心がとらわれ,本来あるべき心の状態から逸脱させていたためだったのである.
豊かな土壌で育つアスパラガスも,乾いた砂漠に植え替えればすぐに頭をたれて,ギブアップするのと同じである.
そうした心がとらわれる経験を何度もしてきた.
状況は変われど,本質はいつも同じだったんだなぁと今になって思うのである.
そして,冒頭の言葉である.
人生で大切なことは,何かにとらわれていると見ることができない,そして触れられない.
本当に大切なことは,何かにとらわれていると見失っている.だから見つけられないし,触れられない.
目先の利益を追っているとき,幸せになれるだろうと思っているはずなのに,
なぜか,どこまで追い求めても,幸せは手に入らないのである.見えすらしない.触れられすらしない.
本当に大切なことは,心が何ものにもとらわれていないときに,はじめて見つけられて,触れられるんだ.
だから,いつも自分自身にささやきたい
「心はとらわれていないか.本当に大切なこと,本当に求めていることは,とらわれていたら姿を絶対にあらわさない.
力を入れるんではなく,力を抜いてみよう.とらわれていないときこそ,幸せは,安定は,大切なことはあらわれてくるんだ.」

