大切なことに触れるために | イラストとマンガ ときどき哲学

イラストとマンガ ときどき哲学

哲学とイラストとマンガを気の向くままに投稿しています!

こんばんは!

 

これまでの人生を通して,幾度となく学んできた,どこか共通したことがある.

 

昨日,ふと考え事をしていて,明確な言葉として出てきた.

 

 

それは,

 

人生で大切なことは,何かにとらわれていると見ることができない,そして触れられない.

 

ということである.

 

 

 

 

心は扱う存在である.

 

しかし,人間は目先の利益にすぐとらわれる

 

すると,好き勝手やったあとに,心に振り回されていた自分を自覚するなんてことがある.

 

その「最中」に自覚したとしても,振り回されている心を如何ともできず,

 

目先の甘美な誘惑にいざなわれ,自分本位な道を突き進んでしまうことも往々にあるのではないか.

 

 

こうした心がとらわれたときの行きつく先は,決まって不安定な環境である.

 

なぜか,心が自分勝手な欲にとらわれているからである.

 

 

保身のため,お金のため,格好つけるため,権威のため,人より優位でありたいため,,,

 

人は自分勝手な欲で,心がとらわれやすいのである.

 

すると,扱う存在の心が,機能せず,暴走し,活力は低下するし,環境は不安定化していく.

 

 

 

自分も,幾度も心がとらわれ,その都度,心境が乱れることを経験してきた.

 

高校生の頃,体育の時間は大好きであった.

 

バトミントンの時間はさらに好きだった.

 

そんなとき,バドミントンのペアが当時片思いの女性となった.

 

青春の感情というやつだろうか.とても歓喜していたのを覚えている.

 

翌週の体育の時間が待ちきれず,とても楽しみで,毎日うきうきであった.

 

そして翌週,格好良いところをみせてやろう,紳士な対応をして他の男子と違うところをアピールしてやろう,,,

 

意気込みながらその時間を過ごした.

 

とにかく,楽しいはずの時間が,でも何か歯車がぎくしゃくしていて,快活さを感じないなぁ,なんて思いながら過ごしたことをよく覚えている.

 

そして,体育の時間の後,楽しいはずの時間は,心がとらわれて終わり,その後はなぜか,心の活力がとても低下して,元気がなくなっているのである.

 

当時は,不思議なもんだなあ,とよく思っていた.

 

 

 

ただ,それは因果応報な単純なことで,自分本位な欲に心がとらわれ,本来あるべき心の状態から逸脱させていたためだったのである.

 

豊かな土壌で育つアスパラガスも,乾いた砂漠に植え替えればすぐに頭をたれて,ギブアップするのと同じである.

 

 

 

そうした心がとらわれる経験を何度もしてきた.

 

状況は変われど,本質はいつも同じだったんだなぁと今になって思うのである.

 

 

 

 

 

そして,冒頭の言葉である.

 

人生で大切なことは,何かにとらわれていると見ることができない,そして触れられない.

 

本当に大切なことは,何かにとらわれていると見失っている.だから見つけられないし,触れられない.

 

目先の利益を追っているとき,幸せになれるだろうと思っているはずなのに,

 

なぜか,どこまで追い求めても,幸せは手に入らないのである.見えすらしない.触れられすらしない.

 

 

本当に大切なことは,心が何ものにもとらわれていないときに,はじめて見つけられて,触れられるんだ.

 

 

 

 

だから,いつも自分自身にささやきたい

 

「心はとらわれていないか.本当に大切なこと,本当に求めていることは,とらわれていたら姿を絶対にあらわさない.

力を入れるんではなく,力を抜いてみよう.とらわれていないときこそ,幸せは,安定は,大切なことはあらわれてくるんだ.」