大雪に翻弄される現代人と
雪深い所に住んでいる方に鼻で笑われそうですが、電車は来ないわ、車はスリップするわ、靴はびちょびちょになるわ、で目下いいように翻弄されているところです(・ε・ ;)
城郭写真には雪の城がたくさんアップされていますが、雪中リアル城めぐりをされている方は、十二分にお気を付け下さい。
さて、戦国時代に“雪”といって思い出されるのは、立花道雪でも板部岡江雪斎でも太原雪斎でもなく、現代のアルピニストもびっくりの雪中行軍をした佐々成政でしょう。
しかし、残念ながらそんなメジャーな話題は当然、とっくの昔(約3年前!)にこのブログでやってました。無類のさらさら越えファンとしては、早々に触れずにはおれなかったのでしょう( ̄ー ̄;
内実、ブログネタというのはこうしてどんどん枯渇していくのですが、この成政の雪中行軍をさかのぼること1年、やはり雪中行軍をした猛者がいます。そう、我らがオヤジ殿、柴田勝家です。
昨年映画にもなった天正10年の清洲会議で、秀吉にうまーいことやられて以来、両者の対立は決定的になったわけですが、北陸に所領がある勝家としては、冬場に秀吉にごにょごにょやられると手も足も出ないので、“取り急ぎ”同年11月に秀吉に和睦の使者を出します。
しかし、このみえみえの作戦、秀吉にもみえみえだったようで、早くも12月には、近江長浜城の柴田勝豊(勝家養子)と、勝家と手を組んだ美濃岐阜城の織田信孝が、それぞれ秀吉にアッサリ降されます。
翌年2月には勝家の心の友、伊勢の滝川一益まで秀吉に追い込まれます。それもこれもすべて雪のせい…。とはいえ、さすがにコタツでみかんを食べているわけにいかなくなった勝家は、なんとこの豪雪を押して出陣を決意ヽ(`Д´)ノ
与力の佐久間盛政や前田利家にせっせと除雪させながら雪を踏みしめ木ノ芽峠を迂回、ようやくの思いで北近江に布陣して、秀吉と堂々の決戦を行います。結果はみなさんご存じの通り...。
雪に阻まれることがなければ…、という歴史ifをつい妄想してしまいますが、雪をうまく利用した秀吉が偉いのか、雪に翻弄された勝家が不運なのか…、戦国の厳しさを痛感するのであります(・ε・)
わたくしも“雪を利用して(口実に)”早々に帰宅するとしましょう( ̄ー ̄)
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惜敗...
いやぁ悔しい…、ほんとに悔しい、高梨沙羅選手。ソチオリンピックで最も楽しみにしていたジャンプ女子。リアルタイムで金メダルの興奮を味わおうと、夜更かしして中継を見ていたのですが、結果は.....。
今日は悔しさと寝不足でブログを書けるコンディションにありませんが、そんなことは誰も気にかけてくれないので、腹いせに冒頭で気持ちを前面に押し出してみました( ̄д ̄)
さて、6日間限定で行いました「ストロングゼロドライ」のキャンペーンは、無事2月10日に終了致しました。ご参加頂いたみなさま、ありがとうございましたm(_ _ )m 現在集計中なので、結果などの続報は追ってお知らせします。
また、昨日2月11日からは先日告知したクエストイベント「上田原の戦い」が開始しています。ちなみに、この合戦で信玄を打ち負かした村上義清は、2年後、「砥石城の戦い(砥石崩れ)」でも再度、信玄に勝利します。
この時、義清が武田軍に囲まれた砥石城を救援し勝利し得たのは、それまで対立していた高梨政頼と和睦できたことが最大の要因です。
高梨氏は北信濃(長野県中野市あたり)に大勢力を築いた氏族で(高梨氏館跡は庭園跡などの残る国史跡)、後に義清が信玄に本拠地を追われた後も、頑強に抵抗した一人です。
結局、その後惜しくも信玄に敗れて上杉謙信を頼りますが、後年、上杉氏配下として旧領に返り咲きリベンジを果たすのです。
話は戻って…。
この高梨氏の子孫かどうかは分かりませんが、高梨選手もぜひ4年後にリベンジを遂げて欲しいものです(*>ω<)/
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あと数時間!モニターキャンペーン
23時を過ぎてからこのブログを読んだ人はもはや手遅れではありますが、きっと大半の人が18時くらいに読んでくれていると信じて(´;ω;`)、終了まで残すところあと5時間ほどになってきました。
今後もこういった形のリアルなキャンペーンを続けていけるかのひとつの実験的なプレキャンペーンですので、まだの方はぜひ(×10回)ご参加下さいましm(..)m 23時マデにアンケートに回答できればOK、滑り込み大歓迎です。
ちなみに、開始が急だったことからアンケートの回答画面がPC向けの作りになっているため、回答後の「閉じる」ボタンがスマホでうまく効きませんが…、ちゃんとデータは送信できていますのでご安心下さい。
今回はセブンイレブン限定ということで、近くにセブンがなかった方や、あるのに商品がなかった方にはご迷惑をお掛け致しました。正式にスタートできた際には、そこまで購入店舗が限定されることもないと思います(。・ω・)ノ゙
さらには、もちろん毎回お酒ではありませんので、未成年の方&お酒飲まない方も次回以降にご期待下さいませ(←そこまで言ってしまっていいのか…( ̄ー ̄; )
わたくしも個人的にセブンイレブンで購入してみましたが、レシートを送信することを失念しており、あんなものやこんなものまで一緒に買った結果、ひとり悶絶した金曜日の夜でした(; ̄Д ̄)(; ̄Д ̄)(; ̄Д ̄)
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【再周知】引継ぎサポートについて
>これまでの経緯等についてはこちらをご参照下さい。
まず、有料化の日程ですが、こちらは2月12日(水)からに決定しました。2月12日以降に頂いた、引継ぎサポート関連のお問い合わせについては、恐れ入りますが事務手数料を頂くこととなりますのでご了承下さい。
そのため、何度も同じ事の繰り返しで耳にたこができそうですが(;´Д`)ノ、今のうちに引継ぎコードの確認を改めてお願いする次第です。
引継ぎコードは
TOP → 各種設定 → 引継ぎコード表示
から確認が可能です。
こちらに表示されている引継ぎコードを、コピーして控える、またはご自身宛にメールで送っておく等の対応をお願いします。
また、スマホの方は一応、機種変更後でも旧端末が残っていれば、そちらでアプリを起動することでも確認できるようになっています(アプリ右上または右下の設定ボタンから)。
前回も書きましたが、機種変更なぞ全く念頭にない方も、不意に携帯が壊れた場合なども必ず引継ぎコードが必要になってきますので、どうぞお忘れなきよう重ねてお願い致しますm(_ _ )m
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【緊急告知】タイアップキャンペーン開始!
現在、貫高が獲得できる協賛楽座には、様々なスポンサーのサービスがありますが、ここに全く新しい、そして参加して楽しいサービスを導入すべく準備を進めています。
本日はその本格導入に先立って、急遽“プレ”タイアップキャンペーンを行うことになりましたので、【緊急告知】と相成りましたヽ(´ω`=´ω`)ノ
まず、この新しいサービスとは何なのか簡単に説明しておくと、城めぐりのみなさまに、生活に密着した商品のモニターをして頂き、感想を書いて頂くサービスになります。
モニターというとサンプル品が送られてきて…というのを想像しがちですが、このサービスでは実際にスーパーやコンビニで商品を買って、食べて・飲んで・使って頂きます(。・_・)ゝ そして、その代わりに商品ごとに設定された高額な貫高が都度獲得できるというものです。
現在の協賛楽座ではわりとネット上で完結するサービスが多いので、なんとか普段の実生活の中からも貫高を生み出せないかと考えたひとつの選択肢です。モニター対象の商品が、いつもよく買うものであれば一石二鳥。さらに、みなさんの声が商品開発にも活かされるとなれば、一石三鳥です。
で、詳しい事は本格導入時に説明するとして、本題のプレタイアップキャンペーンの話に移ります。
今回のモニター商品は「サントリー ストロングゼロドライ」ですo(´∀`o
今回については店舗が限られていて、「セブンイレブン」で「ストロングゼロドライ(350ml)」を3本購入して、その感想を書いて下さい(レシート画像の添付が必要になります)。
「美味しいから是非買って下さい」というキャンペーンではありません。実際に飲んでみてリアルな感想を募集しています。そして、参加条件を満たした方全員に、なんと46,000貫を差し上げます。
開催期間については…、走馬灯のような話で恐縮ですが、
2月5日(18時)~2月10日(23時)の期間限定となります!
城めぐりの新たな取り組み実現に向け、みなさまのお力をお貸し下さい!≡;´Д`)ノ
キャンペーンへの参加は「協賛楽座」から。
詳細はそこでも見られますので、ぜひご覧下さいませm(..)m
※今回は「セブンイレブン」での購入のみが対象となります。
※アルコール飲料のため、未成年の方は参加できません。
※本モニター企画は感想受付側のシステムの都合により、スマホのみの実施となります。
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2/11~【クエストイベント】上田原の戦い
場所はこのあたり(長野県上田市)、2月の信州は寒さが厳しいですが、上田周辺の史跡へお立ち寄りの際はぜひこちらの古戦場もめぐってみて下さい。信玄の初期家臣団がごそっと登用できます(・ω・)/
さて、クエストイベントも3回目ともなると、これといって特に説明することもありませんので( ̄_ ̄ i)、今日はこの上田原の戦い後から波瀾万丈な人生を歩んだ戦国大名について見てみましょう↓
上田原の戦いと言えば、武田信玄と信濃の強豪、村上義清との戦いですが、この村上義清以上にしぶとかった男、それが「小笠原長時」です。
時代劇などの影響で惰弱な大名のイメージがあるかもしれませんが、そして、戦は下手なのかもしれませんが、そのしぶとさと居候ぶりは、足利義昭すら越えたとの説もあります。
長時はれっきとした信濃守護職で、村上義清同様、信玄の信濃侵攻に抗った一人です。現在、多くの観光客が訪れる信濃の名城松本城のすぐ近く、林城を本拠とした大名で、いわゆる当時の名門の家柄です。
信玄の侵攻に対しては、守護職のプライドにかけて一歩も引かず戦いますが、残念ながらだいたい負けてます。しかし!前出の上田原の戦いで信玄が一敗地にまみれたことで長時にチャンスが到来しますヾ( ´ー`)
長時はここぞとばかりに周辺国人を糾合して一気に攻勢に転じますが、塩尻峠で休憩してるところを信玄に襲われて、やっぱり負けます。惜しい!( ̄□ ̄;)!!
そしてここから、長時の流浪の人生が始まります。敗戦後、信玄に本拠を追われると、家臣の二木氏(中塔城)や、村上義清、はたまた同族の伊奈小笠原氏(鈴岡城)を頼ったとも言われ、天文23年(1554)には遠く三好長慶(芥川城)を頼って上洛。
その長慶が信長に攻められると、今度は上杉謙信(春日山城)を頼って越後へ。さらに謙信が死去すると、京都に戻って信長の客分として京都御馬揃えにも出たとか。いろいろありましたが、最終的には、会津の蘆名氏(黒川城)のもとに庇護されてます。東へ西へものものすごい移動距離です( ̄Д ̄;; 恐れ入ります。
最期は、信濃で旧領を回復した三男の小笠原貞慶のもとへ行く直前に死去してしまいます(一説には暗殺されたとも)。もうちょっとで故郷へ返り咲きというところで...。
実に壮絶な流浪ぶりです。しかも、息子が旧領復帰した頃には、仇敵武田氏は滅んでしまっているわけですから、その本懐は遂げられたと言ってもいいかもしれません。確かに、名門の家柄と言うことで各大名に利用される側面もあったとは思いますが、なかなか常人にできる業ではありません。
今日のブログの主役村上義清がかすんでしまう、小笠原長時の話でした( ̄ー ̄)
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利休さんありがとう、そして行ってらっしゃい!
映画の方はと言いますと、先頃、日本アカデミー賞優秀賞を9部門受賞したことでも話題になり、もちろん現在も絶賛上映中です。まだ見てねぇぜと言う方は、ぜひ劇場へ足を運んでみて下さい。
さて、この「利休をみつけよ」のイベント、文字通り“全国各地の上映館の近くに行くと利休が見つかる”というものでしたが、上映している映画館が近くになかった人や、あったのに忘れっぽい性格が災いして「城攻め」ボタンを押さなかった人、欧米人並のロングバケーションを海外で満喫していた人など、はからずも期間中に登用しそびれてしまった人もいることでしょう( ̄□ ̄;)!!
そういう人のために、利休さんは休む間もなく今日から放浪の旅に出るそうです。“いわゆる廻国する異能の人になって参ります”と言い残して、ホットティーの入った水筒片手に出発して行かれました。道中お気を付けて(。・ω・)ノ゙
そんな、自分を見つけてもらうための旅に出発した利休さんですが、、映画館で自分を見つけてくれた人へのお礼も置き土産として残していきました。
聞くところによると、“茶会を催す”と忠誠心だけでなく、行動力まで回復するようにしてくれたみたいです。
「かの栄西禅師も、茶は心身の養生に役立つ妙薬と申しました。みなさまの体の疲れを癒す茶会が必要となることもまたございましょう...。」
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桶狭間と関ヶ原
年末年始に溜めた仕事もようやく来週には終わりそうなので、そろそろ週末に出陣でもするかーヽ(`Д´)ノと吠えていたところ、来週末は東京都知事選だったことを思い出しました(/TДT)/ こないだ投票したと思ったら、また新たな領主を選ばねばならないようです。
この都知事選の立候補者の中で注目を集める一人に、細川護煕氏がいます。ご存じの方も多いかと思いますが、氏はかの有名な肥後熊本の細川忠興の子孫です。「殿様」と言われる所以です。
さて、この護煕氏の選挙事務所に、「桶狭間」と書かれた直筆の掛け軸が飾られていることを最近知りました。ご先祖様と何か関係がありそうですが、否、「桶狭間の戦いから日本が大きく変わったから」ということらしいです。それもそのはず、先祖の細川忠興は桶狭間の戦い当時は生まれてませんし、父親の幽斎も参戦していません。
むしろ細川氏が一家揃って活躍した(というか巻き込まれた)のは、なんと言っても「関ヶ原」でしょう。知っている人は知っている、関ヶ原の戦い前後、細川氏は全国4ヶ所で同時多発的に争乱のさなかにあったのです(;´Д`)ノ
まず当主である忠興は、家康に従って会津若松城の上杉氏征伐に従軍して、その後の関ヶ原本戦では石田三成軍とガチンコで戦い、東軍勝利に大いに貢献。
一方、忠興が家康に従って東上している間に、大坂城内の玉造の屋敷にいた妻のガラシャは西軍方に襲撃され、人質となることを拒んで自害してしまいます。
さらには、忠興の所領である丹後国の田辺城も、その留守を狙った西軍の小野木重次ら1万5000に包囲されます。こちらは隠居の幽斎が500の手勢で固く守って、最後は勅命でようやく城を明け渡す善戦を見せます。
そして最後に、当時細川氏には九州は豊後国にも飛び地がありまして、家臣の松井康之の守る杵築城がこれまた西軍の大友義統に攻められます。こちらも黒田氏の援軍などもあって、見事に守り抜きます。
このように、歴史をひもとくと天下分け目の戦いで家康が勝利できたのも、細川氏の功績によるところが大なわけですが、話は脱線しました、ひるがえって東京都知事選、“日本が大きく変わる”ことになるのかならないのか( ̄ー ̄;…
13年と7ヶ月
数年前、みなさんの自己紹介に記入されている「好きな歴史上の人物ランキング」を発表したことがありましたが、最近改めて各種データが抽出されたので、今日は同じく自己紹介欄にある、「城ファン歴」の集計結果を発表してみましょう。
と言っても、「城ファン歴」欄は数字入力欄ではないフリーフォーマットなので、かなりの割合で集計不能なデータもあるのですが、それでも集計業務に全精力を注ぎ込んで、以下のような結果が導き出されました↓
ムムム…( ̄ー ̄; グラフの見栄えとしては、残念なくらい特徴がなくてパッとしません。
しかし、なんとバランスの取れた構成なんでしょう。
0~3年のこれから全国の城をめぐり放題のファン歴の浅い人から、もはや路地裏の側溝でさえ城跡に見えてしまう禁断症状に悩まされる20年以上の人まで、非常にバランス良く、全ての城エイジがまんべんなく参戦頂いていることが分かります。
これら全データを平均すると、城ファン歴「13年と7ヶ月」でした(´▽`)/
これを長いと言うか短いと言うかは分かりませんが、ひとつの趣味が10年以上続くというのは、なんと素晴らしいことでしょうか。それくらい城というのは奥深く、終わりの見えぬ憎い奴ということなんでしょう( ̄ー ̄;
ちなみに、集計不能なデータの中で多かったのは「小学生の頃から」というもの。他にも「物心ついた時から」、「生まれた時から」という書き込みもありました。反対に、「初心者」、「城めぐりに登録した時から」という人も多かったです。
もちろん、「そもそもファンではない」という人もいますが、そういうみなさんにもいつか「城ファン歴1年」と書き換えてもらえるよう、今後も楽しい企画を考えていかねばと思った次第です。
あ、でも結局マニアック路線へついつい行きがちなんですけどね( ̄ー ̄;
清掃

朝来市公式サイトより引用
むろん、修繕が必要なほど遺構が痛んだのは“観光客が急増しているから”という部分がクローズアップされての扱いですが、立ち入り禁止で本丸に登れないというのは、肉うどんに肉が入っていなかった時にも等しい悲劇です。さらには、2月13日・14日は全面立ち入り禁止となります。日本のマチュピチュで意中の彼にチョコを渡そうと思っていた城ガールのみなさんは、恐れ入りますが別の城郭をご検討下さいm(_ _ )m
一方で、先日放送されていたニュース番組では、この竹田城跡に捨てられるゴミ問題も深刻化しているとかで、ペットボトルが間詰石のように石垣の隙間に突っ込まれている映像が流れました。確かにリアルに城めぐりする人にとっては、悲しいかなこれは決して珍しい光景ではありません。
戦国時代、かのルイス・フロイスは訪れた山口や安土の町並を見て、「塵ひとつ無い、清潔な都市( ̄□ ̄;)!!」と驚嘆しています。その理由のひとつに、当時の各地の領主たちは自らの権威と名誉のために、城内外を清掃する規定を定めていたと言われます。
小田原北条氏では城下の町衆に命じて輪番の清掃規定を定めていました。例えば、城下の松原神社の掃除役は毎月決まった日に徴発され、土塁の内外を塵一つなく掃除せよ、と定められています。また、掃除役たちがサボタージュで出てこなかった際には、板部岡江雪斎が「首に縄を付けても引っ張り出してこい」と言ったという記録もあります(そんなバイオレンスな一面もあったのね、江雪さん(=◇=;))。
話は戻って、現代の城跡では多くの場合、清掃は管理する団体や地域のボランティアの方々によって行われています。以前ブログで自転車を捨てる輩の話をしましたが、めぐる側のわれわれは自転車は言うに及ばず、鼻紙1枚捨てることがないように心掛けなければなりませんね。“塵ひとつ無い城跡”と言ってもらえるように。








