桶狭間と関ヶ原 | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

桶狭間と関ヶ原

年末年始に溜めた仕事もようやく来週には終わりそうなので、そろそろ週末に出陣でもするかーヽ(`Д´)ノと吠えていたところ、来週末は東京都知事選だったことを思い出しました(/TДT)/ こないだ投票したと思ったら、また新たな領主を選ばねばならないようです。

この都知事選の立候補者の中で注目を集める一人に、細川護煕氏がいます。ご存じの方も多いかと思いますが、氏はかの有名な肥後熊本の細川忠興の子孫です。「殿様」と言われる所以です。
 

 


さて、この護煕氏の選挙事務所に、「桶狭間」と書かれた直筆の掛け軸が飾られていることを最近知りました。ご先祖様と何か関係がありそうですが、否、「桶狭間の戦いから日本が大きく変わったから」ということらしいです。それもそのはず、先祖の細川忠興は桶狭間の戦い当時は生まれてませんし、父親の幽斎も参戦していません。

むしろ細川氏が一家揃って活躍した(というか巻き込まれた)のは、なんと言っても「関ヶ原」でしょう。知っている人は知っている、関ヶ原の戦い前後、細川氏は全国4ヶ所で同時多発的に争乱のさなかにあったのです(;´Д`)ノ

まず当主である忠興は、家康に従って会津若松城の上杉氏征伐に従軍して、その後の関ヶ原本戦では石田三成軍とガチンコで戦い、東軍勝利に大いに貢献。

一方、忠興が家康に従って東上している間に、大坂城内の玉造の屋敷にいた妻のガラシャは西軍方に襲撃され、人質となることを拒んで自害してしまいます。

さらには、忠興の所領である丹後国の田辺城も、その留守を狙った西軍の小野木重次ら1万5000に包囲されます。こちらは隠居の幽斎が500の手勢で固く守って、最後は勅命でようやく城を明け渡す善戦を見せます。

そして最後に、当時細川氏には九州は豊後国にも飛び地がありまして、家臣の松井康之の守る杵築城がこれまた西軍の大友義統に攻められます。こちらも黒田氏の援軍などもあって、見事に守り抜きます。

このように、歴史をひもとくと天下分け目の戦いで家康が勝利できたのも、細川氏の功績によるところが大なわけですが、話は脱線しました、ひるがえって東京都知事選、“日本が大きく変わる”ことになるのかならないのか( ̄ー ̄;…

 

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